銚子市(ちょうしし)は、千葉県北東部の関東最東端に位置し、日本列島で最も早く初日の出が昇る[注 1]。日本屈指の水揚量を誇る銚子漁港を擁する国内最大規模の水産都市である。江戸時代初期より続く醤油の銘醸地でもあり、ヤマサ醤油ヒゲタ醤油を中心に醤油産業の一大集積地を形成している。1933年昭和8年)に市制を施行した東総地域の中核都市である。

ちょうしし ウィキデータを編集
銚子市
銚子市旗 銚子市章
1934年1月15日告示
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
市町村コード 12202-5
法人番号 6000020122025 ウィキデータを編集
面積 84.12km2
総人口 53,085[編集]
推計人口、2025年1月1日)
人口密度 631人/km2
隣接自治体 旭市
香取郡東庄町
茨城県神栖市
市の木 サザンカ
市の花 オオマツヨイグサ
市の魚 イワシ
銚子市役所
市長 越川信一
所在地

288-8601
千葉県銚子市若宮町1番地1

北緯35度44分4.7秒 東経140度49分36.4秒 / 北緯35.734639度 東経140.826778度 / 35.734639; 140.826778座標: 北緯35度44分4.7秒 東経140度49分36.4秒 / 北緯35.734639度 東経140.826778度 / 35.734639; 140.826778
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

銚子市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

概要

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犬吠埼からの日の出

太平洋に突き出した半島状の地形をなし、三方を海に囲まれており、日本列島で最も早く初日の出が昇る街である[注 1]関東地方の最東端であり、江戸時代には「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」の句が詠まれた[1]。北側には日本最大の流域面積を持つ大河利根川が流れ、銚子から太平洋に注いでいる[2]。沖合は南からの黒潮と北からの親潮が交わる好漁場であり[3]、世界三大漁場の一つに数えられている[4]。太平洋に臨む巨大な外港を備える銚子漁港特定第3種漁港)は、全国各地から多数の漁船が入港して活況を呈し、水産物流通基地として揺るぎない地位を確立しており[5]、日本屈指の水揚量を誇っている[6]。広大な後背地には、卸売市場、水産会社、水産加工場、水産缶詰工場、冷凍冷蔵施設、製氷貯氷施設、関連運送業者・鉄工所・造船所、水産物・加工品販売施設等が集積し、国内最大規模の冷凍・冷蔵能力を有しており[7]、全国の消費地と直結可能な地理的優位性もあって[5]、名実共に日本随一の水産都市として発展している。銚子沖で手釣りによって漁獲される「銚子つりきんめ」は、千葉ブランド水産物第1号に認定された高級魚である[8]。魚市場周辺の商店街には、鮮魚店や老舗寿司店が点在している[9]。江戸時代元和年間に創始され、関東風濃口醤油が発祥した醤油の銘醸地でもあり[10]、街の中心部には、全国トップクラスの大手醤油メーカーであるヤマサ醤油(業界2位[11])、ヒゲタ醤油(業界4位[11])の主力工場が立地操業し、製造品出荷額800億円を超える醤油産業の一大集積地を形成している[12]。各社では、蓄積されたバイオテクノロジー技術を応用し、核酸関連物質を利用した医薬品化成品等の研究開発を進めている[13]。古くから千葉県東総地域の中核都市として発展を続けており、公共交通ネットワークの拠点である銚子駅を中心として、国・県の出先機関金融機関の本店・支店、商業・業務施設等の高次都市機能が集積し、千葉県東部で最大規模の人口集中地区商業集積地区を形成している[14][15]。市の財政力指数は0.61であり、県東部において最も高い財政力を有している[16]

鎌倉室町時代坂東三十三箇所二十七番札所である飯沼観音門前町として栄え、江戸時代には東廻り海運利根川水運が確立したことにより、海運関連業を中心に水産業醤油醸造業、商工業が盛んとなり、幕末に至るまで東北地方江戸を結ぶ重要な港湾都市であった[17]大正時代以降は近代的漁港としての施設と機能を備えた銚子漁港の建設が進み、水産業を基幹産業に、千葉県東部における政治・経済・文化の中心都市として発展した。1933年(昭和8年)には、銚子町本銚子町西銚子町豊浦村が合併して市制を施行し、千葉市に次ぐ千葉県第2の市として銚子市が発足した[18]

銚子半島の海岸一帯は水郷筑波国定公園の中心的地域であり、太平洋の怒濤を背景に白亜の灯台が屹立する犬吠埼英国ドーバー海峡ホワイト・クリフ)になぞらえて「東洋のドーバー」と称される[19]断崖絶壁が続く屏風ヶ浦日本の渚百選に選定された白砂青松の君ヶ浜、地球の丸く見える丘展望館が建つ下総最高峰の愛宕山等、風光明媚な景勝地を数多く有する観光都市である。近世都市の面影を色濃く残し、外川の町並みや伝統工芸品、漁業者の祭祀・信仰は「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」として日本遺産に登録されている[20]。犬吠埼には化石海水源泉が湧出し[21]、海岸沿いに温泉宿が建ち並んで犬吠埼温泉郷を形成している。毎年8月には、銚子の夏の風物詩である「銚子みなとまつり」が開催され、利根川河畔に約5000発の花火が打ち上げられる花火大会[22]、約1000人の担ぎ手による銚子銀座通りの神輿渡御、伝統芸能「はね太鼓」の演舞が行われて銚子の街は祭り一色となる。年間約250万人の観光客が訪れ、東京・銚子間には特急列車しおさい」が運行されている。港町の佇まいや海岸風景は多くの映画ドラマのロケ地となっており、「銚子フィルムコミッション」による支援活動が行われている[23]。市では、豊富な地域資源や立地条件を活用したシティプロモーションの展開により、移住・定住や長期滞在・交流型ワーケーションを促進している[24]

1874年明治7年)に竣工した犬吠埼灯台は日本を代表する灯台の一つで、国産煉瓦を使用した最古の西洋式灯台として歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財及び海上保安庁のAランク保存灯台に指定されている。世界灯台100選にも選ばれており、日本に5つの最大の1等4面フレネル式閃光レンズを使用した第1等灯台である[25]

銚子半島の海岸の黒生から犬若にかけての海岸では、中生代ジュラ紀から白亜紀恐竜時代の地層を見ることができる[26]犬吠埼は1億2000万年前の地層であり、この時代の浅い海の海底の痕跡を数多くみることができる学術的に貴重な地層で「白亜紀浅海堆積物」として国の天然記念物に指定されている[27]

変化に富んだ独特の自然景観から、江戸時代には数々の文人墨客東国三社参詣と合わせて銚子の磯巡りに訪れ、文学作品絵画の題材となった[28]明治時代からは避暑海水浴に訪れる人も多くなり、犬吠埼や海鹿島には皇族財界人作家画家の別荘が構えられた。海岸沿いには文人墨客の歌碑、詩碑が多く立っている[29]

夏涼しく冬暖かい海洋性気候であり、避暑や避寒に適している。気候を生かした農業も盛んで、露地野菜果物が栽培されており、春キャベツの生産量は日本一である[30]

2020年(令和2年)7月、「海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律」(再エネ海域利用法)に基づき、銚子沖が洋上風力発電事業を推進するための促進区域に指定され、2021年(令和3年)12月には促進区域における洋上風力発電事業者として三菱商事等の共同事業体「千葉銚子オフショアウィンド」が選定された[31]。促進区域内には13メガワットの大型風車31基が建設され、2028年(令和10年)9月に運転を開始する計画である。市は2021年(令和3年)2月、2050年(令和32年)までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにすることを目指す「ゼロカーボンシティ」を表明し、官民協働で再生可能エネルギーの導入を促進している。市では、「銚子市ゼロカーボンビジョン」に基づき、地域新電力「銚子電力株式会社」と連携した再生可能エネルギーの地産地消システム(マイクログリッド)の構築、ICTを活用した漁場の可視化や藻場の育成による海洋環境の保全、AI(人工知能)やロボットを活用したスマート農業の推進、災害時の移動電源としても活用されるEVPHEVFCVの市内導入、都市緑化やブルーカーボン生態系による二酸化炭素吸収源対策等を進め、豊かな自然環境と共生したエネルギー産業の先端都市の実現を目指している[32]

地理

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利根川河口と銚子市街地

千葉県北東部に位置し、県庁所在地である千葉市から約65キロメートルの距離である。東京都都心から90 - 100キロメートル圏内である。

犬吠埼関東地方および関東平野の最東端に位置し、市の東部と南部は太平洋に面する。市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。

利根川沿いの低地と北総台地(下総台地)からなり、表層は関東ローム層に覆われている。高神愛宕山(標高73.6メートル)は北総台地最高峰となっている。水田は台地山間の谷津田と利根川沿いに広がっており、地帯は台地の平坦部に位置し、比較的農業に適している。

地質

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銚子市は愛宕山を中心に局所的に隆起しており、東関東で唯一、古生界の基盤岩が露出している。また銚子地域は日本の地質体を大きく2分する「東北日本」「西南日本」の境界付近に位置すると考えられ、この境界の東端はまだ確定していないため銚子市の地層がその解明を担うものとして学術的に注目されている。

銚子市は太平洋に突き出た半島状の独特の地形、そして犬吠埼や屏風ヶ浦などの地質資産を核として大地の成り立ちが比較的容易に、そして安全に学べる場所であることから、2012年(平成24年) 9月日本ジオパークに認定され、市域全体を活動のエリアとして「銚子ジオパーク」活動を推進している。

東部地域

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愛宕山や犬岩、千騎ケ岩は愛宕山層群と呼ばれ、約2億年前に形成された付加体と考えられる。愛宕山(標高73.6メートル)は北総台地最高峰となっており、硬く侵食されにくいため海に突出するような高台が形成されている。

東海岸に露出する白亜系の銚子層群は礫岩砂岩泥岩からなる約1億年前の地層であり、アンモナイトなどの化石を多産している。犬吠埼付近は浅い海の堆積構造や生痕化石がよく観察できるため「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として国の天然記念物に指定されている[33][34]。この銚子層群の砂岩は古くから「銚子石」と呼ばれ、古くから建材などに利用されてきた。

銚子地域の中新統は火山礫凝灰岩からなる安山岩の溶岩流を含む千人塚層と海成シルト岩からなる夫婦ケ鼻層に二分される。いずれも日本海が形成された時代の地層である。千人塚層の安山岩は利根川河口の川口、黒生、長崎に露出しており、銚子漁港整備に伴い取り除かれた安山岩はその一部が古銅輝石安山岩公園に保存展示されている。また、かつて夫婦ケ鼻層は銚子地域の北東端の夫婦ケ鼻から海岸沿いに黒生付近まで連続して露出していたが、現在は銚子漁港後背地開発により銚子ポートタワー下にわずか6m程度が露出するのみとなっている。

西部地域

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下総台地の平坦面はかつての海岸近くの海底面で、隆起と汎世界的な海水準変動の結果、基本的に4段面の後期更新統の海成段丘が分布する現在の形となった。この台地には谷がいくつも刻まれており平坦面は農業畜産業に利用されている。

市域の南の海岸線は、犬若から緩やかに湾曲し、屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖が広がっている。この崖は下総台地の東端にあたり、常に波浪によって侵食が続いている。屏風ヶ浦では下総台地の地下断面が観察でき、地層は下位から犬吠層群、香取層、関東ローム 層の3つに区分することができる。屏風ヶ浦江戸時代後期以降、景勝地として著名となり、国指定名勝及び天然記念物として指定された。

市域

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  • 広袤(こうぼう):東西16.2キロメートル、南北12.8キロメートル

気候

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周囲が海に囲まれているため海洋性気候となっている。すなわち、湿度は高めであり、気温は年間平均気温が約15℃で夏涼しく冬暖かい。

夏場は、関東平野部の都市では珍しく日中でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったにない。熱帯夜になることもあまり無く、関東屈指の避暑地と言える。一方、冬場は南九州並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、が降ることは非常に珍しい。

また、年間を通して比較的風が強く、風力発電所の風車が34基稼働している。沖合では洋上風力発電の計画が発表されている[35]

銚子市川口町(銚子地方気象台、標高20m)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 23.6
(74.5)
24.0
(75.2)
23.3
(73.9)
25.9
(78.6)
29.5
(85.1)
32.0
(89.6)
34.8
(94.6)
35.9
(96.6)
33.7
(92.7)
30.6
(87.1)
25.4
(77.7)
23.4
(74.1)
35.9
(96.6)
平均最高気温 °C°F 10.1
(50.2)
10.3
(50.5)
12.8
(55)
17.0
(62.6)
20.5
(68.9)
23.0
(73.4)
26.6
(79.9)
28.6
(83.5)
25.9
(78.6)
21.5
(70.7)
17.3
(63.1)
12.7
(54.9)
18.9
(66)
日平均気温 °C°F 6.6
(43.9)
6.9
(44.4)
9.7
(49.5)
13.8
(56.8)
17.4
(63.3)
20.2
(68.4)
23.5
(74.3)
25.5
(77.9)
23.4
(74.1)
19.2
(66.6)
14.4
(57.9)
9.3
(48.7)
15.8
(60.4)
平均最低気温 °C°F 2.9
(37.2)
3.3
(37.9)
6.4
(43.5)
10.7
(51.3)
14.8
(58.6)
17.9
(64.2)
21.2
(70.2)
23.3
(73.9)
21.3
(70.3)
16.8
(62.2)
11.1
(52)
5.7
(42.3)
13.0
(55.4)
最低気温記録 °C°F −6.2
(20.8)
−7.3
(18.9)
−4.3
(24.3)
−0.2
(31.6)
4.3
(39.7)
10.2
(50.4)
13.0
(55.4)
15.9
(60.6)
11.2
(52.2)
4.5
(40.1)
−1.3
(29.7)
−4.6
(23.7)
−7.3
(18.9)
降水量 mm (inch) 105.5
(4.154)
90.5
(3.563)
149.1
(5.87)
127.3
(5.012)
135.8
(5.346)
166.2
(6.543)
128.3
(5.051)
94.9
(3.736)
216.3
(8.516)
272.5
(10.728)
133.2
(5.244)
92.9
(3.657)
1,712.4
(67.417)
降雪量 cm (inch) 0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
平均降水日数 (≥0.5 mm) 8.2 9.1 13.0 12.3 11.3 12.3 10.4 7.4 11.8 13.3 10.6 8.7 128.4
平均降雪日数 4.5 6.0 1.7 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.9 13.1
湿度 62 64 68 74 82 88 90 87 84 77 72 66 76
平均月間日照時間 179.8 159.0 168.9 183.0 188.9 142.3 174.0 221.3 159.0 137.9 140.1 163.7 2,017.8
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1887年-現在)[36][37]

人口

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2020年令和2年)10月1日現在における銚子市国勢調査人口は58431人、世帯数は25544世帯である。銚子市では「銚子市しごと・ひと・まち創生総合戦略」を策定し、生産基盤の整備、人材育成、創業支援、洋上風力発電施設の誘致、シティプロモーションの推進、移住・定住の促進、子育てサービスの充実、地域包含ケアシステムの構築、長期滞在・交流型ワーケーション推進等の施策を進めており、取組にあたっては銚子市総合戦略検証委員会を設置して効果検証を行っている[38]

  • 年齢区分別人口(令和2年国勢調査
    • 総数(年齢不詳を含む) 58431人
    • 世帯数 25544世帯
    • 年少人口(0〜14歳) 4470人(7.7%)
    • 生産年齢人口(15〜64歳) 31241人(53.5%)
    • 老年人口(65歳以上) 22053人(37.7%)
    • 不詳 667人(1.1%)
  • 15歳以上就業人口(平成27年国勢調査)
 
銚子市と全国の年齢別人口分布(2005年) 銚子市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 銚子市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
銚子市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 90,415人
1975年(昭和50年) 90,374人
1980年(昭和55年) 89,416人
1985年(昭和60年) 87,883人
1990年(平成2年) 85,138人
1995年(平成7年) 82,180人
2000年(平成12年) 78,697人
2005年(平成17年) 75,020人
2010年(平成22年) 70,210人
2015年(平成27年) 64,415人
2020年(令和2年) 58,431人
総務省統計局 国勢調査より


隣接自治体

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歴史

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地名の由来

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銚子口と呼ばれた地形(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成した空中写真)

元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚子」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、元々は生薬を煎じるのに使われた土瓶やかんの類[注 2]。入口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる利根川河口の地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。

「銚子」という名が使われるようになったのは江戸時代(1700年頃)以降であり、それ以前は「飯沼」あるいは「三前」と呼ばれていた。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年明治22年)4月1日市制町村制が施行されてからである。

先史時代の銚子

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銚子半島に人間が暮らし始めたのは、約1万5千~2万3千年前の旧石器時代といわれている。水域や下総台地に近く、それぞれの場所の豊かな恵みを得やすい環境にあり、数千年もの長い間狩猟漁労を中心とした生活が営まれていた。粟島台遺跡や余山貝塚の出土品から当時の様子が伺い知ることができ、出土する縄文土器石器から、東北地方西関東等をはじめとする他地域との交易も読み取れる。

中世海上氏と都市の起源

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古墳時代の銚子周辺は、現在の霞ケ浦一帯に香取の海と呼ばれる内海が広がり、「古事記」などに記されている下海上国造の支配下で、海上郡に属していた。当地域を治める支配者たちは、香取の海を眼下に望む沿岸に古墳を造営した。現在、市内で把握されている最も規模が大きな古墳は、全長約35m、高さ約4mを測る前方後円墳の野尻1号墳で、この古墳を含む野尻古墳群には前方後円墳1基、円墳8基、方墳3基が確認されている。

