ピエール=アンリ・ラファネル
ピエール=アンリ・ラファネル(Pierre-Henri Raphanel、1961年5月27日 - )は、フランス領アルジェリア(現在のアルジェリア)・アルジェ生まれ、フランス国籍のレーシングドライバー。1985年のフランス・フォーミュラ3選手権チャンピオン。
ピエール=アンリ・ラファネル | |
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基本情報 | |
国籍 | フランス |
出身地 | アルジェリア・アルジェ |
生年月日 | 1961年5月27日(63歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1988-1989 |
所属チーム |
'88 ラルース '89 コローニ '89 リアル |
出走回数 | 17 (1スタート) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1988年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1989年オーストラリアGP |
経歴
編集初期
編集1981年にレーシングカートのフランス選手権・エリートクラスで優勝。1983年にフランス・フォーミュラ・ルノーに参戦を開始。マルティニ・MK38・ルノーで2度の表彰台を獲得しランキング5位を獲得し頭角を現す。
フォーミュラ3
編集1984年からフランスF3選手権にステップアップすると、マルティニ・アルファロメオで2度のポールポジション獲得とF3初優勝を挙げランキング3位を獲得。この活躍により名門オレカから誘いを受け移籍。1985年シーズンは4勝、8PPとランキング2位となったヤニック・ダルマスに大差をつけてのシリーズチャンピオンとなった。なお、同年はモナコグランプリ前座のF3GPでも優勝した(2位にファブリツィオ・バルバッツァ、4位にデイヴ・スコット)。
フォーミュラ3000
編集1986年にオレカのF3000チームに昇格し、国際F3000選手権第10戦ル・マンでF3000初表彰台を獲得した。1987年にマーチのF3000ワークスチームとして参戦するマールボロ・オニクスに移籍。しかし同年のチームメイト、ステファノ・モデナが3勝を挙げチャンピオンを獲得する活躍を見せた一方で、ラファネルはリタイヤが多く、ポー・グランプリでのポールポジション獲得はあったが苦戦の年となった。
1988年にオレカへと復帰、チームメイトは前年のF3チャンピオン、ジャン・アレジであった。同年のマーチ・88Bシャシーが新興レイナード製シャシーを使用するチームとの性能差が大きかったため、オレカも第3戦から二台ともレイナードにスイッチするシーズンとなった[1]。ラファネルは第4戦シルバーストンで表彰台を獲得するが、アレジやエリック・ベルナールら後輩にランキングでは抜かれてしまった。同僚のアレジはこの年のチーム事情を、「オレカではレイナードにスイッチしても、結局F3000マシンに対応できるエンジニアがいなかった。オレカではまともに走らせるセッティングが出来ない。モレノ、ドネリー、ベルナール、グルイヤールたちはみんな勝てるマシンを持ってるのに、僕とラファネルには何もないんだ。全然うまく行かなくてチームと色々言い争ったり、88年のシーズン終盤は悲劇だった。」と証言するなど、チームは苦しい状況に陥っていた[1]。そんな中で同年11月、ラファネルにオーストラリアGPにてF1デビューするオファーが届いた。
フォーミュラ1
編集1988年最終戦オーストラリアGPにて、中耳炎で欠場となったヤニック・ダルマスの代役として、ラルース・ローラで出走したが、結果は予選不通過に終わる。このラルースでの代役参戦は前戦日本GPに引き続き鈴木亜久里にオファーが出されていたが、オーストラリアGPと同日の開催だった富士インターTECに鈴木がNISMOから参戦することが決定済みだったためラファネルに回って来たチャンスだった。
1989年にイタリアのコローニと契約しF1レギュラーシートを得た。チームメイトはロベルト・モレノ。しかし新型車が開幕に間に合わなかったコローニで使用された旧型マシンのFC188は、実力者モレノをもってしても中位以下の戦闘力しかなく、ラファネルは第3戦モナコGPでの決勝進出(これがキャリア唯一のF1決勝レース出走となった。)以外は全て予備予選不通過と苦しいシーズンを送る。第11戦ベルギーGPを前に、ドイツに拠点を置くリアルに移籍するも、資金に苦しむチームが同年用のマシンARC2をドイツのグライダー制作工房に依頼して作らせておりシャシー剛性が極めて低く[2]、コローニの新車より戦闘力が無い状態だった。結局リアルから参戦した全戦で予選不通過となり、同年最終戦オーストラリアGPがキャリア最後のF1参戦となった。なお、リアルもこのGPを最後にF1から撤退した[3]。
日本での活動
