大和田建樹
明治期の国文学者、歌人、詩人
大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857年5月22日) - 明治43年(1910年)10月1日)とは、日本の詩人、作詞家、国文学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)教授。「鉄道唱歌」「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞者として知られている。
大和田建樹 | |
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誕生 |
1857年5月22日(安政4年4月29日) 伊予国宇和島 |
死没 |
1910年(明治43年)10月1日 東京府 |
墓地 | 青山霊園 |
職業 | 詩人・作詞家 |
国籍 | 日本 |
代表作 | 「鉄道唱歌」 |
親族 | 岡田美子(義妹) |
ウィキポータル 文学 |
経歴
編集1857年(安政4年)4月29日、伊予国宇和島に生まれた[1]。父の大和田水雲は宇和島藩士であり[2][3][4][注 1]、その影響で幼少期から書道・四書・和歌・俳句を学び、1869年(明治2年)には培寮に入学して漢学を学ぶ[1]。同時期に穂積重樹や清家堅庭について国学や和歌を学ぶ[1]。
1873年(明治6年)頃、翻訳書によって外国事情を知り、宇和島藩校明倫館卒業後[5]、1876年(明治9年)広島外国語学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)に入学するも、1878年(明治11年)母の死亡のため退学[1](持病とも言われる[6])。1879年(明治12年)、東京に出て英語・ドイツ語・ラテン語といった外国語や博物学、哲学を学び、1880年(明治13年)交詢社の書記となり、1882年(明治15年)東京大学書記として勤務[1]。1883年(明治16年)東京大学古典講習科の講師となり、1886年(明治19年)高等師範学校教授となるが、1891年(明治24年)に退職[1]。以後は、明治女学校・立教女学校・早稲田中学校・静修女学校・青山女学院・女子語学校・跡見女学校などに出講しながら創作に専念[6]。
主な作品
編集唱歌
編集- 「舟あそび」(曲:奥好義)
- 「故郷の空」(曲:スコットランド民謡)
- 「青葉の笛」(曲:田村虎蔵)
- 「暁起」(曲:田中銀之助)
- 「あわれ少女」(曲:フォスター)
- 「四条畷」
- 「夢の外」
- 地理教育 鉄道唱歌 (作曲:上真行・多梅稚・田村虎蔵・納所弁次郎・吉田信太) 1900年
- 地理教育 世界唱歌 (作曲:納所弁次郎・多梅稚・山田源一郎・田村虎蔵) 1900年
- 海事教育 航海唱歌 (作曲:田村虎蔵・多梅稚・小山作之助・納所弁次郎) 1900年
- 日本文典唱歌 (作曲:小山作之助) 1901年
- 国民教育 忠勇唱歌1 楠公父子 (作曲:本元子=小山作之助) 1901年
- 国民教育 忠勇唱歌2 四十七士 (作曲:牛銀子) 1901年
- 国民教育 忠勇唱歌3 豊太閤 (作曲:多梅稚) 1901年
- 国民教育 忠勇唱歌4 菅公 (作曲:多梅稚) 1901年
- 国民教育 忠勇唱歌5 牛若丸 (作曲:納所弁次郎) 1901年
- 春夏秋冬 花鳥唱歌 (作曲:本元子) 1901年
- 春夏秋冬 散歩唱歌 (作曲:多梅稚) 1901年
- 東京府民 公徳唱歌 (作曲:小山作之助) 1902年
- 満韓鉄道唱歌 (作曲:天谷秀) 1903年
- 戦争唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1903年
- 戦争地理 満州唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1904年
- 日露開戦唱歌 1904年
- 国民唱歌 日本海軍 (作曲:小山作之助) 1904年
- 家庭教育 運動唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1905年
- 地理歴史教育 東京名所唱歌 (作曲:小山作之助) 1907年
- 地理教育 物産唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1907年
- 地理教育 東洋一週唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1908年
- 修身唱歌 二宮金次郎 (作曲:永井孝次) 1908年
- 詔書 勤倹の歌 (作曲:小松耕輔) 1908年
- 堺市水道唱歌 (作曲:田村虎蔵) 1910年
- 家庭運動唱歌 摘草 (作曲:田村虎蔵) 1910年
軍歌
編集- 「日本陸軍」(曲:"開成館"深澤登代吉)
- 「日本海軍」(曲:小山作之助)
- 「黄海海戦」(「海軍軍歌」収録。曲:瀬戸口藤吉)
- 「威海衛襲撃」(同上)
- 「閉塞隊」(同上)
- 「日本海海戦」(同上)
- 「日本海夜戦」(同上)
- 「第六潜水艇の遭難」(同上)
- 「国旗軍艦旗」(同上)
- 「艦船勤務」(同上)
- 旅順陥落 祝捷軍歌 (作曲:田村虎蔵) 1904年
- 日露軍歌 (作曲:田村虎蔵) 1904年
- 日露軍歌第弐集・旅順口大海戦 (作曲:田村虎蔵) 1904年
- 征露軍歌 橘大佐 (作曲:納所弁次郎) 1904年
- 我が赤十字 (作曲:上真行) 1904年 「戦捷軍歌」収録
上記のほか、「海軍軍歌」に収められている「楠公父子」も大和田の作詞(作曲:瀬戸口藤吉)という説があるが、それを裏付ける資料はない。
その他
編集- 「謡曲通解」
- 「雲井の曲」(曲:宮城道雄)
- 「埼玉県立浦和高等学校校歌」
- 「跡見学園女子大学校歌」
- 「大野市立 有終西小学校校歌」
- 「雙葉学園 (四谷・田園調布・横浜・静岡・福岡) 校歌」
- 「千葉県立成東高等学校(旧制成東中学)校歌」
- ※大和田は、雙葉高等女学校(現在の四谷雙葉)で教鞭をとり、源氏物語や和歌を教えていた。
エピソード
編集記念碑その他
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i 岡本昌夫「明治翻訳史の一断面―大和田建樹を中心として―」『比較文学』第4巻、日本比較文学会、1961年、23-33頁、doi:10.20613/hikaku.4.0_23、NAID 130005700071。
- ^ a b 岡利道「大和田建樹の作文教授観」『広島文教教育』第10巻、広島文教女子大学教育学会、1996年3月、1-16頁、CRID 1390012711625407744、doi:10.51095/kyoiku.10.04、ISSN 09138870、2024年4月1日閲覧。
- ^ “郷土の先人 ➀”. 愛媛県立宇和島東高等学校近畿同窓会. 2021年1月15日閲覧。
- ^ “愛媛県史 人 物(平成元年2月28日発行)”. 愛媛県生涯学習センター. 2021年1月15日閲覧。
- ^ “データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. www.i-manabi.jp. 2020年7月16日閲覧。
- ^ a b 佐藤勇夫「大和田建樹と『欧米名家詩集』」『英学史研究』第1991巻第23号、日本英学史学会、1990年、29-39頁、doi:10.5024/jeigakushi.1991.29。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)72頁
- ^ “市指定 大和田建樹の生家跡 - 宇和島市ホームページ”. www.city.uwajima.ehime.jp. 2020年7月16日閲覧。
参考文献
編集- 谷村政次郎 『行進曲「軍艦」百年の航跡』 大村書店、2000年。ISBN 4-7563-3012-6