日本の地震年表
閲覧に関する注意
編集に関する注意
|
日本の地震年表(にほんのじしんねんぴょう)では、現在の日本領内[注 1]にて発生した主な地震の記録を年表形式で記載する。
凡例
編集基本的に地震の名称と共に被災した地域や被害の規模を列挙しているが、特に名称がない地震や名称が分からない地震については代わりに震源地を記載している。地名は現在のものを用いるか、当時の地名とともに現在の地名を併記する。年月日や時間はすべて日本時間で表記している。また、地震発生当時に旧暦を用いていた場合、太陽暦に換算している。なお、西暦表記は1582年10月4日以前はユリウス暦(括弧内にグレゴリオ暦を併記[注 2])、1582年10月15日以降はグレゴリオ暦で表記している。
基準
編集この年表では以下の基準を満たす地震を記載している。
- 日本(排他的経済水域を含む)を震源とする地震で、マグニチュード7.0以上、またはマグニチュード6.0以上で日本国内で最大震度6弱以上、または死者・行方不明者1人以上のいずれか1つ以上に該当する場合。
- 特にマグニチュード8.0以上、または最大震度7、または死者・行方不明者1,000人以上(明治以降は100人以上)の場合は太字で表記する。
- 群発地震や無震帯で起こった地震など、特記すべき地震。
マグニチュード・震度
編集マグニチュードの値は、1924年以降は気象庁マグニチュード(Mj)[3]、あるいはアメリカ地質調査所、気象庁[4][5]または金森(1977)[6]らの推定によるモーメントマグニチュード(Mw)である。津波マグニチュード(Mt)は阿部(1988)による[7][8]。
1923年以前は多くが、河角(1951)[9]または、宇佐美(1970、2003)[10][11]あるいは宇津(1999)[12][13]による推定値である。
1919年以降の震度の値は気象庁震度データベースによる[3]。
地震記事の出現頻度に関する注意事項
編集地震年表では、前後の時代と比較し9世紀に地震が増加している。これは、実際に地震が多く発生したのではなく、中央集権体制が整い為政者側が積極的に情報を収集し、六国史に天変地異が多く収録された背景があり、人為的効果の可能性が考えられている[14][15]。
六国史の編纂が終了した887年から、近世の1586年頃までは記録が著しく減少する。これは政治体制の未熟さに加え、室町時代から江戸時代初期の検地・刀狩でそれ以前の地方文書(じかたもんじょ)が回収・処分されたらしいことが原因として考えられる[16]。江戸時代から地方の記録も次第に増加し、1884年に郡役所からの地震報告が開始されて漸く全国的な観測体制が整備された。
1996年以降は、計測震度の正式導入、震度観測点の大幅な増加により、高震度が観測されやすくなっているため[17][18]、本年表の掲載基準に達する地震記事が大幅に増加している。
したがって各時代の記録密度が均質とは言えず、地震年表に現れる記事の多寡を以て直ちに地震活動の盛衰を論ずることはできない[15][19]。
記録が疑わしく存在が疑問視されている地震もあり、疑問視されている記録には※印を付している。誤記など、存在が否定されている地震には抹消線を入れている。
416年より前
編集文字記録が無いため、堆積物によって地震の発生が推定されている。
- 約6500年から2千数百年前 この間に1707年の宝永地震のように津波堆積物を形成する巨大地震が少なくとも11回発生したと見られる。高知大学特任教授の岡村眞のチームによる蟹ヶ池(高知県土佐市宇佐町竜)の地層の津波堆積物の調査から[20]。
- 約3400年 - 3300年前 六間川 - 大谷津波(静岡県)[21][22]。
- 約4000年から2000年前まで 関東南部周辺、相模トラフ沿いの巨大地震と思われる痕跡が少なくとも5回分見られる[23]。
- 北日本の沖合で地震の可能性。2014年の時点から2000年から200年前までの間に4回、北海道や東北の日本海沿岸で10-15メートルの高さの津波によると思われる堆積物。北海道大学とロシア科学アカデミー極東支部の研究チームが発表した[24]。
- 紀元前1000年頃 南海トラフ巨大地震の発生の可能性。九州の龍神池からこのころの津波堆積物が見つかった。
- 紀元前800年ごろ(BP2860 - 2620) 仙台付近で巨大津波の被害。
- 紀元前100年ごろ(BP2030 - 2190) 仙台付近で巨大津波の被害。
- 紀元前600年頃 南海トラフ巨大地震の発生の可能性。大津波が発生した痕跡がある。
- 紀元前4世紀から紀元前3世紀ごろ - 宮城県気仙沼市大谷海岸で、この頃とみられる津波堆積物が発見された[25][26][注 3]。
- 紀元前200 - 300年頃 海洋研究開発機構などが2014-15年に宮城沖の日本海溝水深約7500メートルの海底10メートルを4か所掘削しタービダイトを得て分析し、東北地方太平洋沖地震、享徳地震、貞観地震とともに、この年代の巨大地震の痕跡が確認されたとしている[28]。
- 弥生時代の不明時期 琵琶湖西岸でM7.5の地震。滋賀県文化財保護協会は遺跡調査の結果として、滋賀県高島市針江浜、草津市烏丸崎、野洲市湯ノ部の琵琶湖沿岸の3遺跡が弥生時代のこの地震による液状化でできたものとした[29]。
- 三重県大紀町の芦浜池で20cmの、南伊勢町の座佐池で60cmの、約2,000から2,300yBP[注 4]に相当する南海トラフ地震の津波堆積物が発見される[30][31]。
- 紀元前後 南海トラフ巨大地震の発生の可能性。高知県土佐市蟹ヶ池(海岸から400m内陸)で発見された、1,900yBP前後の地層からの厚さ50cmを超える津波堆積物から[32][33][34]。岡村眞高知大特任教授は蟹ヶ池に到達した過去7千年の16回以上の津波の中で「最大級」とし、「巨大津波で千年分の記録をすべて消してしまうこともある。16回よりも多かった可能性もある」と話した[20]。
- 95年 福島・岩沼沖で地震発生の可能性。アウターライズ地震で、貞観地震や東北地方太平洋沖地震時を超える規模の「東北太平洋沿岸津波」が発生したと推定されている。歴史研究家の飯沼勇義が提唱した[35][36][注 5]。
- ほぼ210年前後 石川県白山市部入道遺跡の液状化痕跡から震度6強級の地震と推定される[注 6]。
- 350年頃 南海トラフ巨大地震の発生の可能性。蟹ヶ池でこのころの津波堆積物が発見された[38]。
5世紀
編集西暦換算に関する注意
|
6世紀
編集7世紀
編集- 679年初頭(天武7年12月) 筑紫地震 - M6.5 - 7.5、幅二丈、筑紫国(福岡県)で長さ三千余丈の地割れ(『日本書紀』)。水縄断層の活動による内陸地震との説がある[42]。
- 684年11月26日(11月29日)(天武13年10月14日) 白鳳地震(天武地震、南海道沖または、南海トラフ全域が震源域の可能性あり) - M8+1⁄4(Mw8 - 9[43])、死者多数。土佐で津波により大きな被害。田園(約12 km2)が海面下へ没す(『日本書紀』)。南海道沖の地震を示唆する記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。『日本書紀』に、別の日であれば記述されるであろう東海道沖の地震の記録が見られないことから同時に南海トラフ全域が震源域となった可能性がある[44]。日本最古の確かな地震津波記録[39]。
8世紀
編集- 701年5月8日(5月12日)(大宝元年3月26日) 大宝地震 - 丹波(後に丹後に分国)で地震うこと三日(『続日本紀』)、若狭湾の冠島と沓島の一部地域が海没したと伝えられる※が疑わしい[45]。
- 715年
- 734年5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 畿内七道地震 - M7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳が一部崩壊した時期に相当。
- 745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県 - 岐阜県を南北に走る養老断層の1つ前の活動(次が1586年の天正地震)とする説がある。
- 762年6月5日(6月9日)(天平宝字6年5月9日) 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM7+3⁄4 - 8+1⁄4と同じものである可能性がある[47]。
- 797年9月9日(9月13日)(延暦16年8月14日) 畿内で地震(『類聚国史』)。南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている[48](800年6月に富士山が噴火)。
9世紀
編集- 818年8月ごろ(弘仁9年7月) 弘仁地震 - M7.9、上野国、武蔵国などの関東内陸で液状化を伴う地震。死者多数(『類聚国史』)山が崩れ数里の谷が埋まり、数え切れないほどの人々が圧死した。上野国(こうずけのくに)などの境では地震で潦(にわたずみ)ができた(『類聚(るいじゅう)国史』)[49][50]。
- 827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震(『類聚国史』) - M6.5 - 7。
- 830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 天長地震(『類聚国史』) - M7 - 7.5。
- 841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆国地震 - M7、けが人・圧没者あり(『続日本後紀』)。1930年の地震で活動した丹那断層の、一つ前の活動の検討候補である。
- 850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽国地震 - M7、圧死者多数(『文徳実録』、『日本三代実録』)。
- 863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 圧死者多数(『日本三代実録』)。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる※。記録は疑わしいとする見解もある[51][52]。
- 864年6月(貞観6年5月) 富士山噴火(『日本三代実録』)(青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火)、阿蘇山噴火。
- 867年11月16日(貞観9年10月13日) 陸奥国大地震[53]。
- 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨国地震(『日本三代実録』) - M7台[54]。兵庫県の山崎断層帯の活動によるものと思われている。
- 869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観地震 - M8.3 - 8.6(Mw>8.7)、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人(『日本三代実録』)。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[注 7]。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[25][55]。
- 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M7.4、圧死者多数。京都でも揺れが感じられる(『日本三代実録』)。伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と[56]、館山市の海岸で見出された900年ごろと推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある[57]。
- 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M7(『日本三代実録』)。
- 886年6月29日(7月3日)(仁和2年5月24日) 伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震(『日本三代実録』)。
- 887年
- 7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震 - M6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1,000人にのぼったとされる※。
- 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日)
信濃北部地震※ - 存在がほぼ否定される。『扶桑略記』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し[58][59]、その見方が強い[60]。- 仁和地震(南海道沖または、南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M8 - 8.5、五畿七道諸国が同日に大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海道沖の地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したとの仮説を唱えた[60]。
10世紀
編集11世紀
編集- 1026年6月10日(6月16日)(万寿3年5月23日) 万寿地震 - 石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し、沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。M7.5 - 7.8、死者1,000人以上と推定[62]。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認[63]。
- 1088年6月4日(6月10日)(寛治2年5月13日) 宮古の辺に20時ごろから翌朝まで9回地震、大津波が13時ごろまでに3回来襲(『奥南見聞録』)。
- 1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(嘉保地震、東海道沖の地震または南海トラフ全域) - M8 - 8.5、東大寺の鐘が落下、伊勢安濃津は津波で多く損じ(『中右記』)、駿河で民家400余流失など(『後二条師通記』)。1099年康和地震が南海道沖の地震でないなら本地震が南海道沖の地震も含むものであった可能性がある[64]。
- 1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(承徳地震、南海道沖の地震?) - M6.4 - 8.5、興福寺、天王寺に被害。死者は不明。『広橋本兼仲卿記』の紙背文書にある、康和2年1月X4日に土佐で田畑海没した記録が日付の誤記で本地震によるとされた。津波被害は不明。南海道沖の地震とされたが、疑義があり畿内の地震の可能性もあり[64]。
