長岡地震
1961年に新潟県長岡市付近を震源として発生した地震
長岡地震(ながおかじしん)は、1961年(昭和36年)2月2日3時39分(JST)、新潟県長岡市付近(北緯37度27分、東経138度50分、深さ20km)を震源として発生した。地震の規模はM5.2。2004年には、ほぼ同じ場所で新潟県中越地震が発生した。
長岡地震 | |
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地震の震央の位置を示した地図 | |
本震 | |
発生日 | 1961年(昭和36年)2月2日 |
発生時刻 | 3時39分2秒(JST) |
震央 |
日本 新潟県中越 北緯37度27分9秒 東経138度50分1秒 / 北緯37.45250度 東経138.83361度 |
震源の深さ | 20 km |
規模 | マグニチュード(M)5.2 |
最大震度 | 震度4:新潟県長岡市 |
地震の種類 | 直下型地震 |
余震 | |
最大余震 | 1961年3月7日17時28分、M3.7、最大震度3 |
被害 | |
死傷者数 | 死者 5人 負傷者 30人 |
被害地域 | 新潟県長岡市 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
震度
編集※震度の基準は当時。
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
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4 | 新潟県 | 長岡市新潟地方気象台長岡気象通報所[1] |
被害
編集被害は震央付近の2kmから4kmの狭い範囲に集中した[2][1]。
- 死者:5名
- 負傷者:30名
- 家屋全壊:220戸
- 家屋半壊:456戸
- 家屋一部損壊:804戸
被害は新潟県長岡市に集中した。当時長岡市は積雪が約2mあり、家屋の2階が損壊しても、1階が(損傷するも)雪壁によって支えられ家屋全体は倒壊に至らなかったという、豪雪地域の降雪期における特異な被害状況がみられた。融雪期には、これら1階に損傷を受けた家屋が雪壁の支えを失い倒壊に至る被害も発生した。雪崩による居住家屋被害は報告されていない[3]。
長岡市川西地区では震度5(強震)あるいは震度6(烈震)とみられるが、被害の中心から信濃川を隔て 1.5km ほど離れた旧長岡市街では被害を生じていない[1]。
この地震は、1900年以降、日本で死者を生じた地震としては2011年の長野県中部地震とともに規模の小さな部類(M5台)に属する。
余震
編集震央付近では少なくとも83回の有感余震が発生した。このうち、本震発生当日(2月2日)に40回の有感余震が発生した。5月30日に発生した余震が最大の余震とみられているが、具体的なマグニチュードは不明である[4]。
発生日 | 2月2日 | 3日 | 4日 | 5日 | 6日 | 7日 | 8日 | 9日 | 12日 | 3月6日 | 7日 | 19日 | 5月30日 |
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次数 | 40 | 10 | 5 | 3 | 2 | 6 | 2 | 7 | 1 | 3 | 2 | 1 | 1 |
参考画像
編集-
長岡地震で倒壊した王寺川農協倉庫
出典
編集脚注
編集- ^ a b c d 新潟地方気象台・長岡気象通報所、「長岡地震調査報告 (PDF) 」 気象庁 震時報 第26巻 第3号 pp.65-80 昭和36年12月)
- ^ 岡田惇、長岡地震による地盤変動 東京大学地震研究所彙報. 第39冊第3号, 1961.12.15, pp.537-547, NAID 120000866425
- ^ 水田敏彦, 鏡味洋史、「積雪期の被害地震の文献調査 -1854年安政東海地震の雪に関わる被害に着目して-」 日本建築学会技術報告集 2016年 22巻 51号 p.821-824, doi:10.3130/aijt.22.821
- ^ 宇佐美龍夫 (1975). “547 1961 II 2(昭和36)03時39分 長岡付近”. 資料 日本被害地震総覧. 東京: 東京大学出版会. pp. 265-266
関連項目
編集外部リンク
編集- 1961年 長岡地震 - NHK災害アーカイブス
- 鏡味洋史、「積雪期に発生した1961.2.2長岡地震に関する文献調査(災害)」 日本建築学会技術報告集 2003年 9巻 18号 p.421-424, doi:10.3130/aijt.9.421_2