1991年の野球
(1991年の日本プロ野球から転送)
競技結果
編集日本プロ野球
編集ペナントレース
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日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月19日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 3 - 11 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月20日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 4 - 2 | 西武ライオンズ | |
10月21日(月) | 移動日 | ||||
10月22日(火) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 1 - 0 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月23日(水) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 3 - 7 | 広島東洋カープ | |
10月24日(木) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 0 - 3 | 広島東洋カープ | |
10月25日(金) | 移動日 | ||||
10月26日(土) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 1 - 6 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月27日(日) | 第7戦 | 雨天中止 | |||
10月28日(月) | 広島東洋カープ | 1 - 7 | 西武ライオンズ | ||
優勝:西武ライオンズ(2年連続10回目) |
個人タイトル
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 佐々岡真司 | 広島 | 郭泰源 | 西武 | ||
最優秀新人 | 森田幸一 | 中日 | 長谷川滋利 | オリックス | ||
首位打者 | 古田敦也 | ヤクルト | .340 | 平井光親 | ロッテ | .314 |
本塁打王 | 落合博満 | 中日 | 37本 | O.デストラーデ | 西武 | 39本 |
打点王 | 広沢克己 | ヤクルト | 99点 | O.デストラーデ | 西武 | 92点 |
J.トレーバー | 近鉄 | |||||
最多安打 | 野村謙二郎 | 広島 | 170本 | 佐々木誠 | ダイエー | 158本 |
盗塁王 | 野村謙二郎 | 広島 | 31個 | 大野久 | ダイエー | 42個 |
最高出塁率 | 落合博満 | 中日 | .473 | 白井一幸 | 日本ハム | .428 |
最優秀防御率 | 佐々岡真司 | 広島 | 2.44 | 渡辺智男 | 西武 | 2.35 |
最多勝利 | 佐々岡真司 | 広島 | 17勝 | 野茂英雄 | 近鉄 | 17勝 |
最多奪三振 | 川口和久 | 広島 | 230個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 287個 |
最高勝率 | 北別府学 | 広島 | .733 | 工藤公康 | 西武 | .842 |
最優秀救援投手 | 大野豊 | 広島 | 32SP | 武田一浩 | 日本ハム | 22SP |
ベストナイン
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 佐々岡真司 | 広島 | 郭泰源 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 伊東勤 | 西武 |
一塁手 | 落合博満 | 中日 | J.トレーバー | 近鉄 |
二塁手 | 高木豊 | 大洋 | 辻発彦 | 西武 |
三塁手 | 山崎隆造 | 広島 | 松永浩美 | オリックス |
遊撃手 | 野村謙二郎 | 広島 | 小川博文 | オリックス |
外野手 | R・J・レイノルズ | 大洋 | 秋山幸二 | 西武 |
広沢克己 | ヤクルト | 佐々木誠 | ダイエー | |
原辰徳 | 巨人 | 平井光親 | ロッテ | |
指名打者 | O.デストラーデ | 西武 |
高校野球
編集- 第63回選抜高等学校野球大会優勝 広陵(広島県)
- 第73回全国高等学校野球選手権大会優勝 大阪桐蔭(大阪府)
大学野球
編集- 第40回全日本大学野球選手権大会優勝:東北福祉大
- 第22回明治神宮野球大会優勝:愛知学院大
社会人野球
編集メジャーリーグ
編集→詳細は「1991年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ:ミネソタ・ツインズ(4勝3敗)アトランタ・ブレーブス
- アメリカンリーグ東地区優勝:トロント・ブルージェイズ
- アメリカンリーグ西地区優勝:ミネソタ・ツインズ
- ナショナルリーグ東地区優勝:ピッツバーグ・パイレーツ
- ナショナルリーグ西地区優勝:アトランタ・ブレーブス
できごと
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1月
編集- 1月7日 - 中日ドラゴンズの音重鎮・山田和利と広島東洋カープの長島清幸との交換トレードが成立したと中日、広島両球団が発表[1]。
- 1月10日 - 【MLB】メジャーリーグの野球殿堂入り資格を話会う特別資格委員会がニューヨークで開かれ、メジャーリーグから永久追放された選手は殿堂入りの資格を失うとする規則改正案を7対3で可決[2]。
- 1月16日 - 読売ジャイアンツは球団3人目の外国人選手としてヘクター・デラクルーズとの契約。ウォーレン・クロマティの退団を正式に決定[3]。
- 1月17日 - 西武ライオンズの球団代表の清水信人は、マウイでの春季キャンプが本社からの指示で中止し、高知県の春野で行うと明らかにした[4]。
- 1月22日
- 1月23日 - ヤクルトスワローズは湾岸戦争の激化を理由に、来月1月から23日までアメリカのユマでの行う予定だった春季キャンプを中止し、14年ぶりに日本国内キャンプとなる宮崎県西都市で行うことを決定[7]。
