マイク・ヘイルウッドMike Hailwood, MBE 1940年4月2日 - 1981年3月23日)は、イギリスイングランド出身のレーサー。フルネームはスタンレー・マイケル・ベイリー・ヘイルウッドStanley Michael Bailey Hailwood )。2輪レースで天才ライダーと賞賛されマイク・ザ・バイクというニックネームで呼ばれたほか、4輪レースでも活躍した。

マイク・ヘイルウッド
グランプリでの経歴
国籍 イギリスの旗 イギリス
(イングランドの旗 イングランド)
活動期間 1958-1967
チーム ホンダMVアグスタ
レース数 178
125cc - 22
250cc - 52
350cc - 39
500cc - 65
チャンピオン 9
250cc 1961,1966,1967
350cc 1966,1967
500cc 1962,1963,1964,1965
優勝回数 76
125cc - 2
250cc - 21
350cc - 16
500cc - 37
表彰台回数 112
(順位別)
1st - 76
2nd - 25
3rd - 11
(クラス別)
125cc - 6
250cc - 32
350cc - 26
500cc - 48
通算獲得ポイント 858
ポールポジション回数 N/A
ファステストラップ回数 79
125cc - 2
250cc - 22
350cc - 18
500cc - 37
初グランプリ 1958年 250cc マン島TT
初勝利 1959年 125cc アルスターGP
最終勝利 1967年 350cc 日本GP
最終グランプリ 1967年 350cc 日本GP
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マイク・ヘイルウッド
基本情報
フルネーム スタンリー・マイケル・ベイリー・ヘイルウッド
国籍 イギリスの旗 イギリス
(イングランドの旗 イングランド)
出身地 同・オックスフォード
生年月日 (1940-04-02) 1940年4月2日
没年月日 (1981-03-23) 1981年3月23日(40歳没)
F1での経歴
活動時期 1963-1965,1971-1974
所属チーム '63,'64,'65 ロータス
'63 ローラ
'71,'72-'73 サーティース
'74 マクラーレン
出走回数 50
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 2
通算獲得ポイント 29
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
最終戦 1964年ドイツGP
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経歴

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1950年代から1960年代のモーターサイクルロードレースロードレース世界選手権(世界GP)で活躍し9回のタイトルを獲得。1962年に22歳という最年少記録で500ccクラスのタイトルを獲得。これは1983年にフレディ・スペンサーが21歳という記録を達成するまで破られなかった[1]。世界GPで3クラス(250/350/500cc)にわたりタイトルを獲得した初のライダーで、以後3クラス以上のタイトルを獲得しているのは現在のところフィル・リードバレンティーノ・ロッシマルク・マルケスを加えた計4人だけ。2000年にMotoGP殿堂入り。

20代半ばの時期にはイタリアのMVアグスタのエースとして500ccクラス4連覇などの圧倒的な成績を挙げているが、後からMVアグスタに加入したイタリア人のジャコモ・アゴスチーニがチームからプレッシャーを受け始めたこともあり、1966年から日本のホンダに移籍。MVアグスタに残留したアゴスチーニと激しい戦いを繰り広げたものの、500ccクラスでのホンダのマシンの性能(特に操縦性)がMVアグスタに及ばなかったこともあり、500ccクラスの個人タイトルはアゴスチーニに奪われる結果となっている。ホンダは1967年限りで世界GPを撤退し、ヘイルウッドも主戦場を4輪レースに移したため、以後アゴスチーニは快進撃を続け、のべ15もの世界タイトルを獲得することになった。ただし実力はヘイルウッドの方が一枚上手と見る向きも多く、ヘイルウッドが一線級のマシンで2輪の世界GPに出場し続けていたらアゴスチーニの大記録に影響したかもしれない。

公道使用の難レースとして知られるマン島TTレースでも1979年までに14勝を挙げ当時の最多勝記録保持者だった(2011年現在、歴代3位タイ)。後にジョイ・ダンロップが26勝を挙げてヘイルウッドの記録を更新したが、ダンロップはマン島TTが世界GPの冠を外されて以降に勝利を積み重ねたのに対し、ヘイルウッドはマン島TTが世界GPの一戦で世界の精鋭が集まっている中で12勝を挙げている。ヘイルウッドの10〜12勝目は1967年にホンダRC(ワークスマシン)で達成しており(250/350/500cc)、それまで最多勝ライダーだったスタンレー・ウッズ(主として戦前に活躍)の10勝を一気に更新した。

