窪田淳
日本の元プロ野球選手 (1978-)
窪田 淳(くぼた あつし、1978年〈昭和53年〉2月20日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県銚子市 |
生年月日 | 1978年2月20日(46歳) |
身長 体重 |
179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト6位 |
初出場 | 2002年9月4日 |
最終出場 | 2003年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集市立銚子高では一塁手兼第2投手であった。第1投手は長谷川昌幸[1]。
大学は帝京大学に進学し、硬式野球部に所属。3年生まで首都大学リーグ戦未登板であったが、スリークォーターから投じる140km/h台のストレートと鋭く曲がるスライダーを武器にして、4年生時に大学エースとなる。当時の監督が日産自動車コーチ時代に川尻哲郎を指導しており、その川尻と近い投球フォームにして開花したという[1]。通算10試合登板、5勝2敗。1学年先輩に愛敬尚史、里崎智也がいた。
1999年11月19日に開催されたドラフト会議にて6巡目で阪神タイガースから6位指名を受け、入団[2]。
現役時代
編集当時の阪神には数少ない速球派投手として期待されたが、2年間で一軍出場はなく2001年オフにオリックス・ブルーウェーブへ金銭トレードで移籍[2]。オリックスでは石毛宏典監督が高校の先輩であった。
移籍後は一軍登板もあり、2003年10月7日の大阪近鉄バファローズ戦で救援としてプロ入り初勝利を挙げたが、これまでの成績が安定しておらず、同年オフに自由契約となる。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2002 | オリックス | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 10.1 | 15 | 2 | 4 | 0 | 1 | 5 | 1 | 0 | 11 | 11 | 9.58 | 1.84 |
2003 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 53 | 10.2 | 16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 11 | 9 | 7.59 | 1.97 | |
通算:2年 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 104 | 21.0 | 31 | 8 | 9 | 1 | 1 | 11 | 2 | 0 | 22 | 20 | 8.57 | 1.90 |
記録
編集- 初登板:2002年9月4日、対福岡ダイエーホークス23回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏に4番手で救援登板、2/3回2失点
- 初勝利:2003年10月7日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(Yahoo! BBスタジアム)、11回表に6番手で救援登板・完了、1回1失点
背番号
編集- 58(2000年 - 2001年)
- 54(2002年 - 2003年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 窪田淳 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)