座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

1963年モナコグランプリ (1963 Monaco Grand Prix) は、1963年のF1世界選手権の開幕戦として、1963年5月26日モンテカルロ市街地コースで開催された。

モナコ 1963年モナコグランプリ
レース詳細
1963年F1世界選手権全10戦の第1戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1963年5月26日
正式名称 XXI Grand Prix de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 100周 314.500 km (195.421 mi)
決勝日天候 晴 (ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-クライマックス
タイム 1:34.3
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジョン・サーティース フェラーリ
タイム 1:34.5 (100周目)
決勝順位
優勝 BRM
2位 BRM
3位 クーパー-クライマックス

レースは100周で行われ、BRM・P57をドライブするグラハム・ヒルが優勝した。なお、本レースには23回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1]

レース概要

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背景

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前年コンストラクターズチャンピオンBRMは、ロータス・25の活躍に刺激されてモノコックシャシーの開発に着手した。それが完成するまでの間は、前年のチャンピオンマシンP57を継続使用する[2]ロータスは25を小改変して信頼性の向上を図った[3]クーパーT60を小改変したT66を投入するにとどまった[4]。前年の後半戦から自製マシンを投入したブラバムは終盤戦の連続入賞に気を良くし、ポルシェのエースだったダン・ガーニーを迎え、ジャック・ブラバムとの2台体制でフル参戦を敢行する。マシンはBT3の改良型BT7を主に使用する[5]1961年の圧勝から一転して前年は惨憺たる結果に終わったフェラーリジョン・サーティースを迎え、体制の立て直しを図った。若くして技術陣のチーフとなったマウロ・フォルギエリによって156は改良され、前年までの大きな特徴だったシャークノーズから一般的なノーズに戻され、足回りも常識的な英国流に改まった。エンジンも依然V6のままだが、燃料噴射装置ボッシュ製に変わり、新たなV8エンジンの開発にも着手した[6]。一方、そのフェラーリを1961年末に飛び出したカルロ・キティらによってオートモビリ・ツーリズモ・エ・スポート(ATS)が設立され、エンジンまで自製するフルコンストラクターとして1962年は開発期間に充て、本年よりF1参戦を開始する。ドライバーはフェラーリを去ったフィル・ヒルジャンカルロ・バゲッティを迎えた[7]ローラはスポンサーの撤退により僅か1年で積極参戦を停止し、前年にローラを走らせたレグ・パーネル・レーシングが引き継いでロータス・24と併用した[8]

予選

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当時のモナコGPは決勝に出走できるのは16台までで、1961年1962年は主要ワークスチームの各2台(1961年はモナコGP優勝経験者も含む)は招待枠として決勝への出走権が与えられ、残りのグリッドを予選のタイムによって決めていたため、プライベートチームは不満を募らせた。本年はドライバーズチャンピオン経験者とモナコGP優勝経験者(グラハム・ヒル、フィル・ヒル、ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレンモーリス・トランティニアンの5人)を招待枠として決勝への出走権を与える方式に変更したが、フィル・ヒルはこの年移籍したATSのマシンが準備できず参加することができなかった[9]。ブラバムは予選で最下位のタイムだったが、招待枠だったため決勝に出走することができた。本年よりインディ500に参戦を開始して、本レースとの掛け持ちとなったジム・クラークポールポジションを獲得した[10]

決勝

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決勝はクラークが首位を独走中にギアボックスのトラブルでリタイアとなり[11]、代わってグラハム・ヒルが首位に立ってラッキーな勝利を得た。チームメイトのリッチー・ギンサーが2位に続き、BRMの1-2フィニッシュに貢献した[2]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン
  オートモビリ・ツーリズモ・エ・スポート 1   フィル・ヒル 1 ATS 100 ATS 100 1.5L V8
2   ジャンカルロ・バゲッティ 1
  ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 3   ジャック・ブラバム ロータス 25 クライマックス FWMV 1.5L V8
4   ダン・ガーニー ブラバム BT7
  オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 5   グラハム・ヒル BRM P57 BRM P56 1.5L V8
6   リッチー・ギンサー
  クーパー・カー・カンパニー 7   ブルース・マクラーレン クーパー T66 クライマックス FWMV 1.5L V8
8   トニー・マグス
  チーム・ロータス 9   ジム・クラーク ロータス 25 クライマックス FWMV 1.5L V8
10   トレバー・テイラー
  R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム 11   ヨアキム・ボニエ クーパー T60 クライマックス FWMV 1.5L V8
  ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ 12   ジム・ホール ロータス 24 BRM P56 1.5L V8
14   イネス・アイルランド
  レグ・パーネル・レーシング 15   クリス・エイモン ローラ Mk4A クライマックス FWMV 1.5L V8
17   モーリス・トランティニアン
16   ジョン・キャンベル=ジョーンズ 2 ロータス 24 BRM P56 1.5L V8
  シロッコ・レーシング・カーズ 18   イアン・バージェス 1 シロッコ SP BRM P56 1.5L V8
19   トニー・セッテンバー 1
  スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 20   ウィリー・メレス フェラーリ 156/63 フェラーリ Tipo178 1.5L V6
21   ジョン・サーティース
  スクーデリア・デ・トマソ 22   ナシフ・エステファノ 3 デ・トマソ 801 デ・トマソ 1.5L F8
  スクーデリア・セントロ・スッド 23   ロレンツォ・バンディーニ 4 BRM P57 BRM P56 1.5L V8
  ベルナール・コロンブ 24   ベルナール・コロンブ 5 ロータス 24 クライマックス FWMV 1.5L V8
  シフェール・レーシングチーム 25   ジョー・シフェール ロータス 24 BRM P56 1.5L V8
ソース:[12]
追記
  • タイヤは全車ダンロップ
  • ^1 - マシンが準備できず
  • ^2 - キャンベル=ジョーンズは前週に行われた非選手権レースのローマGP英語版でギアボックスを壊したため欠場[9]
  • ^3 - エントリーしたが出場せず
  • ^4 - マシンをBRMへ返却したため欠場[9]
  • ^5 - No.24は当初カレル・ゴダン・ド・ボーフォールポルシェ・718でエントリーしていたが撤退したため、コロンブがエントリーを引き継いだ[9]