1965年の日本GPでは、MVアグスタ350ccマシンでジャコモ・アゴスチーニのサポートを担当[2]。トップを走っていたアゴスチーニがマシントラブルで後退した後、決勝レース中にもかかわらず予選タイムを大きく上まわるラップタイムで走行し独走優勝。この際に記録された2分28秒9は鈴鹿サーキットの絶対コースレコード(2輪と4輪を合わせた最速記録)になった。このコースレコードはその後4輪には破られたが、2輪では1972年まで約7年間破られなかった[3]。ヘイルウッドは1967年の日本GPの350ccクラスにも出場し、ホンダのマシンで独走優勝している。

1960年代の2輪レース界で実力ナンバーワンの天才ライダーと評されていたものの1970年代には4輪に転向する[4]。1972年フォーミュラ2欧州チャンピオンフォーミュラ1にも参戦し最高位2位。ジョン・サーティースのチームやマクラーレンに所属していたが、最高のライダーと言われた2輪GP時代とは違い、F1では中堅クラスのドライバーという評価が多かった。1973年、クレイ・レガッツォーニが予選中にクラッシュした際、危険を顧みず炎の中に飛び込んで救出し関係者から賞賛された。

1974年の事故で負傷しF1を引退した後、1978年に2輪のマン島TTレースに復帰。30代末という年齢だったが若手現役ライダーに混じってレースし、ドゥカティでコースレコードを樹立して優勝。単なるエキジビション的な出場だと考えていた関係者を驚かせ、世界中で大きな話題となった。1979年もスズキRG500に乗ってマン島TTで優勝したが、マイナーレースで転倒骨折したのを期にレースを完全に引退した。1978年のマン島TTでの勝利を記念して、ドゥカティマイク・ヘイルウッド・レプリカというモデルを発売し人気を博した。

1981年に公道でローバー・SD1を運転中、交通事故により8歳の愛娘と共に死去(前方のトラックが急にUターンし避けきれず衝突)[5]。40歳没。ライバルだったジャコモ・アゴスチーニフィル・リードなどを始め、全世界のレースファンが死を悼んだ。

 
1966 Honda RC181 500ccGPマシーン
1966-1967シーズンにヘイルウッドが駆ったマシーン

戦績

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2輪ロードレース世界グランプリ

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[6][7][8][9]

