高橋裕紀

日本のレーサー

高橋 裕紀(たかはし ゆうき、1984年7月12日 - )は、埼玉県北葛飾郡吉川町(現:吉川市)出身の元モーターサイクル・ロードレーサー。2004年の全日本ロードレース選手権GP250クラスチャンピオン。2005年 - 2013年までロードレース世界選手権参戦。2014年より再び全日本ロードレース選手権に参戦。弟の高橋江紀もロードレーサーだった。

高橋 裕紀
2012年 ポルトガルGP
国籍 日本の旗 日本
現在のチーム 日本郵便HondaDream TP
ゼッケン 23
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2009
マニファクチャラーHonda
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
0 0 0 0
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2010-2013
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
64 1 4 0 0 170
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間2005-2008
マニファクチャラーHonda
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
65 2 7 0 0 546
スーパーバイク世界選手権
活動期間2019
マニファクチャラーHonda
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
6 0 0 0 0 11

経歴

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キャリア初期 - 全日本時代

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3歳の誕生日に祖父にポケバイをプレゼントされるが、エンジン音を怖がり乗ることはなかった。7歳でポケバイに乗り始め、8歳でポケバイレースデビュー。1996年には全日本ポケットバイク選手権最優秀選手賞を受賞、ミニバイクレースへ転向する。またこの年に桶川塾へ入った。

2000年に全日本ロードレース選手権GP125クラスにデビュー、第9戦SUGOで初優勝を果たした。翌2001年は8戦中4勝を挙げ、仲城英幸に次ぐランキング2位となった。またこの年のロードレース世界選手権第13戦パシフィックGPもてぎ)125ccクラスのレースにワイルドカード枠で参戦し、グランプリデビューを果たした。

2002年よりアイ・ファクトリーを母体とするダイドーMIUレーシングに移籍しGP250クラスにステップアップ。第8戦英田でクラス初優勝を遂げ、年間ランキング7位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。またこの年のパシフィックGPにはHRCから250ccクラスにワイルドカード参戦し、3位表彰台に立つ活躍を見せた。このときの高橋の年齢は18歳と86日であり、日本人ライダーとして史上最年少の表彰台獲得記録となっている。

翌2003年もGP250に継続参戦、第4戦鈴鹿で1勝を挙げ、年間ランキングでは5位に成績を伸ばした。世界選手権には春の日本GP鈴鹿)と秋のパシフィックGPの2戦に出場し、鈴鹿では自身2度目となる3位表彰台に立った。

そしてGP250クラス3年目となった2004年には6戦中4勝を挙げ、青山周平を抑えて初のチャンピオンに輝いた。

ロードレース世界選手権250ccクラス (2005 - 2008)

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2008年 日本GP

前年のチャンプ獲得により、高橋はホンダが若手選手育成のために創設した「ホンダレーシングスカラシップ[1]」の第2期生に選ばれ、2005年よりロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦できることとなった。スカラシップの受け皿となったチーム・スコットよりRS250RWを駆りデビューを果たした初年度のベストリザルトは第12戦日本GPでの4位、年間ランキングでは11位となった。

2006年も同チームに残留[2]第5戦フランスGPでグランプリ初優勝を遂げた。その後第10戦ドイツGPにも勝利し、2勝を挙げて年間ランキング6位に成績を伸ばした。しかしこの年の7月には鈴鹿8耐に向けての練習走行中の転倒で左腕を骨折し1戦を欠場[3]最終戦バレンシアGPではフリー走行での転倒で大腿骨骨折の重傷を負う等[4]、怪我に泣かされたシーズンでもあった。

2年のスカラシップ期間を終え、フル参戦3年目を迎えた2007年シーズンもチームに残留した。大腿骨骨折の後遺症でリアブレーキのコントロールに苦しみ[5]第4戦中国GPではマシントラブルから転倒を喫して前年傷めた左腕を再び骨折してしまう等[6]、前年から続いて怪我との戦いとなってしまった。結局この年は一度も表彰台に立つこともなく、ランキングは11位に終わった。