結果

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予選

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 9   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 1:34.3 1
2 6   グラハム・ヒル BRM 1:35.0 +0.7 2
3 21   ジョン・サーティース フェラーリ 1:35.2 +0.9 3
4 5   リッチー・ギンサー BRM 1:35.2 +0.9 4
5 14   イネス・アイルランド ロータス-BRM 1:35.5 +1.2 5
6 4   ダン・ガーニー ブラバム-クライマックス 1:35.8 +1.5 6
7 20   ウィリー・メレス フェラーリ 1:35.9 +1.6 7
8 7   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 1:36.0 +1.7 8
9 10   トレバー・テイラー ロータス-クライマックス 1:37.2 +2.9 9
10 8   トニー・マグス クーパー-クライマックス 1:37.9 +3.6 10
11 11   ヨアキム・ボニエ クーパー-クライマックス 1:38.6 +4.3 11
12 25   ジョー・シフェール ロータス-BRM 1:39.4 +5.1 12
13 12   ジム・ホール ロータス-BRM 1:41.0 +6.7 13
14 17   モーリス・トランティニアン ローラ-クライマックス 1:41.3 +7.0 14
15 15   クリス・エイモン ローラ-クライマックス 1:41.4 +7.1 DNS 1
16 24   ベルナール・コロンブ ロータス-クライマックス 1:43.3 +9.0 DNQ
17 3   ジャック・ブラバム ロータス-クライマックス 1:44.7 +10.4 15 2
ソース:[13]
追記
  • ^1 - エイモンはトランティニアンのマシンをドライブしたため決勝に出走せず[14]
  • ^2 - ブラバムは自動的に決勝出走権が与えられた

決勝

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 6   グラハム・ヒル BRM 100 2:41:49.7 2 9
2 5   リッチー・ギンサー BRM 100 +4.6 4 6
3 7   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 100 +12.8 8 4
4 21   ジョン・サーティース フェラーリ 100 +14.1 3 3
5 8   トニー・マグス クーパー-クライマックス 98 +2 Laps 10 2
6 10   トレバー・テイラー ロータス-クライマックス 98 +2 Laps 9 1
7 11   ヨアキム・ボニエ クーパー-クライマックス 94 +6 Laps 11
8 9   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 78 ギアボックス 1
9 3   ジャック・ブラバム ロータス-クライマックス 77 ギアボックス 15
Ret 14   イネス・アイルランド ロータス-BRM 40 アクシデント 5
Ret 20   ウィリー・メレス フェラーリ 37 ギアボックス 7
Ret 17   モーリス・トランティニアン ローラ-クライマックス 34 クラッチ 14
Ret 4   ダン・ガーニー ブラバム-クライマックス 25 ディファレンシャル 6
Ret 12   ジム・ホール ロータス-BRM 20 ギアボックス 13
Ret 25   ジョー・シフェール ロータス-BRM 3 エンジン 12
DNS 15   クリス・エイモン ローラ-クライマックス トランティニアンのマシンをドライブ
DNQ 24   ベルナール・コロンブ ロータス-クライマックス 予選不通過
ソース:[15]
ラップリーダー[16]

第1戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。

脚注

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  1. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  2. ^ a b (林信次 1997, p. 58-59)
  3. ^ (林信次 1997, p. 55,66)
  4. ^ (林信次 1997, p. 66)
  5. ^ (林信次 1997, p. 61,67)
  6. ^ (林信次 1997, p. 59,61,67)
  7. ^ (林信次 1997, p. 61,68)
  8. ^ (林信次 1997, p. 67)
  9. ^ a b c d 1963 Monaco Grand Prix”. Motor Sport Magazine Database. 2018年9月3日閲覧。
  10. ^ (林信次 1997, p. 55,58)
  11. ^ (林信次 1997, p. 55)
  12. ^ Monaco 1963 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年9月3日閲覧。
  13. ^ Monaco 1963 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年9月3日閲覧。
  14. ^ Monaco 1963 - Starting grid”. statsf1.com. 2018年9月3日閲覧。
  15. ^ 1963 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 6 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。20 September 2015閲覧。
  16. ^ Monaco 1963 - Laps led”. statsf1.com. 2018年9月3日閲覧。

参照文献

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  • en:1963 Monaco Grand Prix(2018年7月13日 23:26:29(UTC))より翻訳
  • 林信次『F1全史 1961-1965』ニューズ出版、1997年。ISBN 4-938495-09-0 

外部リンク

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FIA F1世界選手権
1963年シーズン
次戦
1963年ベルギーグランプリ
前回開催
1962年モナコグランプリ
  モナコグランプリ 次回開催
1964年モナコグランプリ
前回開催
1962年オランダグランプリ
  ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1964年イギリスグランプリ