2月
編集3月
編集- 3月8日 - 日本人選手初の年俸調停となっていた中日の落合博満について、調停委員会は球団提示の2億2千万(落合は当初3億を要求、その後2億7千万に)の結論を出した[8]。
- 3月27日 - ヤクルトの球団オーナーに桑原潤が就任。
4月
編集- 4月5日 - 第63回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、広陵が松商学園を6-5で破り、1926年(第3回)以来65年ぶり2度目の優勝。
- 4月6日 - 中日の森田幸一が東京ドームでの対巨人1回戦に4番手で登板し、21年ぶりの「開幕戦で新人がプロ入り初登板、初勝利投手」となる[9]。
- 4月7日 - 中日の西本聖が東京ドームでの対巨人2回戦に先発し、4回2死でプロ通算2500投球回を達成[10]。
- 4月10日 - 中日の森田幸一がナゴヤ球場での対広島1回戦の八回裏のプロ入り初打席で秋村謙宏からプロ入り初の1号本塁打。投手による初打席初本塁打は史上4人目、新人では1950年の東映フライヤーズの塩瀬盛道以来41年ぶり[11]。
- 4月12日 - 東京ドームでの日本ハムファイターズ対オリックス・ブルーウェーブ1回戦は日本ハムが田村藤夫の3号本塁打の1安打のみで1-0で勝利。敗れたオリックスは26年ぶり開幕5連敗[12]。
- 4月13日 - 巨人の原辰徳が広島市民球場での対広島2回戦の四回表に3号本塁打を打ち、球団史上王貞治、長嶋茂雄に次いで3人目の「4番打者での200号本塁打」を達成[13]。
- 4月14日 - 長良川球場での中日対横浜大洋ホエールズ2回戦は延長15回5-5の引き分けに終わり、試合時間5時間42分はプロ野球史上2番目[14]。中日の宇野勝が7番・三塁で先発出場しプロ通算1500試合出場を達成[15]。
- 4月16日 - 阪神タイガースの球団社長の三好一彦が遠征先の広島市民球場にて報道陣に対し「甲子園球場のラッキーゾーンを撤廃する方向で検討している」と明らかにした[16]。
- 4月17日 - 明治神宮球場でのヤクルト対中日2回戦の六回表、中日の小松崎善久がヤクルトのティム・バートサスの投球に激高し乱闘騒ぎとなり試合が約5分中断。両者とも退場処分となる[17]。
- 4月24日 - 日本ハムの芝草宇宙が川崎球場での対ロッテオリオンズ5回戦に先発し、プロ野球史上24人目のプロ入り初登板で完封勝利[18]。
- 4月25日 - 巨人の篠塚利夫がナゴヤ球場での対中日4回戦の二回裏に仁村徹のゴロを処理し、二塁手の550守備機会無失策のプロ野球タイ記録。六回裏に種田仁のゴロを失策し記録が止まる[19]。
- 4月28日 - オリックスの佐藤義則が藤井寺球場での対近鉄バファローズ4回戦に先発し二回二死でプロ通算2000投球回を達成[20]。
- 4月29日 - 西武の平野謙が東京ドームでの対日本ハム5回戦の七回表に犠打を決め、プロ通算300犠打を達成[21]。
5月
編集- 5月1日
- 【MLB】テキサス・レンジャーズのノーラン・ライアンが7回目のノーヒット・ノーランを達成。自身の持つ最多記録と最年長記録を更新。
- 【MLB】 オークランド・アスレチックスのリッキー・ヘンダーソンがルー・ブロックの938盗塁を更新するメジャーリーグ新記録の939盗塁。
- 5月2日 - 巨人の原辰徳が東京ドームでの対阪神5回戦の五回裏に6号2点本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成[22]。
- 5月3日
- 中日の宇野勝がナゴヤ球場での対ヤクルト6回戦の四回裏に3号2点本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成[23]。
- 西武の秋山幸二が西武球場での対福岡ダイエーホークス5回戦に3番・中堅で先発出場し、800試合連続試合出場を達成[24]。
- 5月9日 - 近鉄の野茂英雄が草薙球場での対日本ハム3回戦に先発して10奪三振を記録し、プロ野球新記録となる6試合連続2桁奪三振[25]。
- 5月10日 - ロッテの監督の金田正一が東京ドームでの対日本ハム6回戦の七回裏一死、一、二塁の場面で永野吉成の4球目の投球がボールと判定された事に対し球審の山崎夏生に猛抗議し、日本プロ野球新記録の通算8度目の退場処分[26]。
- 5月14日 - 岡山での広島対阪神5回戦で広島の植田幸弘が一回裏に1号満塁本塁打を打ち、広島はプロ野球史上3度目の3試合連続で満塁本塁打を記録[27]。
- 5月15日 - 広島は津田恒美を支配下登録から外し練習生とすると発表。水頭症の治療のための入院のため[28]。
- 5月16日 - 巨人の槙原寛己が北九州市民球場での対大洋9回戦の三回表に宮里太から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[29]。
- 5月19日 - ロッテ対近鉄戦(秋田八橋球場)で、近鉄のジム・トレーバーがロッテの園川一美からの死球に激昂して園川を追いかける乱闘騒ぎを起こした。トレーバーは暴力行為で退場になった。
- 5月24日
- 5月25日 - 千葉マリンスタジアムで初の公式戦となるヤクルト対中日10回戦が行われ、ヤクルトの荒井幸雄が同球場での公式戦第1号本塁打をランニング本塁打で記録。荒井の2号2点本塁打となる[32]。
- 5月26日 - 中日の川畑泰博とオリックスの南牟礼豊蔵の交換トレードが成立したと両球団が発表[33]。
- 5月28日
- ダイエーの門田博光が北九州市民球場での対西武6回戦の三回裏に安打を打ち、プロ通算4500塁打を達成[34]。
- 日本ハムの大島康徳が川崎球場での対ロッテ9回戦の一回表にマット・ウインタースの15号2点本塁打で生還し、プロ通算1000得点を達成[35]。
- 5月29日
- 5月30日 - 大洋の斎藤明夫が浜松での対中日8回戦に先発し二回一死でプロ通算2000投球回を達成[39]。
6月
編集- 6月1日 - 日本ハムの大島康徳が水戸での対近鉄4回戦の一回裏に安打を打ち、プロ通算3500塁打を達成[40]。
- 6月5日 - 阪神はナゴヤ球場での対中日11回戦に0-2で敗れ、球団通算3000敗を記録[41]。
- 6月6日
- 6月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム9回戦の一回裏に8号2点本塁打を打ち、プロ通算550本塁打を達成[44]。