チーム在籍4年目となった[7]2008年シーズン、高橋は勝利こそ挙げられなかったものの、開催された16戦中15戦をポイント圏内で完走、3戦で表彰台に立ち、クラス自己ベストとなる年間ランキング5位を記録した。

MotoGPクラス (2009)

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2008年よりチーム・スコットは最高峰MotoGPクラスにアンドレア・ドヴィツィオーゾをライダーに参戦を開始しており、2009年にはホンダワークスに抜擢されたドヴィツィオーゾの後任として高橋がMotoGPクラスデビューを果たすことになった。当初は高橋だけの1台体制だったが、第6戦カタルニアGPよりガボール・タルマクシが加入し2台体制となった。そして第8戦アメリカGPを前に、チームは資金難を主な理由に、高橋との契約を打ち切ることを発表した[8]。これにより、1992年新垣敏之以降続いていた日本人ライダーの最高峰クラスへのレギュラー参戦が途絶えることになってしまった。

Moto2クラス (2010 - 2013)

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2010年 イギリスGP

2010年シーズンは250ccクラス後継のMoto2クラスへ、フランスのテック3チームから参戦した。第7戦カタルニアGPではアンドレア・イアンノーネのペナルティに助けられた形ではあったものの、2006年以来となるグランプリ3勝目を挙げた。しかしシーズンを通して見ると旋回性に問題を抱えたマシン[9]に苦しんで下位に沈んだり転倒を喫したレースも多く、年間ランキングは12位に留まった。

2011年は前年にチャンピオンのトニ・エリアスを輩出したグレシーニ・レーシングに移籍、モリワキのシャシーを駆ってクラス2年目のシーズンを迎える[10]。なおこの移籍に関しては、選択肢としてグレシーニだけではなく、moto2での最多シェアシャーシとなるスーターのメインチームであるマークVDSレーシングからもオファーされていたが、マークVDSではスコット・レディングに次ぐセカンドライダー待遇になるのに対して、グレシーニはファーストライダー待遇である点に加え、日本パッケージで戦えるという点からグレシーニへの移籍を決めたという[11]第3戦ポルトガルでは直前に弟の高橋江紀を交通事故で亡くし、辛い精神状態の中3位に入りこの年の初表彰台に上がると共に、江紀に表彰台を捧げた。翌第4戦フランスでも2位に入り連続表彰台となったが、転倒によるリタイヤも多く、またサスペンションの変更等によりマシンとのマッチングにも苦戦し、年間ランキングは11位に終わった。

2012年はグレシーニ・レーシングを離れ、フォワード・レーシングへと移籍し、スーターシャーシのマシンを駆る。第7戦よりスーターからFTRへとシャーシ変更を行っている。年間を通してセットアップに苦しみ、ようやく最終戦バレンシアGPにてポイントを獲得、年間ランキング30位となる。

2013年岡田忠之を率いるイデミツ・ホンダ・チーム・アジアよりエントリーする。ライダー・チーム・シャーシ(モリワキMD600)・サスペンション(ショーワ)・ブレーキ (NISSIN) ・タイトルスポンサー(出光興産)など純国産パッケージでの参戦。第12戦イギリスまで参戦したがポイントを獲得することはできず、13戦以降はアズラン・シャー・カマルザマンが参戦することになった。

再び全日本へ (2014 - 2023)

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2014年は10年ぶりに全日本ロードレース選手権に同じく同年より参戦を再開したモリワキレーシングよりJ-GP2クラスに参戦。全6戦中4勝し、シリーズチャンピオンを獲得した。

2015年は引き続き全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJ-GP2クラスに参戦した。全レースでポールポジションを獲得し、第5戦ツインリンクもてぎを除き全6戦中5勝し、シリーズチャンピオンを獲得した。第5戦は最終ビクトリーコーナーで生形秀之と接触し転倒したが、再スタートしトップでチェッカーを受けた。しかし、レースディレクションより失格また、次戦第8戦(第6戦はJSB1000クラスの未開催、第7戦は中止)で、予選トップ5タイム抹消のペナルティが科された。このペナルティにもかかわらず第8戦でもポールポジションを獲得している。