平安時代に入り、武士が勃興するころになると、平忠常の子孫である豪族千葉氏の庶流である東氏(庶家、千葉六党)及び海上氏(庶家)が銚子地方を領有するようになり、建久年間に千葉常衡が海上与市を名のり、銚子地方の支配拠点として船木郷に中島城を築城したといわれている。室町時代になると、関東では新興勢力の後北条氏が覇を唱えるようになり、千葉氏とその一門である海上氏もこれに服属するに至った。そして安土桃山時代後北条氏は天下統一を志す豊臣秀吉によって小田原城に滅亡し、千葉氏一門も共に滅亡した。

飯沼観音の名前で親しまれている円福寺は、728年(神亀5年)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれ、海上氏の帰依も厚く、坂東三十三箇所二十七番札所に指定された。巡礼者や納経者が諸国から集まるようになると次第に門前町が形成され、室町時代末期になると旅籠茶屋遊女屋等が立ち並ぶようになり、現在の銚子の都市的起源となった[39]

374年(応安7年)の「海夫注文」(香取文書)には香取の海の南に位置した飯沼・荒野・垣根・野尻・森戸・笹本のが書上げられている。(船舶の停泊地)には地頭の支配下に海夫が居住し、魚介を供菜物として香取神宮に納めていた。または商品の積み下ろし地でもあり、1560年(永禄3年)には 九十九里方面からの塩荷が船木・野尻宿に下ろされるなど、船木や高田にもができ香取の海を舞台とする人々が活動していた。

銚子の海岸には、源義経が兄頼朝に追われ奥州に逃れる途中、一千騎を引き連れて洞窟にこもったと伝えられている千騎ヶ岩や外川浦から船で奥州へ逃れた後、浜に残された愛犬が義経を慕って7日7晩吠え続け、最後は岩になってしまったという犬岩、馬糞池等、義経にまつわる伝説が残されている。

利根川東遷と銚子の発展

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近世利根川水系の水運

1590年(天正18年)、徳川家康関東入国に伴い、松平伊昌が飯沼2000石を与えられ、銚子地域に知行した。江戸時代には現在の銚子市域は香取郡6村と海上郡35村から成り、その土地の多くは幕府領旗本知行地であった。1709年(宝永6年)には高崎藩領に、1717年(享保2年)には幕府領となり、再び高崎藩領となった。その後、銚子は江戸の発展に伴い交通の要地として経済上・軍事上重要度を増していき、明治に至るまで幕府直系の親藩である高崎藩の手に委ねられた。飯沼には陣屋が置かれ、郡奉行1名と代官2名が駐在した。

徳川家康は江戸市中を水害から守り、新田開発を行うため1621年(元和7年)から利根川の東遷事業を命じた。幾度もの改修工事を経て寛永年間(1624年1643年)に現在の流路に整えられ、江戸と銚子を結ぶ内陸水運路が開けた。1670年(寛文10年)、江戸幕府河村瑞軒に命じて奥州幕府直轄領から城米江戸に輸送する東廻り航路を開発し、太平洋沿岸の主要な湊を立務場に指定、銚子もその一つとなった。これが契機となり、銚子は東廻り海運で運ばれてきた東北諸藩の産米や北海道海産物高瀬船に積み換え、利根川水運江戸へ運ぶ物流基地となった。東北方面からの廻船の多くが利根川水運を利用したのは、従来の外海回り(房州回り)航路より安全で迅速であったためである。外洋利用者の寄港もあり、銚子は「東国一の港」と称され、江戸の外港として繁栄した。銚子湊は飯沼、新生、荒野、今宮、松本、本城、長塚、 松岸の8ケ村に渡り、その中心を担っていたのは飯沼から今宮の4ケ村である。特に荒野村には幕府や諸藩公認の御穀宿、各藩直系の藩蔵、民間船の世話をする船問屋、それより小規模な船宿等が整備され、幕末期には仙台米沢笠間等各藩の米蔵が7棟建ち並び、仙台河岸と称されていた。利根川を上下する高瀬船は飯沼49、高田38、野尻41の128隻を数え、飯沼村の廻船問屋は10軒余に及んだ。

陸上交通としては多古銚子道と銚子道があった。多古銚子道は銚子街道とも呼ばれ、延宝期までには成立し、商いの道として銚子地域と江戸を結んでいた。銚子道は木下河岸から飯沼村まで利根川に沿って走り、利根川水運の補助的な交通路として発達しつつ、沿線の村々とを結ぶ生活道路でもあったと考えられ、飯沼観音までの道程を示す石柱道標も見られる。

地場産業の発達

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銚子醤油仲間

徳川家康関東入国は、西と東の経済的交流を大幅に促進した。銚子にも諸国から人々が入り込むようになるが、その主要勢力の一つが紀州漁民である。漁業の新天地を求めていた彼らは、正保年代から新漁法を携えてこの地に来、半農半漁的な地元漁業を開拓し、漁業を銚子の主要産業にまで成長させた。始めは季節的な出稼ぎであったが、次第に定住するようになり、あるいはまた漁業から商工業に転ずる者もあって、銚子の商工業の発展に寄与することとなった。1656年(明暦2年)に銚子へ渡った﨑山治郎右衛門は、1658年(万治元年)に外川浦に移住し、築港や碁盤目状の街区整備、「紀州堀」と称される大井戸掘削等、画期的な都市計画事業を実施し、僅か20年で「外川千軒大繁盛」といわれるほどの繁栄を築いた。漁法正保慶安期の間に任せ網から八手網に代わり、漁獲されたは食用にされるよりも、そのまま乾燥させた干鰯や煮て圧搾した〆粕へと加工された。干鰯近世農業における最高の金肥であり、関西地方で栽培される綿花の肥料として需要が増大していた。川口神社から東側の浜辺一帯には干鰯場が広がっていたという。また〆粕の製造過程では灯火用の魚油がとれた。これらの流通の過程では仲買問屋が生まれ、漁業生産に関連して造船業や漁網製造業も発達した。

紀州からは漁業だけではなく、醤油醸造の技術ももたらされた。1616年(元和2年)に銚子の豪農で干鰯生産に携わっていた3代田中玄蕃が西宮海産物問屋である真宜九郎右衛門から醤油醸造の技術を伝授され、銚子の地で醤油醸造を開始した。現在のヒゲタ醤油である。また、1645年(正保2年)には紀州広村出身の濱口儀兵衛ヤマサ醤油の前身である広屋を創業している。温暖湿潤な気候であり、原料の大豆の生産地が近く、更に大消費地である江戸利根川水運により結びついたこと等、好条件に恵まれた銚子の醤油は「地廻り醤油」と呼ばれ、味も江戸庶民の嗜好に合わせた関東風の濃口醤油へと改良したことで需要を高め、元禄期に銚子の主要産業へと成長した。醸造業者はいずれも富裕で豪商というべき者も多く、文政年間には20軒があった。幕末期の1864年(元治元年)には銚子のヤマサ、山十、ヒゲタ、ジガミサを含む関東醤油7印が江戸幕府から最上醤油として認められた[40]

犬吠埼周辺や長崎海岸を中心に愛宕山中腹で採掘された砂岩は「銚子石」と呼ばれて古くは砥石墓石供養塔に用いられた。1856年(安政3年)には江戸へ3万斤送られた記録が残っている。

正保寛文期に海運関連業と漁業が勃興した銚子は、元禄期に入ると醤油醸造の産業化という新しい要素を加えて、享保年間(1716年1736年)に至るまでに農村から東国屈指の港湾都市へと急速な発展を遂げた。人口についても飯沼新生荒野今宮の4村だけで1万3千余を擁し、一般の農村の人口とは1桁違っていた。戦前の旧市域でみれば優に2万人を超える人々が生活していたと思われる。文化文政期にはその他商工業も盛んになり、これらの人々の衣食住健康娯楽あるいは教養文化を支える様々な業種も発達した。医療について見ると、1752年(宝暦2年)の飯沼村の医師数は13人で、医師1人当たりの人口は570人である。1956年(昭和31年)の全国統計では人口834人に対して医師1人の割合であるから、当時の銚子における都市化の進展が窺える。1841年(天保12年)銚子に遊んだ漢学者安川柳渓は今宮付近から飯沼観音に至る道筋を「市中の賑ひ、あきびとの見世棚、すき間もなくうちつづき、十まちばかりも来つらんが」と描写している。江戸末期の銚子の人口は江戸水戸に次いで関東3位であり、下総上総を合わせた中では第1位であった。

文人墨客の来遊

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歌川広重画『六十余州名所図会 下総銚子の濱外浦』

経済力を蓄えた銚子の有力商人は、利根川を通じた江戸との商いの中で江戸に支店を構え頻繁に江戸と銚子を往来し、文化人と交流した。海産物問屋・御殻宿として巨富を成した行方屋の大里庄治郎は自ら俳諧に親しんで俳号を桂丸とし、夏目成美小林一茶を銚子の自邸に招いて句会を開いた。江戸豪商古帳庵も銚子を訪れ「ほととぎす銚子は国のとっぱずれ」という有名な句を残している。このような交流の中で次第に銚子は江戸で流布していき、更に旅行案内書も出版されたことで文化文政期には江戸からの身近な旅行先として多くの学者文人墨客江戸庶民が物見遊山に訪れた。木下河岸から出航する木下茶船は東国三社詣の遊覧船として人気を博し、乗客は東国三社詣の後利根川を下り、銚子の磯巡りと称して飯沼観音を始めとした寺社海岸の奇岩、断崖、白砂、青松、怒涛等変化に富んだ明媚な風光を賞で清遊した。利根川河畔の松岸、本城、田中は花街として盛況を極めた。歌川広重作「六十余州名所図会」には「下総銚子の濱 外浦」と題して名洗濱が富士見の名所として描かれている。来銚した人々と在郷の知識人や経済人との交流によって銚子への江戸文化の流入と地域文化の醸成がもたらされた。銚子では宮内嘉長開創の「守学塾」等、幕末から明治にかけて私塾が相次いで立ち、各村には寺子屋も開かれ、市内には筆子塚が見られる。

信仰と祭祀

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かつての利根川河口は付近は川幅が狭いうえに水面下に岩礁が多く、波高の高い三角波により、当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良子渡合が恐ろしや」とうたわれ日本三大難所の一つに数えられていた。1614年(慶長19年)には鹿島灘方面へ出漁中であった漁師の多くが溺死した[41]利根川河口付近に築かれた「千人塚」は水難で命を落とした人々の慰霊の場所で、かつてはこの塚の上で焚火をして帰りが遅い漁師の目印にしたと言われる。銚子には「銚子の川口てんでんしのぎ」という言葉もあり、川口の難所では自分の船を守るだけで精一杯という厳しい状況であった。出船入船を望む高台にある川口神社銚子港の守り神として漁業者からの信仰が篤く、毎年旧暦6月15日には大漁と航行の安全を祈願して大潮祭りが行われる。

銚子大漁節

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1864年(元治元年)春、銚子では未曾有の豊漁が続き、港はイワシの銀鱗で埋め尽くされた。この豊漁を祝うため大漁祭を催すことになり、飯貝根の網元網代久三郎と飯沼の松本旭江と俳諧師石毛利兵衛の三人が、松本家の離れ座敷・夏蔭庵に集って歌詞を合作し、常磐津師匠遊蝶が作曲、清元師匠きん子が振付して「銚子大漁節」が作られ、川口神社に奉納された。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は「漁師の数え歌」として英訳し、海外に紹介している。

銚子大漁節
一つとせ 一番ずつに積み立てて 川口押し込む大矢声 この大漁船
二つとせ 二間の沖から外川まで 続いて寄り来る大鰯 この大漁船
三つとせ 皆一同に招をあげ 通わせ船の賑やかさ この大漁船
四つとせ 夜昼焚いても焚き余る 三杯一丁の大鰯 この大漁船
五つとせ いつ来てみても干鰯場は あき間もすき間も更になし この大漁船
六つとせ 六つから六つまで粕割が 大割小割で手に追われ この大漁船
七つとせ 名高き利根川高瀬船 粕や油を積み送る この大漁船
八つとせ 八手の沖合若衆が 万祝揃えて宮参り この大漁船
九つとせ この浦守る川口の 明神ご利益あらわせる この大漁船
十とせ 十を重ねて百となり 千を飛びこす万漁年 この大漁船

文明開化と犬吠埼灯台

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藤島武二筆『犬吠岬の灯台』

幕末、銚子には異国船打払令による海岸防備のため、川口、長崎、高神に砲台が設置された。1864年(元治元年)には水戸藩士による天狗党事件が起こり、1868年(慶応4年)、榎本武揚が率いる旧幕府軍の艦隊8隻が函館に向かう途中で暴風雨にあい、その内の1隻である美加保丸が黒生沖で座礁・沈没、13名が死亡する等、幕末の銚子は騒然たる様相を呈した。ヤマサ醤油7代目当主濱口梧陵は銚子で開業していた医師関寛斎と共に銚子でのコレラ防疫と治療に尽力した他、佐久間象山勝海舟福澤諭吉らと活発に交流した。自分の田に火を放って津波の襲来を村人に知らせた「稲むらの火」の逸話でも知られる。1869年(明治2年)に銚子は宮谷県の管轄となり、県庁は大網白里に置かれ、飯沼陣屋に支庁が置かれた。1872年(明治5年)に新治県に編入されたが、1875年(明治8年)に廃されて千葉県となった。

新政府が推進する文明開化の波は銚子にも及び、西洋文明を採り入れた新施設の建設が相次いだが、その先駆けとなったのが犬吠埼灯台であった。日本における西洋式灯台の建設は江戸幕府が西欧4ケ国と締結した改税約書第11条に始まる。明治に入り条約灯台が次々に稼働するようになると、新政府は灯台船舶の航海安全のため、条約に取り決めた数にかかわらず外国人と協議の上で灯台を建設することとした。これにより横浜北米航路間の貿易船に対して必要な箇所として、犬吠埼の断崖に西洋型第1等灯台を建設することが決定した。建設はイギリス人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計・監督の下に進められた。建材中最も多量に必要とした煉瓦は、 ブラントン日本製は品質粗悪であるとしてイギリス製を使用すべきとしたが、 当時イギリス製の煉瓦は非常に高価であった。このため日本人技師の中沢孝政は日本製の使用を主張、良質の粘土を求めて利根川を遡り、新治県香取郡高岡村に良質の土を発見し、日本煉瓦の完成に腐心した結果、 外国製に遜色のない優良な煉瓦を完成させた。灯台・付属舎・宿舎には19万3千枚の煉瓦が使用された。地震が多い日本において煉瓦構造を支えるため二重壁構造や帯鉄を挿入するなど、当時の先進的技術が取り入れられて1874年(明治7年)に初点灯し、新時代の到来を告げた。犬吠埼灯台には毎日のように200人ほどの見物人が各地から訪れたと伝えられている。同時に濃霧時や降雪で灯台の光が遠方まで届かない折に音で船舶灯台の位置を伝える霧信号所も設置され、30秒毎に5秒の霧笛を鳴らしていた。かまぼこ型屋根の霧笛舎には創業間もない官営八幡製鉄所製の鉄が使用されている。

1886年(明治19年)には地元有志が私立銚子測候所を開設。1908年(明治41年)には逓信省日本最初の無線交信基地である銚子無線電信局を開局し、横浜からシアトルへ向けて航行中の丹後丸が受信した。これが海岸局と船舶局との間における日本最初の無線電報とされている。敷地内には約70mの鉄製の柱が聳え、犬吠埼灯台と共に銚子の誇りとなっていた。

交通・産業の近代化

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明治末頃のヒゲタ醤油工場

明治維新により幕藩体制は崩壊し、その上に成り立っていた東北地方江戸を結ぶ海運は急速に衰退、東北諸藩からの廻船やそれに関係する物資船舶の往来は途絶した。一方、利根川水運明治以降も残り、1874年(明治7年)に高瀬船に代わり蒸気船がいち早く導入され、利根川水運の一層の利便化が図られた。1881年(明治14年)には銚子汽船株式会社が設立され、蒸気船による銚子-東京間の定期航路が開かれ、銚子丸を始めとする7隻の外輪船利根川を上下するようになった。そして1897年(明治30年)に佐倉-銚子間の総武本線が開通して東京本所と結ばれた。1900年(明治33年)には駅東側に新生貨物駅が新設された。

鉄道網の整備は鮮魚消費市場の飛躍的な拡大をもたらし、明治末期には漁船の動力化が始まり、その後大型化や漁具漁船等の改善も加わって漁業の近代化が進んだ。いわし漁は八手網からあぐり網での漁となり、さんま漁やかつお漁、まぐろ漁も盛んとなった。また、漁業に関連して造船業・鉄工業・製網業・撚糸業・漁船発動機製作・水産加工業も発展し、銚子は水産業を基幹産業として再び発展の道を歩み出した。

当時国内最大規模にあった醤油醸造業では、1893年(明治26年)にヤマサ醤油10代目当主濱口梧洞が国内初の醤油研究所を開設し、手工業的な要素が強かった製造方法の近代化に取り組んだ。また市内の各醤油醸造業者も機械化工業化に取り組み、生産の効率化が図られた。

銚子では江戸時代中頃から甘藷栽培が盛んとなっていたが、1889年(明治22年)に本銚子町の石橋重兵衛が蘇我町から講師を招き、澱粉作りを習得して以降は、甘藷を原材料とした澱粉生産が増加していった。当初は小規模で農業の副業という程度であったが、有力な農家によって製造工場が相次いで建設され、1907年(明治40年)に27軒であった澱粉製造業者は1914年(大正3年)には67軒と急増し、大正時代前期までに醤油醸造業に次ぐ一大産業へと成長した。