- 6月8日 - 広島の大野豊が盛岡での対ヤクルト7回戦で今季11セーブ目を挙げ、連続11セーブのプロ野球新記録[45]。
- 6月13日 - 阪神はグリーンスタジアム神戸での対ヤクルト10回戦に2-5で敗れ球団タイ記録の9連敗となる[46]。
- 6月14日 - 阪神は神宮球場での対ヤクルト11回戦に5-19で敗れ、球団新記録の10連敗。これまで12球団で唯一2桁連敗がなかった[47]。
- 6月15日 - 阪神は甲子園球場での対中日13回戦に13-4で勝利し、連敗を10で止める[48]。
- 6月16日
- 6月18日
- 6月19日 - 近鉄の石本貴昭の中日への金銭トレードが成立したと近鉄、中日両球団が発表[53]。
- 6月22日 - ヤクルトは札幌市円山球場での対阪神12回戦に8-2で勝利し、球団史上初の10連勝を記録[54]。
- 6月25日 - 近鉄の鈴木貴久が平和台球場での対ダイエー10回戦の6回表に8号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上165人目[55]。
- 6月26日
- 6月28日
- 6月30日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対巨人10回戦で香田勲男からプロ通算3000塁打を達成[61]。
7月
編集- 7月9日 - 近鉄の球団社長の前田泰男はオジー・カンセコが退団すると明らかにした[62]。
- 7月10日 - 巨人の篠塚利夫が札幌市円山球場での対広島16回戦の九回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[63]。
- 7月14日 - 中日の宇野勝が東京ドームでの対巨人13回戦の二回表に桑田真澄から三振を喫し、日本人選手としてプロ野球新記録の23試合連続三振[64]。
- 7月18日 - オリックスの石嶺和彦が北九州市民球場での対ダイエー12回戦に4番・指名打者として出場し、プロ通算1000試合出場を達成[65]。
- 7月19日 - 中日の中村武志がナゴヤ球場での対巨人14回戦で、八回裏一死満塁の場面で代打で登場し12号満塁本塁打、十回裏に13号サヨナラ本塁打を放ち、史上5人目の一試合で満塁本塁打、サヨナラ本塁打の両方を打った選手となる[66]。試合後、巨人ファン約30名が巨人ナインの乗せたバスを取り囲み立ち往生する騒ぎが起きる[67]。
- 7月31日 - プロ野球のオーナー会議が都内のホテルで開かれ、ロッテの球団社長代行の重光昭夫は来季より本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムへ移転することを表明[68]。
8月
編集- 8月1日 - 第62回都市対抗野球大会決勝戦(東芝対三菱重工長崎)で、東芝の丹波健二が1大会9本塁打の都市対抗野球個人大会最多本塁打記録を達成。
- 8月2日 - ダイエーの水上善雄が西武球場での対西武15回戦に8番・遊撃で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[69]。
- 8月4日 - 大洋のロバート・レイノルズが横浜スタジアムでの対ヤクルト19回戦の一回裏の第一打席で安打、三回裏の第2打席で8号2点本塁打を打ち、日本プロ野球新記録となる11打数連続安打を達成[70]。
- 8月7日 - ダイエーの門田博光が平和台球場での対日本ハム19回戦の五回裏に安打を打ち、プロ通算2500安打を達成[71]。
- 8月12日 - 広島の大野豊が広島市民球場での対阪神14回戦の九回表から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[72]。
- 8月19日 - 中日の郭源治が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算1500投球回[73]。
- 8月21日 - 第73回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、大阪代表の大阪桐蔭高校が沖縄代表の沖縄水産を13-8で破り初優勝。
- 8月22日 - 中日はナゴヤ球場での対ヤクルト21回戦で、セ・リーグタイ記録の1試合5併殺打[74]。
- 8月25日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対大洋23回戦の七回無死一塁で犠打を決め今季58個目となり、自身が1990年に記録した年間最多犠打58と並ぶ[75]。
- 8月27日 - 広島は広島市民球場での対大洋22回戦でセ・リーグタイ記録の1試合5盗塁刺殺[76]。
- 8月30日 - 中日の落合博満が広島市民球場での対広島15回戦の六回表に24号本塁打を打ち、プロ通算400本塁打を達成[77]。
9月
編集- 9月1日 - 巨人の川相昌弘が甲子園球場での対阪神23回戦の一回表に無死一塁から犠打を決め、自身が1990年に記録した年間最多犠打58を更新する今季59個目の犠打[78]。
- 9月4日 - プロ野球実行委員会が名古屋市内のホテルで開かれ、ロッテの千葉への本拠地移転を正式に承認[79]。
- 9月5日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋23回戦の七回裏に盛田幸妃から四球を選び、プロ通算1000四死球を達成[80]。
- 9月6日 - オリックスのブーマー・ウェルズがグリーンスタジアム神戸での対ダイエー19回戦に出場し、1000試合出場を達成[81]。
- 9月7日 - 広島の川口和久が東京ドームでの対巨人23回戦の四回表に岡崎郁から三振奪い、プロ通算1000奪三振を達成[82]。
- 9月20日 - ジュニア日本選手権の巨人対広島戦が平塚球場で行われ、7回裏巨人の攻撃中に降雨のため試合が中断し、5-5の引き分けに終わり再試合となる[83]。
- 9月21日 - ジュニア日本選手権の再試合が平塚球場で行われ、巨人が広島に8-7でサヨナラ勝ちし、2年連続5度目の優勝達成[84]。
- 9月23日 - 中日の球団社長の中山了は、監督の星野仙一が今季限りで辞任を申し出ていることを明らかにする[85]。
- 9月26日 - 阪神の真弓明信が甲子園球場での対ヤクルト26回戦で二回裏に17号本塁打、四回裏に二塁打、六回裏に適時二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[86]。
