マウロ・バルディ

イタリアのレーシングドライバー (1954-)

マウロ・ジュゼッペ・バルディMauro Giuseppe Baldi1954年1月31日 - )は、イタリア人の元レーシングドライバー。1982年から1985年までF1世界選手権に参戦した。

マウロ・バルディ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・レッジョ・エミリア
生年月日 (1954-01-31) 1954年1月31日(70歳)
F1での経歴
活動時期 1982-1985
所属チーム '82 アロウズ
'83 アルファロメオ
'84-'85 スピリット
出走回数 41 (36スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 5
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1982年南アフリカGP
最終戦 1985年サンマリノGP
テンプレートを表示

プロフィール

編集

初期の経歴

編集

バルディはイタリア北東部に位置するエミリア=ロマーニャ州レッジョ・エミリアに生まれた。 1972年にモータースポーツのキャリアをラリーで開始。1975年にサーキットのレースに転向すると、イタリアのルノー・5カップに参戦した。

1980年までにバルディはF3のトップドライバーと認知され、1980年のモナコF3グランプリで優勝。1981年のヨーロッパ・フォーミュラ3選手権にフル参戦し、アラン・フェルテフィリップ・ストレイフエマニュエル・ピッロなどを抑えて年間8勝を挙げる活躍でシリーズチャンピオンを獲得する。

1982年アロウズと契約してF1デビューを果たした。ザントフォールトで開催された同年のオランダグランプリで6位に入賞し、初ポイントを挙げた。第11戦フランスGPでは決勝レース序盤の11周目、ミストラル・ストレート後の右高速コーナー・シーニュの進入でヨッヘン・マスを抜こうとした際に接触し2台ともクラッシュ。特にマスのマシンは横転、高速のまま観客席に突き刺さる大きな事故となりバルディもマスの救出に向かうほどだったが、幸運にも両者とも軽傷で救出された。ただしマスはこれを機にF1引退を決断した[1]

1983年にバルディはアルファロメオへ移籍。モナコGPで6位、オランダGPで5位とポイントを獲得するが、チームメイトのアンドレア・デ・チェザリスが2位を2度記録するなどランキング8位の活躍を見せた影に隠れ、1年で契約終了となった。シーズン終了後には翌年に向けブラバムのテストに参加[2]。同年のチャンピオンマシンであるブラバム・BT52をドライブしたが、シート獲得には至らなかった。

1984年ホンダ・ターボエンジンを失って小規模の低予算チームとなったスピリット・ハートに移籍[3]1985年も同チームと契約を結んだが、第3戦サンマリノGPへの出走を最後にチームの資金が底をつき撤退となり、バルディのF1参戦もこのGPが最後となった。

F1以後

編集

F1を離れたバルディは、スポーツカーレースで成功した。1984年と1985年にはランチアのワークスチーム、マルティニ-ランチアをドライブした。1986年にはリチャード・ロイド・レーシングに移籍し、その一員としてポルシェ・956をドライブした。

1988年にはザウバーメルセデスに移籍し、再度ワークスドライバーとなった。1990年には、ジャン=ルイ・シュレッサーとのコンビで世界スポーツプロトタイプカー選手権のドライバーズタイトルを獲得。1991年と1992年には、プジョー・905のドライバーとなった。

一時的にF1にもかかわり、1990年夏に車両が完成したモデナ・ランボプロジェクトではモデナ・291初期のほとんどのテストドライブを担当した[4]

1994年には「公道車」のダウアー・962LMで、ヤニック・ダルマスハーレイ・ヘイウッドと組んでル・マン24時間レースを制覇。また、1998年にはアリー・ルイエンダイクディディエ・テイズと組み、デイトナ24時間レースセブリング12時間レースで勝利を収め、2002年にはデイトナ24時間での2勝目を挙げることに成功した。

