須川 邦彦(すがわ くにひこ、1880年明治13年)4月18日[1] - 1949年昭和24年)6月2日[2])は、日本の船舶関係者、著作家。

経歴

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東京に生まれる。1905年(明治38年)、東京商船学校航海科を卒業後、大阪商船に入社する。

日露戦争では水雷敷設隊として、第一次世界大戦では船長として参戦した[3]

1918年(大正7年)、商船学校教授を拝命、翌年からは東京帝国大学講師を兼任、1921年(大正10年)には欧米に留学した[4]

1936年(昭和11年)、東京高等商船学校校長となり、翌年退職、他に海洋文化協会常務理事、高等海員審判所審判官なども務めた[5]。趣味は象の研究。1949年(昭和24年)死去。

無人島に生きる十六人

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無人島に生きる十六人』は、月刊少年雑誌「少年倶楽部」に1941年(昭和16年)10月から翌年10月まで海洋事実物語として連載された作品で、最初の単行本は1943年(昭和18年)に「少国民の日本文庫」の一冊として発行され、その年の野間文芸奨励賞を受賞した[6]

著書

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  • 『戦時に於ける商船の自衛』損害保険事業研究所〈特別講演速記録 20輯〉、1935年。 NCID BA34165978 
  • 『船は生きてる』天然社、1941年5月。 NCID BN05642601全国書誌番号:46042553 
  • 『象の話』桑文社、1942年11月。 NCID BA30298936 
  • 『海に生きるもの』天然社、1942年12月。 NCID BA62181043全国書誌番号:46018484 
  • 『海洋日本』童話春秋社〈少国民海洋文庫 1〉、1943年4月。 NCID BA69298300全国書誌番号:45026077 
  • 『無人島に生きる十六人』大日本雄弁会講談社〈少国民の日本文庫〉、1943年6月。 NCID BA42023811全国書誌番号:20997829 
  • 『闘ふ日本の船』大東亜社、1943年11月。 NCID BA57114728 
  • 『戦力と船力』羽田書店〈青年海洋科学叢書〉、1944年2月。 NCID BN15383962全国書誌番号:57013727 
  • 『象をたずねて』大日本雄弁会講談社、1948年3月。 NCID BB04044042全国書誌番号:20731939 
  • 『海の信仰』 上、海洋文化振興、1954年3月。 NCID BA4606863X全国書誌番号:54009861 
  • 『海の若人』海洋文化振興、1955年2月。 NCID BA3247649X全国書誌番号:58011541 
  • 『海の信仰』 下、海洋文化振興、1956年12月。 NCID BA4606863X全国書誌番号:57003741 

脚注

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  1. ^ 『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年、p.512。
  2. ^ 「須川邦彦氏(元東京高等商船学校長)」『朝日新聞』1949年6月11日、2面。
  3. ^ 須川邦彦 | 著者プロフィール | 新潮社
  4. ^ 『海に生きるもの』(天然社、昭和17年発行)巻頭の著者略歴より
  5. ^ 『象の話』(桑文社、昭和17年発行)巻末の著者紹介より
  6. ^ 野間文芸奨励賞受賞作一覧1-5回”. 文学賞の世界 (2014年11月1日). 2021年8月22日閲覧。

外部リンク

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