- 9月27日 - ダイエーは今井雄太郎と広橋公寿が今季限りでの現役引退すると発表[87]。
- 9月28日
- 9月29日 - ロッテの西村徳文が川崎球場での対近鉄25回戦で2盗塁を決め、プロ通算300盗塁を達成[90]。
10月
編集- 10月1日 - 日本ハムの監督の近藤貞雄が本拠地・東京ドームでの最終戦となる対近鉄24回戦の試合終了後に記者会見し、今季限りで監督を退任すると表明[91]。
- 10月2日 - 西武の渡辺久信が西武球場での対ロッテ24回戦の三回表に佐藤兼伊知から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を記録[92]。
- 10月3日 - 西武球場で西武対日本ハム26回戦で西武が13-1と勝利し、2年連続のパ・リーグ優勝が決定[93]。
- 10月4日 - 阪神は田尾安志が今季限りで現役引退すると発表[94]。
- 10月8日
- 10月9日 - 巨人は一軍ヘッドコーチの近藤昭仁の退団を発表[99]。
- 10月10日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神ダブルヘッダー第二試合の26回戦は大洋の田代富雄の引退試合となり、田代は現役最後の打席となった三回裏の第二打席で1号満塁本塁打を打つ[100]。
- 10月12日 - ヤクルトは尾花高夫が今季限りで現役引退すると発表[101]。
- 10月13日
- 10月14日 - 大洋は打撃コーチの大杉勝男が退団したと発表[104]。
- 10月15日 - 中日の宇野勝がナゴヤ球場での対広島26回戦の二回裏に川島堅から適時打を打ち、プロ野球通算1500安打を達成[105]。
- 10月16日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[106]。
- 10月17日 - パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[107]。
- 10月18日 - 中日は球団OBで野球評論家の高木守道が来季より監督に就任すると正式に発表[108]。
- 10月21日 - 沢村賞の選考が東京都内のホテルで行われ、広島の佐々岡真司を選出[109]。
- 10月27日 - 【MLB】ワールドシリーズはミネソタ・ツインズがアトランタ・ブレーブスに4勝3敗で優勝達成。
- 10月28日 - 日本シリーズ第7戦が西武球場で行われ、西武が広島に7-1で勝利し、4勝3敗で2年連続の優勝達成[110]。
- 10月29日 - 正力松太郎賞の選考委員会が開かれ、西武の秋山幸二を選出[111]。
- 10月30日 - プロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、新人王、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最優秀選手はセは広島の佐々岡真司、パは西武の郭泰源を、最優秀新人にセは中日の森田幸一、パはオリックスの長谷川滋利を選出[112]。
- 10月31日
11月
編集- 11月1日 - 日本ハムは都内のホテルで記者会見し、球団OBで野球評論家の土橋正幸が新監督に就任したと正式に発表[117]。
- 11月5日
- 11月6日
- 11月13日 - ロッテは錦糸町のロッテ会館にて記者会見し、監督の金田正一が辞任し後任に西武一軍投手コーチの八木沢荘六が新監督に就任したことを正式に発表。また球団社長代行の重光昭夫がオーナー代行に就任したことを発表[123]。
- 11月18日 - ロッテは千葉市のホテルで記者会見し、来季からチーム名を「千葉ロッテ・マリーンズ」に決定したと発表[124]。
- 11月22日 - プロ野球新人選択会議が12時から港区の新高輪プリンスホテルにて行われる[125]。
- 11月25日 - 日本ハムの角盈男とヤクルトの小川淳司の交換トレードが成立したと日本ハム、ヤクルト両球団が正式に発表[126]。
- 11月26日 - 日本ハムの若菜嘉晴が六本木の球団事務所を訪れ、退団したいと申し入れる[127]。
12月
編集- 12月3日 - 中日の山中潔と日本ハムの五十嵐明プラス金銭の交換トレードが成立したと中日、日本ハムの両球団が正式に発表[128]。
- 12月4日 - 阪神は大洋のジェームス・パチョレックを金銭トレードで獲得したと発表[129]。
- 12月9日 - 中日の落合博満が球団と契約更改交渉に臨み、日本人選手として初めて年俸3億円でサイン[130]。
- 12月10日 - 巨人の鴻野淳基と大洋の大野雄次の交換トレードが成立したと巨人、大洋の両球団が発表[131]。
- 12月11日 - 西武の岡田展和と巨人の松原靖の交換トレードが成立したと西武、巨人の両球団が発表[132]。
- 12月16日 - 日本ハムの津野浩と広島の金石昭人の交換トレードを両球団から発表[133]。
- 12月17日 - 前オリックスのブーマー・ウェルズがダイエーに移籍することが決定[134]。
- 12月25日 - 大洋の中山裕章が「11月12日に横浜市金沢区六浦町で少女2人に対する強制わいせつ・公然わいせつ事件を起こした」として強制わいせつ・公然わいせつ容疑で神奈川県警察捜査一課・金沢警察署に逮捕された[135]。
- 12月26日 - 大洋は少女への強制わいせつで神奈川県警と金沢署に逮捕された中山裕章について、12月6日に結んだ契約を破棄して保留選手として扱い、捜査当局の結論を待ってから具体的な処分を下すことを決定[136]。
- 12月27日
誕生
編集1月
編集- 1月2日 - 林羿豪
- 1月6日 - ケビン・ゴーズマン
- 1月7日 - タッカー・バーンハート
- 1月7日 - 伊藤準規
- 1月7日 - 郭阜林
- 1月8日 - 鈴木駿也
- 1月9日 - 笠原将生
- 1月11日 - 中島卓也
- 1月12日 - アレックス・ウッド
- 1月13日 - 角晃多
- 1月14日 - スティーブン・ピスコッティ
- 1月17日 - トレバー・バウアー
- 1月24日 - フェリペ・バスケス
- 1月31日 - ギジェルモ・エレディア
2月
編集- 2月2日 - マット・ボイド
- 2月5日 - 王躍霖
- 2月4日 - 杉谷拳士
- 2月6日 - ルーク・メイリー
- 2月12日 - レイモンド・フエンテス
- 2月21日 - デボン・トラビス