レース戦績

編集

ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

編集
チーム シャシー エンジン No. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 Pos. Pts
1978年 マウロ・バルディ ラルト・RT1 トヨタ・2T-G ZAN NÜR ÖST ZOL IMO
DNQ
NÜR DIJ MNZ
DNQ
PER
11
MAG KNU KAR DON KAS JAR VLL
3
16位 4
1979年 VLL
3
ÖST
Ret
ZOL
Ret
4位 22
マーチ・793 MAG
9
DON
Ret
ZAN
2
PER
5
MNZ
2
KNU
Ret
KIN
Ret
JAR KAS
1980年 エキュリエ・オレカ マルティニ・MK31 ルノー NÜR
4
ÖST
8
ZOL
15
MAG
5
ZAN
1
LAC
3
MUG
3
MNZ
18
MIS
1
KNU
11
JAR
1
KAS
5
ZOL
4
4位 45
トヨタ・2T-G SIL
Ret
1981年 ユーロレーシング マーチ・813 アルファロメオ VAL
1
NÜR
5
DON
6
ÖST
1
ZOL
1
MAG
2
LAC
6
ZAN
1
SIL
2
CET
1
MIS
1
KNU
1
JAR
2
IMO
1
MUG
DNS
1位 94
所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1982年 アロウズ A4 RSA
DNQ
BRA
10
USW
DNQ
SMR BEL
NC
MON
DNQ
DET
Ret
CAN
8
NED
6
GBR
9
FRA
Ret
GER
Ret
AUT
6
SUI
DNQ
CPL
11
25位 2
A5 ITA
12
1983年 アルファロメオ 183T BRA
Ret
USW
Ret
FRA
Ret
SMR
10
MON
6
BEL
Ret
DET
12
CAN
10
GBR
7
GER
Ret
AUT
Ret
NED
5
ITA
Ret
EUR
Ret
RSA
Ret
16位 3
1984年 スピリット 101 BRA
Ret
RSA
8
BEL
Ret
SMR
8
FRA
Ret
MON
DNQ
CAN DET DAL GBR GER AUT NED ITA EUR
8
POR
15
NC
(25位)
0
1985年 101D BRA
Ret
POR
Ret
SMR
Ret
MON CAN DET FRA GBR GER AUT NED ITA BEL EUR RSA AUS NC
(34位)
0

(key)

世界耐久選手権/世界スポーツプロトタイプカー選手権/スポーツカー世界選手権

編集
所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1982年 モモ・レーシング ポルシェ・935 GTX MNZ SIL
7
NÜR LMN SPA
7
MUG
8
FSW BRH
5
38位 11
1984年 マルティーニ・レーシング ランチア・LC2 C1 MNZ
3
SIL
4
LMN
Ret
NÜR BRH
7
MOS SPA IMO
9
FSW KYA SUN 19位 28
1985年 C1 MUG
4
MNZ
Ret
SIL
10
LMN
7
HOC
4
MOS SPA
1
BRH
3
FSW SHA 7位 57
1986年 リチャード・ロイド・レーシング ポルシェ・956B GTi C1 MNZ SIL LMN
7
NOR BRH
1
JER NÜR
2
SPA
10
FSW
Ret
9位 40
1987年 ポルシェ・962C C1 JAR
8
JER
Ret
MNZ
Ret
SIL
Ret
LMN NOR
1
BRH
2
NÜR
5
SPA
Ret
FSW
3
8位 58
1988年 チーム・ザウバー メルセデス ザウバー・C9 C1 JER
1
JAR
2
MNZ
2
SIL
3
LMN
DNS
BRN
4
BRH
3
NÜR
Ret
SPA
1
FUJ
Ret
SUN
2
3位 188
1989年 C1 SUZ
1
DIJ
3
JAR
5
BRH
1
NÜR
2
DON
2
SPA
1
MEX
Ret
3位 102
1990年 C1 SUZ
1
1位 49.5
メルセデス・ベンツ・C11 MNZ
1
SIL
Ret
SPA
8
DIJ
1
NÜR
1
DON
1
MTL
1
MEX
DSQ
1991年 プジョー・タルボ・スポール プジョー・905 C1 SUZ
1
MON
8
SIL
6
LMN
Ret
NÜR
Ret
MAG
2
MEX
2
AUT
4
3位 69
1992年 C1 MNZ
Ret
SIL
Ret
LMN
3
DON
1
SUZ
3
MAG
1
3位 64

