落語芸術協会
公益社団法人落語芸術協会(らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで「日本芸術協会」の名称であった。略称は「芸協」。東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光や提携団体の日本講談協会所属の講談師も多数加入している。五代目古今亭今輔、四代目柳亭痴楽、五代目春風亭柳昇、四代目桂米丸など新作落語の大家を多数輩出して長年「古典の協会、新作の芸協」と称されたが、現在は古典落語の演者も多く所属している。
団体種類 | 公益社団法人 |
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設立 | 1977年12月16日 |
所在地 | 東京都新宿区西新宿六丁目12番30号 芸能花伝舎2階 |
法人番号 | 5011105004830 |
起源 | 日本芸術協会 |
主要人物 | 春風亭昇太(田ノ下雄二)(6代目会長) |
活動地域 | 日本 |
主眼 | 落語を主とする寄席芸能の向上普及を図り、もって我が国文化の発展に寄与することを目的とする |
活動内容 | 落語の創作及び研究発表会・鑑賞会等の開催、後進の育成及び寄席芸能関係者の顕彰、下座音楽実演家の育成等 |
ウェブサイト |
geikyo |
創立:1930年10月11日、
所管:内閣府、 加入団体:日本芸能実演家団体協議会 (芸団協) 正会員、 提携:日本講談協会(神田紅会長) |
興行
編集- 奇数月上席(かみせき)1日 - 10日 新宿末廣亭・池袋演芸場・お江戸上野広小路亭※初席、5月大型連休
- 奇数月中席(なかせき)11日 - 20日 浅草演芸ホール・上野広小路亭(15日まで)※二の席
- 奇数月下席(しもせき)21日 - 30日 新宿 ※新宿のみの興行となる
- 偶数月上席(かみせき)1日 - 10日 浅草・上野広小路亭
- 偶数月中席(なかせき)11日 - 20日 新宿・池袋・上野広小路亭(15日まで)※お盆興行
- 偶数月下席(しもせき)21日 - 30日 浅草 ※浅草のみの興行となる
ほかに、上席・中席は国立演芸場、下席はお江戸日本橋亭で定席興行がある。
2002年2月から浅草と池袋は5日制興行となり、前半5日間と後半5日間で演者が入れ替わる。ゴールデンウィークにあたる新宿末廣亭五月上席は、真打昇進披露興行が多く組まれるが例外もある[注釈 1]。
1984年9月に、江戸定席の一つである上野鈴本演芸場と番組編成を巡る確執から絶縁し、以来定席興行は組まれていない(経緯)。代替として近隣のお江戸上野広小路亭[注釈 2]で定席興行を行っている。
このほか、2018年4月に開場した仙台・花座で毎月10日間(上席5日、下席5日)の定席興行を行っている(後述)ほか、青森県弘前市に開場した弘前かだれ劇場で毎月実施されている「わどなんど寄席」が2024年11月から落語芸術協会主催の定席興行(共催:一般社団法人弘前芸術鑑賞会、毎月12・13日および26・27日の1日2回興行)に位置付けられている[1][2]。
月例の興行として、お江戸上野広小路亭の「しのばず寄席」と、お江戸日本橋亭[注釈 2]の「お江戸寄席」に、「多流寄席」として協会員を参加させている。
各月下席は一つの寄席でのみ興行する。落語協会に比べて客入りが悪く、定席側から他団体との合流提案が出たこともあった[3]。
定席番組は協会員以外の落語家・芸人が顔付けされる機会が多く、特に新宿末廣亭の番組編成ではほぼ毎回にわたり円楽一門会、上方落語協会、落語立川流のいずれかから日替わりで顔付けされることが恒例となっている。正月初席を含めた一部の特別興行を除く。
- 五代目円楽一門会:生前に協会客員となっていた六代目三遊亭円楽以外に、三遊亭兼好、三遊亭王楽、三遊亭萬橘が2018年以降末廣亭の興行の交互枠に常時出演している他、代演・ゲスト出演として中堅〜若手の真打が顔付けされることがある。中でも萬橘はイレギュラーな形ではあったが芸協の興行で(形式的に)主任を務めたことがあった(本人記事参照)。2022年9月末に円楽が死去したが、一周忌を終えた2023年12月現在、円楽一門会の交互出演は継続している。