編集1998年から日本のレースへも参戦し、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権、全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権に参戦。トヨタのドライバーとして活躍した[4]。
2006年からブガッティ・ヴェイロンの開発ドライバーを担当している。
レース戦績
編集フランス・フォーミュラ3選手権
編集年 | エントラント | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
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1984年 | エキープFRO | マルティニ Mk39 | アルファロメオ | ALB 5 |
NOG 9 |
DIJ 4 |
PAU 6 |
ROU 4 |
CET 6 |
MAG 3 |
LED 1 |
ALB2 3 |
3位 | 71 | |||
1985年 | オレカ | マルティニ Mk45 | NOG 1 |
MAG 1 |
LED Ret |
PAU 1 |
LAC 1 |
ROU 3 |
DIJ 4 |
LEC 2 |
NOG2 2 |
ALB 3 |
CET Ret |
LEC 13 |
1位 | 115 |
マカオグランプリ
編集年 | チーム | エンジン | 周回 | 合計タイム | LEG1 | LEG2 | 総合順位 |
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1985年 | オレカ | アルファロメオ | 23 | 57:23.350 | 13 | Ret | 16位 |
国際F3000選手権
編集年 | チーム | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1986年 | オレカ | マーチ・86B | コスワース DFV | SIL Ret |
VLL 14 |
PAU Ret |
SPA 6 |
IMO 15 |
MUG 8 |
PER 7 |
ÖST 12 |
BIR Ret |
BUG 3 |
JAR 15 |
12位 | 5 |
1987年 | マールボロ・オニクス | マーチ・87B | コスワース DFV | SIL 16 |
VLL 4 |
SPA 8 |
PAU Ret |
DON 3 |
PER Ret |
BRH Ret |
BIR Ret |
IMO Ret |
BUG 14 |
JAR Ret |
13位 | 7 |
1988年 | オレカ | マーチ・88B | コスワース DFV | JER 15 |
VLL 18 |
14位 | 8 | |||||||||
レイナード・88D | PAU 6 |
SIL 3 |
MNZ Ret |
PER 5 |
BRH DNS |
BIR Ret |
BUG 6 |
ZOL Ret |
DIJ 12 |
F1
編集年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
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1988年 | ラルース | ローラ・LC88 | コスワース DFZ V8 | G | BRA | SMR | MON | MEX | CAN | DET | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | ESP | JPN | AUS DNQ |
NC | 0 |
1989年 | コローニ | コローニ・FC188 | コスワース DFR V8 | P | BRA DNPQ |
SMR DNPQ |
MON Ret |
MEX DNPQ |
USA DNPQ |
HUN DNPQ |
NC | 0 | ||||||||||
コローニ・C3 | CAN DNPQ |
FRA DNPQ |
GBR DNPQ |
GER DNPQ |
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リアル | リアル・ARC-02 | コスワース DFR V8 | G | BEL DNQ |
ITA DNQ |
POR DNQ |
ESP DNQ |
JPN DNQ |
AUS DNQ |
全日本ツーリングカー選手権
編集年 | チーム | コドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
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1992年 | FUJITSU TEN トムス | 関谷正徳 | トヨタ・カローラレビン | B | JTC-3 | TIA 5 |
AUT Ret |
SUG 3 |
SUZ Ret |
MIN 7 |
TSU 6 |
SEN 4 |
FSW 4 |
13位 | 52 | |