こうした産業の発展に伴って大手銀行支店の進出、地元銀行の設立等、金融機関の開設も多くなり、1914年(大正3年)には8行を数えるに至った。の出先諸官庁も設置され、銚子は千葉県東部における政治経済の中心都市としての機能を備えていった。1889年(明治22年)、町村制にともない、飯沼村が本銚子町と改称、荒野、新生、今宮の3村が合併し銚子町に、また、長塚、松本、本城の3村が合併し伊豆原村と改称したのち1891年(明治24年)に西銚子町となった。

避暑地としての歴史

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川瀬巴水『犬吠の朝』(1931年・昭和6年)

犬吠埼周辺は景勝地として古くから著名であったが、明治初期、西洋から健康増進のために海水浴が効果的であるという考え方が導入されて酉明浦一帯が海水浴場として開かれ、灯台見物と相俟って犬吠埼は一大観光地へと発展した。1885年(明治18年)には銚子の有力者が潮湯治客を相手にした海水浴旅館として暁雞館を創業した。以来銚子の迎賓館として皇族政治家財界人文人墨客が数多く宿泊した。

1912年(大正元年)夏には、暁雞館に宿泊していた高村光太郎長沼智恵子と出会った。光太郎智恵子を以前から知っており、この夏の犬吠埼で2人の間に強い繋がりが生まれた。詩集「智恵子抄」に付されている「智恵子の半生」にこの夏のことが書かれている。

丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来ていて又会った。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若もし私が何か無理な事でも言い出すような事があったら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだったという事であった。私はそんな事は知らなかったが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまったく子供であった。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかという予感をふと感じた。

この出会いの後智恵子は熱烈な手紙を書き送り、光太郎も「此の人の外に心を託すべき女性は無いと思ふやうに」なって、やがて結婚した。

暁雞館の南側にはかつて海水浴旅館の「水明楼」があり、明治を風靡した文豪の一人、徳富蘆花は「枕を撼かす濤声に夢を破られ、起って戸を開きぬ。時は明治二十九年十一月四日の早暁、場所は銚子の水明楼にして、楼下は直ちに大東洋なり。」に始まる「自然と人生」の一編「大海の出日」において、水明楼から見た太平洋に昇る日の出を、華麗で緊迫した文語体で微細に描き出した。「自然と人生」は当時のベストセラーとなり、自然を見る新しい目は旧来の花鳥風月の美意識を覆した。特に「雑木林」と「大海の出日」は明治の青年に衝撃を与え、犬吠埼の日の出へと人々を誘った。

こうした状況の中、伏見宮家別邸の用地として犬吠埼の地が選定され、1904年(明治37年)に瑞鶴荘が建設されている。敷地には主屋、茶室、潮見亭、撞球場などの建物があり、これらの建物や庭園は海岸の風景を借景とした設計がなされていた。伏見宮貞愛親王は66歳で没するまで毎年避暑や避寒のため銚子を訪れ、瑞鶴荘に滞在したとされる。

総武鉄道株式会社は銚子から外川への路線延長を計画し、1901年(明治34年)に免許を取得したが、用地取得の失敗により敷設を断念し、1904年(明治37年)に工事は中止された。その後、1909年(明治42年)に濱口吉兵衛、13代田中玄蕃、小野田周斎ら地元財界人が銚子人車鉄道の計画を申請したが、1912年(明治45年)には人車よりも輸送力の大きい、銚子・犬吠埼間を結ぶ本格的な蒸気鉄道敷設の申請へと転換した。この申請は政府の免許を受け、1913年(大正2年)に銚子遊覧鉄道株式会社が設立され、同年12月に銚子—犬吠間が開業した。しかし収支は毎年度赤字が続き、政府補助金の交付を受けて辛うじて黒字経営を保っていた。1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦の影響で鉄鋼類の価格が高騰すると、遊覧鉄道はレールや車両を売却して利益を得る方針を採り、1917年(大正6年)に開業から僅か4年で廃止された。残った旧線路用地は暁雞館自動車部の宿泊客送迎用バスの専用道路として利用された。

その後、1921年(大正10年)に旧遊覧鉄道発起人により再度、銚子鉄道の敷設願いが提出され、1922年(大正11年)に免許を取得、1923年(大正12年)に外川まで延伸、開通した。銚子鉄道の路線のうち銚子・犬吠間は遊覧鉄道の旧路線をそのまま使用し、犬吠・外川間は新たに延長したものである。当初使用していたガソリン機関車は故障続きであったため1925年(大正14年)には電化開業している。

このように犬吠埼周辺の観光開発の気運が盛り上がっていた中、銚子鉄道の出資者で、仙台出身の資本家であった武田辰之助は銚子に移住後、1921年(大正10年)頃、海鹿島を保健別荘地区として開発造成して売り出した。海鹿島の名は沖の岩礁明治時代まで見られたというアシカに由来し、大小無数の岩礁が作り出す明媚風光文人を魅了した。

大正浪漫を代表する叙情画家である竹久夢二は、海鹿島を訪れた際に次の詩を作っている。

宵待草
待てど暮せど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな

竹久夢二は1910年(明治43年)に海鹿島を訪れ、宮下旅館に間借りをした。夢二はそのとき隣家の次女であった長谷川賢を見そめ、彼女を散歩に誘い出すことに成功した。海鹿島の松林の中には犬吠埼灯台へ行く白い路が延びており、夢二はここを通い路と名付け、逢瀬を重ねた。夢二は翌年再び海鹿島を訪れたが、賢はすでに鹿児島の教師のもとへ嫁入りをしていた。この詩は、夢二が失望のあまり当てもなく海鹿島海岸をさまよっていた時、海岸に咲き乱れる宵待草によせてわが身の悲恋をうたったものである。原詩は今の3行詩の形に改められて、1923年(大正12年)発行の「どんたく」に掲載された。これにヴァイオリン奏者・多忠亮がメロディーをつけて、一世を風靡した。

河童の絵で有名な日本画家の小川芋銭は、1923年(大正12年)、後援者であった篠目八郎兵衛の勧めにより、海鹿島海岸の高台にある篠目別荘で休息した。芋銭は逗留中に「樹間如水人如魚」や「水魅戯」を描き、海鹿島海岸に魅せられた。翌年、海鹿島を再度訪れた芋銭は篠目別荘を「潮光庵」と名付けて半年間逗留し、その後も毎年のように来て、多くの名作を描いた。1933年(昭和8年)、芋銭は皇太子明仁親王の誕生を賀して、次の句を詠んでいる。

大海を飛び出づる如と初日乃出
銚子灘朝暾

女流作家平林たい子大正末期に短い期間であったが文学仲間と銚子で流浪の日々を送ったことがあり、そのときのことを自伝小説「砂漠の花」に書いている。銚子に流れてきたときの平林たい子プロレタリア文学を志しており、同行の仲間はアナーキスト・グループの仲間で、海鹿島の別荘を借りて滞在していた。彼女は銚子のレストラン「巽軒」で働いていたが、これと前後して、同じ女流作家の林芙美子も近くの「第二仙松軒」というカフェー女給をしていたことがあった。林芙美子は1940年(昭和15年)に君ヶ浜の杉山平助別荘に泊まり、潮騒に眠りを妨げられるまま壁面に「激しく寝がへを打ちてかへりゆく波のうねり、犬吠の岬に来て何も忘れ果てたり」と鉛筆で書きつけたと伝えるが、建物は失われた。

この他、銚子には明治から昭和にかけて、島崎藤村与謝野晶子若山牧水佐藤晴夫高浜虚子久米正雄前田夕暮田山花袋尾崎紅葉吉田絃二郎窪田空穂大町桂月斎藤茂吉岡倉天心中里介山内田百閒ノーマン・メイラーら数多くの文人歌人が訪れている。

また、銚子は国木田独歩を始め、「大日本国語辞典」を刊行した国語学者松井簡治、画家で詩人の宮崎丈二講談社専務取締役を勤めた尾張真之介らの文学者を輩出している。

財団法人公正会

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1925年(大正14年)、ヤマサ醤油10代目当主濱口梧桐は学校教育における人物養成の不完全性に目を注ぎ、人物養成のために、私財30万円を投じて財団法人公正会を設立した。「公正」という名前には、私事を捨て大衆を基とし、最も公平に正しく運営するという理念が込められているとされた。翌年には住民のための図書館、勤労青少年を対象とする補修的な夜間学校及び集会場を併せ持つ公益的な施設として、公正会館を開館した。鉄筋コンクリート2階建ての瀟洒な建物で、低い石の柵に囲まれた植込みのある前庭がゆっくりと取られ、銚子における文化の殿堂として、市中の盛り場とは違った香り高い雰囲気をかもし出した。 1階は図書館教室事務室、2階は約500人収容のステージ付き大ホールになっており、会館では講堂と呼んだ。

図書館は閲覧室が3室あり、蔵書は開館時400冊で、文学書の他「国史大系」や「続群書類従」「広文庫」「史料綜覧」等の学術書も多くあった。その他、開架式の閲覧方法や館外貸出しも利用者に大きな利便を提供し、銚子の文化の向上に裨益するところが大であった。公正学院は働く青少年中等学校程度の教育を施そうというもので、今日の定時制高校に相当した。公正会主催の事業は講演会、講座展覧会、音楽会、芸能会その他多数で、講演会には各界一流の人々が中央から招かれた。当時の講師の揮毫帖を見ると、作家でいえば巖谷小波菊池寛舟橋聖一等のクラスが来銚している。会場は常にほとんど満員で、銚子にも知的に飢えた人々が多かったと見ることができ、その欲求にこたえた事業の意義は大きかった。こうした催しの他に、公正文化会や公正母の会、あるいは子供会・読書会というような会員制グループ活動も推進していた。このような活動を創意し展開できたのは、東京帝国大学出身の文学士であった初代館長兼学院長の小山文太郎の功績によるところが大きい。

1945年(昭和20年)3月銚子空襲により街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は奇跡的に残り、臨時病院として使用された。1948年(昭和23年)、公正会は施設一切を市に寄付して解散し、20年余にわたる歴史に終止符を打った。寄付後の公正会館は銚子市公正市民館及び銚子市公正図書館となった。「公正」の名をとどめたのは、財団法人公正会とその創立者濱口梧桐を永く記念するためである。

近代漁港の建設

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銚子醤油株式会社社長・浜口吉兵衛

江戸時代銚子港は主として商港として興り商港として発展したもので、漁業根拠地たることは二次的なものでしかなかった。明治維新によって幕藩体制が崩壊すると、従来のを中心にした物資の流通に大きな変化が起こって東廻り海運は急速に衰退した。また、鉄道が発達すると河川を利用していた運輸も衰え、昭和初期までに銚子港の商港機能は全く失われることとなった。この頃我が国の漁業漁船の動力化・大型化と漁法の改良によって沿岸漁業から沖合漁業への発展期にあり、銚子港は全面的にその根拠地として大きく機能するようになった。しかし大正期に入っても銚子港の形態はほとんど天然のままの河口であり、僅かに沿岸の海岸のところどころに防波用の合掌枠や桟橋が設けられていた程度であった。港口の出入りには危険が伴い、漁船の遭難が繰り返されていた。そのうえといっても接岸できる岸壁はなく、漁船は岸を離れた深みに停泊し、陸とは伝馬船で連絡する状態であった。その陸上にも漁港施設はあまりなかった。そこで近代的な漁港を建設して航行の危険を除くとともに、施設の整備により地元船ばかりでなく廻船を誘致し、銚子の新たな発展の基盤にしようとしたのである。折しも銚子沖が全国屈指の漁場であることが分かり、岩手県宮城県和歌山県にいたる各地から多くの漁船が集まるようになり、銚子港は東部太平洋岸の主要漁業基地として認識されつつあった。

このため築港事業は漁業関係者の一致した認識となり、1919年(大正8年)には具体的な実現運動に発展した。その結果政府銚子港の重要性を認め、我が国の水産業の発展という大局的な見地から一大整備を行うこととなった。銚子醤油株式会社社長の濱口吉兵衛[42]は、代議士の立場から築港の促進を図るため衆議院議員選挙に立候補して当選し、在任中、政党を動かして議会政府に働きかけた。当初の計画による銚子漁港の規模は外港・中港・内港を有する壮大なもので、外港は夫婦ヶ鼻東方に突き出す北防波堤と黒生北方に建設する南防波堤で囲み、これと河口側の内港運河を掘って結ぶというものであった。工事は1923年(大正12年)度から10か年継続とし、総工事費1千万円を千葉県の他に将来銚子漁港を利用する東京・神奈川・静岡・愛知・三重・宮城・福島・茨城の各府県で分担することとなった。しかし各府県の財政事情によりこの案は廃され、国庫補助金500万円に県下の寄付金、魚市場の売上等を合わせて、千葉県単独で実施することとなった。これに至るまでには、銚子町選出の県会議員小野田周斎の努力があった。

だが予想外の問題が起こって、事態は頓挫してしまった。起債の許可と工事施行の認可が容易に下りようとしなかったのである。これらの許認可は内務省の所管であったが、利根川河口の沿岸を埋め立てたり、河中に堤防等を構築することは治水上重大な影響を及ぼすとして、農商務省の設計による築港工事を認めようとしなかった。両省の意見の食い違いは、事が科学的・技術的な問題であるだけに容易に解決を見ることができず、折から1923年(大正12年)に関東大震災が発生して国はその対策に追われ、事業開始は遅れるばかりであった。銚子はその将来に関わる重大な問題であるだけに、衆議院議員選挙に再出馬して当選した濱口吉兵衛や香取郡から再選された今井健彦を動かし、内務省や農商務省に働きかけた。その労が実り、1925年(大正14年)、部分的に第二船溜まりの工事が認可された。

起工式は1925年(大正14年)11月21日飯沼魚市場において挙行され、全市挙げての祝賀提灯行列が開催された。ここに銚子近代化の最初の槌音が高く鳴り響いたのである。工事には当時としては新鋭のドイツ製の浚渫船や杭打ち船が配置されて、新生飯沼町地先のさざ波が寄せる天然の岸辺は広大な埋立地に生まれ変わっていった。だが他の工事は依然として認可に至らず、県は大幅に計画を変更して外港・中港・航路の建設を取り止め、その代わりに龍ノ口と一の島間に防波堤を構築し、内港に新たに第三船溜まりを設けることとした。この計画変更と工事施行は1932年(昭和7年)にほぼ全面的に認可され、銚子の長年の宿願が果たされた。そしてこの年から、工事は第一船溜まり外港へと延びていった。なお、この年には既に埋め立ての成った第二船溜まり後背地に東洋一を誇る新魚市場が完成した。この魚市場戦後1965年(昭和40年)まで、銚子漁港の中心施設として大きな役割を果たした。1934年(昭和9年)度からは埋立地を貫通する延長5500mに及ぶ臨港道路の建設が始まり、銚子漁港の大動脈となった。これらの築港工事により、かつてさざ波が打ち寄せる砂浜であった利根川河畔は、車や人が激しく行き交い、岸壁には大小無数の漁船マストを林立させる近代的な漁港へと変貌していった。

沿革

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海上郡銚子町 C 銚子市
海上郡本銚子町
海上郡伊豆原村 B 海上郡西銚子町
海上郡豊浦村
海上郡高神村 D
海上郡海上村
海上郡船木村 E
海上郡椎芝村 A 海上郡椎柴村
香取郡豊里村 F
海上郡豊岡村 G
B 1891年(明治24年)8月14日
D 1937年(昭和12年)2月11日
E 1954年(昭和29年)4月1日
F 1955年(昭和30年)2月11日

市制施行前

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銚子市政の歩み

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行政区域変遷

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  • 変遷の年表
銚子市市域の変遷(年表)
月日 現銚子市町域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年) 4月1日 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足。[43]
  • 海上郡
    • 銚子町 ← 新生村・荒野村・今宮村
    • 本銚子町 ← 飯沼村が単独で町制施行
    • 伊豆原村 ← 松本村・本城村・長塚村
    • 豊浦村 ← 小川戸村・辺田村・三崎村
    • 高神村 ← 高神村が単独で村制施行
    • 海上村 ← 松岸村・垣根村・四日市場村・余山村・柴崎村・高野村・三宅村・赤塚村
    • 椎芝村 ← 野尻村・小船木村・塚本村・忍村・猿田村
    • 船木村 ← 高田村・芦崎村・岡野台村・船木台村・三門村・中島村・正明寺村
    • 豊岡村 ← 塙村・八木村・小浜村・親田村・常世田村
  • 香取郡
    • 豊里村 ← 下桜井村・富川村・下森戸村・諸持村・宮原村・東笹本村
1891年(明治24年) 1月26日 椎芝村は改称し椎柴村になる。
8月14日 伊豆原村は町制施行・改称し西銚子町になる。
1933年(昭和8年) 2月11日 銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村が合併し銚子市が発足。
1937年(昭和12年) 2月11日 高神村・海上村は銚子市に編入。
1954年(昭和29年) 3月31日 豊岡村の一部(塙と八木の一部)が飯岡町と三川村と合併し、飯岡町が発足。
4月1日 船木村・椎柴村は銚子市に編入。
1955年(昭和30年) 2月11日 香取郡豊里村は銚子市に編入。
1956年(昭和31年) 4月10日[矛盾][矛盾] 豊岡村は銚子市に編入。
1958年(昭和33年) 飯岡町の一部(三川の一部)は銚子市に編入。
  • 変遷表
銚子市市域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略)
1868年
以前
明治22年
4月1日
明治22年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
海上郡 新生村 銚子町 銚子町 昭和8年2月11日
銚子市
銚子市 銚子市
荒野村
今宮村
飯沼村 本銚子町 本銚子町
松本村 伊豆原村 明治24年8月14日
西銚子町
町制改称
本城村
長塚村
小川戸村 豊浦村 豊浦村
辺田村
三崎村
高神村 高神村 高神村 昭和12年2月11日
銚子市に編入
松岸村 海上村 海上村
垣根村
四日市場村
余山村
柴崎村
高野村
三宅村
赤塚村
高田村 船木村 船木村 昭和29年4月1日
銚子市に編入
芦崎村
岡野台村
船木台村
三門村
中島村
正明寺村
野尻村 椎芝村 明治24年1月26日
椎柴村に改称
小船木村
塚本村
忍村
猿田村
小浜村 豊岡村
の一部
豊岡村の一部 昭和31年7月1日
銚子市に編入
親田村
常世田村
八木村の一部
香取郡 下桜井村 豊里村 豊里村 昭和30年2月11日
銚子市に編入
富川村
下森戸村
諸持村
宮原村
東笹本村