12世紀
編集- 1154年9月19日(9月26日)(仁平4年8月10日) 富山付近で地震 - 新川郡で陥没、死傷者多数と称す(『越中古文抄』)。
- 1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説[65]もあるが、記録は内陸地震の様相であり琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説[66][67][68]がある。滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという[69]。
- 1200年ごろ 地質調査によれば南海トラフ地震が発生した可能性もあるが疑義あり。
13世紀
編集- 1241年5月15日(5月22日)(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
- 1245年8月19日(8月26日)(寛元3年7月26日今夜丑剋) 京都で地震、屋々に破損多し(理科年表では8月27日[注 8])。
- 1257年10月2日(10月9日)(正嘉元年8月23日) 正嘉地震 - M7 - 7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)※。
- 1293年5月20日(5月27日)(正応6年4月13日) 鎌倉大地震(永仁鎌倉地震) - M8クラスの相模トラフ巨大地震との説がある。建長寺などで火災発生、死者2万3000人あまり、余震多発。
- 1299年5月25日(6月1日)(正安元年4月25日) 大阪・京都で地震、天王寺金堂・南禅寺堂社倒れる。
14世紀
編集- 1317年2月16日(2月24日)(正和6年1月5日) 京都で地震 - M6.5 - 7。清水寺出火、死者5人。2日前の2月22日にも京都で大地震。
- 1325年11月27日(12月5日)(正中2年10月21日) 正中地震 - M6.5±1⁄4。越前敦賀郡氣比神宮倒潰、竹生島の一部が崩れる。柳ケ瀬断層を震源とするという説があるが、トレンチ調査の結果と一致しない。
- 1331年
- 1350年6月28日 (7月6日)(正平5年5月23日) 京都の祇園社の石塔の九輪が落ち砕けた - M6[61]。
1360年11月13日・14日(11月21日・22日)(正平15年、延文5年10月4日・5日) 紀伊・摂津地震(東南海地震?) - M7.5 - 8.0※、存在がほぼ否定される。4日と5日に大地震、6日朝に津波で熊野から摂津まで大荒れというも、記録は疑わしく地震の存在は疑問視される[51][71]。- 1361年
15世紀
編集- 1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震 - M7 - 8。京都で地震。熊野本宮の温泉湧出が、80日間止まる※など紀伊・伊勢の記録は疑わしい[51]。
- 1433年10月28日(11月6日)(永享5年9月16日) 永享相模の地震 - M7以上、死者多数。津波により利根川が逆流[注 9]。
- 1449年5月4日(5月13日)(文安6年4月12日) 山城・大和地震 - M5+3⁄4 - 6.5、死者多数。
- 1454年
- 1474年終盤 - 1475年初頭(文明6年冬)京都で大地震[75]。
- 1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿に津波が入り堂舎屋が破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[76])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、従前の「理科年表」には記載がなかったが、2023年版から記載。地層[注 10]や史料[77]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が示唆されている[78][79][80][注 11]。
- 1498年
- 6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M7 - 7.5、九州で屋舎倒れ山崩れの記録(『九州軍記』)。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[81]が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震であるという解釈も可能[82]。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[83]。
- 9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M8.2 - 8.4、『林叟院創記』に溺死者2.6万人とあり、『内宮子良館記』には5千人余流死、伊勢、志摩では1万人溺死とある。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される記録※は明応4年。地質調査によればほぼ同時期に南海道沖が震源域となった可能性もあるが疑問。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[84]。
16世紀
編集- 1502年1月18日(1月28日)(文亀元年12月10日) 越後地震 - M6.5 - 7.0、死者多数。
- 1510年9月11日(9月21日)(永正7年8月8日) 摂津・河内地震 - M6.5 - 7.0、死者あり。余震が2か月あまり続く。
- 1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M7.0 - 7+3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院が破壊、津波あり。
- 1585年7月31日(天正13年7月5日) - M7程度以上、大阪・京都・伊勢・三河で大震(『家忠日記』など)阿寺断層の活動も候補になる[85]。
- 1586年
- 1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
- 1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層(岐阜県)が活動したとする説もあるが[86]、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85]。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12]。
- 1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
- 1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
- 9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
- 9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
- 9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。
17世紀
編集- 17世紀前半……津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM8.6クラスの地震が発生したと推定されている(17世紀型の地震)。1611年または1635年説あり[87]。
- 1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M7.9 - 8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。宍喰で死者1500人余或は3800人余※などの記録もあるが人口から死者は過大とされる[88]。津波以外の被害は確かなものが確認されていない。
1608年12月30日(慶長13年11月23日)仙台で地震。 - 男女50人死亡※[89][注 13]。- 1611年
- 1614年11月26日(慶長19年10月25日) 広い範囲で地震 - M7.7。畿内以外の記事は後世の信憑性の劣る史料であり、死者が出た京都付近の局所的な地震ともされる[91][92]。南海トラフの巨大地震とする説あり[93]。震域は会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国まで及んだ。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もある※が疑わしい[94]、京都で寺社・民家が多数壊れ[注 14]同日に、伊豆と小田原と広い範囲で有感。津波が発生し千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある[注 15]。池上本門寺五重塔が傾く[注 16]。
- 1615年6月26日(慶長20年6月1日) 慶長江戸地震 - M6+1⁄4 - 3⁄4、小田原、江戸で被害。
- 1616年9月9日(元和2年7月28日) 宮城県沖地震 - M7.0、仙台城が破損。三陸地方で大津波 ※。
- 1619年5月1日(元和5年3月17日) 肥後(熊本)八代で地震 - M6.0。卯の刻と牛刻の2回の地震で旧八代城(麦島城)が倒壊、竹田城(大分県)が破損。
- 1625年7月21日(寛永2年6月17日) 熊本地震 - M4 - 6、死者約50人。地震動により火薬庫爆発し、熊本城が破損。
1627年10月22日(寛永4年9月14日) 松代地震 - M6.0±1⁄2※、存在がほぼ否定される幽霊地震。家屋倒壊、死者ありと言うも、宝永地震を転記した際に生じた誤り[95]との説がある。- 1628年8月10日(寛永5年7月11日) 江戸で大きな地震があり、江戸城の石垣が壊れた - M6.0。
- 1633年3月1日(寛永10年1月21日) 寛永小田原地震(相模・駿河・伊豆地震) - M7.1あるいはM7.0±1⁄4、小田原で大きな被害を出し死者110 - 150人。駿河・熱海に津波。
- 1635年3月12日(寛永12年1月23日) 江戸で地震 - M6.0前後、大きな被害。
- 1640年11月23日(寛永17年10月10日) 加賀大聖寺地震(石川県加賀市) - M6+1⁄4 - 3⁄4、死者多数[注 17]。
- 1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - M6.5±1⁄4、象潟で津波死者117名。本荘城廊が大破。
- 1646年6月9日(正保3年4月26日)M7.6、仙台城の石壁100m以上崩れ、3階の陣櫓3基が倒れ。白石城の石壁・櫓が破損[97]
- 1647年6月16日(正保4年5月14日) 丹沢で地震 - M6.5±1⁄4、江戸城の石垣や大名屋敷など破損。小田原城に大きな被害。
- 1648年6月13日(慶安元年4月22日)相模・江戸で地震 - M7.0程度。小田原城破損、箱根で落石、死者1名。ただし、江戸での被害疑問とする見解もある[98]。
- 1649年
- 1655年5月2日(明暦2年4月8日) 房総沖地震 - 千葉県で津波の記録あり。
- 1659年4月21日(万治2年2月30日) 会津で地震 - M6+3⁄4 - 7.0、死者あり。
- 1662年
- 1664年(尚質王17年) 琉球鳥島で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[101]。
- 1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M6+3⁄4前後、死者1,400 - 1,500人。
- 1670年6月22日(寛文10年5月5日) 西蒲原地震 - M6+3⁄4前後、死者13人、江戸でも有感。
- 1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[102]。
- 1676年7月12日(延宝4年6月2日) 延宝石見地震 - M6.5前後、津和野城の石垣が崩れ、領内で潰家133、死者7人。
- 1677年
- 1678年10月2日(延宝6年8月17日) 宮城県北部沖で地震 - M7.5前後、死者1人、東北地方の広範囲で被害。
- 1683年6月17日 - 10月20日(天和3年5月23日 - 9月1日) 日光地震 - 栃木県北部、日光付近で群発地震。規模の大きなものは、6月17日にM6.0 - 6.5、6月18日にM6.5 - 7.0、10月20日にM7.0±1⁄4の地震が発生。10月20日の地震では、五十里村で生じた山崩れが河川を塞いだために湖が生じた(五十里湖)。この堰止湖は40年後の1723年の台風によって決壊し、鬼怒川下流において死者約1,200人の被害をもたらした(五十里洪水)[105]。震源断層は関谷断層である可能性が指摘されている[106]。
- 1686年
- 1694年6月19日(元禄7年5月27日) 能代地震 - M7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
- 1696年11月25日(元禄9年11月1日) - M6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[108]。地震記事は未確認[89]。
- 1700年4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M7.3、石垣・家屋が倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[109]。
18世紀
編集- 1703年12月31日(元禄16年11月23日)
- 1704年5月27日(宝永元年4月24日) 羽後・陸奥で地震 - M7.0±1⁄4、野代(現能代市周辺)の被害大。死者58人。十二湖を生じた。
- 1705年5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城の石垣が破損。
- 1707年
- 10月28日(宝永4年10月4日)13 - 14時ごろ 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) - M8.4 - 8.6(Mw8.7[112]〜9.3[113][114])、死者4,900 - 2万人以上、倒潰・流出家屋6万 - 8万軒とされるが被害の全体像は不明。関東から九州までの太平洋岸、瀬戸内海、大坂に津波、東海道宿場町で家屋倒壊・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐沿岸各地が津波で亡所となるなど大きな被害(『楽只堂年録』、『谷陵記』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