順位 1 2 3 4 5 6
得点 8 6 4 3 2 1

イタリック体はFL

Year Class Team 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 Points Rank Wins
1958 125 cc パトン IOM
7
NED
10
BEL
-
GER
-
SWE
-
ULS
-
NAT
-
0 - 0
250 cc NSU IOM
3
NED
4
GER
NC
SWE
2
ULS
NC
NAT
-
13 4th 0
350 cc ノートン IOM
12
NED
5
BEL
-
GER
4
SWE
3
ULS
8
NAT
-
9 6th 0
500 cc ノートン IOM
13
NED
-
BEL
-
GER
-
SWE
-
ULS
-
NAT
-
0 - 0
1959 125 cc ドゥカティ IOM
3
GER
3
NED
3
BEL
-
SWE
4
ULS
1
NAT
-
20 (23) 3rd 1
250 cc FBモンディアル IOM
NC
GER
5
NED
4
SWE
5
ULS
2
NAT
-
13 5th 0
350 cc ノートン FRA
-
IOM
NC
GER
-
SWE
5
ULS
-
NAT
-
2 13th 0
500 cc ノートン FRA
-
IOM
NC
GER
-
NED
-
BEL
13
ULS
-
NAT
NC
0 - 0
1960 125 cc ドゥカティ IOM
NC
NED
-
BEL
6
ULS
-
NAT
-
1 10th 0
250 cc FBモンディアル IOM
NC
NED
5
BEL
4
GER
-
ULS
4
NAT
-
8 5th 0
350 cc AJS FRA
-
IOM
NC
NED
-
ULS
-
NAT
-
0 - 0
500 cc ノートン FRA
-
IOM
3
NED
5
BEL
4
GER
-
ULS
NC
NAT
3
13 6th 0
1961 125 cc ホンダ ESP
4
GER
-
FRA
4
IOM
1
NED
NC
BEL
NC
DDR
NC
ULS
5
NAT
-
SWE
-
ARG
-
16 6th 1
250 cc ホンダ ESP
-
GER
8
FRA
2
IOM
1
NED
1
BEL
3
DDR
1
ULS
2
NAT
2
SWE
1
ARG
-
44 (54) 1st 4
350 cc AJS
MVアグスタ
GER
-
IOM
NC
NED
-
DDR
-
ULS
-
NAT
2
SWE
-
6 8th 0
500 cc ノートン
MVアグスタ
GER
4
FRA
2
IOM
1
NED
2
BEL
2
DDR
2
ULS
2
NAT
1
SWE
2
ARG
-
40 (55) 2nd 2
1962 125 cc EMC ESP
4
FRA
-
IOM
NC
NED
5
BEL
4
GER
3
ULS
-
DDR
-
NAT
-
FIN
-
ARG
-
12 5th 0
250 cc ベネリ ESP
-
FRA
-
IOM
NC
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
-
DDR
2
NAT
-
ARG
-
6 11th 0
350 cc MVアグスタ IOM
1
NED
2
ULS
NC
DDR
2
NAT
-
FIN
-
20 3rd 1
500 cc MVアグスタ IOM
12
NED
1
BEL
1
ULS
1
DDR
1
NAT
1
FIN
-
ARG
-
40 1st 5
1963 250 cc MZ ESP
-
GER
-
IOM
-
NED
-
BEL
-
ULS
-
DDR
1
NAT
-
ARG
-
JPN
-
8 8th 1
350 cc MVアグスタ GER
-
IOM
NC
NED
2
ULS
2
DDR
1
FIN
1
NAT
-
28 2nd 2
500 cc MVアグスタ IOM
1
NED
NC
BEL
1
ULS
1
DDR
1
FIN
1
NAT
1
ARG
1
56 1st 7
1964 250cc MZ DDR
NC
JPN
5
2 20th 0
350 cc MVアグスタ IOM
-
NED
2
GER
-
DDR
-
ULS
-
FIN
-
NAT
-
JPN
2
12 4th 0
500 cc MVアグスタ USA
1
IOM
1
NED
1
BEL
1
GER
1
DDR
1
ULS
-
FIN
-
NAT
1
40 (56) 1st 7
1965 250 cc ホンダ USA
-
GER
-
ESP
-
FRA
-
IOM
-
NED
-
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
NAT
-
JPN
1
8 10th 1
350 cc MVアグスタ GER
2
IOM
NC
NED
2
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
NAT
NC
JPN
1
20 3rd 1
500 cc MVアグスタ USA
1
GER
1
IOM
1
NED
1
BEL
1
DDR
1
CZE
1
ULS
-
FIN
-
NAT
1
48 (64) 1st 8
1966 125 cc ホンダ ESP
-
GER
-
NED
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
IOM
6
NAT
-
JPN
-
1 15th 0
250 cc ホンダ ESP
1
GER
1
FRA
1
NED
1
BEL
1
DDR
1
CZE
1
FIN
1
ULS
-
IOM
1
NAT
1
JPN
-
56 (80) 1st 10
350 cc ホンダ GER
1
FRA
1
NED
1
BEL
-
CZE
1
FIN
1
ULS
1
IOM
NC
NAT
-
JPN
-
48 1st 6
500 cc ホンダ GER
-
NED
NC
BEL
NC
DDR
NC
CZE
1
FIN
2
ULS
1
IOM
1
NAT
NC
30 2nd 3
1967 250 cc ホンダ ESP
NC
GER
NC
FRA
3
IOM
1
NED
1
BEL
2
DDR
NC
CZE
3
FIN
1
ULS
1
NAT
NC
CAN
1
JPN
NC
50 (54) 1st 5
350 cc ホンダ GER
1
IOM
1
NED
1
DDR
1
CZE
1
ULS
-
NAT
-
JPN
1
40 (48) 1st 6
500 cc ホンダ GER
NC
IOM
1
NED
1
BEL
2
DDR
NC
CZE
1
FIN
NC
ULS
1
NAT
2
CAN
1
46 (52) 2nd 5