- 2月26日 - ケビン・プラウェッキー
3月
編集- 3月6日 - 西野勇士
- 3月11日 - 中﨑雄太
- 3月12日 - 有吉優樹
- 3月16日 - コーリー・スパンジェンバーグ
- 3月18日 - J.T.リアルミュート
- 3月18日 - レウリー・ガルシア
- 3月26日 - ロブ・レフスナイダー
- 3月26日 - エルナン・ペレス
- 3月26日 - マイケル・テイラー
- 3月28日 - 加藤翔平
- 3月30日 - ジェイク・マリスニック
4月
編集5月
編集- 5月1日 - マーカス・ストローマン
- 5月2日 - ジョナサン・ビヤー
- 5月5日 - ジェームズ・パゾス
- 5月7日 - エミリオ・パガン
- 5月24日 - チャド・グリーン
- 5月29日 - 近藤大亮
- 5月31日 - マット・ボウマン
6月
編集- 6月5日 - アンドリュー・ヒーニー
- 6月5日 - 高梨裕稔
- 6月12日 - アビサイル・ガルシア
- 6月17日 - 菊池雄星
- 6月17日 - 大瀬良大地
- 6月19日 - 鬼屋敷正人
- 6月21日 - ジェフリー・マルテ
- 6月27日 - フリオ・テヘラン
7月
編集- 7月1日 - マイケル・ワカ
- 7月6日 - ニック・グッディー
- 7月13日 - タイラー・スカッグス(+ 2019年)
- 7月16日 - トミー・ジョゼフ
- 7月18日 - エウヘニオ・スアレス
- 7月22日 - ジェイク・バレット
- 7月27日 - ワンディ・ペラルタ
8月
編集- 8月2日 - パーカー・ブリッドウェル
- 8月6日 - ウィルマー・フローレス
- 8月7日 - マイク・トラウト
- 8月13日 - ランドル・グリチャック
- 8月17日 - 堂林翔太
- 8月21日 - メイソン・ウィリアムズ
- 8月24日 - エンリケ・ヘルナンデス
- 8月31日 - エリック・ゴンザレス
9月
編集- 9月1日 - 九里亜蓮
- 9月3日 - カール・エドワーズ・ジュニア
- 9月12日 - ホセ・ウレーニャ
- 9月14日 - ティム・アサートン
- 9月21日 - カルロス・マルティネス
- 9月28日 - エディ・ロザリオ
10月
編集- 10月1日 - ロビー・レイ
- 10月2日 - キャム・ベドローシアン
- 10月7日 - マイク・フォルテネービッチ
- 10月11日 - ジオバニー・ウルシェラ
- 10月16日 - ジョナサン・スコープ
- 10月26日 - ドミニク・レオン
11月
編集- 11月5日 - ジョン・グレイ
- 11月18日 - ジェイムソン・タイヨン
- 11月22日 - ジャスティン・ニコリーノ
- 11月23日 - 山川穂高
- 11月26日 - コーリー・クネイブル
- 11月26日 - 筒香嘉智
12月
編集- 12月5日 - クリスチャン・イエリッチ
- 12月5日 - 岡田俊哉
- 12月9日 - アダム・エンゲル
- 12月14日 - アダム・フレイジャー
- 12月14日 - ホセ・オスナ
- 12月20日 - 平井克典
死去
編集- 1月3日 - ルーク・アップリング(*1907年)
- 1月19日 - ロイ・ウェザリー(*1915年)
- 1月21日 - 桑田武(*1937年)
- 3月7日 - クール・パパ・ベル(*1903年)
- 4月20日 - バッキー・ウォルターズ(*1909年)
- 6月16日 - ハッピー・チャンドラー(*1898年)
- 7月12日 - スティーブ・マクナルティ(*1953年)
- 7月15日 - 永川英植(*1956年)
- 9月1日 - 外山義明(*1947年)
- 9月29日 - 野上清光(*1914年)
- 10月7日 - レオ・ドローチャー(*1905年)
- 10月11日 - 鈴木美嶺(*1921年)
- 11月22日 - 麻生実男(*1937年)
- 12月5日 - 服部受弘(*1920年)
脚注
編集- ^ 読売新聞1991年1月8日17面「長島(広島)が中日入り 音、山田と2対1トレード」読売新聞縮刷版1991年1月p341
- ^ 読売新聞1991年1月12日19面「永久追放のピート・ローズ 米殿堂入りも『ノー』」読売新聞縮刷版1991年1月p549
- ^ 読売新聞1991年1月17日19面「クロウ正式退団 第三の外人にデラクルーズ」読売新聞縮刷版1991年1月p783
- ^ 読売新聞1991年1月18日19面「キャンプは春野で」読売新聞縮刷版1991年1月p839
- ^ 読売新聞1991年1月23日19面「島岡氏、アマで初 野球殿堂へ 牧野、筒井氏ら故人3人」読売新聞縮刷版1991年1月p1095
- ^ 読売新聞1991年1月23日19面「『熱パさらに』原野新会長が抱負」読売新聞縮刷版1991年1月p1095
- ^ 読売新聞1991年1月24日19面「湾岸影響 ヤクルトも中止」読売新聞縮刷版1991年1月p1147
- ^ 『日本プロ野球事件史 1934-2013 秘蔵写真で振り返る衝撃のプロ野球史』ベースボールマガジン社、2013年、57頁。ISBN 9784583619323。
- ^ 読売新聞1991年4月7日19面「森田『最高の気分です』」読売新聞縮刷版1991年4月p361
- ^ 読売新聞1991年4月7日19面「中日・西本聖(三四)が2500投球回を達成」読売新聞縮刷版1991年4月p391
- ^ 読売新聞1991年4月11日19面「新人投手の初打席本塁打は41年ぶり」読売新聞縮刷版1991年4月p551
- ^ 読売新聞1991年4月13日19面「日ハム1安打勝利 田村3号、西崎完封」読売新聞縮刷版1991年4月p659
- ^ 読売新聞1991年4月14日19面「腹、三人目の四番200発」読売新聞縮刷版1991年4月p711
- ^ 読売新聞1991年4月15日19面「また15回やっちゃった 中ー洋ドロー 5時間42分、史上2位」読売新聞縮刷版1991年4月p751
- ^ 読売新聞1991年4月15日19面「中日・宇野勝内野手(三二)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1991年4月p751
- ^ 読売新聞1991年4月15日19面「ラッキーゾーン今年で見納め!?高野連の要請 甲子園側検討」読売新聞縮刷版1991年4月p875
- ^ 読売新聞1991年4月18日19面「中日・小松崎とヤクルトのバートサスが今季初の退場処分」読売新聞縮刷版1991年4月p929