- 10月29日(宝永4年10月5日) 宝永富士宮地震 - 富士宮で地震、M6.7 - 7.0[115]、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[116]。
- 11月21日(宝永4年10月28日) 周防・長門で地震 - M5.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。
- 1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M7クラス[117]、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。
- 1710年10月3日(宝永7年閏8月11日) 因伯美地震 - M6.5程度、山崩れなど。死者多数。
- 1711年3月19日(宝永8年2月1日) 伯耆・美作で地震 - M6+1⁄4、大山で山崩れ、伯耆・美作で潰家、死者4人。鳥取地震の起り方に似る[118]。
- 1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃北西部で地震、M6+1⁄4、山崩れなど。死者56人。
- 1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M6.5 - 7.0。
- 1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
- 1718年8月22日(享保3年7月26日) 遠山地震 - M7.0、三河、伊那遠山谷で地震。遠山川の河道閉塞が後日決壊し、死者50人[119]。
- 1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
- 1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
- 1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
- 1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
- 1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。
- 1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
- 1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
- 1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
- 1763年
- 1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。
- 1769年8月28日(明和6年7月28日) 日向・豊後・肥後で地震 - M7+3⁄4±1⁄4、M7.2[100]又はM7.4[107]、大分城で被害多く、熊本領内でも被害あり。津波あり。
- 1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M7.4 - 8.0(Mt8.5, Mw8.7[120])、死者約12,000人。津波の最大遡上高85m※(日本記録『大波之時各村之形行書』)とされるが疑わしい。安房まで津波の到達と記録あり。
- 1772年6月3日(明和9年5月3日) 陸前・陸中で地震 - M6.8 - 7.4、花巻城で所々破損、江戸でも有感。死者12人。やや深い地震の可能性あり。
- 1780年7月30日(安永9年6月19日) 庄内地方で地震 - M6.5 - 7.4、酒田で土蔵、家が潰れ、死者2人。
- 1782年8月23日(天明2年7月15日) 天明小田原地震 - M7.0、住宅約800破損、小田原城損壊など。
- 1786年3月22日 - 3月23日箱根山で2日間で100回以上の群発地震(有史以来の初記録)[121]。
- 1789年5月11日(寛政元年4月17日) 阿波で地震 - M7.0±0.1、土佐室津に津波。
- 1791年7月23日(寛政3年6月23日) 信濃松本で地震 - M6+3⁄4程度、松本城櫓・石垣、民家400余崩れ。松本で震度6と推定される[122]。
- 1792年
- 1793年
- 1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M6.0±1⁄4又はM6.7[123]。金沢などで地震。死者640人、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
編集- 1801年5月27日(享和元年4月15日) 上総地震 - 久留里城が破損。
- 1802年12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M6.5 - 7.0、死者37人。
- 1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震 - M7.0±0.1、死者500から550人。象潟で2mの地盤隆起と3から4mの津波。
- 1808年12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[125][126]。
- 1810年9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島で地震 - M6.5±1⁄4、死者60人
- 1812年12月7日(文化9年11月4日) 文化神奈川地震 - M6+1⁄4±1⁄4またはM6.4、震源は東京湾[127]、神奈川宿を中心に死者多数[128]。
- 1819年8月2日(文政2年6月12日) 文政近江地震 - M7+1⁄4±1⁄4又はM6.9[107]、伊勢・美濃・近江で地震、死者多数。
- 1821年12月13日(文政4年11月19日) 岩代で地震 - M6.5 - 7.0、岩沼湖周辺で震度6以上と推定される[129]。死者若干名。
- 1823年9月29日(文政6年8月25日) 陸中岩手山で地震 - M5+3⁄4 - 6.0、山崩れあり、死者 69人、不明4人。
- 1826年1月(文政8年12月) 小笠原諸島近海で地震 父島二見湾で津波の高さ推定6m[130]。
- 1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M6.9、死者1,681人。
- 1830年8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M6.5±0.2、死者280人。二条城など損壊。
- 1833年
- 1834年2月9日(天保5年1月1日) 石狩地震 - M6.4、イシカリ場所を中心に81戸が全半壊。JR札幌駅以北の複数個所で液状化の跡が見つかっているため、M6.5 - 6.6という説もある。
- 1835年7月20日(天保6年6月25日) 宮城県沖地震(仙台地震、天保大津波 ※) - M7.0程度、死者多数。仙台城が損壊、津波ありとするも別の地震を混同した疑いあり[132]。
- 1839年5月1日(天保10年3月18日) 釧路・厚岸で地震 - M7.0程度、国泰寺門前の石灯籠が大破。津軽で強い揺れ。
- 1843年4月25日(天保14年3月26日) 天保十勝沖地震 - M7.5 - 8.0、死者46人。厚岸に津波。
- 1847年
19世紀後半
編集- 1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M6.7±0.1、死者約20 - 100人。
- 1854年
- 7月9日(嘉永7年6月15日)
- 12月23日(嘉永7年11月4日)9時30分ごろ 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M8.4(Mw8.6[135])、死者2,000 - 3,000人とされるが詳細は不明。東海道宿場町で家屋倒壊・房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
- 12月24日(嘉永7年11月5日)
- 安政東海・南海地震は約31時間の時間差で発生した。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録(『真覚寺日記』)。
- 12月26日(嘉永7年11月7日) 豊予海峡地震 - M7.3 - 7.5。安政南海地震の約41時間後に発生、スラブ内地震とされている。
- 1855年
- 2月16日(安政元年大晦日)室戸半島付近で地震。高知などで強い揺れ。 - >Mw7と推定[138]。安政南海地震の余震とされる。『真覚寺日記』などによれば、この地震以降、余震の回数が急増した[139]。
- 3月15日(安政2年1月27日) 遠江・駿河で地震。 - 大井川の堤防が揺れ込。駿河清水で震度6と推定される[140]。
- 3月18日(安政2年2月1日) 飛騨地震 - M6+3⁄4±1⁄4又はM6.9[123]、死者少なくとも203人。金沢などでも被害。
- 6月8日(安政2年4月24日) - Mw6.2、土佐南国の植田村で家屋の約17%が倒壊し、震度6と推定される。春野秋山で地震津波。安政南海地震の余震と推定される[136]。
- 9月13日(安政2年8月3日) 陸前で地震 - M7+1⁄4±1⁄4。
- 11月7日(安政2年9月28日) 遠州灘で地震 - M7.1、安政東海地震の余震とされる。津波あり[141]。
- 11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震(安政の大地震) - M7.0 - 7.1、死者4,700 - 1万1000人。
- 12月3日(安政2年10月24日) - Mw7.2、紀伊紀伊田辺、土佐高知、宇佐、豊後佐伯の広い範囲で津波。津波地震と考えられる[136]。
- 1856年
- 1857年
- 1858年
- 1861年
- 1872年
- 1880年(明治13年)2月22日 横浜地震 - M4.5 - 6.0、煙突多数倒壊。地震学会(現在の日本地震学会。世界初の地震学会)が結成されるきっかけになる。
- 1881年(明治14年)10月25日 国後島で地震 - M7.0、津軽でも揺れる。
- 1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 - M6.3、死者20人。
- 1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M8.0、濃尾平野北西部などで最大震度7相当と推定[144][145]。死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
- 1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
- 1893年(明治26年)6月4日 色丹島沖地震 - M7.7 - 8、色丹島で2m - 3mの津波。
- 1894年(明治27年)
- 1895年(明治28年)1月18日 霞ヶ浦付近で地震 - M7.2、死者6人。
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)
- 4月23日 宮城県沖で地震 - M7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
- 9月1日 石垣島東方沖(多良間島沖)で地震 - M7.0。
- 1899年(明治32年)
- 1900年(明治33年)5月12日 宮城県北部で地震 - M7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
20世紀前半
編集注:2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂され、これに伴い1924年以降に発生したほとんどの地震のマグニチュードも改訂された(一部は先行して2001年4月23日に改訂)。このため、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
1900年代
編集- 1901年(明治34年)8月9日 - 10日 青森県東方沖で地震 - 8月9日にM7.2、8月10日にM7.4。死者18人。
- 1902年(明治35年)1月30日 青森県三八上北地方で地震 - M7.0、死者1人。
- 1905年(明治38年)
- 1909年(明治42年)
- 3月13日 千葉県房総半島沖で地震 - 8時19分にM6.5、23時29分にM7.5。
- 8月14日 姉川地震(江濃地震) - M6.8、死者41人。
- 8月29日 沖縄本島付近で地震 - M6.2、死者2人。
- 11月10日 宮崎県西部で地震 - M7.6。
1910年代
編集- 1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M8.0(Mb8.1)、死者12人。
- 1913年(大正2年)2月20日 日高沖で地震 - M6.9(Ms7.0)
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)
- 1月6日 石垣島北西沖で地震 - M7.4。
- 3月18日 北海道十勝沖で地震 - M7.0、死者2人。
- 11月1日 宮城県沖で地震 - M7.5、岩手県や宮城県の沿岸に小津波。
- 1916年(大正5年)11月26日 明石付近で地震 - M6.1、死者1人。
- 1917年(大正6年)5月18日 静岡付近で地震 - M6.0、死者2人。
- 1918年(大正7年)9月8日 択捉島沖地震 - M8(Ms8.2, Mw8.3[146], Mt8.5)、死者24人。
1920年代
編集- 1921年(大正10年)12月8日 龍ヶ崎地震 - 千葉県・茨城県県境付近で発生。M7.0、最大震度4[3]。震源深さ60km程度[155]。家屋倒壊、道路亀裂。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj6.8、兵庫県豊岡市で最大震度6。火災発生、死者428人。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj7.3(Mw7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度6。震源付近で震度7相当と推定[145][161]。死者2,925人。
- 1928年(昭和3年)5月27日 岩手県沖で地震 - Mj7.0、青森県青森市、岩手県宮古市・盛岡市で最大震度4。
1930年代
