1972年モナコグランプリ
座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度
1972年モナコグランプリ (英: 1972 Monaco Grand Prix) は、1972年のF1世界選手権第4戦として、1972年5月14日にモンテカルロ市街地コースで開催された。
レース詳細 | |||
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1972年F1世界選手権全12戦の第4戦 | |||
モンテカルロ市街地コース (1929-1972) | |||
日程 | 1972年5月14日 | ||
正式名称 | XXX Grand Prix de Monaco | ||
開催地 |
モンテカルロ市街地コース モナコ モンテカルロ | ||
コース | 市街地コース | ||
コース長 | 3.145 km (1.954 mi) | ||
レース距離 | 80周 251.600 km (156.337 mi) | ||
決勝日天候 | 雨(ウエット)[1] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:21.4 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | BRM | |
タイム | 1:40.0 (9[1]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
| BRM | |
2位 | フェラーリ | ||
3位 | ロータス-フォード |
ジャン=ピエール・ベルトワーズがF1世界選手権で唯一の勝利を挙げ、BRMにとっては最後の勝利となった。
背景
編集安全性向上のため、ピットをシケインとタバコの間にある港の正面に移設させ、新しいシケインをタバコの近くに設置した[2]。
エントリー
編集マリオ・アンドレッティとピーター・レブソンはインディ500に出場するため、本レースを欠場した。フェラーリはジャッキー・イクスとクレイ・レガツォーニの2台で、マクラーレンはレブソンの代走としてブライアン・レッドマンを起用した。ブラバムは負傷が癒えないカルロス・ロイテマンに代わり、引き続きウィルソン・フィッティパルディを起用した[3]。
ジャッキー・スチュワートは本レースからティレル・004を走らせる。004は従来の002及び003よりホイールベースを伸ばしたティレルの第1世代[注 1]の最後となるマシンである。スチュワートは既に南アフリカGPとスペインGPで004をテストカーとして使用していた。デニス・ハルムはマクラーレン・M19Aの改良型M19Cを使用する。BRMは新車P180をハウデン・ガンレイに与え、ジャン=ピエール・ベルトワーズ、ピーター・ゲシン、レイネ・ウィセルがP160B、ヘルムート・マルコがP153Bを使用する[4]。
エントリーリスト
編集- 追記
予選
編集この年からブラバムのオーナーを務めるバーニー・エクレストンの庇護のもと、F1CA[注 2]は小規模なチームの出走を可能にするため、決勝には25台出走できるようにレース主催者と契約を結んでいた[4]。しかし、この年モナコ自動車クラブ(ACM)の会長に就任したばかりのミシェル・ボエリ[7]は、安全上の理由から20台しか認めなかった[注 3]。前戦スペインGPの期間中にF1CAとACMとの交渉が行われたが結論は出なかった[4]。
各チームがモンテカルロに到着すると、ボエリは決勝出走台数を22台に緩和することを提案したが、エクレストンとマックス・モズレー(マーチの共同創設者)は拒否した。ACMはガレージのドアに南京錠をかけて抵抗するも、チームはそれを破った。結局、ボエリはチームの圧力に屈し、25台を決勝に出走させることを認めた[4][注 4]。
木曜日と金曜日はドライコンディションで行われたが、土曜日は雨が降ったため、金曜日の夕方までのベストタイムでスターティンググリッドが決定した[4]。
エマーソン・フィッティパルディ(ロータス)が自身初のポールポジションを獲得した[4]。E.フィッティパルディから0.2秒差で2番手のジャッキー・イクスがフロントローに並び、2列目はクレイ・レガツォーニ(フェラーリ)とジャン=ピエール・ベルトワーズ(BRM)、ピーター・ゲシン(BRM)とクリス・エイモン(マトラ)が3列目に並ぶ。以下、デニス・ハルム(マクラーレン)、ジャッキー・スチュワート(ティレル)、アンリ・ペスカロロ(ウィリアムズ/マーチ)、ブライアン・レッドマン(マクラーレン)がトップ10に入った[3]。
予選結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 1:21.4 | - | 1 |
2 | 6 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1:21.6 | +0.2 | 2 |
3 | 7 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 1:21.9 | +0.5 | 3 |
4 | 17 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | BRM | 1:22.5 | +1.1 | 4 |
5 | 18 | ピーター・ゲシン | BRM | 1:22.6 | +1.2 | 5 |
6 | 16 | クリス・エイモン | マトラ | 1:22.6 | +1.2 | 6 |
7 | 14 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:22.7 | +1.3 | 7 |
8 | 1 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 1:22.9 | +1.5 | 8 |
9 | 22 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 1:22.9 | +1.5 | 9 |
10 | 15 | ブライアン・レッドマン | マクラーレン-フォード | 1:23.1 | +1.7 | 10 |
11 | 11 | マイク・ヘイルウッド | サーティース-フォード | 1:23.7 | +2.3 | 11 |
12 | 2 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 1:23.8 | +2.4 | 12 |
