デイヴ・スコット

レーシングドライバー

デイヴ・スコットDave Scott1962年5月14日 - )は、イギリスハンプシャー州ピーターズフィールド出身の元レーシングドライバー。1980年代に来日し富士グランチャンピオンレース全日本F2選手権に参戦した。

経歴

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1980年、ドニントンパークフォーミュラ・フォード1600に参戦し4輪レースデビュー。

1981年からイギリスF3にステップアップ、2度のポールポジション獲得と1勝を挙げランキング6位。1982年のイギリスF3選手権では3勝を挙げランキング3位に入る。チーム・ロータスが評価しF1テストドライブ契約を結ぶ。

1983年のヨーロッパF2選手権に参戦。

1984年、生沢徹のチーム・イクザワにジェフ・リースの後任として抜擢され、全日本F2選手権にJPSカラーのマーチ・ホンダで参戦。しかし成績が上向かず、シーズン途中でティフ・ニーデルと交代となってしまった。以後ヨーロッパF3選手権に挑戦し、秋に再度来日して全日本F2最終戦に復帰参戦した。ランキング10位。同年11月のマカオF3にミント・エンジニアリングのラルト・RT3 VWで参戦し10位で完走。

1985年はイギリスに戻り、イギリスF3で2勝、2PPを獲得しランキング4位。F1モナコグランプリ併催のF3で4位と上位の成績を残した。秋のマカオF3GPでは19位であった。

1986年のWEC-JAPANでは背中を痛めた高橋健二のリザーブとして急遽アドバンアルファノバの依頼を受け来日、高橋国光とのコンビで予選をポルシェ・962Cで走ったが、グループCマシンで富士を走るのはこのときがほぼ初めてのぶっつけ本番となった[1]。決勝では高橋健二が回復したためスコットは走らなかった。

1987年、全日本F3選手権に参戦し1勝、1PPを獲得しランキング4位。同年のマカオF3にはチーム・ルマンから参戦し11位で完走した。

1988年は全日本F3と全日本F3000選手権に参戦、F3000ではムーンクラフトのオリジナルマシンMC031をドライブ。同年を最後にレース活動から引退状態となった。

母国イギリスではレーシングカートに乗るジュニア世代のコーチをしており、ガイ・スミスの少年時代にコーチしている[2]

レース戦歴

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イギリス・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 順位 ポイント
1981年 Swift Caravans - Mint アルゴ・JM6 トヨタ・2T-G Nova G 16 SIL
DNS
THR
10
SIL
12
MAR
ret
THR
8
THR
11
SNE
12
SIL
Ret
CAD 6位 26
ラルト・RT3 /81 トヨタ SIL
11
SIL
7
BRH
3
SIL
9
MAR
6
OUL
Ret
SIL
1
OUL
5
SIL
2
SNE
Ret
THR
3
1982年 ミント・エンジニアリング ラルト・RT3 トヨタ A 4 SIL
THR
SIL
1
DON
THR
MAR
SNE
3位 74
Intersport トヨタ 5



BRH
1
SIL
VW



BRH
1
THR
1984年 ラルト・RT3/84 VW A 29 / 10 SIL
THR
SIL
ZOL
THR
THR
DON
SIL
SNE DON
OUL
2
SIL
SPA
6
ZAN
4
BRH
3
7位 19
ミント・エンジニアリング VW Brabham 7 THR
4
SIL
5
1985年 Richard Dutton Racing ラルト・RT3/84 VW A 5 SIL THR
4
SIL
Ret
THR DON ZOL THR THR


4位 52
ミント・エンジニアリング ラルト・RT30 VW Brabham THR
3
BRH
2
THR
2
DON
1
SNE
10
OUL
3
SIL
1
SPA
5
ZAN
3
SIL
6
1986年 David Price Racing レイナード・863 VW A 23/5 SIL
C
THR
8
SIL
3
THR
5
SIL
9
BRH
2
THR
Ret
DON SIL SIL OUL ZAN







11位 12

マカオグランプリF3

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チーム シャーシー/エンジン 予選 レース1 レース2 総合順位
1984年   ミント・エンジニアリング ラルト・RT3 フォルクスワーゲン 19位 15位 11位 10位
1987年   チームルマン ラルト・RT31 日産 22位 台風のため1ヒート制 11位

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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チーム シャシー エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1983年 Intersport マーチ・832 BMW B 33 SIL
Ret
THR
Ret
HOC
DNS
NÜR
11
VLL
Ret
PAU
DNQ
JAR
16
18位 3
オニクス マーチ・832 M 3 DON
6
MIS
Ret
PER
Ret
ZOL
Ret
MUG
5

全日本F2選手権

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チーム マシン エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1984年 JPSチームイクザワ マーチ・832 ホンダ・RA263E D 37 SUZ
9
FSW
6
NIS
8
SUZ
5
SUZ
Ret
FSW SUZ 10位 23
ラルト・RH6/84 ホンダ・RA264E SUZ
7

国際F3000選手権

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チーム シャーシ エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1986年 Peter Gethin マーチ・86B コスワース DFV A 42 SIL VLL PAU SPA IMO MUG PER ÖST BIR
DNQ
BUG JAR NC 0

全日本F3選手権

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チーム シャシー エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1987年 CABIN RACING ラルト・RT31 VW GX B 12 SUZ
DSQ
TSU
2
FSW
10
SUZ
5
SUG
18
SEN
Ret
NIS
3
TSU
1
SUZ
5
SUZ
3
4位 76
1988年 ANGLE FUNAKI with トムス レイナード・873 トヨタ・3S-G B 5 SUZ
ret
11位 4
レイナード・883 TSU
Ret
ラルト・RT32 FSW
6
SUZ
4
SUG
Ret
TSU
Ret
SEN
Ret
SUZ
NIS
Ret
SUZ

全日本F3000選手権

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チーム マシン エンジン タイヤ 車番 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
1988年 Footwork Sports ムーンクラフト・MC031 コスワース DFV B 56 SUZ FSW NIS SUZ SUZ FSW
10
SUZ
8
NC 0
JohnsonチェッカーモータースFLATOUT ローラ・T87/50 コスワース DFV D 17 SUZ
Ret

全日本耐久選手権

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所属チーム コドライバー 使用車両 タイヤ クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1987年 NICHIRA HOSHINO RACING   星野一義
  高橋健二
日産・R87E B C1 SUZ FSW FSW SUZ FSW
16
SEN FSW NC 0

全日本ツーリングカー選手権(JTC)

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チーム コ.ドライバー 使用車両 タイヤ 車番 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
1987年 オートテック・レーシング   中川隆正 BMW・635CSi D 20 DIV.3 NIS SEN TSU SUG FSW
8
SUZ NC 0
1988年 ミノルタ トムス   松田秀士 トヨタ・カローラレビン AE92 B 7 JTC-3 SUZ
NIS
11
  鈴木恵一 トヨタ・スープラターボ MA70 37 JTC-1 SEN
8
TSU
SUG
FSW

関連項目

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ COMMENTS デイブ・スコット Racing On 53頁 1986年12月1日発行
  2. ^ First ever race, it was at Tilbury kart circuit. Getting some advice from former Lotus test driver Dave Scott. Guy Smith Twitter 2020年12月30日