政治

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施策

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次世代エネルギー産業

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洋上ウインドファーム
 
クリーンモビリティ

銚子市沖は、年平均風速7.0メートル毎秒以上と風況に恵まれているほか、水深20〜30メートルの遠浅の海が続き、着床式洋上風力発電の導入に適した自然環境となっている。2020年令和2年)7月21日、銚子市南沖合の海域(3948.7ヘクタール)が「海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律」(再エネ海域利用法)に基づく促進区域に指定され、2021年(令和3年)12月には、促進区域における洋上風力発電事業者として、三菱商事株式会社等のコンソーシアム「千葉銚子オフショアウィンド」が選定された。2028年(令和10年)9月に13メガワットの大型風車31基が運転開始する計画であり、総発電出力は403メガワットが見込まれている。促進区域に隣接する名洗港について、港湾管理者である千葉県は、洋上風力発電事業の建設補助・維持管理の拠点港湾としての活用に加え、風車景観とジオパークが調和したエコツーリズム拠点の形成等を目指し、港湾計画の改訂を行った。銚子市、銚子市漁業協同組合及び銚子商工会議所では、2020年(令和2年)9月16日に「銚子協同事業オフショアウインドサービス株式会社」(C-COWS)を共同設立し、洋上風力発電による経済波及効果を長期間にわたって地域に還元するための体制構築を進めている。こうした中、銚子市は2021年(令和3年)2月16日2050年(令和32年)までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロとする「ゼロカーボンシティ」を表明し、取組の方針や地域の特性を活かした実効性の高い再生可能エネルギーの導入目標、カーボンニュートラルの構築につながる取組を盛り込んだ「銚子市ゼロカーボンビジョン」を策定した。市はこの計画に基づき、地域新電力「銚子電力株式会社」と連携した再生可能エネルギーの地産地消システム(マイクログリッド)の構築、ICTを活用した漁場の可視化や藻場の育成による海洋環境の保全、AI(人工知能)やロボットを活用したスマート農業の推進、災害時の移動電源としても活用されるEVPHEVFCVの市内導入、都市緑化やブルーカーボン生態系による二酸化炭素吸収源対策等を進め、豊かな自然環境と共生したエネルギー産業の先端都市の実現を目指している[44]

子育て支援サービス

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銚子市保健福祉センター・すこやかなまなびの城

銚子市では、2020年(令和2年)度に「銚子で生まれ育ち良かったと思えるような地域で支える『子育てのまちづくり』」を基本理念とした「第2期銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定し、子育てファーストのまちづくりを推進している。銚子市子育て世代包括支援センター「すくサポ」は、妊娠時から子育て期にわたるまでの相談・支援等を提供する場として、銚子市保健福祉センター・すこやかなまなびの城に設置されている。「すくサポ」では、保健師・母子保健コーディネーター・子育てコンシェルジュ等の専門職が妊娠・出産・産後・子育てに関する相談等に応じるほか、家庭相談員が家庭における適切な児童の養育や児童福祉に関する相談に応じている[45]。また、市では生後4か月までの乳児のいる全家庭を訪問し、子育ての情報提供・不安や悩み等の相談を行う「こんにちは赤ちゃん訪問事業」(家庭訪問)を実施し、乳児の成長と育児の支援を図っている。銚子市保健福祉センター・すこやかなまなびの城では、3か月児、9か月児、1歳6か月児、3歳児を対象とした健康診査等を実施しているほか、予防接種離乳食教室、虫歯予防教室等を開催している。市内では、子育て広場(1か所)、地域子育て支援センター(4か所)において保護者の相談や交流の支援を行うとともに、保育所(11か所)、放課後児童クラブ(11か所)等で働く保護者のサポートを実施している。このほか、銚子市では「ふるさと納税」受入額を活用して「銚子市子ども未来基金」を創設し、18歳までを対象とした子ども医療費助成、インフルエンザ予防接種助成、ファミリー・サポート・センター事業、産後ケア事業、出産・子育て応援ギフト(給付金)支給等を実施している。2024年(令和6年)度からは学校給食費の無償化を開始し、さらなる子育て支援サービスの充実を進めている[46]

ワーケーション

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屏風ヶ浦

銚子市は2017年(平成29年)度から、総務省委託事業として「お試しサテライトオフィスモデル事業」を実施した。豊富な観光資源・食資源・地場産業と都心からのアクセス利便性を活かしたサテライト・オフィス環境の整備、勤務形態に係る多様なニーズに応えるための多種多様なお試し勤務地の整備、地域事業者・人材との交流や観光・開発合宿による地域の魅力体験等により、産業・経済の活性化と若者のための「しごとづくり」を推進するものであった。行政担当職員、地元事業者、再委託事業者が個別に有する都市部企業とのネットワーク等を最大限に活用したことで、順調にお試し勤務企業数を伸ばし、企業数は計48件と目標値を大幅に上回った。IT系コンサルティング系企業のほか、シェアオフィス運営、流通業、製造業、音楽・アニメ製作等、その業種は多岐にわたった。SNSを駆使したお試し勤務状況のリアルタイム配信のほか、地元事業UJIターンのマッチングを促す特設サイト「Seeゴトバ」の構築等、デジタル的なアプローチの充実も、多くのお試し勤務企業の確保につながった。銚子市では、お試し勤務企業を通じて2社のサテライト・オフィス進出企業を確保した。東京から電車で1本というアクセス利便性に加え、銚子市が有する独自の地域資源、さらにはそれを運営・管理する地元団体を巻き込んでお試し勤務の誘引を行ったことが、これらの企業確保の大きな要因であった[47]。また、市独自の企業誘致の施策として、2017年(平成29年)3月から「銚子市企業立地等促進事業補助金制度」を実施し、銚子市に進出する企業に対し、固定資産税相当額の補助や雇用創出に応じた補助金を交付している。また、工場の建替等、一定規模以上の規模の再投資を行う既存企業に対しても補助金の交付を実施している。

市役所

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銚子市庁舎
  • 銚子市役所:銚子市若宮町1番地の1

銚子市庁舎は、1973年(昭和48年)11月19日に着工し、1975年(昭和50年)に竣工した。新市庁舎の建設に当たっては、市庁舎は住民自治の本拠であるとの考え方から、市民の利益を本位とする市民サービスセンターとして、市民から親しみをもって利用されることが建設の重点に置かれた。庁舎は鉄筋コンクリート造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)地上8階、地下1階建で、庁舎棟、議会棟、付属棟の3棟から構成されている。市民窓口は庁舎棟の下層階に配置され、模写電送装置コンピュータの導入により、窓口事務処理の合理化とスピード化が図られた。また、庁舎棟1階には各種相談の窓口としての市民相談センターが設置され、議会棟1階には市民との対話の場として市民ホール、展示ホールが設けられた。議場をはじめ議会関係の室は議会棟の2・3階に配置され、傍聴席のほかに、市民ホールにモニターテレビを設置して市議会の傍聴者が多数の場合の便宜を図っている。2022年(令和4年)度には、災害発生時の拠点施設としての機能維持を図るため、SRF工法による耐震補強工事が実施された。

出張所

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出張所は、市町村がその権限に属する事務を分掌させるため、必要な地に設ける出先機関であり、銚子市では2か所の出張所を設けている。

  • 銚子市役所豊里出張所
  • 銚子市役所豊岡出張所

行政計画

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銚子市においては、1961年(昭和36年)に実施した「市勢振興調査」が、既存産業の一層の発展とあわせて大工業化、新産業創設を提起し、これを受けて「銚子市長期計画」が策定された。その後、「地方自治法」の改正にあわせて、1973年(昭和48年)6月に「銚子市基本構想」を定めて以後、様々な地域発展策を盛り込んだ基本構想を数次にわたって策定してきた。

  • 銚子市長期計画:1966年(昭和41年)3月策定
  • 銚子市基本構想「住みよい豊かな文化・産業都市」:1973年(昭和48年)6月策定
    • 銚子市基本計画:1973年(昭和48年)6月策定
    • 銚子市第2次基本計画:1978年(昭和53年)3月策定
  • 銚子市総合計画基本構想「活力と魅力ある東総の中核都市」:1985年(昭和60年)6月策定
    • 銚子市新総合計画基本計画「活力と魅力ある東総の中核都市をめざして」:1986年(昭和61年)2月策定
    • 銚子市新総合計画第2次基本計画「人の住むための豊かな都市づくりにむけて」:1990年(平成2年)3月策定
    • 銚子市新総合計画第3次基本計画「活き活きとした温かいまち・銚子」:1995年(平成7年)2月策定
  • 銚子市総合計画基本構想「銚子ルネッサンス2025」「ひとがときめき 海がきらめき 未来輝く都市(まち)」:2000年(平成12年)12月策定
    • 銚子市総合計画「銚子ルネッサンス2025」第1次基本計画:2001年(平成13年)3月策定
    • 銚子市総合計画「銚子ルネッサンス2025」第2次基本計画:2007年(平成19年)11月策定
  • 銚子市総合計画基本構想・基本計画「握手~つながる まちづくりのちから~」:2019年(平成31年)3月策定

2015年(平成27年)10月には、国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を踏まえた銚子版総合戦略として、5か年の基本戦略と具体的施策をまとめた「銚子市しごと・ひと・まち創生総合戦略」が策定された。「しごとづくり」を第1の目標とし、官民連携、異業種間連携、政策間連携を進めながら、市民をはじめとした多様な主体によるまちづくりを目指すものであった。また、人口ビジョンに掲げた成長戦略を実現し、人口の将来展望を達成するため、「稼ぐ力」所得アップ産業創出プロジェクト、郷土定着・移住促進プロジェクト、「まちの宝」子ども育成・高齢者健康活躍プロジェクト、地域力・市民力応援プロジェクトの4つの基本戦略が総合戦略の柱とされた[48]

2019年(平成31年)3月には、総合戦略を含めた一体的な計画として「銚子市総合計画」が策定された。策定にあたっては、5回にわたる市民ワークショップが開催され、市民参加型の総合計画づくりが進められた。「握手~つながるまちづくりのちから~」が全体を貫くビジョンとされ、市民自治と協働の視点を強く盛り込んだ計画となった。また、生活者である市民の目線に立ち、生活と時間(ライフステージ)、生活と空間(コミュニティ)という2つの視点からまちづくりが捉えられた。重点プロジェクトとしては、銚子の強みを生かした雇用の創出、自然(再生可能)エネルギーの活用促進、質の高い子育て支援と文教都市の形成、多様な主体が支え合いながら安心して生活できる地域づくりの推進、広域幹線道路網の開通による道路ネットワークの確立が掲げられた。計画の期間は2019年(平成31年)度から2028年(令和10年)度までの10年間とされた[49]

市長

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市長は市の執行機関として、市を統轄代表し、市の事務を管理執行する地位にある。市長は住民の直接選挙により選出され、任期は4年である。市制施行以来の歴代銚子市長は以下の通りである。

 
銚子市長 越川信一
歴代市長
  • 川村芳次:1933年(昭和8年)5月14日 - 1945年(昭和20年)5月13日
  • 大里庄治郎:1945年(昭和20年)5月14日 - 1946年(昭和21年)1月7日
  • 加瀬道之助:1946年(昭和21年)2月12日 - 1951年(昭和26年)4月4日
  • 嶋田隆:1951年(昭和26年)4月23日 - 1978年(昭和53年)8月19日
  • 大内恭平:1978年(昭和53年)8月20日 - 1986年(昭和61年)8月19日
  • 佐藤幹彦:1986年(昭和61年)8月20日 - 1994年(平成6年)8月19日
  • 大川政武:1994年(平成6年)8月20日 - 2002年(平成14年)8月19日
  • 野平匡邦:2002年(平成14年)8月20日 - 2006年(平成18年)8月19日
  • 岡野俊昭:2006年(平成18年)8月20日 - 2009年(平成21年)3月29日
  • 野平匡邦:2009年(平成21年)5月17日 - 2013年(平成25年)5月16日
  • 越川信一:2013年(平成25年)5月17日 - 現職

行政組織

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  • 秘書広報課
  • 企画財政課
  • 総務課
  • 市民課
  • 税務課
  • 社会福祉課
  • 子育て支援課
  • 高齢者福祉課
  • 健康づくり課
  • 観光商工課
  • 水産課

財政

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銚子市一般会計の歳入決算額において、費目別比率の大きい順にみると、市税、地方交付税、国県支出金又は市債の順である。2021年(令和3年)度では、自主財源の多くを占める市税が78.4億円であるのに対し、依存財源は地方交付税57.4億円、国庫支出金51.7億円、市債22.1億円、県支出金15.7億円となっている。銚子市一般会計歳出決算額における費目別比率は、民生費、総務費、教育費、公債費、衛生費、消防費、土木費の順となっている。歳出の性質別分類は、行政経費の性質に従った分類で、財政運営の状況や特色を判断するために用いられる。2021年(令和3年)度においては、扶助費56.4億円、人件費54.4億円、公債費30億円である。義務的経費は140.7億円であり、物件費、維持補修費、補助費等を加えた経常的経費は195.4億円となっている。物件費は業務委託料等、維持補修費は学校施設、廃棄物処理施設、市営住宅、道路、河川の補修・維持等の費用、補助費等では公営企業会計補助等がその主な内容である。投資的経費は21.3億円である。特別会計は、2021年(令和3年)度においては、国民健康保険事業介護保険事業及び後期高齢者医療事業の3会計となっている。地方公営企業は、2021年(令和3年)度において、水道事業及び病院事業の2事業で、それぞれ事業ごとに特別会計を設置している[50]。なお、銚子市の財政力指数は0.61(令和3年度)であり、千葉県東部地域において最も高い財政力を有している[51]

名誉市民

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濱口梧洞翁寿像

銚子市名誉市民は、1956年(昭和31年)1月12日公布・施行の「銚子市名誉市民条例」に基づき、本市の市民又は本市の関係者で広く社会文化の興隆に功績が卓絶であった者の功績をたたえるとともに市民の社会文化興隆に対する意欲の高揚を図るための顕彰制度である。

銚子市民憲章

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1970年(昭和45年)3月市議会定例会において、市民から募集した草案98点からの入賞作品を基に作成した「銚子市民憲章」が市長から提案された。この議案は満場一致をもって可決され、同年4月1日からの施行となった。提案理由は、銚子市民であることの誇りと自覚を持ち、銚子市将来の目標をかかげ、これを実践し、健康で明るい文化都市をきづくため、というものであった。

銚子市民憲章

洋々とした大海原、雄大な流れの利根川。漁業の町として、祖先のたゆまぬ努力によって栄えてきたわが銚子市は、あらたに近代都市として、力強くはばたこうとしています。わたくしたちは、この美しい郷土を守り育て、市民として誇りをもって生活できるようにするために、わたくしたちの願いをこめて、この憲章を定めます。

一 仕事をたいせつにし、明るく元気に働きます。

一 老人やこどもをいたわり、人に親切にします。

一 自然を愛し、町をきれいにします。

一 教養を高め、心を豊かにします。

一 力を合わせ、交通安全につとめます。

都市宣言

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銚子市においては、1962年(昭和37年)以降、7つの都市宣言を行ってきた。

  • 交通安全都市宣言 : 1962年(昭和37年)1月9日
  • 精神衛生都市宣言 : 1963年(昭和38年)2月25日
  • 公害追放都市宣言 : 1970年(昭和45年)9月22日
  • 青色申告都市宣言 : 1976年(昭和51年)12月25日
  • 非核・平和都市宣言 : 1981年(昭和59年)9月14日
  • 産業廃棄物最終処分場設置反対・不法投棄しないさせない都市宣言 : 1995年(平成7年)6月29日
  • 健康スポーツ文化都市宣言 : 2006年(平成18年)12月21日

銚子市紋章

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銚子市紋章は市制施行を記念して、紋章図案を懸賞募集し、応募総数1127点の中から最終決定し、1934年(昭和9年)1月15日に市会の議決を経て、同日告示された。制定にあたっては、銚子市は本邦東端に位置し、旭日仰ぐは最も早く、即ち市の発展性は旭日と共に力強く、その増大を意味して紋章は之を象徴することとし、旭日を中心にその周囲を丁四(銚子)にて輪郭図案化せるものなり、とされた。

銚子市紋章

銚子市歌

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銚子市歌は懸賞募集し応募総数267点の中から三軒町山崎晋道作詞を一等として採用し、1936年(昭和11年)1月27日に市会議決のうえ、同日告示第2号をもって告示された。