編集- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 9月23日 日本海北部で地震 - Mj7.1、深さ394km、北海道、青森県、岩手県で最大震度3。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)2月24日 硫黄島近海で地震 - Mj7.1、福島県福島市、小笠原諸島父島で最大震度1。
- 1935年(昭和10年)
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)
- 1938年(昭和13年)
- 5月23日 茨城県沖で地震 - Mj7.0(Mw7.7)、茨城県水戸市・石岡市、福島県福島市・いわき市・猪苗代町で最大震度5。
- 5月29日 屈斜路路震 - Mj6.1、北海道・屈斜路湖付近で地震、北海道釧路市・根室市で最大震度3。死者1人。
- 6月10日 宮古島北西沖で地震 - Mj7.2、沖縄県宮古島で最大震度4。宮古島で2m前後の津波。
- 11月5日 - 7日 福島県東方沖地震(塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) - 11月5日17時43分にMj7.5(Mw7.8)、同日19時50分にMj7.3(Mw7.7)、11月6日にMj7.4(Mw7.7)、11月7日にMj6.9(Mw7.6)。Mj7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度5、福島県で死者1人、東北から関東に津波。
- 1939年(昭和14年)
1940年代
編集- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj7.9(Mw8.2)、静岡県御前崎市、三重県津市で最大震度6。静岡県袋井市付近、愛知県西尾市の旧矢作川流域で震度7相当と推定[163]。死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)12月21日
- 1947年(昭和22年)
- 4月14日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.1、北海道根室市で最大震度2。
- 9月27日 与那国島近海で地震 - Mj7.4、沖縄県石垣島で最大震度5。死者5人。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
20世紀後半
編集気象庁震度階級については1995年の兵庫県南部地震において従来の震度測量法の問題点が示されたため、それまで体感震度と計測震度を併用していたものを、1996年4月からはすべて計測震度計による機械観測で判定することになった。また、1996年10月からは震度6、震度5がそれぞれ強、弱の2段階に分けられた。
注:2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂された。これにより、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
1950年代
編集- 1950年(昭和25年)2月28日 宗谷東方沖で地震 - Mj7.5、深さ343km。北海道浦河町・釧路市、青森県青森市・むつ市で最大震度4。
- 1951年(昭和26年)7月12日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.2、深さ490km。福島県、栃木県、千葉県、東京都で最大震度3。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)11月26日 房総沖地震 - Mj7.4、千葉県富崎村と東京都三宅島で最大震度5。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)9月30日 白石地震 - Mj6.0、福島県福島市で震度4、死者1名、蔵王山噴火のデマにより混乱。
- 1958年(昭和33年)
1960年代
編集- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)10月13日 択捉島沖地震 - Mj8.1(Mw8.3[146] - 8.5)、北海道浦河町・帯広市で最大震度4。択捉島から宮城県までで津波を観測。
- 1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - Mj7.5(Mw7.6)、死者26人。新潟県、山形県、宮城県、福島県で最大震度5。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)3月13日 与那国島近海で地震 - Mj7.3、与那国島で最大震度5、死者2人。
- 1968年(昭和43年)
- 2月21日 えびの地震 - Mj6.1、熊本県人吉市で最大震度5。死者3人。
- 4月1日 日向灘地震 - Mj7.5、高知県宿毛市と宮崎県延岡市で最大震度5。死者1人。
- 5月16日
- 9時48分ごろ 十勝沖地震 - Mj7.9(Mw8.3)、北海道、青森県、岩手県で最大震度5、三陸沿岸で5mの津波。死者・行方不明者52人。三陸沖北部の固有地震[103]。
- 19時39分ごろ 青森県東方沖で地震 - Mj7.5、北海道浦河町・広尾町で最大震度5。1968年十勝沖地震の最大余震[153]。
- 6月12日 三陸沖で地震 - Mj7.2、青森県、岩手県、宮城県で最大震度4。1968年十勝沖地震の余震[153]。
- 10月8日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.3、深さ460km[3]。福島県、茨城県、千葉県、東京都で最大震度3。
- 1969年(昭和44年)
1970年代
編集- 1970年(昭和45年)5月27日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.1、深さ350km[3]。福島県、千葉県、東京都で最大震度3。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1978年(昭和53年)
- 1月14日 伊豆大島近海の地震 - Mj7.0、東京都伊豆大島と神奈川県横浜市で最大震度5、死者25人。
- 3月7日 東海道南方沖で地震 - Mj7.2、深さ440km、栃木県宇都宮市と千葉県千葉市で最大震度4。
- 3月23日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.0、北海道釧路市で最大震度3。
- 3月25日 択捉島南東沖で地震 - Mj7.3、北海道帯広市・広尾町・釧路市・根室市で最大震度3。
- 6月12日 宮城県沖地震 - Mj7.4(Mw7.4)、宮城県、岩手県、山形県、福島県で最大震度5、死者28人、津波あり。
- 12月6日 択捉島付近で地震 - Mj7.2、深さ100km。北海道、青森県、岩手県で最大震度4。
1980年代
編集- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)1月19日 三陸沖で地震 - Mj7.0、岩手県宮古市・盛岡市・一関市、宮城県仙台市で最大震度4。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1月1日 三重県南東沖で地震 - Mj7.0、深さ388km、福島県、栃木県、千葉県、東京都、神奈川県で最大震度4[170]。
- 3月6日 鳥島近海で地震 - Mj7.6(Mw7.4)、深さ452km、福島県、栃木県、千葉県、東京都で最大震度4。
- 6月13日 鳥島近海で地震 - Mj5.9(Ms5.4、Mt7.3)、深さ0km、神奈川県横浜市で最大震度1。八丈島で130cmから150cmの津波を観測。津波地震[171]。
- 8月7日 日向灘で地震 - Mj7.1、愛媛県、大分県、熊本県、宮崎県で最大震度4。
- 9月14日 長野県西部地震 - Mj6.8、長野県王滝村で推定震度6、山梨県、長野県、京都府で最大震度4。死者・行方不明者29人。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
1990年代 - 2000年
編集- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)5月13日 鹿児島県北西部地震 - Mj6.4(旧Mj6.3、Mw6.2)、川内市で最大震度6弱。
- 1998年(平成10年)
- 2000年(平成12年)
- 1月28日 根室半島南東沖で地震 - Mj7.0(Mw6.8)、深さ59km、北海道釧路市・厚岸町・中標津町・別海町・根室市で最大震度4。
- 3月28日 硫黄島近海で地震 - Mj7.9(Mw7.6)、深さ128km、小笠原諸島父島で震度3。
- 6月26日 - 8月 新島・神津島・三宅島近海で群発地震 - 7月8日に三宅島で噴火開始。
- 7月1日 - 神津島近海、Mj6.5(Mw6.2)、神津島で最大震度6弱。死者1人。
- 7月9日 - 神津島近海、Mj6.1、神津島で最大震度6弱。
- 7月15日 - 新島近海、Mj6.3(Mw6.1)、新島で最大震度6弱。
- 7月30日 - 三宅島近海、Mj6.5(Mw6.5)、三宅島で最大震度6弱。
- 8月18日 - 神津島近海、Mj6.1、式根島で最大震度6弱。
- 8月6日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.2(Mw7.3)、深さ445km、小笠原諸島父島で最大震度4。
- 10月6日 鳥取県西部地震 - Mj7.3(Mw6.8)、鳥取県境港市・日野町で最大震度6強(日野町で震度7相当を観測、防災科学技術研究所Kik-netの計測震度計による[172])。
21世紀前半
編集注:2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂された。これにより、マグニチュードが改訂された地震については改訂前の値を括弧書きで併記している(例:2001年3月24日 芸予地震 - Mj6.7(旧Mj6.4))。
2000年代
編集- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)3月26日 石垣島近海で地震 - Mj7.0(Mw6.5)、沖縄県黒島、波照間島で最大震度1。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 5月8日 茨城県沖で地震 - Mj7.0(Mw6.8)、茨城県水戸市と栃木県茂木町で最大震度5弱。1時45分に本震、同日1時2分ごろにMj6.4、その14分後にMj6.3の地震。
- 6月14日 岩手・宮城内陸地震 - Mj7.2(Mw7.0)、岩手県奥州市と宮城県栗原市で最大震度6強。山崩れや地滑りが多発。死者・行方不明者23人。一関市の西部で観測された4,022ガルがギネス世界記録に認定[177]。
- 7月24日 岩手県沿岸北部で地震 - Mj6.8(Mw6.8)、深さ108km。青森県八戸市・五戸町・階上町、岩手県九戸郡野田村で最大震度6弱。死者1人。なお、岩手・宮城内陸地震との関連性は薄いとされている。
- 9月11日 十勝沖で地震 - Mj7.1(Mw6.7)。北海道新冠町、新ひだか町、浦幌町、大樹町で最大震度5弱。
- 2009年(平成21年)
2010年代
編集- 2010年(平成22年)
- 2月27日 沖縄本島近海で地震 - Mj7.2(Mw7.0)[183]。沖縄県糸満市で最大震度5弱。負傷者2名。沖縄本島地方に一時津波警報が発表された。南城市で10cmの津波を観測。
- 11月30日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj7.1(Mw6.8)[184]、深さ494km[185]、関東から東北地方南部の広い範囲で最大震度3[186]。
- 12月22日 父島近海で地震 - Mj7.4[187] - 7.8[188](Mw7.3[188] - 7.4[189])、父島と母島で最大震度4。小笠原諸島に一時津波警報が発表された。伊豆諸島で0.5m[注 23]、八丈島で最大60cmの津波を観測[191]。
- 2011年(平成23年)
- 3月9日 三陸沖で地震 - Mj7.3(Mw7.3)[192]。宮城県登米市・美里町・栗原市で最大震度5弱。最大60cmの津波を観測。東北地方太平洋沖地震の前震とみられる。
- 3月11日
- 14時46分ごろ 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) - Mw(モーメントマグニチュード)9.0 - 9.1[193](Mj8.4、日本の地震観測史上最大)。宮城県栗原市で最大震度7。他に東日本の8県(岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉)で震度6弱以上を観測。死者・行方不明者約2万2000人(うち災害関連死が約3,500人)。戦後最悪の震災。北海道から関東地方にかけて太平洋沿岸部への巨大津波で甚大な被害。福島第一原子力発電所事故を招く。3月11日以降の数日間に震源域から離れた場所で発生した地震も、誘発させた可能性が指摘されている[194]。
- 15時8分ごろ 岩手県沖で地震 - Mj7.4(Mw6.7[195] - 7.4)[196]。青森県と岩手県で最大震度5弱。東北地方太平洋沖地震の余震。
- 15時15分ごろ 茨城県沖で地震 - Mj7.6(Mw7.7 - 7.9[197])[198]。茨城県鉾田市で最大震度6強。東北地方太平洋沖地震の最大余震。
- 15時25分ごろ 三陸沖で地震 - Mj7.5(Mw7.5 - 7.7[199])[200]。北海道、東北地方、関東地方の広い範囲で最大震度4。東北地方太平洋沖地震の余震。アウターライズ地震。
- 3月12日 長野県北部で地震 - Mj6.7(Mw6.3[201] - 6.4[202])。長野県栄村で最大震度6強、死者3人[203]。東北地方太平洋沖地震の誘発地震[204]。
- 3月15日 静岡県東部で地震 - Mj6.4(Mw6.0)[205]。静岡県富士宮市で最大震度6強。東北地方太平洋沖地震の誘発地震[194]。
- 4月7日 宮城県沖で地震 - Mj7.2(Mw7.1)[206]。宮城県栗原市、仙台市宮城野区で最大震度6強。死者4人。東北地方太平洋沖地震の余震。
- 4月11日 福島県浜通りで地震 - Mj7.0(Mw6.6[207] - 6.7[208] - Mw6.8[209])[206]。福島県いわき市・古殿町・中島村、茨城県鉾田市で最大震度6弱。死者4人。東北地方太平洋沖地震の余震。
- 4月12日 福島県中通りで地震 - Mj6.4(Mw5.9[210] - 6.0[211])。福島県いわき市、茨城県北茨城市で最大震度6弱。東北地方太平洋沖地震の余震。
- 6月30日 長野県中部で地震 - Mj5.4(Mw5.0)[212]、長野県松本市で最大震度5強。死者1人[213]。東北地方太平洋沖地震の誘発地震[214]。