13 | 10 | ティム・シェンケン | サーティース-フォード | 1:23.9 | +2.5 | 13 |
14 | 9 | デビッド・ウォーカー | ロータス-フォード | 1:24.0 | +2.6 | 14 |
15 | 3 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 1:24.1 | +2.7 | 15 |
16 | 28 | レイネ・ウィセル | BRM | 1:24.4 | +3.0 | 16 |
17 | 26 | ヘルムート・マルコ | BRM | 1:24.6 | +3.2 | 17 |
18 | 12 | アンドレア・デ・アダミッチ | サーティース-フォード | 1:24.7 | +3.3 | 18 |
19 | 20 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 1:24.7 | +3.3 | 19 |
20 | 19 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 1:24.7 | +3.3 | 20 |
21 | 21 | ウィルソン・フィッティパルディ | ブラバム-フォード | 1:25.2 | +3.8 | 21 |
22 | 4 | ニキ・ラウダ | マーチ-フォード | 1:25.6 | +4.2 | 22 |
23 | 5 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 1:26.5 | +5.1 | 23 |
24 | 23 | カルロス・パーチェ | マーチ-フォード | 1:26.6 | +5.2 | 24 |
25 | 27 | ロルフ・シュトメレン | アイフェラント-フォード | 1:29.5 | +8.1 | 25 |
ソース:[8][9] |
決勝
編集日曜日も朝から雨が降り出した。路面は濡れてコースコンディションも悪く、全車レインタイヤでスタートする[4]。
ジャン=ピエール・ベルトワーズとクレイ・レガツォーニが2列目から好スタートを切り、ベルトワーズがトップに立った。フロントローのエマーソン・フィッティパルディとジャッキー・イクスは3-4位に後退した[3]。
コンディションが悪かったため、首位のベルトワーズは大きなアドバンテージを得て、すぐに引き離すことができた。5周目にはレガツォーニがシケインでエスケープロードに入ったことで助けられ、フィッティパルディとイクスを引き離した。さらに後方では多くのドライバーがミスをしたり、バリアにぶつかったりしたが、ベルトワーズはそのまま走り続けて自身初の勝利を手にした[3]。ベルトワーズと同一周回でフィニッシュできたのは雨の名手と呼ばれていた2位のイクスのみで、30秒以上の大差が付いていた[10]。レガツォーニはレース中盤でジャッキー・スチュワートに遅れを取り4位に後退するも、スチュワートのスピンによりレガツォーニが前に出た。その後、レガツォーニはオイルに乗ってスピンし、バリアにヒットしたため、スチュワートは3位に戻った。スチュワートはエンジンがミスファイアしていたにもかかわらず3位をキープしたが、終盤にE.フィッティパルディがスチュワートを抜いて3位表彰台を獲得した。ブライアン・レッドマンは5位でチェッカーを受けた[3]。
BRMはベルトワーズの勝利により、今季初のポイントを獲得した[4]。そしてこの年からBRMのタイトルスポンサーに付いたマールボロにとっても絶妙なタイミングでの勝利であった[11]。しかし、ベルトワーズにとってはこれがF1唯一の勝利で[12][注 5]、BRMにとってもこれが最後の勝利となった[13][14]。ドライバーズチャンピオン争いはE.フィッティパルディがポイントを19点とし、イクス(16点)、ハルム(15点)、スチュワート(12点)を上回りランキング首位に躍り出た。コンストラクターズチャンピオン争いはロータス、マクラーレン、フェラーリが19点で並び、ティレルが12点で4位に付けている[4]。
レース結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 17 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | BRM | 80 | 2:26:55.3 | 4 | 9 |
2 | 6 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 80 | +38.2 | 2 | 6 |
3 | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 79 | +1 Lap | 1 | 4 |
4 | 1 | ジャッキー・スチュワート | ティレル-フォード | 78 | +2 Laps | 8 | 3 |
5 | 15 | ブライアン・レッドマン | マクラーレン-フォード | 77 | +3 Laps | 10 | 2 |
6 | 16 | クリス・エイモン | マトラ | 77 | +3 Laps | 6 | 1 |
7 | 12 | アンドレア・デ・アダミッチ | サーティース-フォード | 77 | +3 Laps | 18 | |
8 | 26 | ヘルムート・マルコ | BRM | 77 | +3 Laps | 17 | |
9 | 21 | ウィルソン・フィッティパルディ | ブラバム-フォード | 77 | +3 Laps | 21 | |
10 | 27 | ロルフ・シュトメレン | アイフェラント-フォード | 77 | +3 Laps | 25 | |
11 | 3 | ロニー・ピーターソン | マーチ-フォード | 76 | +4 Laps | 15 | |
12 | 20 | グラハム・ヒル | ブラバム-フォード | 76 | +4 Laps | 19 | |
13 | 5 | マイク・ボイトラー | マーチ-フォード | 76 | +4 Laps | 23 | |
14 | 9 | デビッド・ウォーカー | ロータス-フォード | 75 | +5 Laps | 14 | |
15 | 14 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 74 | +6 Laps | 7 | |
16 | 4 | ニキ・ラウダ | マーチ-フォード | 74 | +6 Laps | 22 | |