- ^ 読売新聞1991年4月25日19面「プロ初登板完封24人目 芝草、5安打快投」読売新聞縮刷版1991年4月p1291
- ^ 読売新聞1991年4月26日19面「巨人・篠塚利夫内野手(三三)が二塁手連続守備機会無失策の日本タイ」読売新聞縮刷版1991年4月p1355
- ^ 読売新聞1991年4月29日18面「オリックス・佐藤義則投手(三六)が2000投球回を達成」読売新聞縮刷版1991年4月p1502
- ^ 読売新聞1991年4月30日19面「平野が300犠打」読売新聞縮刷版1991年4月p1533
- ^ 読売新聞1991年5月3日19面「原300号、決勝2ラン 巨人連敗ストップ 暗雲払う13安打 宮本が好救援」読売新聞縮刷版1991年5月p107
- ^ 読売新聞1991年5月4日19面「中日・宇野勝内野手(三二)がプロ通算300号本塁打を達成」読売新聞縮刷版1991年5月p135
- ^ 読売新聞1991年5月4日19面「秋山が800試合連続出場」読売新聞縮刷版1991年5月p134
- ^ 読売新聞1991年5月10日19面「2ケタ三進 野茂 6試合連続の日本新 近鉄4連敗 "お祝い"抜き」読売新聞縮刷版1991年5月p359
- ^ 読売新聞1991年5月11日19面「金田監督、8度目退場 史上最多」読売新聞縮刷版1991年5月p411
- ^ 読売新聞1991年5月15日19面「広島が史上3度目の3試合連続満塁本塁打」読売新聞縮刷版1991年5月p623
- ^ 読売新聞1991年5月16日19面「津田は水頭症 今季出場絶望」読売新聞縮刷版1991年5月p675
- ^ 読売新聞1991年5月17日19面「槙原が1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年5月p727
- ^ 読売新聞1991年5月25日19面「大洋が犠飛日本タイ記録」読売新聞縮刷版1991年5月p1137
- ^ 読売新聞1991年5月25日19面「オリックス・松永浩美内野手(三〇)が史上2人目となる自己2度目のサイクル安打達成」読売新聞縮刷版1991年5月p1137
- ^ 読売新聞1991年5月26日19面「荒井、足でマリン1号」読売新聞縮刷版1991年5月p1189
- ^ 読売新聞1991年5月26日19面「中日・川畑とオリックス・南牟礼がトレード」読売新聞縮刷版1991年5月p1229
- ^ 読売新聞1991年5月29日19面「門田4000塁打」読売新聞縮刷版1991年5月p1349
- ^ 読売新聞1991年5月29日19面「大島が1000得点」読売新聞縮刷版1991年5月p1349
- ^ 読売新聞1991年5月30日19面「高沢、古巣へ復帰」読売新聞縮刷版1991年5月p1401
- ^ 読売新聞1991年5月30日19面「シュルジー決勝弾 DH制、投手初」読売新聞縮刷版1991年5月p1400
- ^ 読売新聞1991年5月30日19面「清川と野林を交換」読売新聞縮刷版1991年5月p1401
- ^ 読売新聞1991年5月31日19面「大洋・斎藤明夫投手(三六)が通算2000イニング」読売新聞縮刷版1991年5月p1453
- ^ 読売新聞1991年6月2日18面「日本ハム・大島康徳内野手(四〇)が3500塁打を達成」読売新聞縮刷版1991年6月p70
- ^ 読売新聞1991年6月6日18面「阪神が通算3000敗」読売新聞縮刷版1991年6月p282
- ^ 読売新聞1991年6月7日18面「大野日本タイ連続10セーブ」読売新聞縮刷版1991年6月p331
- ^ 「記録メモ 岡田審判が3000試合」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)6月7日付朝刊、19面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1991年6月8日18面「門田史上3人目550号」読売新聞縮刷版1991年6月p378
- ^ 読売新聞1991年6月9日18面「日本新 大野連続11セーブ 佐々岡13奪三振 6勝」読売新聞縮刷版1991年6月p440
- ^ 読売新聞1991年6月13日19面「阪神が最多連敗の球団タイ記録」読売新聞縮刷版1991年6月p651
- ^ 読売新聞1991年6月14日18面「トラもとうとう仲間入り 10連敗 ヤクルト両リーグ今季最多19点」読売新聞縮刷版1991年6月p699
- ^ 読売新聞1991年6月15日18面「阪神爆発11連敗を阻止 真弓代打満塁弾 16安打13点」読売新聞縮刷版1991年6月p750
- ^ 読売新聞1991年6月17日夕刊21面「広島・川口和久投手(三一)が通算100勝」読売新聞縮刷版1991年6月p841
- ^ 「記録メモ 角(ヤクルト)通算200犠打」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)6月17日付夕刊、7面。
- ^ 読売新聞1991年6月19日18面「殊勲の彦野、"走塁不能"」読売新聞縮刷版1991年6月p926
- ^ 読売新聞1991年6月19日18面「西武・秋山幸二外野手(二九)の連続試合出場が833でストップ」読売新聞縮刷版1991年6月p927
- ^ 読売新聞1991年6月20日19面「近鉄・石本貴昭投手(二九)が中日へ」読売新聞縮刷版1991年6月p983
- ^ 読売新聞1991年6月23日18面「ヤクルト3カ月連続"黒字" 球団初の10連勝」読売新聞縮刷版1991年6月p1146
- ^ 「記録メモ 鈴木(近鉄)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)6月26日付朝刊、14面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1991年6月27日19面「巨人、逆転サヨナラ勝ち 川崎から5連打、駒田殊勲 ヤクルト止めた」読売新聞縮刷版1991年6月p1369
- ^ 読売新聞1991年6月27日18面「秋山31人目の250号」読売新聞縮刷版1991年6月p1369
- ^ 「記録メモ 伊東(西武)通算1000試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)6月27日付朝刊、18面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1991年6月29日19面「初回からポンポンポンとパ・リーグ新 西武5イニング連続弾」読売新聞縮刷版1991年6月p1489