銚子市歌

一 阪東太郎洋々と 太平洋にそそぐところ 四季に絶えせぬ海の幸 市民の意気はさかんなり 銚子、銚子、吾等の銚子

二 潮花咲く磯つづき 観光の美に富めるところ 犬吠埼の灯台は 文化の光世を照らす 銚子、銚子、吾等の銚子

三 遠く元和の昔より 醤油の香の匂ふところ 水産業の発展は 伸びゆく力世に示す 銚子、銚子、吾等の銚子

銚子市の木・花・魚

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1983年(昭和58年)2月11日、市制施行50周年を記念して、銚子市の木に「さざんか」、銚子市の花に「おおまつよいぐさ」が指定された。いずれも銚子市の風土に適し、市のシンボルにふさわしく、市民に愛され、まちの美化緑化にも役立つような木と花として、市民投票を経て選ばれたものである。2003年(平成15年)2月11日には、市制施行70周年を記念して、銚子市の魚に「いわし」が指定された。

  • 銚子市の木「さざんか」 : 1983年(昭和58年)2月11日指定
  • 銚子市の花「おおまつよいぐさ」 : 1983年(昭和58年)2月11日指定
  • 銚子市の魚「いわし」 : 2003年(平成15年)2月11日指定

議会

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銚子市議会

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  • 定数:18名
  • 2023年(令和5年)5月1日〜2027年(令和9年)4月30日
  • 議長:広野恭代(ひろのやすよ)みらい、1期
  • 副議長:石上友寛(いしがみ ともひろ)新風、1期
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
市民クラブ 4 ◎地下誠幸、鎌倉金、石上允康、岩井文男
新和会 4 ◎野平仁人、宮崎光子、桶谷範幸、石神嘉明
新風 3 ◎池田健一、石上友寛、高根一芳
みらい 2 ◎釜谷藤男、広野恭代
公明党 2 ◎加瀬栄子、塙保
立憲民主党 1 ◎加瀬庫藏
日本共産党 1 ◎笠原幸子
緑の会 1 ◎工藤忠男

※2025年(令和7年)1月31日現在

千葉県議会

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  • 選挙区:銚子市・香取郡東庄町で一つの選挙区をなす。
  • 定数:2名
  • 任期:2023年(令和5年)5月1日 - 2027年(令和9年)4月29日
  • 2015年(平成27年)、2019年(令和元年)、2023年(令和5年)と無投票。
氏名 会派名
信田光保 自由民主党千葉県議会議員会

当選回数 6期

宮川太 自由民主党千葉県議会議員会

当選回数 2期

※2025年(令和7年)1月31日現在

国政

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議員名 党派名 当選回数 備考
小池正昭 自由民主党 1 選挙区
谷田川元 立憲民主党 4 比例復活

国家機関

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銚子港湾合同庁舎
銚子海上保安部巡視船かとり

国家機関

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法務省
財務省
厚生労働省
  • 千葉労働局銚子労働基準監督署
  • 千葉労働局銚子公共職業安定所
国土交通省
裁判所

県機関

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  • 千葉県海匝保健所(海匝健康福祉センター)
  • 千葉県銚子児童相談所
  • 千葉県銚子土木事務所
  • 千葉県銚子水産事務所
  • 千葉県銚子漁港事務所
  • 千葉県水産総合研究センター流通加工研究室銚子分室
  • 千葉県旭県税事務所銚子支所
  • 千葉県北総教育事務所東総研修所

経済

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産業

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銚子半島航空写真

銚子市は豊かな自然環境と首都圏に位置する立地条件を活かし、水揚数量と水産物流通加工機能によって国内最大規模の水産業を中心として、生鮮野菜の一大供給基地となった農業、長い歴史と高度な技術力を有する水産加工業と醤油製造業、東総地域の中核としての役割を果たす商業、そして犬吠埼屏風ヶ浦等の景勝地に恵まれた観光業等の複合産業都市として発展している。多角的でバランスの取れた産業構造が特徴であり、日本経済の好況・不況の影響を直ちに受ける度合いが少ない安定成長型の経済基盤を有している。2018年平成30年)度の産業別就業者の割合を見ると、第一次産業に10.7%、第二次産業に28.5%、第三次産業に58.4%が従事しており、1965年昭和40年)と比較して第三次産業の割合が大きく拡大している[52]

企業・組織

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ヤマサ醤油本社
銚子商工信用組合本店
銚子信用金庫本店
  • 関東警備保障
  • 兆星
  • 飯田商店
  • 銚子プラザホテル
  • ヤマヘイフーズ
  • 嘉平屋
  • 坂本飼料
  • 銚子メディクス
  • 大一奈村魚問屋
  • ヤマニンベン
  • マルヒカリ水産
  • 一政水産
  • マルヤス建設工業所

商業

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銚子市は東総地域最大の商業都市であり、銚子商圏を形成する単独商圏都市である[53]。銚子市に住む消費者の地元購買率は75.5パーセント、他の市町村から銚子市への吸引人口は約6万3000人である[54]卸売業はこれらの小売業に対する卸売り、あるいは市内の業者に業務用の原材料を売る卸売りであり、市外の小売業をも対象とする卸売業は醤油その他の食料品についてごく少数である。銚子市の商業の特徴の一つは人口に比較して商店数が多いことである。このことは戦後一貫して変わっておらず、2019年(令和元年)においても、人口1000人あたりの銚子市の小売店数は千葉県内1位、飲食店数は同3位となっている[55]。銚子市において、おおむね100店以上の小売店・飲食店が機能的に一体化している商業集積地区、いわゆる繁華街は銚子駅前、銚子銀座、田中町の3地区で、商業集積地区の事業所数が小売業全体に占める割合は58.3パーセントと県内3位である[56]。「銚子みなとまつり」は、50年以上の歴史がある銚子の夏の風物詩であり、周辺地域からも多くの観客を集め、中心商店街は賑わいをみせる[57]

2010年(平成22年)3月に開店したイオンモール銚子は、13万人、4万4000世帯を商圏とし、核店舗「イオン銚子店」、準核店舗「イオンシネマ銚子」、100の専門店で構成する東総地域最大規模の大型ショッピングセンターである。市は、国道126号から県道愛宕山公園線が分岐する交差点の周辺地区を広域交流拠点として位置づけ、広域的な商圏を対象とした商業施設や良質なアミューズメント施設等の集積を促進している[58]。また、市とイオン株式会社は2010年(平成22年)に地域振興に関する包括提携協定を締結しており、その取組の一つとして、地域循環型電子マネー「WAON」を通じた地域貢献型カード「犬吠WAON」が発行されている[59]

大規模小売店

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イオンモール銚子

銚子市においては、平成年代に入ってから郊外型店舗等の機能集積が進んだ。市内における大規模小売店舗立地法に基づく大規模小売店は以下の通りで、市外からのいわゆる外部資本がほとんどである[60]

商店街

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各地域の商店街振興の基盤となる主要道路整備は、平成に入ってから重点的に進められ、魅力ある商業空間の創出が図られた。また、道路整備事業にあわせて、安全快適な通行空間の確保、都市景観の向上、都市災害の防止等の観点から、電線管理者である東京電力株式会社による電線地中化計画が実施されている。

  • 銚子駅前通りシンボルロード

銚子駅前通りは、戦災復興土地区画整理事業によって建設された、幅員36メートル、延長610メートルの地方都市としては例の少ない広幅員道路である。この道路をリゾート都市銚子の玄関口にふさわしく、海・黒潮・港をイメージした「シンボルロード」として整備することとなり、1989年(平成元年)度から駅前・ポケット広場の整備、歩道の青海波模様の舗装、電線類等の地中化、濃青の黒潮カラーのストリートファーニチャー設置、駅前モニュメントの設置等を進めて、1993年(平成5年)度に完成した。1997年(平成9年)3月にはアーチ型の商店街アーケードが新設された。銚子駅前商店街振興組合では、シンボルロードを利用したフリーマーケットを1994年(平成6年)4月以来定期的に開催している。銚子駅前には、銚子商工会議所青年部が1999年(平成11年)12月からイルミネーションの設置を開始し、毎年クリスマスの時期に点灯している。2014年(平成26年)12月19日には、経済産業省の地域商業自立促進事業の補助を受け、十字屋跡地に「銚子セレクト市場」がオープンした。

  • 銚子銀座通りココロード

銚子銀座通りは、漁港近く飯沼観音の門前町として、古くから銚子の中心的な商業地を形成してきた。1990年(平成2年)度・1991年(平成3年)度の2か年継続で、銚子銀座商店街振興組合が事業主体となって、県・市の補助によるふれあい商店街近代化事業が進められ、老朽化したアーケードの撤去、各店ごとのシェード設置、電線・電話線等の地下埋設、車・歩道の新装整備、側溝新設、ストリートファーニチャーの設置、セーフティスペースの設置等が実施された。通りの愛称は市民から公募して「ココロード銚子」と決められた。銚子銀座商店街振興組合では、毎週金曜日に「金曜市」を開催し、干物、惣菜、花等を販売している。また、2011年(平成23年)6月からは、毎月第4日曜日に軽トラックでの販売を中心とした「門前軽トラ市」を実施し、飲食、惣菜、雑貨、骨董品等を販売している。また、民間の「わくわく門前町プロジェクト」の一環として、商店街の空き店舗を活用した飲食店がオープンしている[61]

  • 本通りマイロード

マイロード事業は、市道本通馬場町線のうち、既に整備済みの銚子銀座通りココロードと銚子駅前通りシンボルロードに接する460メートルについて、銚子市街の中心エリアを貫く交通軸としての道路整備を企図したものであった。工事着手は1993年(平成5年)度、道路歩道の擬石平板・自然石舗装、車道舗装、街路灯・信号街路灯の新設、植栽、電線類等の地中化を進め、1997年(平成9年)3月に完了した。この道路はかつて利根川に面した河岸道路で飯沼観音に通じ、銚子みなとまつりのみこしパレードの巡路となることから、みなと銚子のお祭り通りとして、特性を活かした個性ある道路整備が目指された。

銚子商工会議所

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銚子商工会館

地域的な総合経済団体である銚子商工会議所は、千葉県で最初の商工会議所として1936年(昭和11年)12月1日に設立認可されたが、戦時中の「商工経済会法」によって解散し、銚子市には千葉県で唯一の商工経済会支部が置かれた。戦後、1946年(昭和21年)12月10日に民法法人である社団法人銚子商工会議所が設立され、1954年(昭和29年)2月1日に商工会議所法に基づく法人として改組された。銚子商工会議所では、2012年(平成24年)度から「ちょうしブランド推奨品」認定事業を実施している[62]。また、2014年(平成26年)度からは、同会議所の主催による「銚子創業スクール」を毎年開催し、独立開業に対する支援を行っている。

金融機関

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千葉銀行銚子支店
常陽銀行銚子支店
千葉興業銀行銚子支店
京葉銀行銚子支店
中央労働金庫銚子支店

銚子市内の金融機関は、銀行支店5、中小企業等金融業である信用金庫本店・6支店、商工信用組合本店・6支店のほか、政府関係金融機関である郵便局、農林水産金融業である農業協同組合及び信用漁業協同組合連合会、貸金業質屋等があり、千葉県東部から茨城県南部を含めた経済圏の中核を担っている。銀行については普通銀行が増加し、信用金庫及び信用組合の支店が増設され、また、貸金業等が昭和から平成にかけての時期に増加している。

  • 銚子信用金庫本店
    • 市内支店6店舗(外川支店・本城支店・橋本支店・松岸支店・船木椎柴支店・清川町支店)
    • 市外支店21店舗(八日市場支店・飯岡支店・松尾支店・波崎支店・大原支店・勝浦支店・大多喜支店・茂原支店・鹿島支店・神栖支店・東金支店・東庄支店・土合支店・旭中央支店・横芝支店・海上支店・干潟支店・山田支店・千葉支店・佐倉支店・蓮沼支店)
  • 銚子商工信用組合本店
    • 市内支店6店舗(新生支店・三崎支店・川口支店・愛宕支店・松岸支店・椎柴支店)
    • 市外支店14店舗(東庄支店・小見川支店・佐原支店・飯岡支店・海上支店・旭支店・干潟支店・横芝支店・東金支店・九十九里支店・富里支店・八街支店・柏支店・松戸支店)

風力発電

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丘陵地帯の風力発電所

銚子市に初めて風力発電施設が建設されたのは、2001年(平成13年)である。日本風力開発の関連会社により市内には多数の風力発電が稼働しており、その大半は屏風ヶ浦を中心とした高台に位置する。

  • 銚子屏風ヶ浦風力開発
    • 銚子屏風ヶ浦風力発電所 1,500キロワット機(1基)
    • 銚子小浜風力発電所 1,500キロワット機(1基)
  • 銚子風力開発
    • 銚子風力発電所 1,500キロワット機(9基)
    • 八木風力発電所 1,500キロワット機(6基)

その他の風力発電所は以下の通り。

  • くろしお風力発電
    • 銚子高田町風力発電所 1,990キロワット機(1基)
    • 椎柴風力発電所 1,990キロワット機(5基)
  • エムウインズ
    • 銚子しおさい風力発電所 1,500キロワット機(2基)
  • 堀江商店
    • 銚子新町風力発電所 1,980キロワット機(1基)
  • 台町自然環境エネルギー研究所
    • 台町風力発電事業 640キロワット機(1基)
  • 銚子ウィンドファーム
    • 銚子ウィンドファーム 1,500キロワット機(7基)

工業

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銚子市の製造業の中で最も市の経済を支える重要な位置を占めるのは、水産加工業と醤油醸造業を双璧とする食品製造業である。食品製造業に続く業種は、窯業建材製品・生コンクリート製造業、電気機械製造業である。これらの代表的な製造業以外の伝統的な地場産業として、漁網ロープ製造、製品、造船、鉄工業等がある。

水産加工業

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江戸期肥料いわし搾粕生産を中心として発展した銚子市の水産加工業は、戦後養殖飼料用の冷凍いわしが主力となった。また、さんまさば漁の発展に伴って、食用の一般加工品の原料が、いわしからさんま、さば、あじへと推移した。

冷凍冷蔵施設の普及・発展によって市外・県外・国外からの移入・輸入による原料の長期保存が年間均等操業を可能とし、更に最適時期の出荷までの製品の保存が可能にさせた。そしてこのことが水産加工業者による原料売買という新しい流通形態を生じさせ、製造業経営における商業的要素が大きくなった。

また1960年代以降、コンベアフォークリフト、自動選別機、自動軽量機、自動割裁機その他機械導入による生産設備の省力化冷凍冷蔵施設の大型化、経営近代化、原材料の移入・輸入が進み、生産額も増大して、今日まで銚子市の主要業にある。

また、銚子漁港整備の進展と連動して計画的に沿岸漁業の水揚げ拠点基地づくりが推進され、全国有数の水産流通加工センターを形成している。

冷凍冷蔵業・製氷業

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大正期に始まった銚子市の冷凍業は、戦後冷蔵庫が普及すると大型加工場が多かった銚子市では、冷凍冷蔵施設の大型化が競って進められ、その規模も飛躍的に拡大した。銚子市のように一つの地域に冷蔵能力が集中しているところは他に例がなく、水産業に関する冷蔵庫の数とその能力が大きいことでは、銚子市は全国一となっている。

この中で新しい営業形態として盛んとなったのが、冷蔵業である。主としていわしさばさんまを加工原料・飼料用に保存し、そのままの形で冷凍加工原料魚、冷凍飼料として出荷している。

氷は船積み用・鮮魚出荷用その他、水産業における必需品であり、製氷業は冷凍冷蔵業務とは別に専門業者、漁業協同組合水産業者の製氷工場で行われている。

缶詰製造業

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銚子市における缶詰製造の歴史は1979年(明治12年)に行われたイワシ油漬缶詰の試験製造に始まったとされるが、企業としての缶詰生産は明治後期に本格化した。その後、1906年(明治39年)のクジラ大漁によるクジラ大和煮缶詰製造業の勃興と昭和初期のイワシ豊漁に伴うイワシの大和煮・トマト煮、油漬製造の増加によって急激な発展を遂げた。戦後は輸出向けのサバ缶詰の生産が進んだが、1980年代からの円高傾向により国内向けへの販路転換と他種兼業の経営多角化が目指された。

肥飼料製造業

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魚を原料とする肥料生産、魚粉(ミール)や配合飼料の原料となる魚粕製造が行われている。

練製品製造業 

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銚子市の練製品製造業終戦直後に食糧難を背景として急速に発展し、その後製品の質は年々向上し、生産高も増加した。種類としては半片蒲鉾、鳴門、小魚を使った揚蒲鉾、イワシ・サバ等を原料とするつみれ等である。これらは大部分が東京を中心とする近県へと出荷されており、地元消費は一部である。

醤油醸造業

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銚子の醤油醸造江戸時代初期に始まる古い歴史を有し、銚子市における主要産業の一つである。銚子市の醤油醸造業の全国シェアヤマサ醤油ヒゲタ醤油の大手2社を主に15%を占め、銚子市内における企業としては別格の地位にある。近年ではつゆたれ等の醤油加工調味料の開発・改良が進められるとともに、うま味調味料やだし類が製造されている。

銚子市内で生産される醤油は、主として濃口醤油薄口醤油であるが、その種類は多岐に渡り、特に濃口醤油は家庭用にかぎってみてもヤマサ醤油ヒゲタ醤油の二社の商品は20種類を超えている。

なおヤマサ醤油は1992年(平成4年)、アメリカ合衆国オレゴン州に関連会社を設立し、工場を建設してアメリカカナダメキシコなどに製品出荷も行っている。

この他、醤油製造会社では、蓄積された研究開発技術により核酸関連物質を利用した医薬品原料、食品添加物化粧品原料、医薬品合成原料、研究用試薬、体外診断用医薬品、また、動物医薬用ワクチン、抗がん活性物質、抗ウイルス性物質、臨床検査薬、動物薬等の研究開発が進められている。