- 7月10日 三陸沖で地震 - Mj7.3(Mw7.0)[206]。岩手県、宮城県、福島県で最大震度4。岩手県大船渡港、福島県相馬港で10cm、宮城県仙台港で12cmの津波を観測[215]。東北地方太平洋沖地震の余震。
- 10月3日 - 25日 富山県東部の長野県との県境近くで群発地震。10月3日にM3.9(最大震度2)の地震が発生して以降、10月5日にMj5.4(Mw5.2、最大震度3)、Mj5.2(Mw5.2、最大震度4)、10月6日にMj4.7(Mw4.8、最大震度3)の地震が相次ぐ[216]。10月7日のMj2.4(最大震度1)の地震による落石で死者1人[217]。
- 11月8日 沖縄本島北西沖で地震 - Mj7.0(Mw6.8[218] - 6.9[219])、深さ217km。沖縄本島地方で最大震度4[220]。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2月2日 北海道十勝地方南部で地震 - Mj6.5(Mw6.9[232] - 7.0[233])、深さ102km。北海道浦幌町・釧路市・根室市で最大震度5強[注 24]。
- 4月13日 淡路島付近で地震 - Mj6.3(Mw5.8)[235]、深さ15km。淡路市で最大震度6弱[236][237]。
- 4月17日 - 4月18日 三宅島近海で群発地震 - 4月17日 - 4月18日にかけて震度1 - 3の地震が相次ぐ。4月17日17時57分ごろの地震で三宅島で最大震度5強を観測[238]。
- 10月26日 福島県沖で地震 - Mj7.1(Mw7.1[239] - 7.2[240])、深さ56km[241]。宮城県、福島県、茨城県、栃木県で最大震度4[242]。東北地方太平洋沖地震の余震[242]。アウターライズ地震。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 5月30日 小笠原諸島西方沖で地震 - Mj8.1(Mw7.8)、深さ682km。小笠原母島と神奈川県二宮町で震度5強。死者なし。気象庁によれば、1900年以降のM8以上の世界最深の地震[248][249]。47都道府県全てで震度1以上の揺れを観測した。
- 11月14日 薩摩半島西方沖で地震 - Mj7.1(Mw6.7)、深さ17km。鹿児島県、佐賀県で最大震度4。中之島で30cmの津波を観測。
- 2016年(平成28年)
- 4月14日 熊本地震の前震[注 25] - Mj6.5[251](Mw6.2[252])、深さ11km[251]。熊本県益城町で最大震度7[253]。翌日までに9人の死亡を確認[254]。
- 4月15日 熊本県熊本地方で地震 - Mj6.4(Mw6.0)[255]、深さ7km。熊本県宇城市、益城町で最大震度6強[256]。
- 4月16日 熊本地震の本震 - Mj7.3(Mw7.0)[257]、深さ12km。熊本県益城町、西原村で最大震度7[258]。前震を含めて死者276人(うち災害関連死が218人、豪雨による土砂災害の死者で地震との関連が認められた死者が5人。2019年4月12日現在)[259]。この地震の後、熊本県阿蘇地方と大分県でも地震活動が活発化した。本震の約32秒後に大分県中部でM5.7の地震が発生し大分県別府市と由布市で震度6弱を観測(ただしこの地震の震度は本震のものと区別不可能)[260]。
- 10月21日 鳥取県中部で地震 - Mj6.6(Mw6.2)[261]、深さ11km[262]。鳥取県倉吉市、湯梨浜町、北栄町で最大震度6弱。
- 11月22日 福島県沖で地震 - Mj7.4(Mw6.9)[263]、深さ25km[264]。福島県、茨城県、栃木県で最大震度5弱。宮城県仙台港で144cmの津波を観測[265]。東北地方太平洋沖地震の余震[264]。
- 12月28日 茨城県北部地震 - Mj6.3(Mw5.9)[266]、深さ11km[267]。茨城県高萩市で最大震度6弱。東北地方太平洋沖地震の余震[267]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(令和元年)6月18日 山形県沖で地震 - Mj6.7(Mw6.5)、深さ14km[274]。新潟県村上市で最大震度6強[275][276]。
2020年代
編集規模の大きな地震
編集観測史上最大規模の地震は、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、モーメントマグニチュード(Mw)9.0の超巨大地震であった。近代観測が始まる前の歴史地震では、1707年の宝永地震[283]、1611年の慶長三陸地震[284]、869年の貞観地震[285]、684年の白鳳地震[286]もM9クラスの超巨大地震であった可能性がある。
陸域で発生した震源の浅い地震では、1891年の濃尾地震がM8.0と推定され、観測史上最大とされる。海溝型地震である1923年の関東地震(関東大震災)も、震源は陸域にあり、M7.9の巨大地震だった。歴史地震では、1586年の天正地震は震源などが不明だが、濃尾地震をも上回る広大な範囲で被害が記録されており、M7.8 - 8.2[287]と推定されている。
被害の大きな地震
編集順位 | 名称 | 発生日 | 死者・行方不明者数(人) | 規模(M) |
---|---|---|---|---|
1 | 関東地震(関東大震災) | 1923年9月1日 | 105,385 | 7.9 |
2 | 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災) | 2011年3月11日 | 22,312 | 9.0 |
3 | 明治三陸地震 | 1896年6月15日 | 21,959 | 8.2 |
4 | 濃尾地震 | 1891年10月28日 | 7,273 | 8.0 |
5 | 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災) | 1995年1月17日 | 6,437 | 7.3 |
6 | 福井地震 | 1948年6月28日 | 3,769 | 7.1 |
7 | 昭和三陸地震 | 1933年3月3日 | 3,064 | 8.1 |
8 | 北丹後地震 | 1927年3月7日 | 2,912 | 7.3 |
9 | 三河地震 | 1945年1月13日 | 1,961 | 6.8 |
10 | 昭和南海地震 | 1946年12月21日 | 1,443 | 8.0 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 地震発生時に日本領だった地域でも現在の日本に含まれない地域の記録は除外する。一方、地震発生時に本土復帰前など日本領でなかった地域は含める。
- ^ 『大日本地震史料』では1582年以前もグレゴリオ暦で一本化しており、『日本被害地震総覧』、『地震の事典』および『理科年表』「日本付近の主な被害地震年代表」もこれに倣っている。一方でNOAAの地震カタログは1582年以前はユリウス暦を基本としているが、日本の地震についてはグレゴリオ暦と統一されていない。宇津徳治『世界被害地震の表』および『理科年表』「世界の主な大地震・被害地震」ではユリウス暦表記となっている。
- ^ a b 北海道大学の平川一臣ら、および政府の地震調査委員会によって行われた宮城県気仙沼市大谷海岸の調査によると、過去6000年間に紀元前4から3世紀ごろ、4から5世紀ごろ、869年の貞観地震、15世紀ごろ、2011年の東北地方太平洋沖地震の5回、三陸から房総にかけて約600年周期の津波堆積物が見出される[27]。
- ^ 従前の岡村眞らによる研究では大分県佐伯市・高知県須崎市・高知県土佐市は1,900yBP前後、徳島県阿南市は2,000から2,300yBPである。
- ^ 他にも貞観・平成を超える規模の西暦300年から330年ごろの太平洋沿岸津波、西暦500年前後の名取沿岸津波があったと主張している。
- ^ 金沢大学の平松良浩らは2001年発掘の白山市部入道遺跡で約1800年前の液状化痕跡を東北地方太平洋沖地震後調査データの再検討から震度6強級によるものとした[37]。
- ^ 大阪市立大学の原口強・准教授(地質工学)による。
- ^ 当時の1日の境界は厳密でなく、今夜丑剋と表現すれば今日の暦法では夜半過ぎの翌日2時頃に当る(『地震の事典』)。
- ^ 当時は荒川と合流し、東京湾北部が河口であった。
- ^ 静岡県伊東市宇佐美の標高7.8mの遺跡から15世紀末の陶器の破片と津波の跡が見つかった。明応地震では伊豆半島の東側に大津波が来ることは考えにくい。
- ^ 伊豆半島の東側の宇佐見遺跡で15世紀末の津波堆積物が見つかるが、震源域の位置から明応地震とは考えにくいとされる(産経新聞、2012年3月13日)。また鎌倉大日記の記述と3年ずれ、日付も異なっている。
- ^ 『日本ノ大地震二就キテ』(大森房吉)や 『地震と火山の国』(中村一明)などによると、被害地域は「山城、大和、河内、和泉、攝津、讃岐、淡路、伊賀、伊勢、尾張、三河、美濃、遠江、飛彈、越前、若狹、加賀」の沿海に津波があったといい、濃尾地震より広大な被害範囲であった。
- ^ 下総説もあるが確認できない。
- ^ 鹿王院(京都市右京区嵯峨北堀町)の伽藍が崩壊など。
- ^ 高田領地震と同一の可能性があるが、天正地震と同じく、疑問視されている。
- ^ 東京都大田区。日蓮宗大本山。関東最古の五重塔。幸田露伴の小説「五重塔」のヒントになったという。
- ^ 1952年3月7日の石川県大聖寺地震とは異なる。
- ^ 2006年の震央区分変更により、それまで宮城県北部だったのが、宮城県中部となった。
- ^ 当時の震央区分では紀伊半島沖。
- ^ 当時の震央区分では東海道沖。
- ^ 福岡市中央区で推定震度6強の地域があったとみられる[175]。
- ^ 3号機タービン建屋1階で2,058ガルを記録した。
- ^ 巨大津波計で観測されたため、観測精度は0.1m単位[190]。
- ^ 浦幌町内で推定震度6弱の地域があったとみられる[234]。
- ^ 熊本地震は4月14日21時26分以降に発生した熊本県を中心とする一連の地震活動を指す[250]。
出典
編集- ^ 宇津徳治. “世界の被害地震の表(古代から2010年まで)”. 2013年2月11日閲覧。 1922年以前について準拠。
- ^ 気象庁: “震度データベース検索”. 2014年3月18日閲覧。 1923年以降について準拠。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “震度データベース検索”. 気象庁. 2015年3月26日閲覧。
- ^ 気象庁の発震機構解
- ^ CMT解
- ^ Kanamori, H., 1977, "The energy release in great earthquakes." J. Geophys. Res. 82, 2981-2987.、doi:10.1029/JB082i020p02981
- ^ 阿部勝征 日本付近に発生した津波の規模(1498年 - 2006年)
- ^ 阿部勝征(1988)、「津波マグニチュードによる日本付近の地震津波の定量化」 『東京大学地震研究所彙報』 1988年 63巻 3号 p.289-303.hdl:2261/13019、東京大学地震研究所
- ^ 河角廣(1951)、「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号、1951.10.5、pp.469-482、hdl:2261/11692
- ^ 宇佐美龍夫・茅野一郎 「河角の規模と気象庁の規模との関係」東京大学地震研究所彙報、第48冊第5号、1970年、hdl:2261/12546
- ^ 宇佐美(2003)p37-282.
- ^ 宇津徳治 『地震活動総説』 東京大学出版会、1999年、ISBN 978-4130607285
- ^ 宇津(2001)p575-616.
- ^ 早川由紀夫, 1999, 日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか? (PDF) 歴史地震, 第15号, 24-29.
- ^ a b 小山真人:日本の史料地震学研究の問題点と展望 次世代の地震史研究に向けて 地學雜誌 Vol.108 (1999) No.4 P.346-369, doi:10.5026/jgeography.108.4_346
- ^ 河内一男, 2021, [講演要旨]閖上と汰上は津波起源の地名か (PDF) , 歴史地震, 第36号, 252.
- ^ “第1部:地震の基礎知識、1章:大きな地震と小さな地震”. 防災科学技術研究所. 2016年11月21日閲覧。
- ^ 境有紀のホームページ,震度や地震の揺れと被害に関する記事
- ^ 津田秀典・中西達郎, 2017, 日本付近の歴史地震に関するマグニチュード時系列図 -地震記録の欠落の現状-, 応用地質, 第58巻, 第5号, 336-344.
- ^ a b 東海・東南海・南海の3連動 巨大地震、7千年に16回 高知大 :日本経済新聞
- ^ 東日本級の津波、過去4千年は痕跡なし…静岡県 読売新聞 2016年5月3日
- ^ 2011年東北地方太平洋沖地震に伴う津波堆積物の研究に基づく南海トラフと駿河トラフで発生が想定されている最大クラス(レベル2)の津波の検討 Progress in Earth and Planetary Science
- ^ 関東大地震、2千年間に5回 堆積物で判明三浦半島の堆積物から:2012/09/23 17:43 【共同通信】
- ^ 日本海沿岸で10m級津波4回発生…過去2千年 読売新聞 2014年05月03日
- ^ a b 平安の人々が見た巨大津波を再現する - 西暦869年貞観津波 - 産総研 活断層・地震研究センターニュース、2010年8月。
- ^ a b 次の巨大地震に備える 〜古地震研究への期待と課題〜 NHK Web特集 2014/5/24、平成17 - 21年度 統括成果報告書 地質調査・津波シミュレーションに基づく地震発生履歴に関する研究
- ^ 巨大津波、三陸で6千年に6回か…地層に痕跡(読売新聞 2011年8月22日 13S版2面)、気仙沼 6千年で6回の巨大津波 北大教授ら痕跡発見(産経新聞 2011年8月22日)、東日本巨大地震600年周期…千年に一度見直し(読売新聞 2011年11月24日 夕刊3版1面・2面)
- ^ 一定間隔で巨大地震の発生とみられ、発生間隔を知る手がかりになるともされる。読売新聞2022年10月4日13版29面
- ^ 「琵琶湖岸、液状化に警鐘」 中日新聞 2012年4月14日
- ^ 岡村眞ほか, 2015, 紀伊半島東岸の芦浜池と座佐池における堆積物からみた津波履歴 (PDF) 、日本地球惑星科学連合2015年大会講演要旨、MIS25-P07.
- ^ 約2000年前の南海トラフの大津波 三重で痕跡発見 NHK Newsweb 2015年5月13日
- ^ 松岡裕美・岡村眞, 2011, [1] (PDF) , 日本地球惑星科学連合2011年大会講演要旨, SSS035-P02.