- 落語立川流:正式な客員ではないが準レギュラーの出演が多い立川談之助(毎年浅草演芸ホール8月下席の「禁演落語」は常連出演者となっている)、さらに二ツ目ではあるが、若手芸人ユニットである「ソーゾーシー」に参加している立川吉笑などが出演している。
- 上方落語協会と本協会に所属する笑福亭鶴光のほかに、上方から数名が顔付けされることがあり[注釈 3]、会長の笑福亭仁智ほか重鎮クラスも年1回程度、芸協の定席に出演することが恒例となっている。池袋演芸場の番組でも年1回程度顔付けされている。
- 正式に提携していないが、日本浪曲協会所属の浪曲師も不定期ながら顔付けされる機会が増えつつあった。かねてから芸協に所属している玉川太福のほか、玉川奈々福、三代目広沢菊春、国本はる乃が出演していた[注釈 4]が、2024年5月よりこの3人も正式に芸協に入会している[注釈 5]。
- 芸協所属外の色物の芸人も顔付けされることがあり、山田邦子(漫談)、漫才協会所属のエルシャラカーニ、ハマカーン、青空ピー助・プー子、はまこ・テラこ(いずれも漫才)などが不定期ながら定席番組に顔付けされている[注釈 6]。
歴代会長
編集代 | 氏名 | 期間 | 副会長 | |
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1 | 六代目春風亭柳橋 | 1930年10月 - 1974年3月 | 柳家金語楼 | 1930年10月 - 1933年4月 |
二代目桂小文治 | 1933年4月 - 1967年11月 | |||
五代目古今亭今輔 | 1967年11月 - 1974年3月 | |||
2 | 五代目古今亭今輔 | 1974年3月 - 1976年12月 | (不在) | - |
3 | 四代目桂米丸 | 1977年2月 - 1999年9月 | 五代目春風亭柳昇 | 1977年2月 - 1999年9月 |
4 | 十代目桂文治 | 1999年10月 - 2004年1月 | 桂歌丸 | 1999年10月 - 2004年1月 |
5 | 桂歌丸 | 2004年2月 - 2018年7月 | 七代目春風亭柳橋 | 2004年2月 - 2004年10月 |
三遊亭小遊三 | 2005年1月 - 2019年6月 (2018年6月より会長代行兼務) | |||
- | (不在) | 2018年7月‐ 2019年6月 | ||
6 | 春風亭昇太 | 2019年6月 - | 八代目春風亭柳橋 | 2019年6月 - |
設立以来最初の44年間は創設者・六代目春風亭柳橋が一貫して会長を続けた。柳橋退任後は、第2代副会長であった二代目桂小文治の弟子・孫弟子の系統(小文治一門)が4代連続で会長に就任した。この記録も、第5代会長・桂歌丸の死去まで約44年間続いている。小文治一門出身の会長のうち、第3代会長・四代目桂米丸を除く全員が任期中の死去による会長退任である(十代目桂文治は任期満了日の当日に死去)。
歌丸の死去による後任会長人事は、2019年6月の役員改選まで会長職を空席とし、小遊三会長代行のまま現体制を維持することが明らかにされていた[4]。2019年3月の理事会で春風亭昇太が第6代会長に就任することが内定したと報じられ[5]、6月27日の総会と理事会で正式に昇太の会長就任が承認された[6]。
役員
編集2021年6月25日改選[7]
会長
編集副会長
編集理事
編集監事
編集参与
編集参事
編集相談役
編集沿革
編集設立までの経緯
編集芸術協会の設立は吉本興業などが関わっている。