鉄工業

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銚子では明治以降、漁船内燃機関である焼玉エンジンに関する鉄工業が勃興し、戦前は漁船用内燃機関の他、澱粉製造機械、醤油工場関係の機械及び農機具等が製作されていた。漁船エンジンのディーゼル化後は、市内の鉄工場の多くが大手機械メーカーに系列化に入り、その下請工場となった。1969年(昭和44年)には、財団法人銚子市開発協会と千葉県開発公社の共同事業により、新たに小浜工業団地が造成されている。

造船業

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銚子市の伝統的な地場産業として造船業があり、江戸期から昭和前期にかけて、銚子市の造船業は全て船大工の個人企業であった。造船所はちょき船や伝馬船のような小舟を除いては川岸や海岸の砂浜にあり、主として市東部では漁船が、市西部では川船が造られていた。銚子市の漁船和船型が主流であったが、1960年代以降は西洋型が増加し、材質も木船から鋼船・強化プラスチック船へと変化した。

籐製品工業

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銚子で製品が製造されるようになったのは明治後期からで、大正から昭和にかけて主要な地場産業に成長した。当時の銚子の製品はほとんど全てが草履下駄に使われる表で、その後銚子市は表の全国的特産地となった。戦後は国民の生活様式の変化によって表の需要は減少し、産業というよりも文化財的な工芸としての性格が強くなっている。

漁業

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外川漁港(第2種漁港)

銚子漁港は、漁港漁場整備法上の特定第3種漁港(国指定最重要漁港)に指定された日本三大漁港の一つであり、古くから沿岸・沖合及び遠洋漁業の拠点港として利用されている。3つの卸売市場を抱えており、第2卸売市場に入港する大中まき網漁船によってサバサンマイワシなどの主要な魚種が水揚げされ、これらの魚種を中心に年間水揚量が全国第1位である[63]。総水揚げ量の約90%が大中型まき網漁業によるもので、これらの多くは地元漁船ではなく他の漁港に属する廻船であり、地元漁船は底引き網漁業等の比較的規模が小さい漁業が中心である。

タイヒラメなどの高級魚も漁獲されており、特に銚子漁業の発祥の地である外川地区の小はえなわ型船による立縄漁業で漁獲しているキンメダイは「銚子つりきんめ」として千葉ブランド水産物第1号に認定され、ブランド力向上と資源管理が行われている。

  • イワシ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国1位
  • サバ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国1位
  • サメ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国3位
  • アジ類 - 2002年(平成14年)度陸揚量全国4位
  • サンマ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国4位
  • メヌケ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国5位
  • マグロ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国6位
  • そのほか、カツオヒラメホウボウキンメダイなど。

プライドフィッシュ

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銚子市漁業協同組合

国漁業協同組合連合会が中心となり、漁業協同組合連合会・漁業協同組合が選定した魚介類として「銚子つりきんめ」「銚子の入梅いわし」がプライドフィッシュとして選定されている。

  • 銚子つりきんめ「銚金」(キンメダイ)[64]
    • 銚子市漁業協同組合認定
    • 千葉県水産ブランド認定
    • 銚子推奨認定品ちょうしブランド(干物)[65]
    • 認定対象期間(旬):周年
    • 大きさ等:500グラム以上
    • 全国的にキンメダイ漁の北限といわれる漁場で、銚子市外川地区の小型船約40隻が立縄漁業(釣りの一種)により漁獲。鮮やかな色と傷のないきれいな魚体を保つため、釣り上げた直後から、一尾ずつ丁寧に取り扱い、常に高い品質のものを提供するよう努力・研究を重ねている。毎年7月に開催される「きんめだいまつり」は約4万人程の来場者で賑い「銚子つりきんめ」の知名度アップに大きく貢献している[66]
  • 銚子の入梅いわし[67]
    • 銚子市漁業協同組合認定
    • 認定対象期間(旬):6月から7月(入梅)
    • イワシの主要な水揚港である銚子港は日本一の水揚港としても知られ、特に6 - 7月にかけての「入梅」(梅雨の時期)に水揚げされるマイワシは「入梅いわし」と呼ばれている。毎年この時期に鮮度抜群のいわしが食べられる「入梅いわし祭り」が行われている[68]

漁港

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農業

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キャベツ畑と風力発電所(高田町)

銚子市は県内有数の農業都市であり、春キャベツの生産量は日本一。海洋性の気候と首都圏から100km圏内という地理的な利便性を生かし、キャベツダイコンスイカイチゴなど露地野菜果物が栽培されている。銚子市の総耕地面積2540haのうち約80%近くが畑地であり、千葉県内トップクラスである農業産出額268億円のうち57%にあたる 152億円を野菜が占め、畑作中心の営農である。

一戸あたりの栽培面積が増加し農地の集約化が進んだことで経営規模は拡大傾向にあり、専業農家率は県の平均が30.6%であるのに対し、銚子市では 55.6%で、販売農家戸数1,007戸のうち560戸が専業農家である。

野菜指定産地

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農林水産省による野菜生産出荷安定法および本法に基づき銚子市が指定された野菜[70]

  • キャベツ - 春キャベツと冬キャベツが指定されている。春キャベツの生産量は日本一。
  • ダイコン - 春ダイコン・秋冬ダイコンが指定されている。
  • トマト - 夏秋トマト・冬春トマトが指定されている。

対外関係

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姉妹都市・提携都市

  クースベイ市Coos Bay, Oregon, アメリカ合衆国オレゴン州

  • 1983年(昭和58年)2月10日 銚子市制施行50周年記念式典の席上、クース・ベイ市代表者の出席を得て、姉妹都市協定締結の調印式を行った。1983年10月、銚子市長が港湾施設等視察のため渡米した際、クース・ベイ市への訪問が契機となり、国際親善の気運が高まったのがきっかけとなった。

  レガスピー市Legazpi City, フィリピン共和国アルバイ州

  • 1985年(昭和60年)6月27日 レガスピー市議会が銚子市との姉妹都市提携を決議し、レガスピー市長から姉妹都市協定締結の申し入れがあったため、銚子市議会に提案。同市議会の議決を得て提携が成立した。両市の人口規模、産業形態が類似していることや、世界の平和を祈念するため1958年に銚子市に建立された。「日比友愛の碑」の斜塔がレガスピー市のマヨン山を指していることなど銚子市とフィリピンとの関係も深い。

施設

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警察

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千葉県銚子警察署

銚子市警察は「警察法」施行前の1947年昭和22年)11月から試験的に発足し、翌年から警察署の機構・施設等が警備されたが、6年半後の1954年(昭和29年)6月30日をもって廃止され、千葉県警察に移管となった。1954年(昭和29年)7月施行の新「警察法」により、千葉県銚子警察署が発足した。管轄区域は銚子市全域、職員定数は合計約100人である[71]

警察署

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交番・駐在所

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  • 中央交番
  • 銚子駅前交番
  • 海鹿島駐在所
  • 犬吠埼駐在所
  • 椎柴駐在所
  • 高神駐在所
  • 外川駐在所
  • 豊岡駐在所
  • 豊里駐在所
  • 猿田駐在所
  • 本城駐在所
  • 松岸駐在所

消防

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銚子市消防本部・消防署

消防組織法により、消防事務については市町村の責任とされ、これを処理するための機関として、常備消防である消防本部消防署及び非常備の消防団を設置している。消防事務の責任者である消防長のもと、消防本部と消防署(分遣所含む)に大別され、職員113人、20台の消防車両をもって消防事務に携わっている。なお、消防本部・消防署の庁舎は、2017年平成29年)1月、唐子町の鉄筋コンクリート造3階建ての新庁舎に移転した。

消防本部

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銚子市消防本部は、1949年(昭和29年)1月1日施行の「銚子市消防組織条例」に基づいて銚子市役所内に設置された。千葉市市川市に続き県内3番目の消防本部であった。消防本部は、消防総務課及び予防課の2課15人で構成され、主に予算、人事、施設管理等の総務事務に加え、消防団事務や教急業務高度化推進に係る消防事務、並びに消防関係法令に基づく危険物規制事務や消防設備関係事務をはじめ火災予防に関する専門的な事務を担当している。

消防署

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銚子市消防署は、消防本部とともに1949年(昭和29年)1月1日から設置された。本署に消防隊、教助隊、救急隊を配置して、常時14人から17人程度の人員を確保して災害対応の中枢的な役割を果たしている。2018年(平成30年)9月25日からは、「銚子市消防署所再編計画」に基づき、本署・東部分署・西部分署からなる1署2分署体制に移行した。なお、東部分署は2018年(平成30年)度に新築され、西部分署も2023年令和5年)度に大規模改修工事が実施された。

消防団

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消防団は市町村に設けられる消防機関の一つであり、設置、名称、区域は条例で、その組織は規則で定める。消防団員は非常勤特別職地方公務員で、消防長又は消防署長の所轄の下に行動する。消防団の長は消防団長で、消防団の推薦に基づき市町村長が任命する。最高責任者である消防団長のもと、11分団510人、ポンプ自動車等の車両39台を配備した体制となっている。

医療

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銚子市立病院

銚子市医師会

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銚子市医師会は5病院29診療所からなる会員数64名の一般社団法人である。診療所では外来を主とする一般診療や在宅診療を、病院は外来診療に加え入院を要する急性期医療、リハビリや療養に関わる医療のほか、老人保健施設等の介護事業を行っている。医師会はそのほかにも休日当番医、夜間小児急病診療所、特定検診、行政との各事業への参加等、銚子市における医療保健活動の中心的存在となっている。銚子市における急変時医療救急体制は、主に平日昼間は市内診療所・病院のかかりつけ医、夜間はかかりつけ医または島田総合病院・たむら記念病院・銚子市立病院等の病院、日曜・休日昼間は休日当番医、夜間はかかりつけ医、島田総合病院、たむら記念病院で行っている[72]

銚子市立病院

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銚子市立病院は、1951年(昭和26年) 9月、前年に設置した銚子市立診療所を前身として発足した。1984年(昭和59年)3月には新館で診療を開始し、同年7月に銚子市立総合病院と改称した。その後、管理棟と一般病棟が完成、さらに、精神科病棟、リハビリテーション施設、駐車場等の整備も順次実施された。一時運営休止を経て2010年(平成22年)5月6日に銚子市立病院として診療を再開した[72]2015年(平成27年)4月1日からは「一般財団法人銚子市医療公社」が指定管理者となり[73]、地域包括ケアシステムの一翼を担う公立病院として、診療体制の充実を推進している。2023年(令和5年)12月14日には、院内に県内初の省人化店舗である「ローソン銚子市立病院店」がオープンした[74]

郵便局

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銚子郵便局

直営郵便局

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  • 銚子郵便局
  • 野尻郵便局
  • 外川郵便局
  • 銚子植松郵便局
  • 銚子本町郵便局
  • 銚子南町郵便局
  • 銚子愛宕町郵便局
  • 銚子本通郵便局
  • 銚子清川町郵便局
  • 銚子本城郵便局
  • 銚子松岸郵便局
  • 諸持郵便局

簡易郵便局

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  • 銚子余山簡易郵便局
  • 銚子小浜簡易郵便局

図書館

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銚子市公正図書館
  • 銚子市公正図書館

銚子市公正図書館の前身は、1925年(大正14年)4月17日設立の財団法人公正会の活動拠点であった公正会館に開設されていた図書館であった。この公正会館が1948年(昭和23年)3月1日に銚子市に寄附された後、その1階にあった書庫・閲覧室が、1948年(昭和23年)9月22日に「銚子市公正図書館」として開館した。その後、銚子市では蔵書数の増加に対応するため、市制施行50周年記念事業の一環として図書館の新築事業を企図し、1982年(昭和57年)度中に建設工事を完了、1983年(昭和58年)5月1日に開館した。2022年(令和4年)1月には「銚子市電子図書館」がサービス開始した[75]2021年(令和3年)における蔵書冊数は約15万6000冊であり、市内最大の図書館施設である。

2005年(平成17年)4月に開館した千葉科学大学の図書館新館。学生及び教職員のほか、一般市民も利用可能である。

博物館

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犬吠埼灯台資料展示館

犬吠埼灯台敷地内の灯台資料展示館。社団法人燈光会が日本財団及び銚子市の支援を受けて建設し、2002年(平成14年)3月にオープンした。主な展示資料は、国産第1号の第1等レンズのほか、同灯台設計建設指揮者の英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの資料、灯台の歴史、航路標識事業の紹介資料等である。

版画家・浜口陽三は、1909年(明治42年)3月ヤマサ醤油株式会社創立者濱口儀兵衛・恭子氏の三男として和歌山県有田郡広村に生まれたが、1916年(大正5年)に銚子に移住し、末広町の濱口家別荘で幼少時を過ごし、銚子とはゆかりが深い芸術家である。1982年(昭和57年)12月、ヤマサ醤油株式会社から版画作品等16点が銚子市に寄附され、同年11月に銚子市公正市民館内に常設展示室がオープンした。その後、この版画作品は、2001年(平成13年)11月開館の市民センター内の常設展示室に移された。

  • 渡邊學作品展示室

日本画家渡邊學(本名富男)は1916年(大正5年)1月海上郡本銚子町に生まれ、銚子の漁場を素材に海に働く人々を多数描いた。2001年(平成13年)8月、渡邊家から日本画作品12点が銚子市に寄贈された。銚子市は、これらの作品を銚子市小畑新町に建設した市民センター内に濱口陽三作品とあわせて常設展示することとした。

  • 新国立劇場舞台美術センター資料館

新国立劇場で主催公演したオペラバレエ・現代舞踊・演劇等の舞台美術を保管・活用する目的で建設され、1997年(平成9年)11月にオープンした。特殊法人日本芸術文化振興会がその設置・管理に当たっている。センター内には、舞台装置・衣裳の保管棟、組立補修のための美術工作棟、展示公開のための資料館がある。資料館の1・2階に舞台模型・舞台衣裳、小道具等の舞台関係資料の展示スペース、2・3階に図書・映像資料保管の資料庫を備えている。

  • ヤマサ醤油「しょうゆ味わい体験館」

ヤマサ醤油株式会社が2016年(平成28年)4月27日にオープンした工場見学者用施設。歴史資料・道具類の見学、煎餅焼き体験、映像によるバーチャル体験「タップトーク」等ができる。

  • ヒゲタ史料館

1985年(昭和60年)4月にヒゲタ醤油株式会社が第二工場内に開設した。醤油醸造の設備・道具・容器、博覧会受賞メダル、会社年表、製品200点を展示。醸造蔵内に描かれたフレスコ画の大壁画「天地人」が見学できる。

  • 外川ミニ郷土資料館

銚子市外川の歴史、方言、民話資料のほか、昔の漁師が使用した漁具、銚子で発掘された化石、万祝、絵葉書等を展示している[76]

  • 渡邊學ミュージアム

銚子出身の日本画家渡邊學の自宅跡地に建設された美術館。代表的作品10点余りを展示するほか、生前のアトリエを再現したエリアも備える[77]

文化施設

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  • 銚子市市民センター

市民から「小畑無線」と呼ばれてきた銚子無線電報サービスセンターは、1996年(平成8年)3月に廃止となり、1909年(明治41年)以来88年の日本最初の無線電信局はその任務を終えた。銚子市は、銚子無線が古く明治後期から市の歴史と深く関わってきたことを踏まえ、この跡地の有効活用を図るため、生涯学習・コミュニティ活動拠点となる市民センターとして、2000年(平成12年)度からの2か年継続で整備工事を進めた。旧事務棟を公民館棟とし、会議室、和室、調理実習室、企画展示室、常設展示室、プレイルーム等、公正市民館機能を中心とした施設に改修された。その南側の旧機械棟はホール棟とし、約300人収容の多目的ホール、防音の音楽広場、スタジオ、マルチメディアスペース等に改修整備された。加えて、陶芸等ができる木造平家建の創作棟が新設された。

  • 銚子市ジオパーク・芸術センター

旧第八中学校を活用し、地域の交流拠点、子育て支援、高齢者の健康増進、芸術村等の複合的な機能を持った施設として、2019年(平成31年)4月に開設された[78]。2022年(令和4年)度からは、銚子資産を活かした「学び」の拠点としての再整備が実施されている。

交流施設

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銚子市中央地区コミュニティセンター
  • 地区コミュニティセンター - 銚子市におけるコミュニティ振興対策の中心となったのは、地区コミュニティセンターの整備である。会議室、集会室、多目的ホール、調理室、和室等を備えており、地域住民の自主的な学習や地域活動の拠点として利用しやすいように、地元に管理の一部を委託している。
    • 銚子市中央地区コミュニティセンター
    • 銚子市東部地区コミュニティセンター
    • 銚子市海上地区コミュニティセンター
    • 銚子市豊里地区コミュニティセンター
  • 銚子市勤労コミュニティセンター

市内一円の勤労者の福祉とあわせて近隣住民の利便に供する共同施設として、市役所敷地内に1982年(昭和57年)2月17日に設置された。事務室、和室、集会場を備えている。

  • 銚子市森戸農村広場やすらぎの家
  • 銚子市親田農村広場やすらぎの家
  • 青年館

銚子市においては、1964年(昭和39年)から千葉県からの補助金、市費、地元寄附金を財源として市立青年館の設置が進められた。2023年(令和5年)4月現在で24館を有し[79]、そのすべてについて管理の一部を地元町内会等に委託して円滑・有効な運営を図っている。いずれの青年館についても、青少年健全育成のための施設としての設置当初の利用に加え、町内会老人会婦人会等、町内単位のコミュニティ活動の場として利用されている。

