野間文芸新人賞
野間文芸新人賞(のまぶんげいしんじんしょう)は、講談社初代社長、野間清治の遺志により設立された財団法人野間文化財団が主催する純文学の新人に与えられる文学賞である。野間三賞のうちの一つ。
野間文芸新人賞 | |
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受賞対象 | 新人作家の小説 |
国 | 日本 |
主催 | 財団法人野間文化財団・講談社 |
初回 | 1979年(前身の初回は1941年) |
最新回 | 2024年 |
最新受賞者 | 豊永浩平 |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
概要
編集財団法人野間奉公会が1941年に野間文芸賞とともに創設した野間文芸奨励賞が前身。戦後両賞とも一時中断し、1953年に野間文芸賞のみ再開、その後1979年の講談社創立70周年を期に野間文芸奨励賞を改称、野間文芸新人賞として新設された。以降年1回発表されている。
新人作家による小説を対象とする。芥川龍之介賞と違い、文芸誌掲載作だけではなく単行本も対象となる。受賞作は選考委員の合議によって決定される。受賞者には正賞として賞牌、副賞として100万円(第12回から、それ以前は50万円)が授与される。受賞作発表および選評は『群像』1月号に掲載される。
初期は村上龍、尾辻克彦など芥川賞受賞経験者に授賞することがあったが、しだいに芥川賞未受賞者のみを「新人」として扱う慣例[1]が成立していった。特に90年代以降は受賞者の約4割が後に芥川賞も受賞している。しかし第43回(2021年)にて約30年ぶりに芥川賞受賞経験者(遠野遥)が候補に挙がり、第44回(2022年)では芥川賞受賞経験者2人(町屋良平、宇佐見りん)が入った候補のうち町屋が受賞するなど、長年続いていた慣例が見直された[1]。2023年の贈呈式において選考委員の保坂和志は「この賞は芥川賞と同格」と強調し、芥川賞に対抗し独自色を打ち出している[1]。
受賞作一覧(野間文芸奨励賞)
編集第1回(1941年)
第2回(1942年)
第3回(1943年)
第4回(1944年)
第5回(1946年)
受賞作一覧(野間文芸新人賞)
編集第1回から第10回
編集第1回(1979年)
第2回(1980年)
- 受賞作:立松和平『遠雷』
- 候補作:宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』、村上春樹『1973年のピンボール』、冥王まさ子『ある女のグリンプス』、青野聰「試みのユダヤ・コムプレックス」(『文學界』1980年4月号 - 9月号)
第3回(1981年)
第4回(1982年)
第5回(1983年)
- 受賞作:尾辻克彦『雪野』
- 候補作:中沢けい『ひとりでいるよ一羽の鳥が』、李良枝『かずきめ』、小檜山博『荒海』、干刈あがた「ウホッホ探険隊」(『海燕』1983年9月号)、佐藤泰志「黄金の服」(『文學界』1983年9月号)
第6回(1984年)
第7回(1985年)
第8回(1986年)
第9回(1987年)
第10回(1988年)
第11回から第20回
編集第11回(1989年)
第12回(1990年)
- 受賞作:佐伯一麦『ショート・サーキット』
- 候補作:鷺沢萠『帰れぬ人びと』、盛田隆二『ストリート・チルドレン』、松本侑子『偽りのマリリン・モンロー』、佐藤健志『チングー・韓国の友人』、小川洋子『冷めない紅茶』、保坂和志『プレーンソング』
第13回(1991年)
第14回(1992年)
第15回(1993年)
第16回(1994年)
第17回(1995年)
第18回(1996年)
第19回(1997年)
第20回(1998年)
第21回から第30回
編集第21回(1999年)
- 受賞作:阿部和重『無情の世界』、伊藤比呂美『ラニーニャ』
- 候補作:赤坂真理『ヴァイブレータ』、黒川創『若冲の目』、清水博子『ドゥードゥル』、堂垣園江『ゼラブカからの招待状』、若合春侑『脳病院へまゐります。』
第22回(2000年)
第23回(2001年)
第24回(2002年)
第25回(2003年)
第26回(2004年)
第27回(2005年)
- 受賞作:青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』、平田俊子『二人乗り』