落語家の柳家金語楼は、「兵隊」という既存の落語に突発事項を発端として独自演出を加えて人気を博すと、開局したばかりのNHKから出演依頼があった。ラジオで演芸を聴くと客が寄席に来なくなることを危惧し、大阪と東京の寄席経営者はラジオ放送を敵視して相互に協定を結び、放送に出演する芸人を拒否することにした。人気絶頂の金語楼が敢然とNHKに出演すると、寄席経営者は金語楼の各寄席への出演を禁じ、抜け駆けを防ぐために金語楼を出演させた寄席に罰則や罰金を課し、ラジオと寄席への対立から金語楼一門は上がる寄席を失い、単独で興行を打つことを余儀なくされた。
大阪でほぼすべての寄席を所有していた吉本興業は、所属芸人に放送への出演を禁じたが、初代桂春團治は破った。吉本のおもな芸人はみな会社に多額の借金を負う計算にされており、借金を取り立てる名目で吉本が春團治宅の家財を差し押さえた経緯は、俗に赤紙口封じ事件として知られる。
吉本興業は東京へ進出すると、売れっ子ながら寄席に上がれない金語楼に強い関心を寄せた。既存の寄席では野心を持つ神楽坂演芸場や千葉博巳席亭が現れ、意を同じくする吉本興業と千葉博巳は合同して金語楼に新しい協会を作らせた。春團治と金語楼はともに寄席の意向に反して行動したが、春團治の生活を破壊した吉本は金語楼に手を伸べた。
六代目春風亭柳橋は落語睦会に所属して若手の三代目春風亭柳好、二代目桂小文治、八代目桂文楽らとともに「睦の四天王」と称されたが、「この先どこまで上手くなるのだろう」と一人抜けて人気が高まり、千葉博巳は注目していた。
金語楼と柳橋は共に子供でプロ落語家になった「子方」だが、金語楼は初代柳家三語楼一門に転ずるまで三遊派で、柳橋は柳派保守本流であり両人はほとんど面識がなく、吉本と千葉が2人を引き合わせて2人で新協会を作ることに同意させた。新協会設立に際して落語睦会から柳橋を借り出すことになり、吉本と千葉は会長の五代目柳亭左楽に了解を求めに行くと、左楽は了承の条件として金銭的解決を提案した。左楽は「金語楼から金額は不明だが月々の小遣い銭を貰う」と人気絶頂の金語楼に全く問題のない条件を提示し、左楽と柳橋は良好な関係を保ったまま柳橋に新協会を作らせることができた。左楽は「睦会がダメになったらあたしもそっちの(新)協会に行くから」と軽口を言って笑わせたが、のちに現実となった。
この計画の趣旨は「金語楼に協会を作らせること」であった。金語楼の人気は柳橋よりも圧倒的に上まわっていたが、金語楼は自分が副会長に下がり柳橋を会長にする案を出した。これは金語楼一流の処世術で、金語楼嫡子の山下武は戦後の「東京喜劇人協会」設立時に金語楼が自ら初代副会長に引いたことと同じとしている。柳橋は金語楼よりも真打になった時期が早く落語家として序列が上で、年齢も柳橋が年長であるため、柳橋も異論はなく「31歳の会長」が誕生した。
「寄席は落語という芸術、講談芸術、漫才芸術、漫談芸術、ものまね芸術などさまざまな芸術を総合的に実演する」と解釈した金語楼と柳橋は「日本芸術協会」と命名した。
神保町「神田花月」など東京に複数存在した吉本興業の寄席と神楽坂演芸場のほか、麻布十番倶楽部などで興行を打った。
金語楼は1年後別行動をとり、正式に吉本興業と専属契約を結んで吉本の芸人となり、吉本の大阪も含む全芸人の中で最高の待遇を受けた。
年表
編集- 1930年10月11日 - 日本芸術協会設立。
- 1931年 - 金語楼副会長が演劇や地方公演に忙しくなり事実上脱退。
- 1933年4月 - 日本演芸協会(二代目桂小文治会長)を吸収合併。2代目桂小文治が副会長となる。
- 1934年 - 7代目正蔵脱退。
- 1937年11月13日 - 落語睦会解散。残党の五代目柳亭左楽、春風亭柳好(野ざらしの柳好)らが入会。
- 1940年5月3日 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。落語部第二班班長に六代目柳橋が就任。
- 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、元の形態である日本芸術協会などに戻る
- 1956年1月 - 昔々亭桃太郎入会。
- 1959年5月 - 三代目桂三木助退会。