17 | 23 | カルロス・パーチェ | マーチ-フォード | 72 | +8 Laps | 24 | |
NC | 2 | フランソワ・セベール | ティレル-フォード | 70 | 規定周回数不足 | 12 | |
Ret | 22 | アンリ・ペスカロロ | マーチ-フォード | 58 | アクシデント | 9 | |
Ret | 7 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 51 | アクシデント | 3 | |
Ret | 11 | マイク・ヘイルウッド | サーティース-フォード | 48 | アクシデント | 11 | |
Ret | 19 | ハウデン・ガンレイ | BRM | 47 | アクシデント | 20 | |
Ret | 10 | ティム・シェンケン | サーティース-フォード | 31 | アクシデント | 13 | |
DSQ | 18 | ピーター・ゲシン | BRM | 27 | 失格(不正ルートでのピットイン)[15] | 5 | |
Ret | 28 | レイネ・ウィセル | BRM | 16 | エンジン | 16 | |
- 優勝者ジャン=ピエール・ベルトワーズの平均速度[6]
- 102.756 km/h (63.850 mph)
- ジャン=ピエール・ベルトワーズ - 1:40.0 (9周目)
- ジャン=ピエール・ベルトワーズ - 80周 (全周回)
- 達成された主な記録[4]
- ドライバー
- 初優勝: ジャン=ピエール・ベルトワーズ - かつ唯一の優勝。
- 初ポールポジション: エマーソン・フィッティパルディ
- 最終ファステストラップ: ジャン=ピエール・ベルトワーズ - 通算4回目
- 20回目の表彰台/50戦目の出走: ジャッキー・イクス
- 初完走: マイク・ボイトラー - 初参戦から7戦目[20]
- コンストラクター
- 最終優勝/最終ファステストラップ/60回目の表彰台: BRM
- エンジン
- 最終優勝/最終ファステストラップ: BRM
第4戦終了時点のランキング
編集
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b (林信次 1993, p. 118)
- ^ Collantine, Keith (24 May 2007). “Beltoise scores his only win – and BRM’s last – at Monaco”. F1Fanatic. 15 February 2015閲覧。
- ^ a b c d e “Monaco GP, 1972”. grandprix.com. 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “Monaco 1972”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Monaco 1972 - Race entrants”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b “Monaco 1972 - Result”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Mosley and the FIA election”. grandprix.com (2005年7月14日). 2020年4月12日閲覧。
- ^ “Monaco 1972 - Qualifications”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Monaco 1972 - Starting grid”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ (林信次 1993, p. 42)
- ^ (林信次 1993, p. 41)
- ^ “戦績:J.P.ベルトワーズ”. F1 DataWeb. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “戦績:BRM”. F1 DataWeb. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “ベルトワーズが77歳で逝去”. ESPN F1 (2015年1月6日). 2020年4月17日閲覧。
- ^ “1972年第4戦モナコグランプリの結果”. F1 DataWeb. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “1972 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 7 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “1972 Monaco Grand Prix - RACE RESULT”. formula1.com. 2019年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月17日閲覧。
- ^ “Monaco 1972 - Best laps”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “Monaco 1972 - Laps led”. STATS F1. 2020年4月17日閲覧。
- ^ “戦績:M.ボイトラー”. F1 DataWeb. 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b “Monaco 1972 - Championship”. STATS F1. 19 March 2019閲覧。
参照文献
編集- Wikipedia英語版 - en:1972 Monaco Grand Prix(2019年12月8日 11:44:58(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版、1993年。ISBN 4-938495-05-8。
外部リンク
編集前戦 1972年スペイングランプリ |
FIA F1世界選手権 1972年シーズン |
次戦 1972年ベルギーグランプリ |
前回開催 1971年モナコグランプリ |
モナコグランプリ | 次回開催 1973年モナコグランプリ |