1993年 | チーム・トムス | 関谷正徳 | B | JTC-3 | MIN 2 |
AUT 2 |
SUG 8 |
SUZ DSQ |
TIA 3 |
TSU 3 |
TOK Ret |
SEN 5 |
FSW Ret |
7位 | 65 |
FIA GT
編集年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1997年 | ガルフ・チーム・ダビドフ | マクラーレン・F1-GTR | GT1 | HOC 2 |
SIL 4 |
HEL 4 |
NÜR 5 |
SPA Ret |
A1R 5 |
SUZ 3 |
DON 6 |
MUG 6 |
SEB 5 |
LAG 4 |
7位 | 27 |
全日本GT選手権
編集年 | チーム | コドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
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1998年 | INGING | 高木真一 | トヨタ・スープラ | B | GT500 | SUZ Ret |
FSW | SEN Ret |
FSW 13 |
TRM Ret |
MIN 6 |
SUG PO |
18位 | 6 |
1999年 | マツモトキヨシ TEAM TOM'S | 山路慎一 | M | GT500 | SUZ 13 |
FSW Ret |
SUG 2 |
MIN 14 |
FSW 13 |
TAI 6 |
TRM 6 |
16位 | 27 | |
2000年 | 山路慎一 | M | GT500 | TRM 12 |
FSW Ret |
SUG 3 |
FSW 13 |
TAI 9 |
MIN Ret |
SUZ 7 |
14位 | 18 |
ル・マン24時間レース
編集ル・マン24時間レース 結果 | |||||||
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年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
1986年 | プリマガス・チーム・クーガー | イブ・クラージュ アラン・ドゥ・カデネ |
クーガー・C12-ポルシェ | C1 | 267 | 18位 | 11位 |
1987年 | プリマガス・コンペティション | イブ・クラージュ エルヴェ・ルグー |
クーガー・C20-ポルシェ | C1 | 332 | 3位 | 3位 |
1988年 | ミシェル・フェルテ | クーガー・C20B-ポルシェ | C1 | 120 | DNF | DNF | |
1989年 | ヨースト・レーシング | フランク・イェリンスキー ルイス・クラージェス |
ポルシェ・962C | C1 | 124 | DNF | DNF |
1990年 | トヨタ・チーム・サード | ローランド・ラッツェンバーガー 長坂尚樹 |
トヨタ・90C-V | C1 | 241 | DNF | DNF |
1991年 | プジョー・タルボ・スポール | ケケ・ロズベルグ ヤニック・ダルマス |
プジョー・905 | C1 | 68 | DNF | DNF |
1992年 | トヨタ・チーム・トムス | 関谷正徳 ケネス・アチソン |
トヨタ・TS010 | C1 | 346 | 2位 | 2位 |
1993年 | ケネス・アチソン アンディ・ウォレス |
C1 | 212 | DNF | DNF | ||
1994年 | クラージュ・コンペティション | パスカル・ファブル リオネル・ロベール |
クラージュ・C32LM-ポルシェ | LMP1 C90 |
107 | DNF | DNF |
1995年 | GTCレーシング | フィリップ・アリオー リンゼイ・オーウェン-ジョーンズ |
マクラーレン・F1 GTR | GT1 | 77 | DNF | DNF |
1996年 | ガルフ・レーシング GTCレーシング |
リンゼイ・オーウェン-ジョーンズ デビッド・ブラバム |
GT1 | 335 | 5位 | 4位 | |
1997年 | ガルフ・チーム・ダビドフ GTCレーシング |
ジャン=マルク・グーノン アンデルス・オロフソン |
GT1 | 360 | 2位 | 1位 | |
1998年 | ポルシェ AG ヨースト・レーシング |
デビッド・マリー ジェームス・ウィーバー |
ポルシェ・LMP1-98 | LMP1 | 218 | DNF | DNF |
2000年 | パノス・モータースポーツ | ジョニー・オコーネル 加藤寛規 |
パノス・LMP-1 ロードスター-S | LMP900 | 342 | 5位 | 5位 |
関連項目
編集脚注
編集タイトル | ||
---|---|---|
先代 オリビエ・グルイヤール |
フランスF3選手権 チャンピオン 1985 |
次代 ヤニック・ダルマス |