- ^ 読売新聞1991年6月29日19面「近鉄ストップ 星野8勝」読売新聞縮刷版1991年6月p1489
- ^ 読売新聞1991年7月1日19面「中日・落合博満内野手(三七)」読売新聞縮刷版1991年7月p19
- ^ 読売新聞1991年7月10日18面「近鉄のオジー・カンセコ外野手(二六)が退団」読売新聞縮刷版1991年7月p472
- ^ 読売新聞1991年7月11日19面「巨人・篠塚が通算1500本安打」読売新聞縮刷版1991年7月p525
- ^ 読売新聞1991年7月15日19面「中日・宇野が日本選手では最多の23試合連続三振を記録」読売新聞縮刷版1991年7月p717
- ^ 読売新聞1991年7月19日21面「オリックス・石嶺和彦外野手(三〇)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1991年7月p941
- ^ 読売新聞1991年7月20日21面「中村、史上5人目の快挙」読売新聞縮刷版1991年7月p989
- ^ 読売新聞1991年7月20日21面「巨人のバス立ち往生」読売新聞縮刷版1991年7月p989
- ^ 読売新聞1991年8月1日17面「ロッテ千葉移転本決まり」読売新聞縮刷版1991年8月p17
- ^ 読売新聞1991年8月3日21面「ダイエー・水上善雄内野手(三三)が1500試合出場」読売新聞縮刷版1991年8月p109
- ^ 読売新聞1991年8月4日夕刊17面「レイノルズ 連続安打『11』新記録 8号2ランで金字塔 10年ぶり更新」読売新聞縮刷版1991年8月p193
- ^ 読売新聞1991年8月8日19面「門田6人目2500本安打 43歳、22年目で達成 今季3度目の快記録」読売新聞縮刷版1991年8月p313
- ^ 読売新聞1991年8月12日19面「広島・大野が500試合登板」読売新聞縮刷版1991年8月p485
- ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
- ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 171.
- ^ 読売新聞1991年8月26日20面「川相『犠打日本新』に王手 原、逆転25号3ラン 宮本9勝目」読売新聞縮刷版1991年8月p1150
- ^ 読売新聞1991年8月28日21面「広島が5盗塁死のタイ記録」読売新聞縮刷版1991年8月p1275
- ^ 読売新聞1991年8月31日21面「落合400号 中日アーチ攻勢 広島砕き3.5差 山本完投6勝目」読売新聞縮刷版1991年8月p1453
- ^ 読売新聞1991年9月2日19面「川相、59犠打日本新 巨人3連勝、Aクラス復帰」読売新聞縮刷版1991年9月p59
- ^ 読売新聞1991年9月5日19面「ロッテ千葉移転正式決定」読売新聞縮刷版1991年9月p231
- ^ 読売新聞1991年9月6日19面「中日・落合博満内野手(三七)が通算1000四死球」読売新聞縮刷版1991年9月p289
- ^ 読売新聞1991年9月7日19面「オリックスのブーマー・ウエルス内野手(三七)が1000試合出場」読売新聞縮刷版1991年9月p339
- ^ 読売新聞1991年9月8日18面「広島・川口和久投手(三二)が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年9月p386
- ^ 読売新聞1991年9月21日19面「巨人・広島、分ける きょう再試合 ジュニア日本選手権」読売新聞縮刷版1991年9月p1055
- ^ 読売新聞1991年9月22日19面「巨人、4度目V 橋本、サヨナラ安打 ジュニア日本選手権」読売新聞縮刷版1991年9月p1115
- ^ 読売新聞1991年9月24日19面「星野監督 辞意 "9月の失速"で引責表明」読売新聞縮刷版1991年9月p1197
- ^ 読売新聞1991年9月27日19面「真弓が3千塁打 阪神初の5連勝」読売新聞縮刷版1991年9月p1333
- ^ 読売新聞1991年9月28日19面「ダイエー今井 広橋 現役引退」読売新聞縮刷版1991年9月p1389
- ^ 読売新聞1991年9月29日19面「ダイエー門田外野手が史上2位の三振」読売新聞縮刷版1991年9月p1437
- ^ 読売新聞1991年9月29日19面「大洋・屋敷が300盗塁」読売新聞縮刷版1991年9月p1437
- ^ 読売新聞1991年9月30日18面「ロッテ・西村が300盗塁」読売新聞縮刷版1991年9月p1476
- ^ 読売新聞1991年10月2日19面「史上最年長 近藤監督今季限り」読売新聞縮刷版1991年10月p75
- ^ 読売新聞1991年10月3日19面「西武・渡辺久が1000奪三振」読売新聞縮刷版1991年10月p127
- ^ 読売新聞1991年10月4日1面「西武2連覇 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1991年10月p165
- ^ 読売新聞1991年10月5日19面「阪神・田尾引退へ」読売新聞縮刷版1991年10月p239
- ^ 読売新聞1991年10月9日19面「阪神・高橋慶彦外野手(三四)が通算1千得点」読売新聞縮刷版1991年10月p443
- ^ 読売新聞1991年10月9日19面「島田誠が引退」読売新聞縮刷版1991年10月p443
- ^ 「有田コーチが退団」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)10月9日付朝刊、16面(スポーツ面)
- ^ 「ブーマーの退団決定 ダイエー、獲得に意欲」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)10月9日付朝刊、16面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1991年12月10日19面「巨人・近藤ヘッドコーチ退団 後任にOB高田氏有力」読売新聞縮刷版1991年10月p495
- ^ 読売新聞1991年10月11日19面「大洋お別れ満塁278号」読売新聞縮刷版1991年10月p527
- ^ 読売新聞1991年10月13日19面「14年間で112勝 尾花引退発表」読売新聞縮刷版1991年10月p631