- ^ 岡村眞, 2011, 岡村委員提出資料 (PDF) , 東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会
- ^ “M9級・超巨大地震! 2000年前、巨大津波か”. 読売新聞. (2011年4月25日). オリジナルの2011年4月29日時点におけるアーカイブ。 2015年12月5日閲覧。
- ^ 特別寄稿『国府多賀城、国府武隈館(たけくまたち)の歴史津波/飯沼 勇義』 日本地震工学会誌(第18号 2013年1月)p74-
- ^ 『2000年前には宮城に100メートル級の津波!?震災を警告した歴史学者が予見する「次の巨大津波」』 ダイヤモンドオンライン「大震災後2年目の「今」を見つめて」』]【第8回】 2013年3月22日 池上正樹
- ^ 読売新聞2012年3月21日13版38面、平松良浩、小阪大「石川県部入道遺跡の噴砂痕の形成年代:森本・富樫断層帯の活動との関係」『地震 第2輯』第65巻第3号、日本地震学会、2013年、251-254頁、doi:10.4294/zisin.65.251、ISSN 0037-1114、NAID 130004562105。
- ^ https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/model/2/pdf/1.pdf
- ^ a b c 国立天文台編 『理科年表 平成29年』 丸善、2017年, p728.
- ^ “震災と対策・昔から:コラム:日本建築構造技術者協会”. www.jsca.or.jp. 2021年5月28日閲覧。
- ^ 大津波450〜800年周期か 東北太平洋岸、貞観地震挟み - 47NEWS(よんななニュース)
- ^ 久留米市 水縄活断層について
- ^ 橘徹(2011):堆積物から読み解く津波現象 (PDF) 、平成23年度中国地方建設技術開発交流会
- ^ 石橋(2014), p92.
- ^ 大長昭雄・萩原(1982), p97-111.
- ^ 【温故地震】都司嘉宣 和銅遠江地震(715年) 巨大な土砂ダムで洪水被害 産経新聞ニュース 2016.11.21
- ^ 糸魚川-静岡構造線活断層系の調査結果と評価について
- ^ 8世紀末に南海トラフ巨大地震があった 保立道久の研究雑記 2016年3月1日
- ^ 謎の“首都直下”貞観地震の前後に起きていた:産経新聞2012/03/14 09:15更新
- ^ 田中広明(埼玉県埋蔵文化財調査 事業団 主査) (2014年9月). “弘仁地震の被害と復興、そして教訓” (PDF). 科学技術振興機構. 2011年11月12日閲覧。
- ^ a b c 萩原尊禮・藤田和夫・山本武夫・松田時彦・大長昭雄, 1989, 続古地震―実像と虚像、東大出版会
- ^ 佃為成:北部フォッサマグマ地域の地震活動特性 地學雜誌 1990年 99巻 1号 p.32-42、doi:10.5026/jgeography.99.32
- ^ 東北地方凶作に関する史的調査 昭和10年9月30日 積雪地方農村経済調査所
- ^ 中西一郎、「貞観十年(868)播磨地震の震央位置」 地震 第2輯 Vol.59(2006-2007) No.3 p.237-238、doi:10.4294/zisin.59.237
- ^ a b 纐纈一起(2011) M9級の大地震は440年間隔で発生か
- ^ 松田時彦・由井将雄・松島義章・今永勇・平田大二・東郷正美・鹿島薫・松原彰子・中井信之・中村俊夫・松岡数充「伊勢原断層(神奈川県)の試錐による地下調査--過去約7000年間の堆積環境と元慶2年地震の変位」『東京大学地震研究所彙報』第63巻第2号、東京大学地震研究所、1988年11月、p145-182、ISSN 00408972、NAID 120000871815。
- ^ 藤原治ほか, 2010, 千葉県館山市の海浜堆積物に見られる9世紀以降の津波(?)イベント堆積物 (PDF) 、第26回歴史地震研究会、講演要旨集
- ^ 平安時代に起こった八ヶ岳崩壊と千曲川洪水
- ^ 平安時代に起こった八ヶ岳崩壊と千曲川洪水
- ^ a b 887年仁和地震が東海・南海巨大地震であったことの確からしさ 地球惑星科学関連学会2000年合同大会予稿集(CD-ROM)、Sl-017
- ^ a b https://www.zisin.jp/publications/document05_02.html
- ^ 飯田汲事「歴史地震の研究(2):万寿3年5月23日(1026年6月16日)の地震および津波の災害について」『愛知工業大学研究報告 B』第14号、愛知工業大学、1979年3月、p199-206、ISSN 03870812、NAID 110000043362。
- ^ 箕浦幸治・中田高・松井孝典(1993):寿地震の痕跡、日本地質学会第100 回学術大会講演要旨 p.684.
- ^ a b 石橋克彦(2016):[論説]1099年承徳(康和)南海地震は実在せず、1096年嘉保(永長)地震が「南海トラフ全域破壊型」だった可能性―土佐地震記事を含む『兼仲卿記』紙背の官宣旨案の考察― (PDF) 、歴史地震、第31号、81 - 88.
- ^ 都司嘉宣(1999)「『平家物語』および『方丈記』に現れた地震津波の記載」『建築雑誌』 114、1446、46 - 49、NAID 110003804012.
- ^ 産業技術総合研究所(2007) (PDF) 琵琶湖西岸断層帯の活動性および活動履歴調査
- ^ 小松原琢(2006):琶湖西岸断層帯の変位量分布、月刊地球、54、165 - 170.
- ^ 地震調査推進研究本部(2009) (PDF) 琵琶湖西岸断層帯の長期評価の一部改訂について
- ^ 「琵琶湖岸、液状化に警鐘」中日新聞 2012年4月14日
- ^ 富士川断層連日監視と東海地震発生の予測 (PDF) 地震予知連絡会 会報第46巻 東京大学地震研究所 地質移動班
- ^ 石橋克彦・佐竹健治, 1998, 「総合報告:古地震研究によるプレート境界巨大地震の長期予測の問題点 -日本付近のプレート沈み込み帯を中心として」 『地震 第2輯』 1998年 50巻 appendix号 p.1-21、doi:10.4294/zisin1948.50.appendix_1
- ^ 石橋(2014), p74-79.
- ^ 澤井祐紀、行谷佑一、田村亨、中島礼、谷川晃一朗、2015、東北地方太平洋沖地震は1000年に1回のイベントだったのか? (PDF) 、地球惑星科学関連学会2015年合同大会、MIS25-07.
- ^ 保立道久(2011) 保立道久の研究雑記
- ^ 本朝地震考 地学雑誌 Vol.9(1897) No.10 P495-500
- ^ 『大地震洪水 大仏殿破堂舎屋 死人二百余』
- ^ 「熊野年代記」(熊野社)にも記述がある。
- ^ 浦谷裕明、都築充雄・武村雅之 ほか、「[論説] 明応年間の関東地方における地震津波の被害像と明応関東地震の可能性 〜元禄関東地震津波および大正関東地震津波との比較を通じて〜」『歴史地震』2018年 第33号 p.15 - 20、歴史地震研究会
- ^ 関東大震災の大津波…犠牲者なし「奇跡の村」があった 産経新聞2012/03/13 10:28
- ^ 15世紀にも連動巨大地震? 南海トラフと相模トラフ 朝日新聞デジタル防災特集 2012年8月21日18時50分
- ^ 都司嘉宣・上田和枝, 1997, 明応(1498)南海地震の存在とその日付について、地球惑星科学関連学会1997年合同大会講演予稿集、169.
- ^ 石橋(2014), p68.
- ^ 原田智也 (2016年3月31日). “東京大学地震研究所 地震活動セミナー 第79回「明応七年六月十一日(ユリウス暦1498年6月30日)の日向灘地震は実在したか?」”. 東京大学地震研究所. 2017年8月21日閲覧。
- ^ 南海トラフ沖に海底活断層 M8級地震の可能性も 2013年4月13日 5時55分 共同通信
- ^ a b 松浦律子「天正地震の震源域特定:史料情報の詳細検討による最新成果」『活断層研究』第35巻、2011年、29-39頁、doi:10.11462/afr.2011.35_29、2020年11月25日閲覧。
- ^ 遠田晋次・井上大栄・高瀬信一 ほか, 1994「阿寺断層の最新活動時期 1586年天正地震の可能性」『地震 第2輯』 年 47巻 1号 p.73-77, doi:10.4294/zisin1948.47.1_73
- ^ a b 地質研究所(2011) 「地質研究所調査研究成果報告会資料集」 (PDF) 北海道立総合研究機構、地質研究所、2011年
- ^ 石橋克彦, 2019, [論説]1605年慶長津波を記す「阿闍梨暁印置文」の史料批判 (PDF) , 歴史地震, 第34号, 31 - 40.
- ^ a b 宇津徳治(1990)『世界の被害地震の表』
- ^ 「大津波400-600年に一度か」 読売新聞 2012年7月11日。蝦名裕一東北大助教の研究。
- ^ 大長昭雄・萩原(1982), p186-202.
- ^ 日本海東縁部の地震活動の長期評価について (PDF) 地震調査研究推進本部 平成15年6月20日
- ^ 7世紀末と9世紀末の東海地震の痕跡を発見:1300年間にわたる東海地震の繰り返しと南海地震との連動性が明らかに 産業技術総合研究所、2019年11月19日。
- ^ 4-2 信越地方の地震について (PDF) 地震予知連絡会 会報16巻
- ^ ひずみ24-2-6-2 近世以降の地震活動に関する観測記録等の収集と解析 (PDF) ひずみ集中帯の重点的調査観測・研究プロジェクト(平成24年)
- ^ Nanayama, F., Furukawa, R., Shigeno, K., Makino, A.,Soeda, Y. and Igarashi, Y.(2007): Unusually nine large tsunami deposits from the past 4000 years at Kiritappu marsh along the southern Kuril Trench. Sedimentary Geology, 200, 275-294.
- ^ 宮城県災害年表p10
- ^ 石橋克彦:1703年元祿関東地震に先行した関東地方の被害地震ノート、慶安元年4月22日(1648年6月12日)の強震 地震 第2輯 1978年 31巻 3号 p.342-345、doi:10.4294/zisin1948.31.3_342
- ^ a b 西山昭仁・小松原琢・東幸代・水野章二・北原糸子・武村雅之・寒川旭, 2005, 活断層調査と文献史料から推定した寛文二年(1662)若狭・近江地震の起震断層と震源過程 (PDF) , 歴史地震, No.20, pp.257-266.
- ^ a b c 松浦律子・中村操・茅野一郎・唐鎌郁夫, 震度分布にもとづく江戸時代の4地震の震源域と規模の再検討(概報):1662年日向灘・1769年日向・豊後・1847年善光寺地震・1861年宮城の4地震について 歴史地震・第19号(2003) (PDF)
- ^ “主な火山災害年表” (PDF). 気象庁. 2015年5月2日閲覧。
- ^ 都司(2012), p279-281.
- ^ a b c d e f g 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価 地震調査研究推進本部
- ^ 茨城県津波浸水被害想定・シミュレーション条件
- ^ “鬼怒川下流域 - 自然災害情報室 -” (PDF). 防災科学技術研究所. 2018年6月27日閲覧。
- ^ 栃木県に被害を及ぼす地震
- ^ a b c d 神田克久・武村雅之:南海トラフ沿いの沈み込むスラブ内で発生した歴史地震の震度による地震規模推定 歴史地震・第28号(2013) (PDF)
- ^ 文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年
- ^ 羽鳥徳太郎 九州北部近海の歴史地震と仮定津波の伝播図 羽鳥徳太郎
- ^ a b 首都直下地震モデル検討会 首都のM7クラスの地震及び相模トラフ沿いのM8クラスの地震等の震源断層モデルと震度分布・津波高等に関する報告書
- ^ 都司嘉宣「元禄十六年十一月二十三日寅刻(1703年12月31日,午前4時)豊後国府内藩領の地震」『歴史地震』第34巻、2019年、147-153頁、2020年12月11日閲覧。
- ^ 相田勇「南海道沖の津波の数値実験」『東京大学地震研究所彙報』第56巻第4号、東京大学地震研究所、1981年、p713-730、ISSN 00408972、NAID 120000871630。
- ^ 石川有三(産総研): 1707年宝永地震の規模の再評価、日本地震学会2011年秋季大会講演予稿集、D11-09.
