モデナ・291
モデナ・291 (Modena 291) は、モデナ・チーム SpAが1991年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはマウロ・フォルギエリ。ドライバーはニコラ・ラリーニとエリック・ヴァン・デ・ポール。
カテゴリー | F1 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
コンストラクター | モデナ・チーム SpA | ||||||||
デザイナー | マウロ・フォルギエリ | ||||||||
主要諸元[1] | |||||||||
シャシー | カーボンファイバー製モノコック | ||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||
トレッド |
前:1,825 in (4,635.5 cm) 後:1,680 in (4,267.2 cm) | ||||||||
ホイールベース | 2,915 in (7,404.1 cm) | ||||||||
エンジン | ランボルギーニ L3512 3,493 cc (213.2 cu in) V12 (90°). NA | ||||||||
トランスミッション | 6速 | ||||||||
重量 | 510 kg (1,124.4 lb) | ||||||||
燃料 | アジップ | ||||||||
オイル | アジップ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | モデナ・チーム SpA | ||||||||
ドライバー |
34. ニコラ・ラリーニ 35. エリック・ヴァン・デ・ポール | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1991年アメリカグランプリ | ||||||||
|
モデナ・291の他に、ランボ・291 (Lambo 291)、ランボルギーニ・291 (Lamborghini 291)、モデナ・ランボ・291 (Modena Lambo 291) とも呼ばれる。
開発
編集ランボルギーニは1989年からF1世界選手権にエンジンサプライヤーとしてエンジン供給を開始していた。その一つはラルースで、翌年にはラルースに加えて名門チーム・ロータスにも供給を拡大した。1991年になるとランボルギーニはF1用エンジンに加えてF1用シャシーもグラスチームに供給しF1へ参戦することを決定した。グラスはメキシコ人実業家のフェルナンド・ゴンザレス・ルナがメキシコ初のF1チームを目指し創設したチームであったが、ルナは投資を撤回し1990年7月に失踪[2]、チームは倒産の危機に瀕した。ランボルギーニはチームの本拠をイタリアのモデナに移動させ、参戦のための支援を行った。モデナはランボルギーニのファクトリーチームと考えられているが[3]、ランボルギーニはプロジェクトに障害が発生した場合、ブランドにマイナスのイメージを与えることを考え、「ランボルギーニ」と呼ばれることを望んでいなかった。実際にモデナはランボルギーニから初期の支援を受けた後、完全に独立したチームとなり、ランボルギーニから更なる支援や資金援助は受けなかった。
フォルギエリは291を1990年末まで開発した。初走行は1990年7月2日、マウロ・バルディのドライブによってイモラ・サーキットで行われ[4]、翌週にはマルコ・アピチェラもポール・リカール・サーキットでのマシンテストに加わった。291は三角形のサイドポッドにラジエーターを斜めに搭載し、独特のダークブルーのカラーリングで登場した[5]。
特徴的なサイドポッドであったが[6]、フォルギエリに代わってチームに加入したナイジェル・コパースウェイトはサイドポッドの形状は性能に寄与しないとみて、291の1台を一般的な箱形のサイドポッドに改修した。しかしながら性能の向上は見られず、この型はレースに投入されることは無かった。
レース戦績
編集291はデビュー戦となったアメリカグランプリで最高の結果を記録した。ラリーニは17位で予選を通過し、決勝では優勝したアイルトン・セナのマクラーレン・MP4/6から5周遅れの7位でフィニッシュした。第3戦のサンマリノではヴァン・デ・ポールがファイナルラップまで5位を走行し、燃料圧の問題で9位でフィニッシュとなった[5]。
序盤戦での活躍からシーズン後半は予備予選を免除されたが、決勝進出はラリーニが5回、ヴァン・デ・ポールが1回と、成績は振るわなかった[5]。
F1における全成績
編集年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991年 | モデナ・チーム SpA | ランボルギーニ L3512 V12 | G | USA |
BRA |
SMR |
MON |
CAN |
MEX |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
ESP |
JPN |
AUS |
0 | NC | |
ニコラ・ラリーニ | 7 | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | Ret | 16 | DNQ | 16 | DNQ | DNQ | DNQ | Ret | ||||||
エリック・ヴァン・デ・ポール | DNPQ | DNPQ | 9 | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ |
参照
編集- ^ “STATS F1 - Lamborghini 291”. Statsf1.com. 2014年4月11日閲覧。
- ^ どうなる? グラスのF1計画 - 山海堂GPX 1990年イギリスGP号 30頁中段
- ^ 『F1 TV HANDBOOK´91』フジテレビ出版 1991年7月4日発行 p.110。「事実上のランボルギーニ(クライスラー)・ワークスだ。」と紹介している。
- ^ Mini News グラスF1が初走行 - 山海堂GPX 1990年フランスGP号 31頁下段
- ^ a b c “F1technical - Lambo 192”. www.f1technical.net. 2014年4月11日閲覧。
- ^ 『F1 TV HANDBOOK´91』フジテレビ出版 1991年7月4日発行 p.112。もっとも「設計思想は非常に古いもので、空力的にも決して良いとは言えない」と酷評している。