- ^ 読売新聞1991年10月14日1面「広島5年ぶりV セ・リーグ」読売新聞縮刷版1991年10月p653
- ^ 読売新聞1991年10月14日19面「落合ムッ6四球 "首位打者"古田は欠場 中日大勝」読売新聞縮刷版1991年10月p671
- ^ 読売新聞1991年10月15日19面「大洋・大杉コーチが退団」読売新聞縮刷版1991年10月p737
- ^ 読売新聞1991年10月16日19面「中日・宇野勝(三三)が通算1500安打達成」読売新聞縮刷版1991年10月p793
- ^ 読売新聞1991年10月17日19面「古田逆転 初の首位打者 パは平井 3年目の栄冠 捕手で最高.3398 セ全日程終了」読売新聞縮刷版1991年10月p847
- ^ 読売新聞1991年10月18日19面「D砲連続2冠 本塁打 打点 野茂も最多勝と奪三振 パも全日程終了」読売新聞縮刷版1991年10月p899
- ^ 読売新聞1991年10月19日19面「中日新監督に高木氏が就任」読売新聞縮刷版1991年10月p955
- ^ 読売新聞1991年10月22日19面「沢村賞に佐々岡 V貢献を高く評価」読売新聞縮刷版1991年10月p1119
- ^ 読売新聞1991年10月29日1面「西武 連続日本一 広島に4勝3敗」読売新聞縮刷版1991年10月p1497
- ^ 読売新聞1991年10月30日19面「正力松太郎賞 西武・秋山に 『走・攻・守』の三拍子 外野手の受賞は初めて」読売新聞縮刷版1991年10月p1575
- ^ 読売新聞1991年10月31日19面「セは佐々岡、パは郭 MVP 2年連続投手が独占」読売新聞縮刷版1991年10月p1635
- ^ 「球界情報 31日 勝呂と熊野のトレード成立」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1991年(平成3年)11月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 「球界情報 31日 オリックス二軍監督に根来氏」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1991年(平成3年)11月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 「球界情報 31日 弘田氏を二軍打撃コーチに」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1991年(平成3年)11月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 「球界情報 31日 寺本氏が新審判部長」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1991年(平成3年)11月1日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1991年11月2日19面「『戦意ない人は使いません』土橋監督が就任会見」毎日新聞縮刷版1991年11月p65
- ^ 毎日新聞1991年11月6日25面「カネやん 怒りの辞任 人生最大の屈辱 時代遅れ痛感」毎日新聞縮刷版1991年11月p215
- ^ 読売新聞1991年11月6日19面「西武の小山コーチ退団」読売新聞縮刷版1991年11月p259
- ^ 「長内、銚子を交換 広島など発表」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)11月6日付朝刊、16面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1991年11月7日25面「広島 津田が退団」毎日新聞縮刷版1991年11月p267
- ^ 読売新聞1991年11月7日19面「新浦と大塚が交換トレード」読売新聞縮刷版1991年11月p315
- ^ 毎日新聞1991年11月14日25面「『守り重視のチームに』 ロッテ 八木沢新監督が抱負」毎日新聞縮刷版1991年11月p543
- ^ 毎日新聞1991年11月19日16面「さらば オリオンズ 新生マリーンズ ロッテ新愛称決定 応募には21万 海にちなんで」毎日新聞縮刷版1991年11月p786
- ^ 毎日新聞1991年11月22日夕刊15面「ドラフト会議 若田部は、ダイエー 田淵さん、左手高々 4チームが競合、抽選で」毎日新聞縮刷版1991年11月p899
- ^ 読売新聞1991年11月26日19面「角、小川のトレード発表」読売新聞縮刷版1991年11月p1277
- ^ 毎日新聞1991年11月27日19面「若菜が引退」毎日新聞縮刷版1991年11月p1071
- ^ 読売新聞1991年12月3日19面「中日・山中と日本ハム・五十嵐明を交換」読売新聞縮刷版1991年12月p123
- ^ 読売新聞1991年12月15日19面「パチョレックを獲得」読売新聞縮刷版1991年12月p235
- ^ 読売新聞1991年12月10日21面「落合3億"満額"更改」読売新聞縮刷版1991年12月p499
- ^ 読売新聞1991年12月11日19面「巨人・鴻野と大洋・大野を交換」読売新聞縮刷版1991年12月p547
- ^ 読売新聞1991年12月12日19面「巨人・松原と西武・岡田が交換」読売新聞縮刷版1991年12月p595
- ^ 「球界情報 16日 日本ハム・津野と広島・金石が交換」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1991年(平成3年)12月17日付朝刊、21面(スポーツ面)。
- ^ 「ブーマー、来季はダイエーでプレー」『北海道新聞』(縮刷版) 1991年(平成3年)12月18日付朝刊、19面(スポーツ面)。
- ^ 『中日新聞』1991年12月26日朝刊第一社会面23面「大洋・中山投手を逮捕 神奈川 少女に連続いたずら 『彼女に会えず不満』」
- ^ 読売新聞1991年12月26日夕刊14面「中山選手の契約破棄 いたずら事件 大洋、保留選手扱いに」読売新聞縮刷版1991年12月p1210
- ^ 読売新聞1991年12月28日15面「上田副本部長が辞任」読売新聞縮刷版1991年12月p1263
- ^ 読売新聞1991年12月28日15面「巨人の高田とオリックスの藤田を交換」読売新聞縮刷版1991年12月p1263