- ^ Ishikawa(2012) (PDF) Yuzo Ishikawa(2012):Re-evaluation of Mw of the 1707 Hoei earthquake
- ^ 櫻井準也「18世紀初頭に修復された被災古墳 : 埼玉県坂戸市浅羽野1号墳の事例から」『尚美学園大学総合政策論集』第24号、尚美学園大学総合政策学部総合政策学会、2017年6月、37-47頁、ISSN 1349-7049、NAID 120006343552。
- ^ a b 南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)について 別表 (PDF) 地震調査研究推進本部 平成25年5月24日
- ^ 渡辺偉夫 『日本被害津波総覧』 東京大学出版会、1998年
- ^ 宇津(2001)p589.
- ^ 坂本正夫、「遠山地震(1718年)の被害調査」『伊那谷自然史論集』 15巻 p.1 - 18 2014年、飯田市美術博物館、doi:10.20807/icmnhr.15.0_1
- ^ 中村衛, 2014, 1771年八重山津波の断層モデルの再検討 (PDF) , 日本地球惑星科学連合2014年大会講演要旨, SSS34-P27.
- ^ 表 箱根火山の群発地震リスト(平賀(1987)および神奈川県温泉地学研究所による)
- ^ 宇佐美(1994), p414.
- ^ a b c d 松浦律子・中村操・唐鎌郁夫, 2007, [講演要旨]江戸時代の歴史地震の震源域・規模の再検討作業 ― 飛越地震など8地震について ― 歴史地震・第22号 (PDF)
- ^ 黒松内低地断層帯の長期評価について
- ^ 都司(2012), p281-282.
- ^ 伊藤純一, 2005, 文化五年十月十七日(1808.12.4)四国・紀伊半島で記録された小津波 (PDF) , 歴史地震, 20号, 65 - 73.
- ^ 史料地震学による断層帯周辺の被害地震の解明 立川断層帯における重点的な調査観測 平成26年度 成果報告書 2.3 (PDF)
- ^ 都司嘉宣:文化九年十一月四日(1812年12月7日)神奈川地震の震度分布 東京大学地震研究所 地震研究所彙報. 第84号4冊、2009、pp. 291 - 298
- ^ 宇佐美(1994), p462.
- ^ a b 都司嘉宣, 2006, 小笠原諸島の津波史 (PDF) , 歴史地震, 21号, 65 - 79.
- ^ 羽鳥徳太郎、「天保4年(1833)山形沖地震とその津波の規模」『地震 第2輯』 Vol.43(1990) No.2 P.227-232、doi:10.4294/zisin1948.43.2_227
- ^ 宇津(2001)p597.
- ^ 大長昭雄・萩原(1982), p231-309.
- ^ 宇佐美(1994), p544.
- ^ a b “防災対応のための南海トラフ沿いの異常な現象に関する評価基準検討部会とりまとめ(平成30年12月25日公表)別冊”. www.bousai.go.jp. 評価基準検討部会. 2022年11月29日閲覧。
- ^ a b c d 都司嘉宣「安政南海地震(1854 XII 24)の津波を伴う余震について」『津波工学研究報告』第39巻、2022年、29-44頁、2023年6月22日閲覧。
- ^ 都司嘉宣, 2022, 安政南海地震(1854)本震の約4時間後に生じた津波を伴った余震 (PDF) , 歴史地震, 第37号.
- ^ 堀川晴央・中西一郎, 2019, [講演要旨]安政南海地震後の大晦日に発生した余震の規模と震源域の推定 (PDF) 、歴史地震、第34号、227.
- ^ 宇佐美(2003)p164-168.
- ^ 宇佐美(1994), p566.
- ^ 都司嘉宣, 1982, 安政2年9月28日(1855-XI-7)の遠江沖地震について, 地震 第2輯, 35-51.
- ^ 宇佐美(1994), p600.
- ^ 都司嘉宣 昭和東南海地震(1944年)愛知と北陸に直下型誘発 産経ニュース2012.11.19 08:20
- ^ 広報ぼうさい 平成18年11月号 『1891(明治24)年濃尾地震』 内閣府。
- ^ a b c d e f g h 武村雅之・諸井孝文・八代和彦, 1998, 「明治以後の内陸浅発地震の被害から見た強震動の特徴-震度VIIの発生条件-」『地震 第2輯』 50巻、p.485 - 505、doi:10.4294/zisin1948.50.4_485
- ^ a b c d 北海道・南千島での巨大地震発生サイクルの解明 平成20年度年次報告 北海道大学大学院理学研究科
- ^ 主な地震記録と被害概況 山形県、2016年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)、地震調査研究推進本部
- ^ 地震調査研究推進本部 日本の地震活動 89頁。
- ^ 長野地方気象台で見つかった明治時代の地震波形記録 日本地震学会
- ^ 三重県に被害を及ぼす地震(地震調査研究推進本部)
- ^ USGS Search Earthquake Catalog
- ^ a b c 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について (PDF) 地震調査研究推進本部 平成24年2月9日
- ^ 神田克久・武村雅之「震度データによる1914年秋田仙北地震の短周期地震波発生域と地震規模の推定および1896年陸羽地震との比較」(PDF)『地震 第2輯』第63巻、2011年、207-221頁、doi:10.4294/zisin.63.207、2016年11月12日閲覧。
- ^ 石橋克彦、「大正10年竜ケ崎地震の震源位置について -アーツ1号が発見した「線」との関連-(速報)」『地震 第2輯』 1973年 26巻 4号 p.362-367、doi:10.4294/zisin1948.26.4_362、日本地震学会
- ^ 行谷佑一・佐竹健治・宍倉正展「南関東沿岸の地殻上下変動から推定した1703年元禄関東地震と1923年大正関東地震の断層モデル」(PDF)『活断層・古地震研究報告』第11号、産業技術総合研究所地質調査総合センター、2011年、107-120頁、ISSN 1883-9681、NAID 40019514007。
- ^ “災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月 1923 関東大震災 第4章 揺れと被害”. 中央防災会議. 2016年11月12日閲覧。(p.102)
- ^ 理科年表が関東大震災の被害数を80年ぶりに改訂 - 鹿島
- ^ 東大地震研究所の記録
- ^ M7.8 - near the south coast of Honshu, Japan USGS。
- ^ “【特集】日本の震災 北丹後地震(1927年)”. 時事ドットコムニュース 2016年11月12日閲覧。
- ^ 中央防災会議専門調査会における想定地震 (PDF) 内閣府 東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会(第1回) 資料3-3
- ^ 武村雅之・虎谷健司, 1944年東南海地震の広域震度分布の再評価と被害の特徴 日本地震工学会論文集 Vol.15(2015) No.7 特集号「第14回日本地震工学シンポジウム」その1 p.7_2-7_21、doi:10.5610/jaee.15.7_2
- ^ 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月 1944 東南海地震・1945 三河地震:第4章 三河地震の災害と概要
- ^ Yuichiro Tanioka and Kenji Satake, 2001, Coseismic slip distribution of the 1946 Nankai earthquake and aseismic slips caused by the earthquake, Earth Planets Space, 53, 235 - 241.
- ^ 第1章 地震 (PDF) 気象庁:【気象庁技術報告】平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震調査報告 p.80
- ^ 1973年6月17日根室半島沖地震現地調査報告 (PDF) 防災科学技術研究所 主要災害調査No.3
- ^ 8月6日 千葉県北西部の地震
- ^ 3-5 1980年9月25日の千葉県中部の地震
- ^ 1984年1月1日紀伊半島南東沖の深発地震(気象庁) (PDF) 地震予知連絡会 会報第32巻
- ^ 佐竹健治、「最近の津波研究」『地震 第2輯』 1991 年 44 巻 Supplement 号 p. 99-112、doi:10.4294/zisin1948.44.Supplement_99
- ^ (最大)加速度・(最大)速度・計測震度について 防災科学技術研究所 青井真
- ^ 前田宜浩・笹谷努・一柳昌義 ほか, 「2004年12月14日留萌支庁南部の地震(M6.1)」『北海道大学地球物理学研究報告』 68巻 p.243 - 253、2005年、北海道大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻(地球物理学)、NAID 120000958390、doi:10.14943/gbhu.68.243。
- ^ 防災科学技術研究所: “強震観測網”. 2014年3月15日閲覧。
- ^ 推計震度分布図
- ^ 12月24日付読売新聞「中越沖地震 柏崎原発では『震度7』」について 東京電力、2007年12月24日。
- ^ 地震時の観測最大加速度のギネス認定
- ^ 2009年08月09日19時55分
- ^ 2009年8月9日19時56分頃に発生した 東海道南方沖の地震について (PDF) 気象庁
- ^ 2009年8月9日 東海道南方沖の地震 東京大学地震研究所
- ^ 2011年08月11日05時07分 駿河湾 M6.5
- ^ 平成21年8月11日の駿河湾の地震 気象庁
- ^ 2010年02月27日05時31分 沖縄本島近海 M7.2
- ^ 2010年11月30日12時24分 小笠原諸島西方沖 M7.1
- ^ 震度データベース検索
- ^ 2010年11月30日 小笠原諸島西方沖の地震 独立行政法人防災科学技術研究所
- ^ 平成22年12月地震・火山月報(防災編)
- ^ a b 津波警報・津波注意報評価
- ^ 12月22日 父島近海の地震
- ^ “津波警報・注意報の評価”. 気象庁. 2012年8月24日閲覧。
- ^ 2010年12月22日父島近海の地震
- ^ 2011年03月09日11時45分 三陸沖 M7.3
- ^ M9.1 - near the east coast of Honshu, Japan アメリカ地質調査所、2017年10月13日閲覧。
- ^ a b 静岡の地震、大震災が誘発か 周囲にひずみ蓄積
- ^ M6.7 - off the east coast of Honshu, Japan アメリカ地質調査所、2017年10月13日閲覧。
- ^ 2011年03月11日15時08分 岩手県沖 M7.4
- ^ M7.9 - near the east coast of Honshu, Japan アメリカ地質調査所、2017年10月13日閲覧。
- ^ 2011年03月11日15時15分 茨城県沖 M7.6
- ^ M7.7 - off the east coast of Honshu, Japan アメリカ地質調査所、2017年10月13日閲覧。
- ^ 2011年03月11日15時25分 三陸沖 M7.5
- ^ 2011年03月12日03時59分 長野県北部 M6.7
- ^ 3月12日 長野県北部の地震
- ^ もう1つの震災(長野県北部地震)発生から2年 長野県栄村の復興への取り組み 関東財務局
- ^ 日本列島陸域における誘発地震活動について Archived 2011年4月11日, at the Wayback Machine. 名古屋大学大学院環境学研究科
- ^ 2011年03月15日22時31分 静岡県東部 M6.4
- ^ a b c 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の余震活動 地震調査研究推進本部
- ^ 4月11日 福島県浜通りの地震
- ^ 2011年04月11日17時16分 福島県浜通り M7.0
- ^ 4月11日 福島県浜通りの地震
- ^ 2011年04月11日14時07分 福島県中通り M6.4
- ^ 4月12日 福島県中通りの地震
- ^ 2011年06月30日08時16分 長野県中部 M4.4
- ^ 地震:松本で震度5強 災害死者1人を松本市が初認定 /長野 毎日新聞、2011年7月26日。