また、アジアロードレース選手権にMuSASHi Boon Siew Honda RacingからSS600クラスに参戦。 全12レース中8勝し、年間チャンピオンを獲得した。

第15戦ツインリンクで行われたMotogpにもmoto2クラスにMORIWAKIからワイルドカードで参戦。14位でポイントを獲得した。

2016年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングより参戦することに変更はないもののクラスをJSB1000に変更した。第5戦SUGOの金曜日、クラッシュ。左足かかとを骨折し欠場するなど苦戦が続いた。ランキング14位。

また、引き続きアジアロードレース選手権に参戦。第3戦の日本グランプリで優勝したものの、チーム体制の変更と骨折による欠場の影響もありランキング4位。

2017年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に引き続き参戦。多くのチームがブリヂストンタイヤを使用する中、ピレリタイヤを使用。第8戦岡山国際サーキットで3位表彰台を獲得した。ランキング9位。

鈴鹿8時間耐久ロードレースに清成龍一、ダン・リンフットとともにモリワキレーシングより参戦。清成の転倒の影響もあり27位。この年の参戦条件は全日本ロードレース選手権の第1、2戦、および5月に行われる鈴鹿サンデーロードレースのいずれかの成績であった。ライダー、チームの実績から全日本ロードレース選手権での参戦権の獲得が確実視されていた。しかし、第1、2戦はともに耐久戦で、清成とチームを組んで参戦したものの、清成が両レースで転倒してしまい参戦権を得ることはできなかった。そのため、地方選である鈴鹿サンデーロードレースに参戦することとなり、清成に続き2位でチェッカーを受けることで参戦権を獲得した。

2018年は引き続き全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に参戦。悪天候となった第3戦オートポリスで、3位表彰台。ウェットコンディションとなった第5戦岡山でのポールポジションを獲得した(決勝は中止となったため、予選の成績によりハーフポイントを獲得)。ランキング5位。

2019年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に第2戦鈴鹿2&4レース、最終戦MFJグランプリの鈴鹿でのレースのみにスポット参戦。ランキング20位。

鈴鹿8時間耐久ロードレースには小山知良、トロイ・ハーフォスとともに参戦し、9位。

レオン・キャミアの代役としてWorldSBKに第6戦、第7戦にスポット参戦。第7戦のレース1では8位入賞するなどし年間ランキング23位。

2020年はモリワキレーシング全日本ロードレース選手権の参戦中止に伴い、日本郵便HondaDream TPに移籍。参戦クラスもこの年から開始されたST1000クラスに変更した。COVID-19のため、全4戦で行われ、第1戦のスポーツランドSUGO、第3戦のオートポリスの2勝。第5戦では開催前に負った左手のけがのためジャンプスタートするミスもあったが、16位でチェッカーを受け、自力でランキング1位を獲得した。

2021年はF.C.C. TSR Honda FranceよりFIM EWC(世界耐久ロードレース選手権)にイエローライダーでシーズンフル参戦[12]。このシーズンはCOVID-19の影響で予定されていた4レースのうち2レース(鈴鹿8時間耐久ロードレースオッシャースレーベン8時間耐久ロードレース)がキャンセルされたが予定通り全4戦が開催[12]

の成績であった。

2023年12月31日、自身のSNSで同年をもって現役を引退することを発表[18][19]

2024年からHonda・Asia・Dream・Racingのアドバイザーに就任した。

テレビ出演

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  • ダイドーMIUレーシング在籍時代に、同社の飲料製品「MIU」のテレビCMに出演した。
  • 同じくMIUレーシング在籍時代に、ピタゴラスイッチの「アルゴリズムこうしん」に出演した。

主なレース戦績

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全日本ロードレース選手権[20]