- 候補作:青山真治『ホテル・クロニクルズ』、絲山秋子『逃亡くそたわけ』、佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』、前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』
第28回(2006年)
第29回(2007年)
- 受賞作:鹿島田真希『ピカルディーの三度』、西村賢太『暗渠の宿』
- 候補作:いしいしんじ『みずうみ』、川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』、佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』
第30回(2008年)
- 受賞作:津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!!』
- 候補作:小野正嗣『マイクロバス』、蜂飼耳『紅水晶』、前田司郎『誰かが手を、握っているような気がしてならない』、山崎ナオコーラ『論理と感性は相反しない』
第31回から第40回
編集第31回(2009年)
第32回(2010年)
第33回(2011年)
第34回(2012年)
第35回(2013年)
第36回(2014年)
第37回(2015年)
第38回(2016年)
第39回(2017年)
第40回(2018年)
第41回から
編集第41回(2019年)
- 受賞作:古谷田奈月『神前酔狂宴』、千葉雅也「デッドライン」(『新潮』2019年9月号)
- 候補作:高山羽根子「如何様」(『小説トリッパー』2019年夏季号)、宮下遼「青痣」(『群像』2019年3月号)、四元康祐『前立腺歌日記』、李琴峰『五つ数えれば三日月が』
第42回(2020年)
第43回(2021年)
- 受賞作:井戸川射子『ここはとても速い川』
- 候補作:木崎みつ子『コンジュジ』、島口大樹『鳥が僕らは祈り、』、杉本裕孝「ピンク」(『文學界』2021年6月号)、遠野遥「教育」(『文藝』2021年秋季号)、三国美千子『骨を撫でる』
第44回(2022年)
第45回(2023年)
- 受賞作:朝比奈秋『あなたの燃える左手で』、九段理江「しをかくうま」(『文學界』2023年6月号)[2][3]
- 候補作:安堂ホセ「迷彩色の男」(『文藝』2023年秋季号)、石田夏穂『我が手の太陽』、小池水音『息』、長島有里枝『去年の今日』[3]
第46回(2024年)
選考委員(野間文芸新人賞)
編集- 第1回 - 秋山駿、上田三四二、大岡信、佐伯彰一
- 第2回 - 秋山駿、上田三四二、大岡信、川村二郎、佐伯彰一
- 第3回 - 秋山駿、上田三四二、川村二郎、佐伯彰一
- 第4回 - 秋山駿、上田三四二、大岡信、川村二郎、佐伯彰一
- 第5回 - 秋山駿、大岡信、川村二郎、佐伯彰一、高橋英夫
- 第6回から第8回 - 秋山駿、磯田光一、川村二郎、佐伯彰一、高橋英夫
- 第9回 - 秋山駿、川村二郎、佐伯彰一、高橋英夫
- 第10回から第12回 - 秋山駿、柄谷行人(第12回欠席、書面回答)、川村二郎、佐伯彰一、高橋英夫、三浦雅士
- 第13回から第21回 - 秋山駿、柄谷行人(第18回欠席、書面回答)、黒井千次、高橋英夫、富岡多恵子、三浦雅士
- 第22回から第26回 - 奥泉光、川村湊、佐伯一麦、笙野頼子、久間十義、山田詠美
- 第27回から第29回 - 阿部和重、江國香織、角田光代、川上弘美、町田康
- 第30回から第32回 - 角田光代、多和田葉子、堀江敏幸、町田康、松浦理英子
- 第33回から第35回 - 島田雅彦、多和田葉子、星野智幸、堀江敏幸、松浦理英子
- 第36回から第38回 - 小川洋子、島田雅彦、保坂和志、星野智幸、松浦理英子
- 第39回から第41回 - 小川洋子、島田雅彦、高橋源一郎、長嶋有、保坂和志、星野智幸
- 第42回から第45回 - 小川洋子、川上弘美、高橋源一郎、長嶋有、保坂和志
- 第46回から - 小川洋子、川上弘美、川上未映子、高橋源一郎、長嶋有
選考委員差し替え問題
編集第27回の選考会前に、突然選考委員が差し替えられた。しかしこの時、前職の選考委員には事前連絡がされていなかった(文学賞選考には何ヶ月も前から下準備が必要であるため、選考委員の交替があるときには事前に了解を得るのが通例である)。そこで前職の選考委員たちは、笙野頼子を発起人として記者会見を開き、不満を訴えた。それに対し、講談社側は、『群像』2006年1月号に、講談社文芸局長のお詫びの言葉を掲載した。