スポーツ施設

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銚子市野球場
  • 銚子市体育館
  • 銚子市野球場
  • 銚子市庭球場
  • 銚子市スポーツコミュニティセンター
  • 豊里台多目的スポーツ広場

公園

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河岸公園
君ヶ浜しおさい公園

銚子市の都市公園等は、都市計画公園13園、都市公園11園、公園等施設10園である。都市計画公園は、戦災復興都市計画による街区公園8園及び近隣公園3園並びにその後都市計画決定された運動公園2園である。都市公園は、豊里台第一公園をはじめ街区公園9園、近隣公園1園、都市緑地1園及び風致公園1園で、都市計画決定しなかった都市公園である。また、その他の公園等施設としては、1ヘクタール未満の小規模公園・広場7か所、夫婦ヶ鼻公園及び君ヶ浜しおさい公園がある。

  • 本城第一公園
  • 清川町第二公園
  • 唐子町公園
  • 河岸公園
  • 本通公園
  • 陣屋町公園
  • 末広町公園
  • 清川町第一公園
  • 後飯町公園
  • 本城第二公園
  • 前宿町公園
  • 桜井町公園
  • 豊里台第一公園
  • 豊里台第二公園
  • 豊里台第三公園
  • 豊里台第四公園
  • 豊里台第五公園
  • 豊里台第六公園
  • 豊里台プレイロット
  • 上野町公園
  • 大谷津公園
  • 豊里台緑ヶ丘公園
  • 中央みどり公園
  • 東部不動ヶ丘公園
  • 新生公園
  • 高神公園
  • 末広町広場
  • 河岸広場(ポケット広場)
  • 松本町公園
  • 猿田地区コミュニティ広場
  • 夫婦ヶ鼻公園
  • 君ヶ浜しおさい公園
  • 東部不動ヶ丘公園広場
  • 銚子駅南広場

保健・福祉施設

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銚子市保健福祉センター・すこやかな学びの城

保健施設

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  • 銚子市保健福祉センター・すこやかな学びの城

保健福祉活動の拠点として、2004年(平成16年)度からの2か年継続事業により建設工事が進められ、2006年(平成18年)4月に開館した。1階には銚子市子育て世代包括支援センター「すくさぽ」が設置され、保健師社会福祉士、母子保健コーディネーター、子育てコンシェルジュ、家庭相談員等の専門職が妊娠・出産・産後・子育てに関する相談に応じている。2階プレイルームには、0歳から3歳を中心とした乳幼児と保護者の交流の場として「子育て広場」が常設されており、保育士資格を持つ職員が育児に関する相談に当たっている。

児童福祉施設

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銚子市では、次世代育成支援対策行動計画に基づき、地域子育て支援センターへの支援や放課後児童クラブの運営等を実施するとともに、乳幼児医療費助成、ひとり親家庭等医療費助成事業、子育て広場の開設等により、子育ての支援の充実を進めてきた。2015年(平成27年)度には「銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定し、子育て支援課を新設して組織体制を強化した。2018年(平成30年)度には、銚子市子育て世代包括支援センター「すくサポ」を開設するとともに、子ども医療費助成の拡充を実施した。2024年(令和6年)度には、「銚子で生まれ育ち良かったと思えるような地域で支える『子育てのまちづくり』」を基本理念とした「第3期銚子市子ども・子育て支援事業計画」を策定した[80]


保育園・保育所
 
銚子保育園

銚子市は「児童福祉法」施行後の1950年代から、市立保育所の設置を進めた。その後、核家族化の進行や母親の就業機会の増加等に対応し、乳幼児保育・時間外保育・一時的保育・障害児保育といった特別保育事業内容の充実が図られてきた。近年は、地域における世代交流事業、異年齢児交流保育、子育て支援事業等が行われている。

  • 銚子市第二保育所
  • 銚子市第三保育所
  • 銚子市第四保育所
  • 銚子保育園
  • 外川保育園
  • 松岸保育園
  • 聖母保育園
  • 銚子中央保育園
  • 東光保育園
  • 萌保育園
認定こども園
  • 銚子幼稚園
企業主導型保育事業
  • あおの杜保育園
子育て支援センター
  • マンマ子育て支援センター
  • ひまわり子育て支援センター
  • えがお子育て支援センター
  • 聖母マリア子育て支援センター

障害者福祉施設

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銚子市では、2024年(令和6年)度に「障害のある方もない方も自分らしく暮らせるまち・銚子」を基本理念とした「銚子市障害者福祉計画・第7期銚子市障害福祉計画・第3期銚子市障害児福祉計画」を策定し、障害の有無にかかわらず、多様な人々が住み慣れた地域でともに支え合いながら暮らせる社会の実現を目指している[81]

  • 就労継続支援B型事業所のぞみ
  • 就労継続支援B型事業所しおさい春日
  • 就労継続支援B型事業所しおさい三崎
  • 銚子市地域活動支援センターかんらん
  • 銚子市児童発達支援センターわかば

1959年(昭和34年)4月、全国で13番目の精神薄弱児通園施設として、銚子市立わかば学園が設置された。2012年(平成24年)4月には、知的障害児通園施設から児童発達支援センターとなり、児童発達支援、保育所等訪問支援、相談支援を開始した。2018年(平成30年)4月には「銚子市児童発達支援センターわかば」に名称を変更し、同年8月から居宅訪問型児童発達支援を開始した。2022年(令和4年)4月からは、指定管理者による運営に移行している[82]

高齢者福祉施設

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銚子市では、高齢者施策を総合的に計画・推進するとともに介護保険事業の円滑な実施を図るため、2024年(令和6年)3月に「銚子市高齢者福祉計画・第9期介護保険事業計画」を策定した。「みんなが支えあい すこやかに暮らせる 福祉のまちづくり」を目指し、さらなる地域包括ケアシステムの深化・推進を図るとともに、中長期的な視点から、「地域共生社会の実現」等も踏まえて位置づける計画としている[83]

介護保険サービス
  • 特別養護老人ホーム松籟の丘
  • 特別養護老人ホームさざんか園
  • 特別養護老人ホームシオン銚子
  • 介護老人保健施設慈風園
  • 介護老人保健施設なぎさ
  • 介護老人保健施設とよさと
高齢者福祉サービス
  • 猿田の丘なでしこ
  • ケアハウスマリンピア銚子
  • ケアハウスかすが苑
  • ケアハウス第2かすが苑
  • 銚子市老人憩の家・地域福祉センター(こも浦荘)
  • 銚子市芦崎高齢者いこいセンター
地域包括支援センター

銚子市では、高齢者の総合的な支援を行う拠点として、市内4か所に地域包括支援センターを設置している。地域包括支援センターは、地域包括ケアシステムの中核として、保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員(主任ケアマネージャー)等が中心となり、生活、介護、福祉、認知症対策、権利擁護等の高齢者支援を行っている。

  • 銚子市地域包括支援センター
  • 銚子市東部地域包括支援センター
  • 銚子市中央地域包括支援センター
  • 銚子市西部地域包括支援センター
その他
  • 千葉県生涯大学校東総学園

千葉県生涯大学校は、高齢者に社会環境の変化に順応できる能力を再開発し、社会活動への参加を通じて生きがいに満ちた充実した生活が営めるよう、地域における高齢者福祉の増進を図るために千葉県が設置している。銚子市には北総学園として1975年(昭和50年)に設置された。東総学園の課程としては、健康・生活学部70人、造形学部園芸まちづくりコース35人、陶芸コース25人の2学部130人である。入学資格は、県内在住の満60歳以上で、学習の成果を地域活動で役立てる等意欲のある者とされる[84]

教育

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千葉科学大学
千葉県立銚子高等学校
千葉県立銚子商業高等学校
千葉県立銚子商業高等学校海洋校舎
銚子市立銚子高等学校

大学

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高等学校

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中学校

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  • 銚子市立第一中学校
  • 銚子市立第二中学校
  • 銚子市立第三中学校
  • 銚子市立銚子中学校
  • 銚子市立銚子西中学校

小学校

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  • 銚子市立飯沼小学校
  • 銚子市立清水小学校
  • 銚子市立明神小学校
  • 銚子市立双葉小学校
  • 銚子市立本城小学校
  • 銚子市立春日小学校
  • 銚子市立高神小学校
  • 銚子市立海上小学校
  • 銚子市立船木小学校
  • 銚子市立椎柴小学校
  • 銚子市立豊里小学校

幼稚園

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  • 銚子幼稚園
  • 飯沼幼稚園

特別支援学校

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  • 千葉県立銚子特別支援学校

教育関係機関

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情報・通信

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マスメディア

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新聞

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市内に通信部・支局を置く日刊の全国紙等は3紙、市内に本社のある日刊の地元新聞は1紙がある。

放送局

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銚子テレビ放送

交通

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鉄道路線

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JR銚子駅
JR銚子駅構内

銚子市と市外を結ぶ鉄道東日本旅客鉄道(JR東日本)の総武本線成田線である。銚子市を起点として、市内に銚子駅松岸駅猿田駅椎柴駅下総豊里駅の5駅が設けられている。総武本線間には、銚子発・東京駅直行の特急電車しおさい」が運転されており、所要時間は約1時間50分である。銚子駅からは私鉄の銚子電気鉄道線外川まで通じている。

銚子駅舎は1948年昭和23年)に建築され、その後改修が重ねられたが、2016年平成28年)10月から全面的な駅舎建替えが行われた。新駅舎は2018年(平成30年)4月に開業した。銚子の人々が生み出す「にぎわい」をテーマに、外装は犬吠埼灯台、内装は醤油蔵をイメージしてデザインされ、地場産の山武杉が使用される等、地域の特色を取り入れた新しい都市交流拠点として整備された[85]。駅構内には、銚子を音楽の街として盛り上げることを目的として木製の駅ピアノが設置され[86]、地元の高校生や県内外のピアニストに親しまれている[87]

東日本旅客鉄道(JR東日本)

総武本線は、1894年明治27年)7月に民営の総武鉄道株式会社市川佐倉間を開業したことに始まり、同年12月本所(錦糸町)・市川間の開業、1897年(明治30年)5月1日の佐倉・成東間、6月1日の成東・銚子間の開業によって、本所(錦糸町)・銚子間が開通した。その後、1904年(明治37年)4月5日に両国橋(両国)・錦糸町間が開通したが、1907年(明治40年)9月1日には、国がこれを買収して国有鉄道総武線になり、1909年(明治42年)10月に総武本線と改称した。成田線は、1897年(明治30年)1月に民営の成田鉄道株式会社が佐倉・成田間の営業を開始し、同年12月に成田・滑川間が、1898年(明治31年)2月に滑川・佐原間が開通し、1920年(大正9年)9月1日に国有鉄道成田線となった。1931年(昭和6年)11月10日に佐原・笹川間が、1933年(昭和8年)3月1日笹川松岸間が開業し、銚子から佐原・成田回りで両国までの鉄道利用が可能となった。

銚子運輸区 - 銚子運輸区は、2012年(平成24年)5月に設立された乗務員の運用、車両検査等を業務とする現業機関であり、職員数は約100人である[88]

銚子電気鉄道(銚子電鉄)

銚子市内唯一の私設鉄道である銚子電気鉄道1923年(大正12年)に銚子鉄道株式会社として設立開業し、戦後の1948年(昭和23年)に企業再建整備法により、新旧勘定合併のため銚子電気鉄道株式会社と改称し、設立登記を行った。営業キロ数は銚子駅構内から外川まで全長6.4キロである。

バス路線

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高速バス

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南海バス
犬吠号
  • 横芝光・旭ルート(千葉交通、京成バス)
    • バスターミナル東京八重洲 - 横芝光IC - 旭 - イオンモール銚子 - 銚子駅 - 犬吠埼太陽の里
  • 大栄・旭ルート(千葉交通、京成バス)
    • バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 旭 - 銚子駅
  • 佐原ルート(千葉交通)
    • バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 佐原駅 - 四日市場パーキング - 銚子駅
  • 佐原・小見川ルート(千葉交通)
    • バスターミナル東京八重洲 - 香取市役所前 - 小見川支所 - 四日市場パーキング - 銚子駅
  • 小見川ルート(千葉交通)
    • バスターミナル東京八重洲 - 酒々井プレミアム・アウトレット - 小見川 - 四日市場パーキング - 銚子駅 - 陣屋町

路線バス

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千葉交通バス
ちばこうバス

民間2社が国道・県道を中心に、銚子駅を発着点として、8系統の路線バスを市内各地区及び周辺地区で運行しており、東総地域におけるバス交通の拠点となっている。

  • 千葉交通千葉交通銚子営業所
    • 豊里ニュータウン線(陣屋町 - 銚子駅 - 豊里ニュータウン第四)
    • 旭銚子線・イオンシャトルバス(陣屋町 - 双葉町 - 銚子駅 - イオンモール銚子 - 玉崎神社 - 旭駅)
    • 長崎線(銚子駅 - 市立病院・国民宿舎前)
    • 名洗・千葉科学大学線(銚子駅 - 千葉科学大学本部前)
  • ちばこうバス(京成タクシー成田
    • 春日台線(銚子駅 - 市立高校・春日台循環)
    • 川口線(銚子駅 - 川口・ポートセンター)
    • 外川線(銚子駅 - 外川車庫)
    • 海鹿島線(海鹿島循環)
  • 関東鉄道関東鉄道潮来営業所波崎車庫
    • 利根川線(銚子駅 - 波崎営業所 - 矢田部公民館 - 鹿島神宮駅)
    • 海岸線(銚子駅 - 土合東電社宅 - 鹿島神宮駅)
    • 海水浴場線(銚子駅 - 波崎海水浴場)

タクシー

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市内のタクシー事業者は4事業者あり、合計の保有台数は約86台となっている[89]

  • 大丸タクシー
  • ミナトミタカタクシー
  • 平和タクシー
  • アステル交通

道路

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銚子大橋
利根かもめ大橋

銚子市内には一般国道が3路線あるが、このうち最も主要な国道千葉・銚子間を結ぶ126号線であり、かつては銚子市と首都近郊を結ぶ唯一最大の道路であった。貨物輸送を始めその他の交通における大動脈としての役割は極めて大きい。銚子大橋前交差点は、126号線とこれに次ぐ銚子市の動脈である356号線及び水戸市に至る国道で銚子市と茨城県を結ぶ最大の幹線道路である124号線が集まる3国道の起点となっている。

広域幹線道路については、国道126号線飯岡バイパス、東総広域営農団地農道、東総有料道路東関東自動車道成田線、九十九里波乗道路等が整備されている。2000年(平成12年)、利根かもめ大橋が開通し、2013年(平成25年)には銚子大橋架替工事が完了した。今後は山武方面との高規格幹線道路銚子連絡道路の早期実現が期待されている。市内の主要道路では、海岸を一周する県道銚子公園線、愛宕山の観光道路市道愛宕山天王台線、三崎町から屏風ヶ浦の台地を通って天王台に至る県道愛宕山公園線が整備されているほか、銚子海上線の拡幅整備、銚子公園線長崎周遊道路の開通、銚子駅前シンボルロード・本通りマイロード・銚子銀座ココロードの整備等により、観光都市としての交通体系の整備も進められてきた。

有料道路

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一般国道

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都道府県道

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主要地方道
一般県道
自転車道

空港

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千葉県成田市成田国際空港(成田空港)が最寄りとなり、約40キロメートルの距離に位置する。東京都大田区東京国際空港(羽田空港)へは約95キロメートルの距離に位置する。

船舶

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名洗港海岸
  • 名洗港(避難港地方港湾
    • 銚子マリーナ
      • 計画収容隻数 1000隻(海面440、陸上560)
      • 整備状況 450隻(海面160、海面ディンギー20、陸上90、陸上ディンギー180)※海面:県施行、陸上:市施行

観光・文化 

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名所・旧跡

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銚子外川の町並み(本浦通り)

日本遺産「北総四都市江戸紀行」

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  • 外川の町並み - 1658年万治元年)に整備され「外川千軒大繁盛」と謳われた漁師町の町並み
  • 銚子ちぢみ伝統工芸館 - 銚子ちぢみの藍染体験
  • 西廣家住宅 - 国登録有形文化財
  • 磯角商店主屋 - 国登録有形文化財
  • 銚子の醤油醸造
    • 玄蕃井戸 - ヒゲタ醤油の醸造用水
    • ヤマサ醤油しょうゆ味わい体験館 - 工場見学ツアー、煎餅焼き体験、歴史資料・道具展示など
    • ヒゲタ醤油史料館 - 工場見学、フレスコ画・歴史資料・道具展示など
    • 山十商店 - 発酵調味料「ひ志お」を製造
    • 小倉醤油 - 杉樽を用いた伝統製法で醤油を醸造
    • 銚子の磯巡り - 江戸期東国三社詣のオプショナルツアーとして流行した、銚子海岸の奇岩奇勝が生み出す景観を巡る銚子周遊の小旅行
  • 犬吠埼 - 日本一早い初日の出を拝むことが出来る関東最東端の岬
  • 君ヶ浜 - 日本の渚100選に選定された白砂青松の海岸
  • 海鹿島 - 明治大正期に文人墨客の別荘が立ち並んだ保養別荘地
    • 思咢庵 - 銚子咢堂会によって建てられた尾崎行雄の別荘
    • 思咢庵美術館 - 尾崎行雄の遺品や書画骨董を収蔵(個人所有のため非公開)
    • 潮光庵 - 小川芋銭別邸、アトリエとして頻繁に使用された
  • 長崎鼻 - 銚子半島東海岸の最南端の岬
    • 長崎鼻一ノ島照射灯
  • 銚子大橋 - 利根川河口に架かる全長1.5kmの斜張橋
  • 銚子電気鉄道 - 1923年(大正12年)創業の銚子市街と外川を結ぶノスタルジックなローカル線。ぬれ煎餅で知られる
  • ヤマサ醤油煉瓦蔵 - ヤマサ醤油本社西側に1915年(大正4年)から1923年(大正12年)にかけて仕込蔵増設時に建設
  • 飯沼陣屋跡 - 江戸時代高崎藩郡奉行代官が派遣常駐した
  • 中島城(海上城) - 戦国時代に銚子地方を支配した海上氏の居館として築かれた平城
  • 粟島台遺跡 - 縄文時代琥珀装飾品の生産拠点、漆塗り土器も出土
  • 余山貝塚 - 縄文時代後期から晩期の遺跡、考古学界で古くから著名であった
  • 野尻古墳群 - 前方後円墳一基、円墳八基、方墳三基からなる
  • 千人塚 - 古くからの難所であった利根川河口での遭難者供養のために築かれた塚
  • 美加保丸遭難の碑 - 1868年慶応4年)に幕府の艦隊8隻が銚子沖で座礁・沈没。犠牲者を悼む地元有志によって遭難碑が建てられた