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シーズン クラス チーム バイク 出走 優勝 表彰台 PP ポイント シリーズ順位
2000年 GP125 FINAエンデュランス&桶川塾 エンデュランス・NER125 10 1 2 2 72 8位
2001年 GP125 OSLスポーツクラブ&桶川塾 エンデュランス・NER125 8 4 5 3 116 2位
2002年 GP250 ダイドーMIUレーシング ホンダ・RS250R 8 1 3 0 84 7位
2003年 GP250 ホンダ・RS250R 5 1 3 0 63 5位
2004年 GP250 ホンダ・RS250R 6 4 5 5 108 1位
JSB1000 ホンダドリーム・カストロールRT ホンダ・CBR1000RR 1 0 0 0 0 NC
  • 2014年 - 全日本ロードレース選手権J-GP2シリーズチャンピオン MORIWAKI RACING MORIWAKI・MD600
  • 2015年 - 全日本ロードレース選手権J-GP2シリーズチャンピオン MORIWAKI RACING MORIWAKI・MD600
  • 2015年 - アジアロードレース選手権スーパースポーツ600ccシリーズチャンピオン MuSASHi Boon Siew Honda Racing ホンダ・CBR600RR

鈴鹿8時間耐久ロードレース[21]

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開催年 チーム マシン パートナー 総合順位
2002年 Team IWAKI ホンダ・VTR1000SP-2 辻本聡 30位
2003年 仮面ライダー555ホンダ ホンダ・CBR954RR 山口辰也 10位
2008年 ドリーム・ホンダRT33 ホンダ・CBR1000RR ジョナサン・レイ リタイヤ
2012年 TOHO Racing with MORIWAKI ホンダ・CBR1000RR 山口辰也
手島雄介
2位
2013年 Honda Team Asia ホンダ・CBR1000RR 玉田誠
アズラン・シャー・カマルザマン
6位
2017年 MORIWAKI MOTUL RACING CBR1000RRモリワキ改 清成龍一
ダン・リンフット
27位
2018年 清成龍一
ラタパー・ウィライロー
8位
2019年 小山知良
トロイ・ハーフォス
9位

ロードレース世界選手権

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  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
2001年 125cc ホンダ JPN RSA SPA FRA ITA CAT NED GBR GER CZE POR VAL PAC
Ret
AUS MAL BRA NC 0
2002年 250cc ホンダ JPN RSA SPA FRA ITA CAT NED GBR GER CZE POR BRA PAC
3
MAL AUS VAL 21位 16
2003年 250cc ホンダ JPN
3
RSA SPA FRA ITA CAT NED GBR GER CZE POR BRA PAC
4
MAL AUS VAL 18位 29
2004年 250cc ホンダ RSA SPA FRA ITA CAT NED BRA GER GBR CZE POR JPN
5
QAT MAL AUS VAL 25位 11
2005年 250cc ホンダ SPA
Ret
POR
7
CHN
10
FRA
10
ITA
Ret
CAT
7
NED
15
GBR
Ret
GER
9
CZE
Ret
JPN
4
MAL
7
QAT
8
AUS
Ret
TUR
Ret
VAL
7
11位 77
2006年 250 cc ホンダ SPA
4
QAT
9
TUR
5
CHN
5
FRA
1
ITA
4
CAT
7
NED
6
GBR
7
GER
1
CZE MAL
4
AUS
Ret
JPN
Ret
POR
6
VAL
DNS
6位 156
2007年 250cc ホンダ QAT
7
SPA
8
TUR
Ret
CHN
DNS
FRA ITA
11
CAT
Ret
GBR
4
NED
10
GER
8
CZE
Ret
SMR
9
POR
Ret
JPN
4
AUS
10
MAL
9
VAL
8
11位 90
2008年 250cc ホンダ QAT
5
SPA
3
POR
6
CHN
7
FRA
4
ITA
Ret
CAT
12
GBR
9
NED
8
GER
9
CZE
6
SMR
2
IND
C
JPN
6
AUS
7
MAL
4
VAL
2
5位 167
2009年 MotoGP ホンダ QAT
15
JPN
Ret
SPA
12
FRA
13
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
15
USA GER GBR CZE IND SMR POR AUS MAL VAL 21位 9
2010年 Moto2 テック3 QAT
Ret
SPA
4
FRA
Ret
ITA
8
GBR
18
NED
10
CAT
1
GER
Ret
CZE
2
IND
26
SMR
Ret
ARA
12
JPN
6
MAL
Ret
AUS
17
POR
26
VAL
18
12位 86
2011年 Moto2 モリワキ QAT
5
SPA
Ret
POR
3
FRA
2
CAT
Ret
GBR
7
NED
Ret
ITA
14
GER
Ret
CZE
12
IND
25
RSM
7
ARA
31
JPN
30
AUS
10
MAL
Ret
VAL
Ret
11位 77
2012年 Moto2 スッター QAT
19
SPA
21
POR
Ret
FRA
17
CAT
21
GBR
25
30位 2
FTR NED
20
GER
Ret
ITA
17
IND
28
CZE
18
RSM
Ret
ARA
23
JPN
16
MAL
16
AUS
16
VAL
14
2013年 Moto2 モリワキ QAT
23
AME
19
SPA
23
FRA
18
ITA
24
CAT
20
NED
26
GER
19
IND
22
CZE
18
GBR
23
RSM
ARA
MAL
AUS
JPN
VAL
NC* 0*
  • 2014年 ロードレース世界選手権Moto2第15戦に参戦し26位 モリワキ・レーシング モリワキ・MD600
  • 2015年 ロードレース世界選手権Moto2第15戦に参戦し14位 モリワキ・レーシング モリワキ・MD600