- 1964年5月 - 二代目桂枝太郎の尽力で浅草演芸ホールが開場。
- 1967年1月 - 人形町末廣・浅草演芸ホールの初席が落語協会の公演となる。日本芸術協会は新宿末広亭・池袋演芸場で初席。各席1月上席・中席・下席を日本芸術協会と落語協会で交互に興行するために両協会の会長と各寄席席亭とで話し合った結果。
- 1967年11月 - 2代目小文治副会長死去。副会長は小文治の弟子五代目古今亭今輔が就任。
- 1969年3月 - 組織改革。理事制を導入。桂米丸、三遊亭円右、二代目桂伸治、春風亭柳昇、三遊亭小円馬、二代目桂小南、三笑亭夢楽、四代目春風亭柳好、三笑亭笑三が理事となる。
- 1970年1月20日 - 人形町末廣廃業。最後の芝居を受け持つ(主任は五代目今輔、お婆さん落語)。
- 1970年3月 - 立地条件の悪さから極度の不入りで興行が成り立たないため、池袋演芸場と絶縁。
- 1972年10月 - 四代目柳亭痴楽が理事長になる。副理事長に桂米丸、春風亭柳昇。
- 1972年12月28日 - 三代目三遊亭右女助、八代目春風亭小柳枝、九代目春風亭柏枝が理事就任。
- 1973年10月 - 大阪道頓堀角座での二代目桂枝雀・五代目笑福亭枝鶴・四代目桂福團治のトリプル襲名披露興行に出演していた四代目痴楽理事長が脳血栓で倒れる。長期療養のため理事長職続行出来ず。
- 1973年 - 人気者だった桂高丸(日高はじめ)・桂菊丸兄弟が退会。
- 1974年3月1日 - 春風亭柳橋が相談役に退き、五代目古今亭今輔が副会長から会長就任。
- 1976年12月10日 - 五代目今輔会長死去。
- 1977年2月14日 - 四代目桂米丸会長(今輔総領弟子)、五代目春風亭柳昇副会長となる。
- 1977年12月10日 - 旧法のもとで法人格を取得。団体名も日本芸術協会から社団法人落語芸術協会と改称。
- 1978年8月 - 協会事務所を西新宿に構える。
- 1979年3月 - 柳昇副会長が促進委員長を務め推進した国立劇場演芸場が開場[8]。
- 1979年5月 - 六代目柳橋相談役死去。
- 1979年6月 - 三代目江戸家猫八が落語協会を退会し当協会に入会。
- 1979年8月 - 桂歌丸・四代目三遊亭小圓遊が理事就任。
- 1980年10月 - 小圓遊理事が地方興行先の山形で急死。
- 1981年9月 - 三代目三遊亭遊三が理事就任。
- 1983年 - 真打昇進の方針として「抜擢真打」制度も導入。抜擢第1号として三遊亭小遊三が同年3月に単独で真打昇進披露を実施した(他の7名は翌月に真打昇進)[9]。
- 1984年9月 - 興行成績不振から落語協会と合同での興行を打診されたため、上野鈴本演芸場と絶縁。代替として近隣の御徒町吉池デパートで『吉池土曜落語会』を開催。
- 1984年12月 - 桂文朝・桂文生・桂南喬・桂扇生が退会し落語協会へ移籍。
- 1989年4月 - 機関誌『寿限無』創刊。
- 1990年4月 - 上方落語協会所属の笑福亭鶴光が入会(以降、両協会ともに所属)。
- 1990年7月 - ケーシー高峰入会(春風亭柳昇の勧めによるもの。ただし、一度も寄席に出ずに退会)[10]。
- 1993年12月 - 9月に池袋演芸場が改装を終え営業再開。同年12月より、落語芸術協会が落語協会と交互出演の形で定席となる。
- 1995年6月 - 春風亭小柳枝、昔昔亭桃太郎、三遊亭小遊三が理事、三代目橘ノ圓、三笑亭可楽、三笑亭夢太朗が監事に就任。
- 1996年5月 - お江戸上野広小路亭開業に伴い、『吉池土曜落語会』が終了。
- 1997年6月 - 三代目三遊亭圓右が相談役に。
- 1999年9月 - 米丸会長・柳昇副会長勇退(それぞれ最高顧問、理事長に就任)。会長は十代目桂文治、副会長・桂歌丸、副会長付・三遊亭小遊三。
- 2000年6月 - 五代目柳亭痴楽が理事、桂枝助、三笑亭茶楽が監事に。
- 2001年8月 - 機関誌である季刊『芸協』創刊。
- 2002年1月 - 5日制興行に移行。(浅草演芸ホール・池袋演芸場)