- ^ 松本の地震、震源域は長さ5キロ領域に 信大など解析|リンク切れ(信濃毎日新聞 2011年7月2日)
- ^ 7月10日 三陸沖の地震による津波 地震調査研究推進本部
- ^ “平成23年10月 地震・火山月報(防災編)”. 気象庁. 2024年2月2日閲覧。
- ^ “黒部峡谷で落石、2人死傷”. 日本経済新聞社 (2011年10月7日). 2024年2月2日閲覧。
- ^ 11月8日 沖縄本島北西沖の地震
- ^ 2011年11月08日11時59分 沖縄本島北西沖 M7.0
- ^ 週間地震概況(平成23年11月4日〜11月10日)
- ^ 2012年01月01日14時27分 鳥島近海 M7.0
- ^ 1月1日 鳥島近海の地震
- ^ 1月1日 鳥島近海の地震 地震調査研究推進本部
- ^ 2012年03月14日18時08分 三陸沖 M6.9
- ^ 2012年03月14日18時08分 3月14日 三陸沖の地震
- ^ 平成24年3月 地震・火山月報(防災編)
- ^ 2012年03月14日21時05分 千葉県東方沖 M6.1
- ^ 3月14日 千葉県東方沖の地震 地震調査研究推進本部
- ^ 2012年12月07日17時18分 三陸沖 M7.3
- ^ a b 2012年12月07日17時18分 12月07日 三陸沖の地震
- ^ 平成24年12月 地震・火山月報(防災編)
- ^ 2013年02月02日23時17分 十勝地方南部 M6.5
- ^ 2013年2月2日 十勝地方南部の地震
- ^ “推計震度分布図”. 気象庁. 2013年5月19日閲覧。
- ^ 2013年04月13日05時33分 淡路島付近 M6.3
- ^ “平成25年4月13日05時33分頃の淡路島付近の地震について(第2報)”. 気象庁. 2013年4月13日閲覧。
- ^ 淡路島付近を震源とする地震について 内閣府
- ^ 平成25年4月地震・火山月報(防災編) (PDF) (気象庁)
- ^ 2013年10月26日02時10分 福島県沖 M7.1
- ^ 2013年10月26日 福島県沖の地震
- ^ 週間地震概況(平成25年10月25日〜10月31日)
- ^ a b 『「平成23年(2013年)東北地方太平洋沖地震」について(第71報) -平成25年10月26日02時10分頃の福島県沖の地震-』(プレスリリース)気象庁、2013年10月26日 。2013年10月26日閲覧。
- ^ 週間地震概況(平成26年7月11日〜7月17日) (PDF) 気象庁、2014年7月18日閲覧。
- ^ 2014年07月12日04時22分 福島県沖 M7.0 気象庁、2014年7月18日閲覧
- ^ 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第73報)-平成26年7月12日04時22分頃の福島県沖の地震- 気象庁、2014年7月18日閲覧
- ^ 平成26年11月22日22時08分頃の長野県北部の地震について(第2報) (PDF) 気象庁、2014年11月23日発表。
- ^ 「2014年11月22日長野県北部の地震の評価」、地震調査研究推進本部 地震調査委員会、2014年12月9日付、2014年12月13日閲覧
- ^ 小笠原で震度5強 震源を682kmに修正、気象庁「M8クラスで世界最深の地震」 産経新聞 2015年5月31日
- ^ 最深級「世界が注目」=小笠原西方沖の地震―下部マントル付近、謎多く 時事通信 2015年6月20日
- ^ 「平成28年(2016年)熊本地震」について(第23報) (PDF) 気象庁、2016年4月21日発表。
- ^ a b 平成28年4月14日21時26分頃の熊本県熊本地方の地震について(第2報) (PDF) 気象庁、2016年4月15日発表。
- ^ 2016年04月14日21時26分 熊本県熊本地方 M6.5 - 気象庁、2016年4月30日閲覧
- ^ 気象庁|地震情報(平成28年04月14日21時32分発表)
- ^ “平成28年熊本地震に伴う被害状況と警察措置” (PDF). 警察庁 (2016年4月28日). 2016年5月4日閲覧。
- ^ 2016年04月15日00時03分 熊本県熊本地方 M6.4 - 気象庁、2016年4月30日閲覧
- ^ 震度データベース検索(地震別検索結果) - 気象庁、2019年8月12日閲覧。
- ^ 2016年04月16日01時25分 熊本県熊本地方 M7.3 - 気象庁、2016年4月30日閲覧
- ^ 「平成28年(2016年)熊本地震」について(第22報) (PDF) 気象庁、2016年4月20日発表。
- ^ 熊本県熊本地方を震源とする地震(第121報) (PDF) 消防庁、2019年4月12日。
- ^ 気象庁震度データベース検索 2020年1月3日閲覧。
- ^ 2016年10月21日14時07分 鳥取県中部 M6.6 - 気象庁、2016年10月25日閲覧
- ^ 平成28年10月21日14時07分頃の鳥取県中部の地震について (PDF) 気象庁、2016年10月21日発表。
- ^ 2016年11月22日05時59分 福島県沖 M7.4 - 気象庁、2016年11月27日閲覧
- ^ a b 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第79報) -平成28年11月22日05時59分頃の福島県沖の地震- (PDF) 気象庁、2016年11月22日発表。
- ^ 平成28年11月の地震活動及び火山活動について 別紙 東北地方の主な地震活動 気象庁、2016年12月8日。
- ^ 2016年12月28日21時38分 茨城県北部 M6.3 - 気象庁、2017年1月11日閲覧
- ^ a b 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について(第80報) -平成28年12月28日21時38分頃の茨城県北部の地震- (PDF) 気象庁、2016年12月28日発表。
- ^ 2018年06月18日07時58分 大阪府北部 M6.1 - 気象庁、2018年06月18日閲覧
- ^ 平成30年6月18日07時58分頃の大阪府北部の地震について (PDF) 気象庁、2018年6月18日発表。
- ^ 大阪府北部を震源とする地震による被害及び消防機関等の対応状況(第31報) 消防庁、2019年2月12日。
- ^ 2018年09月06日03時07分 胆振地方中東部 M6.7 - 気象庁、2018年9月6日閲覧
- ^ 平成30年9月6日03時08分頃の胆振地方中東部の地震について (PDF) 気象庁、2018年9月6日発表。
- ^ 平成30年北海道胆振東部地震による被害及び消防機関等の対応状況(第34報) 消防庁、2019年1月28日。
- ^ “令和元年6月の主な地震活動”. 気象庁. 2022年3月17日閲覧。
- ^ “<速報> 新潟県で震度6強、山形・新潟・石川に津波注意報”. 読売新聞. (2019年6月18日) 2019年6月18日閲覧。
- ^ “地震情報(顕著な地震の震源要素更新のお知らせ)”. 気象庁 (2019年6月19日). 2019年6月19日閲覧。
- ^ 令和2年2月の地震活動及び火山活動について、別紙1(日本の主な地震活動) 気象庁、2020年3月9日。
- ^ 震度データベース検索 気象庁、2020年3月15日閲覧。
- ^ “令和3年2月13日23時08分頃の福島県沖の地震について-「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第89報)-”. 2021年2月14日閲覧。
- ^ “令和3年3月20日18時09分頃の宮城県沖の地震について -「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第91報)-”. 2021年3月21日閲覧。
- ^ “2 人的・住宅被害等の状況”. 内閣府. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 『「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」の地震の規模について(第3報)』(プレスリリース)気象庁地震予知情報課、2011年3月11日 。2011年3月12日閲覧。
- ^ M9級、西日本でも 300年前の宝永地震 震度6、静岡―四国の590キロ 日本経済新聞、2011年10月12日。
- ^ 慶長三陸津波はM9地震か 海底断層、最大80メートルずれ 日本経済新聞、2017年5月24日。
- ^ 貞観、M9級の可能性 北大、大津波6000年で6回の痕跡発見 日本経済新聞、2011年8月22日。
- ^ 平川委員提供資料津波堆積物が示す 南海トラフの津波履歴、津波挙動(海食急崖、斜面からの証拠) (PDF) . 参考資料2. 南海トラフの巨大地震モデル検討会(第35回)及び. 首都直下地震モデル検討会(第17回)合同会議
- ^ 飯田汲事「歴史地震の研究(1):天正13年11月29日(1586年1月18日)の地震の震害、震度分布および津波について」『愛知工業大学研究報告 B』第13号、愛知工業大学、1978年3月、p161-167、ISSN 03870812、NAID 110000043308。
- ^ 過去の地震津波災害 気象庁 2020年7月6日閲覧。
- ^ 日本付近で発生した主な被害地震(平成8年以降) 気象庁 2020年7月6日閲覧。
参考文献
編集- 国立天文台編『理科年表 平成29年』丸善、2017年。ISBN 978-4-621-30095-4。
- 石橋克彦『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会-』岩波書店、2014年3月。ISBN 978-4-00-028531-5。
- 萩原尊礼 ほか『古地震 -歴史資料と活断層からさぐる』東京大学出版会、1982年。
- 都司嘉宣『歴史地震の話 -語り継がれた南海地震』高知新聞社、2012年6月。ISBN 978-4-87503-437-7。
- 宇佐美龍夫『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』日本電気協会、1994年。
- 宇佐美龍夫『新編日本被害地震総覧:416-1995』(増補改訂版)東京大学出版会、1996年。ISBN 4-13-060712-X。
- 宇佐美龍夫『日本被害地震総覧:「416」-2001』(最新版)東京大学出版会、2003年。ISBN 4-13-060742-1。
- 宇津徳治・嶋悦三・吉井敏尅・山科健一郎『地震の事典』(第2版)朝倉書店、2001年。ISBN 978-4-2541-6039-0。
- 藤井敏嗣・纐纈一起編『地震・津波と火山の事典』丸善、2008年。ISBN 978-4-621-07923-2。
- 震災予防調査会編 『大日本地震史料』 丸善、1904年 国立国会図書館サーチ
- 文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂 1 - 3巻』 1940年 国立国会図書館サーチ
- 武者金吉 『日本地震史料』 毎日新聞社、1951年
- 東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 1 - 5巻』 日本電気協会、1981-1987年
- 東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 補遺および別巻』 東京大学地震研究所編、1989年
- 東京大学地震研究所 『新収 日本地震史料 続補遺および別巻』 日本電気協会、1994
- 鎌倉期から江戸初期における地震災害情報--畿内で書かれた日記にみる地震の記録 (PDF) 歴史地震研究会
関連項目
編集外部リンク
編集- 過去の地震・津波被害 - 気象庁 - 明治以降に日本で100人以上の死者・行方不明者を出した地震・津波
- 日本付近で発生した主な被害地震 - 気象庁 - 1996年以降に日本付近で発生した人的被害を伴う地震の一覧
- 震度6または震度6弱以上を観測した地震の表(1926年〜2009年) (PDF) - 気象庁
- 日本付近のおもな被害地震年代表 - 日本地震学会 - 有史以来の日本付近の主な被害地震の年表
- 世界の被害地震の表(古代〜現代) - 宇津徳治によるデータベース
- (古代・中世)地震・噴火史料データベース(β版) - 古代中世地震史料研究会
- 地震活動解析システム - 東京大学地震研究所 - 地震活動解析と可視化をするシステム
- 日本の群発地震 - archive.today(2013年1月11日アーカイブ分) - 群発地震研究会 - 1885年〜1995年の日本の群発地震の一覧
- Earthquake Lists & Maps - USGS - 世界の地震の規模別・被害別のリストや統計