[10]

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1963年 ロータスレグ・パーネル 24 MON BEL NED FRA GBR
8
GER NC
(22位)
0
ローラレグ・パーネル Mk4 ITA
10
USA MEX RSA
1964年 ロータスレグ・パーネル 25 MON
6
NED
12
BEL FRA
8
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
8
ITA
Ret
USA
8
MEX
16
21位 1
1965年 RSA MON
Ret
BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX NC
(34位)
0
1971年 サーティース TS9 RSA ESP MON NED FRA GBR GER AUT ITA
4
CAN USA
15
18位 3
1972年 TS9B ARG RSA
Ret
ESP
Ret
MON
Ret
BEL
4
FRA
6
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
4
ITA
2
CAN USA
17
8位 13
1973年 TS14A ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
Ret
ESP
Ret
BEL
Ret
MON
8
SWE
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
NED
Ret
GER
14
AUT
10
ITA
7
CAN
9
USA
Ret
NC
(22位)
0
1974年 マクラーレン M23 ARG
4
BRA
5
RSA
3
ESP
9
BEL
7
MON
Ret
SWE
Ret
NED
4
FRA
7
GBR
Ret
GER
15
AUT ITA CAN USA 11位 12

ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権

編集
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1972年 サーティス サーティス・TS10 フォード MAL
5
THR
DNS
HOC
Ret
PAU
5
PAL
2
HOC
Ret
ROU
2
ÖST
2
IMO
Ret
MAN
1
PER
Ret
SAL
1
ALB
14
HOC
2
1位 55
1973年 サーティス・TS15 MAL
2
HOC THR
DNQ
NÜR PAU KIN NIV HOC ROU MNZ MAN KAR
Ret
PER
Ret
SAL NOR ALB VAL NC 0

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1969年   JWオートモーティヴ・エンジニアリング   デヴィッド・ホブス フォード・GT40 Mk.I S
5.0
368 3位 2位
1970年   デヴィッド・ホブス ポルシェ・917K S
5.0
49 DNF DNF
1973年   ガルフ・リサーチ・レーシング   ジョン・ワトソン
  ヴァーン・シュパン
ミラージュ・M6-コスワース S
3.0
112 DNF DNF
1974年   デレック・ベル ガルフ・GR7-コスワース S
3.0
317 4位 4位
Source:[11]

外部リンク

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脚注

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  1. ^ スペンサーは12月生まれで、シーズン終了後に22歳の誕生日を迎えている。
  2. ^ 同年の世界GPの350ccクラスはチャンピオン争いが最終戦の日本GPまでもつれ込んだ。ランキングトップだったホンダのジム・レッドマンを日本グランプリで3位以下に押さえ込み、MVアグスタの新人だったアゴスチーニが優勝すれば、アゴスチーニが逆転でチャンピオンになる可能性があった。そのためMVアグスタは、500ccクラスチャンピオンのヘイルウッドにレッドマンの押さえ込みを依頼し、ヘイルウッドもその作戦を受諾した。
  3. ^ 破ったのはホンダCB500改に乗る隅谷守男
  4. ^ 2輪時代から何度かスポット参戦歴があり、'70年代初頭は2輪レースにも何度かスポット参戦している
  5. ^ Motorsport Memorial - Mike Hailwood
  6. ^ Mike Hailwood career statistics at MotoGP.com
  7. ^ Mike Hailwood Isle of Man TT results at iomtt.com
  8. ^ RACING MEMORY II-LES GRANDS PRIX DES CHAMPIONNATS DU MONDE
  9. ^ Senior Grand Prix 年鑑
  10. ^ Mike Hailwood Formula 1 results at www.4mula1.ro
  11. ^ Mike Hailwood, United Kingdom”. racingsportscars.com. September 20, 2017閲覧。
タイトル
先代
ロニー・ピーターソン
ヨーロッパF2選手権 チャンピオン
1972年
次代
ジャン=ピエール・ジャリエ