寺社

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レジャー

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地球の丸く見える丘展望館
  • 銚子マリーナ - 名洗港内に1999年(平成11年)にオープンした本格的マリーナで、海浜緑地公園や人工ビーチと併せて海洋性レクリエーション基地
  • 地球の丸く見える丘展望館 - 下総最高峰の標高72.6mに位置する展望台。地球の丸く見える丘ふれあい広場も併設
  • 水産ポートセンター - 銚子ポートタワー・ウオッセ21・水産研究センターからなる複合施設
  • 君ヶ浜しおさい公園 - 自然との調和と環境保全を基本として整備された海浜公園
  • 河岸公園 - 銚子大橋を眺めるビューポイント
  • 犬吠テラステラス - カフェやショップ、地元野菜マルシェなどが入った商業施設
  • ハーブガーデンポケット - ツリーハウス、グリーンショップ、ドッグランを併設した海辺のハーブ園
  • 銚子海洋研究所 - 銚子沖合でのホエールウォッチングイルカウォッチング
  • 屏風ヶ浦シーカヤック
  • レインボーヒルズカントリークラブ - 27コースを有する林間のゴルフ場

海水浴場

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  • 海鹿島海水浴場 - 周りを岩礁に囲まれたプール状の海水浴場
  • 長崎海水浴場 - 沖合に岩礁を積んだ犬吠埼灯台を望む海水浴場
  • 銚子マリーナ海水浴場 - 屏風ヶ浦を背にした海水浴場

温泉

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銚子と文学

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江戸時代文化文政期頃から多くの文人墨客が銚子に来遊し、銚子の海岸の奇岩、断崖、白砂、青松、怒涛など変化に富んだ明媚な風光を和歌俳句漢詩に詠み、あるいは文に記し絵にして、多くの作品を残した。大正時代以降は避暑地として、皇族政治家財界人作家画家が別荘を構えて滞在した。竹久夢二の「宵待草」や高村光太郎の「智恵子抄」の舞台としても知られる。現在、市内には歌碑、詩碑が多く立つ[90]。以下、代表作一覧。

  • 松尾芭蕉「枯枝に からすのとまりけり 秋の暮」
  • 小林一茶「此臺の清風たゝちに心涼しく西方仏土もかくあらんと 本とゝす 爰をさること 遠からす」
  • 国木田独歩「なつかしき わが故郷は 何処ぞや 彼処にわれは 山林の児なりき」
  • 竹久夢二「まてど暮らせど来ぬ人を宵待草のやるせなさ今宵は月も出ぬさうな」
  • 小川芋銭「銚子灘朝暾 大海を 飛びいつる如と 初日の出」
  • 尾崎咢堂「朝またき 彼方の岸は アメリカと 聞て瓜立つ おはしまのはし」(瑞鶴荘にて)
  • 高浜虚子「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」
  • 佐藤春夫「ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 燈台の高さを 知らず 波のうねうね ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて 松のいろ 錆びて 黝きを わが心 錆びて黝きを」
  • 源俊頼「磐はしる 外川の滝の むすぶ手も しばしはよどむ 淀むせもあれ」

財団法人公正會

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ヤマサ醤油10代目当主濱口儀兵衛は、地域への報恩のため1925年(大正14年)に私財を投じ、銚子に財団法人公正會を設立した。1926年(大正15年)に開館した公正會館は鉄筋コンクリート2階建の建物で、公正會の活動拠点として利用され、銚子における文化の殿堂となった。建物内にはステージ付きホールや図書室があるほか、夜間中学である公正學院を開くなど当時としては先進的な社会教育事業が行われた。また、各界一流人を招いた講演会やオーケストラ演奏会も頻繁に催された。「公正」という名前には、私事を捨て大衆を基とし、最も公平に正しく運営するという理念が込められているとされた。1945年(昭和20年)3月の銚子空襲により街は壊滅的な被害を受けたが、この建物は奇跡的に残った。戦後は市に寄付され、1983年(昭和58年)まで市立図書館として利用された[91]

スポーツ

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野球

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銚子市の千葉県立銚子商業高等学校は春8回、夏12回という千葉県最多の全国高等学校野球選手権大会出場記録を保持しており、全国制覇の経験もある高校野球の名門校。その豪快な打線は「黒潮打線」と呼ばれ、名将・鈴木源三郎、斉藤一之監督の指導の下、木樽正明篠塚和典宇野勝ら20人ものプロ野球選手を輩出した[92]

2019年(令和元年)には木樽正明により野球チームが結成され、銚子スポーツタウンを拠点に活動している。

祭事・催事

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  • 常灯寺初薬師 - 年に一度の重要文化財・木造薬師如来坐像の御開帳
  • 漕出式 - 海の安全と豊漁を願い大漁旗を掲げた船を漕ぎ出す伝統儀式
  • 銚子半島一周駅伝 - 早春の銚子半島で行われる中学生対抗の駅伝大会
  • 菅原大神祭礼 - 奉納されている子産石は抱くと子宝に恵まれるという言い伝えがある
  • 妙福寺藤まつり - 境内の「臥龍の藤」が見頃を迎える初夏に開催される
  • 大潮まつり - 旧暦6月15日に執り行われ、漁師を始めとした漁業関係者が神輿を担ぐ
  • 浅間神社祭礼 - 露店150軒以上が並び、多くの参拝客で賑わう
  • 銚子みなとまつり - 利根川河畔の約5,500発の花火が打ち上がる花火大会や、神輿が銚子市役所前から銚子銀座通りを通って飯沼観音まで練り歩くみこしパレードが行われる
  • 銚子農産まつり・銚子水産まつり - 銚子の海産物や農産物の直売所が出店、さんま焼き体験などのイベントも開催される
  • 銚子さんまマラソン - 海岸線のコース、炭火焼きサンマの無料配布・サンマのつかみ取りも行われる
  • 黒潮よさこい祭り - 全国60チームが市内各所で演舞を行い優勝を競う、銚子市民主催の祭りで、名産品マルシェ、軽トラ市、ブランド肉祭りなどの各種イベントも同時開催される
  • 銚子マルシェ - グルメや地元野菜の販売の他ワークショップなどが開催される
  • 東大社銚子大神幸祭 - 1102年(康和2年)に始まり、20年に一度東大社雷神社豊玉姫神社の三社が外川浜へ御渡しを行う

民俗・芸能

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  • 銚子大漁節 - 1864年(元治元年)に豊漁を祝って作られた銚子を代表する民謡で、銚子では盆踊りや宴席などでも披露される
  • 銚子はね太鼓 - 江戸時代から銚子に伝わる豪快な祭り太鼓
  • 銚子弁 - 銚子の方言は紀州からの移民による関西系の言葉や水運の発展に伴う東北系の言葉、対岸の茨城の言葉など各地の言葉が入り混じっており、言葉の響きが重く、言葉の末尾に「べ」や「ぺ」を用いる他、濁音が多いことが特徴で、威勢のよい漁師言葉であるとされる
  • 海亀の墓 - 亀が漁網にかかると酒をふるまい海に帰し、万一釣針にかかって死んだ時は、立派な墓を作り敬うという習わしがあり、妙福寺や長崎、恵比須山などに「亀墓」が見られる
  • 生切り - 新年最初に漁船を出すことを「生切り」と呼び、銚子では生切りをつとめた船は不祥なことが起こるという言い伝えがあったため、各漁船の乗組員が生切りを避けようとしなかなか船を出すことができず、漁業組合は奨励金を出し抽選で第一船を決めていた
  • 川施餓鬼 - 毎年一回、川口の千人塚で行われる海難事故犠牲者の慰霊と供養の儀式

名産・特産品

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  • 銚子つりきんめ - 一本釣り漁法により1尾ずつ丁寧に釣り上げられる高級魚
  • 銚子の入梅いわし - 6月から夏場にかけての梅雨時に獲れるマイワシ
  • 磯がき - 夏場が旬
  • 灯台キャベツ - 「ちばエコ農産物」指定、銚子の春キャベツは日本一の収穫量
  • 銚子メロン - 糖度16度以上の金印で、「第16回日本農業賞」を受賞
  • 清酒 - 石上酒造「銚子の誉」[93]、小林酒造場「祥兆」」[94] など
  • 醤油 - 江戸時代初期に紀州から製法が伝わり、ヤマサ醤油ヒゲタ醤油、宝醤油、小倉醤油が醤油を製造している
  • ひ志お - 大豆大麦から麹を作り、1年以上熟成させて作る発酵調味料
  • ぬれ煎餅 - 焼いた煎餅を熱いうちに醤油に浸し、しっとりした食感をもたせたもの
  • 銚子伊達巻寿司 - 明治初期に細工寿司として考案された、分厚い厚焼き玉子焼きを半月状にして太巻き寿司の上に乗せた郷土料理
  • 海藻こんにゃく - ツノマタやコトジツノマタを煮溶かして固めたもの
  • 佃煮 - イワシカツオサンマなどを醤油で煮込んだもの
  • なめろう - おろした魚に味噌や香味野菜を一緒にたたき合わせて作る漁師料理
  • さんが焼き - なめろうを焼いたもの
  • 木の葉パン - 古くから伝わる郷土菓子
  • 今川焼 - 飯沼観音門前名物
  • 犬吠の月 - 1973年(昭和48年)に昭和天皇への献上菓子として誕生
  • いわしサブレ - イワシの水揚げ量日本一の銚子にちなんで作られた菓子
  • 味噌ピーナッツ - 落花生ハチミツ入り味噌を絡めたもの
  • 水産缶詰 - サバカレー、イワシ、サンマ蒲焼など
  • 練り物 - 磯揚げ、はんぺん、かまぼこなど
宮内庁御用達

伝統工芸品

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  • 千葉県指定伝統的工芸品
    • 銚子萬祝式大漁旗 - 江戸時代からの技術を継承した大漁旗染物
    • 銚子縮 - 千葉県指定無形文化財、千葉県指定伝統的工芸品第一次第一号指定の織物
    • 籐製品 - 素材から製品まで手作業で作成される

文化財

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国・千葉県指定および国登録文化財一覧[95]

番号 指定・登録 類別 名称 所在地 所有者または管理者 指定年月日 備考
1 国指定 重要文化財(建造物) 犬吠埼灯台(灯台、旧霧笛舎、旧倉庫) 銚子市犬吠埼 国(海上保安庁)、公益社団法人燈光会 令和2年12月23日 1基、2棟
2 重要文化財(彫刻) 木造薬師如来坐像 銚子市常世田53-1 常灯寺 昭和34年6月27日 1躯
3 重要文化財(工芸品) 奈良国立博物館 円福寺 昭和34年6月27日 1口
4 記念物(名勝及び天然記念物) 屏風ケ浦 銚子市春日町744-1他 銚子市・千葉県・国 平成28年3月1日
5 記念物(天然記念物) 犬吠埼の白亜紀浅海堆積物 銚子市犬吠埼9578-10他 銚子市・国 平成14年3月19日
6 県指定 有形文化財(建造物) 猿田神社本殿 銚子市猿田1677 猿田神社 昭和30年12月15日 1棟
7 常灯寺本堂 銚子市常世田町53-1 常灯寺 昭和54年3月2日 1棟
8 海上八幡宮本殿 銚子市柴崎1-17 海上八幡宮 平成2年3月16日 1棟
9 有形文化財(彫刻) 木造薬師如来立像 銚子市岡野台町2-473 等覚寺 平成元年3月10日 1躯
10 木造薬師如来立像 銚子市岡野台町2-473 等覚寺 平成元年3月10日 1躯
11 木造菩薩立像 銚子市岡野台町2-473 等覚寺 平成元年3月10日 1躯
12 有形文化財(工芸品) 梵鐘享徳十一年在銘) 銚子市馬場町293-1 円福寺 昭和42年3月7日 1口
13 釈迦涅槃図 銚子市馬場町293-1 円福寺 平成3年2月15日 1幅
14 有形文化財(古文書) 天正検地 銚子市ほか 銚子市ほか 昭和57年4月6日 18件・71冊
15 有形文化財(考古資料) 金銅経筒(建長四年在銘) 銚子市岡野台町2-473 等覚寺 昭和60年3月8日 1合
16 無形文化財 銚子縮 銚子市松岸町 常世田眞壱郎 平成13年3月30日
17 記念物(天然記念物) 渡海神社の極相 銚子市高神西町2 渡海神社 昭和34年4月24日
18 猿田神社の森 銚子市猿田1675-21他 猿田神社 昭和49年3月19日
19 犬吠埼産出のアンモナイト 銚子市前宿町1034 銚子市 平成18年3月14日 5標本6点
20 国登録 登録有形文化財(建造物) 内野家住宅洋館 銚子市長山町2034 個人 平成11年7月8日 1件
21 磯角商店主屋 銚子市飯沼町186 個人 平成26年4月25日 1件
22 滑川家住宅主屋ほか 銚子市野尻町27-1 個人 平成29年6月28日 2件
23 旧西廣家住宅(治郎吉)主家ほか 銚子市川口町1-6271 株式会社ランス 平成30年3月27日 5件
24 石上酒造米藏ほか 銚子市田中町7-1 個人 平成30年3月27日 5件

出身著名人

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国木田独歩

政治家・官僚

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実業家

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学術

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文化・芸術

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芸能・マスコミ

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スポーツ

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作品

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文学・小説

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  • 『七番日記』(1811年〜1819年、著者:小林一茶
  • 『南総紀行旅眼石』(1827年、著者:十返舎一九
  • 利根川図志』(1858年、著者:赤松宗旦
  • 『驟雨』(1893年、著者:国木田独歩)
  • 『利根川だより』(1898年、著者:島崎藤村
  • 『青山白雲』(1898年、著者:徳富蘆花
  • 『三社めぐり』(1899年、著者:大和田建樹
  • 『自然と人生』(1900年、著者:徳富蘆花)
  • 『銚子の紀行』(1903年、著者:尾崎紅葉
  • 『銚子行の日記』(1905年、著者:木下杢太郎
  • 青春』(1905年〜1906年、著者:小栗風葉
  • 『涼しき土地』(1907年〜、著者:竹久夢二)
  • 『関東の山水』(1909年、著者:大町桂月
  • 青年』(1910年〜1911年、著者:森鴎外)
  • 『犬吠岬旅情のうた』(1911年、著者:佐藤春夫
  • 宵待草』(1912年、著者:竹久夢二)
  • 『犬吠の太郎』(1912年、著者:高村光太郎
  • 大菩薩峠』(1913年〜1941年、著者:中里介山
  • 『寝顔』(1914年、著者:舟橋聖一
  • 道程』(1914年、著者:高村光太郎)
  • 『燈台へ行く道』(1914年、著者:田山花袋
  • 『くろ土』(1921年、著者:若山牧水
  • 『砂丘日記』(1932年、著者:吉田絃二郎
  • 『瑞枝』(1934年、著者:黄瀛)
  • 『秋一人』(1935年、著者:吉田絃二郎)
  • 『犬吠ヶ埼』(1935年、著者:吉田絃二郎)
  • 『天の真榊』(1936年、著者:香取秀真
  • 『暁紅』(1940年、著者:斉藤茂吉
  • 『素描』(1940年、著者:前田夕暮
  • 智恵子抄』(1941年、著者:高村光太郎)
  • 裸者と死者』(1948年、著者:ノーマン・メイラー
  • 『歩道』(1950年、著者:佐藤佐太郎
  • 『砂に残された文字』(1951年、著者:広津和郎
  • 『死んだ海』(1952年、作・演出:村山知義
  • 『房総鼻眼鏡』(1954年、著者:内田百閒
  • 『砂漠の花』(1955年〜1957年、著者:平林たい子
  • 『犬吠岬紀行』(1958年、著者:吉田絃二郎)
  • 『犬吠』(1961年、著者:尾張穂草)
  • 『かずら野』(2001年、著者:乙川優三郎
  • 『むこうだんばら亭』(2005年、著者:乙川優三郎)
  • 『十津川警部 銚子電鉄六.四キロの追跡』(2010年、著者:西村京太郎
  • 『トモシビ - 銚子電鉄の小さな奇蹟 - 』(2015年、著者:吉野翠)
  • 『十津川警部 わが愛する犬吠の海』(2016年、著者:西村京太郎)
  • 『あなたのなかの忘れた海』(2016年、著者:高橋弘希

映画

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テレビドラマ

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音楽

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MV撮影

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アニメ

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 山岳や離島を除く平地。
  2. ^ 徳利ではない。

出典

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関連項目

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外部リンク

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行政
観光