- 2003年6月 - 協会マスコットキャラクター「バク助」誕生。キャラクターデザインを公募、ウタシロ(ペンネーム)さんの案が採用される。
- 2003年6月16日 - 五代目春風亭柳昇理事長死去。
- 2004年1月31日 - 十代目桂文治会長死去(会長職の任期満了日であった)。
- 2004年2月1日 - 桂歌丸が会長就任。副会長・七代目春風亭柳橋。常任理事制を導入。春風亭小柳枝、三笑亭夢太朗、昔昔亭桃太郎、三遊亭小遊三、五代目柳亭痴楽が常任理事、三笑亭笑三、三代目三遊亭遊三、三代目橘ノ圓、九代目三笑亭可楽、三笑亭茶楽、初代三笑亭夢丸、桂米助が理事に就任。春雨や雷蔵が監事。三笑亭夢楽は相談役に。
- 2004年10月 - 七代目柳橋副会長死去。
- 2005年1月 - 三遊亭小遊三が副会長就任。
- 2005年3月 - 協会事務所を、新宿永谷ビル(歌舞伎町)から現在の芸能花伝舎(西新宿)に移転。
- 2005年10月 - 夢楽相談役死去。
- 2006年1月〜3月 - 落語芸術協会設立75周年記念事業の一環としてテレビアニメ「落語天女おゆい」の制作協力に参加し、放送。
- 2006年3月 - 圓右相談役死去。
- 2006年 - 昔昔亭桃太郎が理事待遇に降格。常任理事は春風亭小柳枝、三笑亭夢太朗、五代目柳亭痴楽(病気療養中)。春雨や雷蔵、三笑亭夢之助が理事。古今亭寿輔、桂歌春、春風亭昇太が監事に。
- 2007年10月28日 - 芸協らくごまつり(芸能花伝舎)開催。以降毎年10月最終日曜日に行われている。
- 2008年12月1日 - 社団法人が廃止され、特例社団法人となる。
- 2009年12月12日- 協会所属の落語家が毎日出演する 草津温泉「熱乃湯」での「草津温泉らくご」スタート。
- 2010年頃? - 落語芸術協会仙台事務所[11]を開設し、以後、魅知国(みちのく)仙台寄席を毎月開催する。
- 2010年 - 常任理事廃止。古今亭寿輔、桂歌春、春風亭昇太が新理事。理事は遊三、圓、可楽、茶楽、夢丸、小柳枝、夢太朗、桃太郎、米助、夢之助、雷蔵に新任の3人で14人に。柳亭楽輔、瀧川鯉昇が監事。笑三は相談役に。可楽、桃太郎は翌年理事を降りる。
- 2011年4月1日 - 内閣府からの認可を受け、公益社団法人へ移行。これに伴い、社団法人落語芸術協会より、公益社団法人落語芸術協会に改称。
- 2014年 - 鏡味健二郎、東京太、神田松鯉が参与。
- 2015年1月 - 落語立川流を離脱した立川談幸一門が入会(談幸は真打の身分だが、2年間は「準会員」として入会。二つ目2名は改めて前座修行を課す)。
- 2015年 - 柳亭楽輔、瀧川鯉昇が理事、柳家蝠丸が監事。
- 2016年 - 柳家蝠丸、桂竹丸、春風亭柳橋、桂文治が理事。三代目山遊亭金太郎、三遊亭遊吉が監事に。
- 2017年6月27日 - 円楽一門会所属の六代目三遊亭円楽が客員真打として入会。
- 2018年6月15日 - 三遊亭小遊三が副会長在職のまま、会長代行に就任[12]。
- 2018年7月2日 - 桂歌丸会長死去[13]。当面の間は会長職は空席とし、会長代行の小遊三を中心とした合議体制で翌年6月まで現体制を続けることを表明する[14]。
- 2018年8月 - 理事会において、前座の定員を30名とし、新規弟子入りは35歳までとする制限の実施を決定[15]。
- 2019年1月21日 - 三重県伊勢市との間で、市内での寄席形式の落語会の定期開催や観光振興策などの提言を含んだ「文化鑑賞機会の拡大に関する協定」を締結[16]。これを受けて、11月19日・20日にいせトピアで「伊勢おかげ寄席(第1回)」が開催された[17]。
- 2019年5月26日 - 前年まで9月最終日曜日に実施していた「芸協らくごまつり」を、この年から5月最終日曜日に移動して開催(台風シーズンや残暑などを考慮)。
- 2019年6月27日 - 春風亭昇太が会長に就任。副会長・八代目春風亭柳橋[6]。
- 2019年7月 - 講談・三代目神田松鯉が落語芸術協会所属者としては初の重要無形文化財の保持者(いわゆる人間国宝)認定。
