奥 好義(おく よしいさ、1857年11月8日安政4年9月22日〉 - 1933年昭和8年〉3月6日9日[1]とも))は、明治大正昭和時代の雅楽師作曲家

奥 好義
生誕 (1857-11-08) 1857年11月8日
出身地 日本の旗 日本 京都府
死没 (1933-03-06) 1933年3月6日(75歳没)
ジャンル クラシック音楽雅楽
職業 作曲家

経歴

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安政4年(1857年)9月22日(生年は安政5年(1858年[1]、誕生日は9月20日[1]とも)、京都生まれ[1]1870年東上、宮内省雅楽局で雅楽を演奏し、また洋楽を教習した。1879年から松野クララピアノを師事した[2]

作曲作品・特徴

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複数の『君が代』の中で、奥の『君が代』が祝日大祭日唱歌に選ばれた。ただし官報発表は林廣守撰となっている。 他に『婦人従軍歌』、『金剛石』、『天長節』、『富士川小学校校歌』、『勇敢なる水兵』などの作がある。『勇敢なる水兵』は替え歌され『のらくろの歌』としても知られる。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 細川周平片山杜秀 監修『日本の作曲家 近現代音楽人名事典』日外アソシエーツ、2008年、161頁。ISBN 978-4-8169-2119-3 
  2. ^ 秋山龍英 編「(大正9年11月「月刊楽譜」第9巻第11号)最初のピアノの教師クララ女史 奥好義氏談」『日本の洋楽百年史』第一法規出版、1966年、335頁。 

外部リンク

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