脚注

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  1. ^ 2004年より始まった制度。全日本GP250クラスでホンダ車でチャンプになるか、それに準じた成績を挙げた22歳以下のライダーを対象とし、最長2年間ホンダの指定するチームからグランプリ250ccクラスに参戦できる。[1]
  2. ^ 冠スポンサーが就いたことによりチーム名は「ヒューマンゲスト・レーシング」に変更
  3. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2006/Takahashi+to+miss+out+on+Czech+race
  4. ^ http://www.intellimark.co.jp/bikeArticles/news20061028002.html
  5. ^ https://yukitakahashi72.com/reports/?y=2007&d=repo07
  6. ^ https://yukitakahashi72.com/reports/?y=2007&d=repo04
  7. ^ チーム・スコットはJiRと共同でチームを運営することとなり、エントリー名はJiRチーム・スコットとなった。
  8. ^ Insidebikes: Takahashi dropped by Scot Honda” (English). 2009年7月1日閲覧。
  9. ^ https://yukitakahashi72.com/reports/?y=2010&d=repo16
  10. ^ https://web.archive.org/web/20130720214644/http://www.motogp.com/ja/news/2010/gresini+moto2+line+up
  11. ^ ライディングスポーツ2011年4月号インタビューより
  12. ^ a b 2021 FIM世界耐久選手権 (EWC) シリーズ”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年12月28日). 2024年4月11日閲覧。
  13. ^ 2021EWC開幕戦ル・マン24時間!決勝レース 苦難の末、10位チェッカー。8時間・16時間もポイント獲得※失格チームが出たため総合9位に”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年6月13日). 2024年4月11日閲覧。
  14. ^ F.C.C. TSR Honda France、2021シーズン初優勝、世界耐久2戦目にして美酒に酔う裕紀!【レポート】”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年7月18日). 2024年4月11日閲覧。
  15. ^ Bol d’Or 2021 今日のボルドール【リタイヤ】”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年9月19日). 2024年4月11日閲覧。
  16. ^ モスト6時間耐久レース 決勝レース 【レポート】”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年10月9日). 2024年4月11日閲覧。
  17. ^ モスト6時間耐久レース 決勝レース ライダーコメント&ランキング”. TSR(Technical Sports Racing)公式サイト (2021年10月10日). 2024年4月11日閲覧。
  18. ^ 引退報告 Facebook 2023年12月31日閲覧
  19. ^ 高橋裕紀が引退を表明「最前線にいられるうちにやめたかった」2024年からは若手育成をメインにHonda Asia-Dream Racingに帯同”. オートスポーツWeb. SAN-EI (2024年1月1日). 2024年1月2日閲覧。
  20. ^ http://www.motoracing-japan.com/result/index.html
  21. ^ http://www.suzukacircuit.jp/8tai/history/top.html

外部リンク

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