インディカー・ワールドシリーズ

編集
チーム シャシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント Ref
1994年 ペイトン/コイン・レーシング ローラ・T9306 フォード・XB SRF PHX LBH INDY MIL DET POR CLE TOR MIS MDO
19
NHM VAN ROA NZR LS 47位 0 [5]

FIA GT選手権

編集
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1997年 コンラート・モータースポーツ ポルシェ・911 GT1 GT1 HOC
SIL
9
HEL
7
NÜR
Ret
SPA
Ret
NC 0
JBレーシング A1R
10
SUZ
11
DON MUG
16
SEB
9
LAG
13

(key)

ル・マン24時間レース

編集
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1984年   マルティーニ・レーシング   パオロ・バリッラ
  ハンス・ヘイヤー
ランチア・LC2-フェラーリ C1 275 DNF DNF
1985年   アンリ・ペスカロロ C1 358 7位 7位
1986年   リキモリ・エキップ   プライス・コブ
  ロブ・ダイソン
ポルシェ・956 GTi C1 318 9位 7位
1988年   チーム・ザウバー・メルセデス   ジェームス・ウィーバー
  ヨッヘン・マス
ザウバー・C9-メルセデス C1 0 DNS DNS
1989年   ケネス・アチソン
  ジャンフランコ・ブランカテリ
C1 384 2位 2位
1991年   プジョー・タルボ・スポール   フィリップ・アリオー
  ジャン=ピエール・ジャブイーユ
プジョー・905 C1 22 DNF DNF
1992年   フィリップ・アリオー
  ジャン=ピエール・ジャブイーユ
プジョー・905 Evo 1B C1 345 3位 3位
1993年   フィリップ・アリオー
  ジャン=ピエール・ジャブイーユ
C1 367 3位 3位
1994年   ル・マン・ポルシェチーム
  ヨースト・レーシング
  ハーレイ・ヘイウッド
  ヤニック・ダルマス
ダウアー・962LM GT1 344 1位 1位
1997年   コンラット・モータースポーツ   フランツ・コンラット
  ロバート・二アーム
ポルシェ・911 GT1 GT1 138 DNF DNF
1998年   モレッティ・レーシング   ジャンピエロ・モレッティ
  ディディアー・セイス
フェラーリ・333SP LMP1 311 14位 3位
1999年   JBレーシング   ジェローム・ポリカン
  クリスチャン・ペスカトリ
LMP1 71 DNF DNF
2000年   チーム・デン・ブラ・アビス   ジョン・ニールセン
  クラウス・グラウ
パノス・LMP-1 ロードスターS LMP900 205 NC NC

脚注

編集
  1. ^ German's decision to depart F1 after a fiery collision with Mauro Baldi in the 1982 French GP. AUTO SPORT 2020年4月19日
  2. ^ SENNA TESTED FOR BRABHAM-BMW GrandPrix247 2019年3月3日
  3. ^ スピリットは元F3チャンピオンのバルディと契約。 バルディの持参金はジョナサン・パーマーフルビオ・バラビオ英語版のそれより低額であったが、すでにスーパーライセンス所持者であることが有利に働き契約した。 オートスポーツNo.394 37頁 三栄書房 1984年5月1日発行
  4. ^ Mini News グラスF1が初走行 グランプリ・エクスプレス '90年フランスGP号 31頁下段 1990年7月発行
  5. ^ Mauro Baldi – 1994 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. November 5, 2023閲覧。
タイトル
先代
ミケーレ・アルボレート
ヨーロッパF3選手権チャンピオン
1981
次代
オスカー・ララウリ
先代
ジャン=ルイ・シュレッサー
世界スポーツプロトタイプカー選手権チャンピオン
1990,
ジャン=ルイ・シュレッサー
次代
テオ・ファビ
先代
ジェフ・ブラバム
クリストフ・ブシュー
エリック・エラリー
ル・マン24時間優勝者
1994
ヤニック・ダルマス
ハーレイ・ヘイウッド
次代
ヤニック・ダルマス
J.J.レート
関谷正徳