- 2020年4月6日 - 新型コロナウイルス感染症拡大による影響のため、5月に新宿末廣亭から予定していた昔昔亭A太郎・瀧川鯉八・桂伸三 改メ 桂伸衛門の真打昇進披露興行の秋以降への延期と、5月24日に芸能花伝舎で開催予定だった「第14回芸協らくごまつり」(実行委員長・瀧川鯉朝)を中止することを決定した。[18][19]
- 2020年5月24日 - この日開催予定だった芸協らくごまつりの中止を受けて、協会所属芸人の企画・配信により「ネット芸協らくごまつり」を開催。特設サイトを開設、所属芸人の電話リレーなどのYouTubeによる生配信、関連動画の一斉公開などが行われた(2021・2022年も同様に無観客オンラインで実施)[20]。
- 2020年8月15日 - 5月より休止となった新宿末廣亭の深夜寄席の代替企画として、この日の21:30より落語芸術協会Youtubeチャンネルで二ツ目が出演する「俺たちの深夜」を生配信スタート。初回出演者は春風亭昇々・桂竹千代・柳亭信楽。
- 2020年8月21日 - 「俺たちの深夜」と同じく新宿末廣亭で行われていた「五派で深夜」を「オンライン五派で深夜」としてYouTubeチャンネルで配信開始したが、初回は回線不良のため高座の生配信を断念して短時間のトークのみを配信。29日より録画・編集されたものを改めて配信した。初回出演者は柳亭市童(落語協会)、春風亭昇羊(落語芸術協会)、三遊亭好吉(五代目円楽一門会)、立川志ら鈴(落語立川流)、桂ぽんぽ娘(上方落語協会)。
- 2020年10月11日 - この日から、同年5月から予定されて延期となっていた昔昔亭A太郎・瀧川鯉八・桂伸衛門の真打昇進披露が新宿末廣亭よりスタートした。なお、この日は協会が「日本芸術協会」として発足してちょうど90年目にあたる[21]。
- 2020年12月10日 - 三井住友信託銀行と「遺贈希望者に対する遺言信託業務の紹介に関する協定書」を締結[22]。
- 2021年2月11日 - 桂宮治真打昇進披露興行がこの日の新宿末廣亭を皮切りに始まる。落語芸術協会の落語家[注釈 7]としては、現会長の春風亭昇太以来29年ぶりの抜擢真打[23]。
- 2021年4月28日 - 4月25日に発出された3回目の緊急事態宣言に対し、都内寄席は引き続き感染防止策を続けた上の営業を決めていたが、都の要請を受け5月1日から11日まで休業を決定。それを受け、5月1日から新宿末廣亭を皮切りに予定していた三遊亭小笑・春風亭昇々・春風亭昇吉・笑福亭羽光の真打昇進披露興行を6月11日スタートに延期、振替開催することを発表した[24]。
- 2021年5月23日 - 「ネットde芸協らくごまつり ~おんらいんでありんす」をYouTube上で開催。実行委員長・瀧川鯉朝、メインビジュアル・みなもと太郎。
- 2021年5月18日~6月30日 - コロナ禍の緊急事態宣言下で休業・営業時間宣言等を繰り返し、営業危機に陥った東京の寄席定席(鈴本演芸場・新宿末広亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場・お江戸上野広小路亭)を救うために、落語協会と合同で寄席支援プロジェクトのクラウドファンディング「寄席の危機に想いを寄せて」(運営:READYFOR)を立ち上げる。プロジェクトは、開始4日目の5月21日に第一目標の5,000万円を突破、第二目標の8,000万円も6月14日に達成。最終日の6月30日には支援者7,149人、支援金額103,770,000円という規模となり、手数料等を差し引いて分割された金額が各寄席に興行運営費として贈呈された[25]。
- 2021年7月28日 - 北海道内における芸術文化及び伝統芸能を広く普及し落語会やワークショップなどの事業を積極的に推進してゆくため、公益財団法人北海道文化財団との協定を調印・締結。当日、かでる2・7で「『北芸亭』春風亭昇太の落語会」が開かれた[26][27]。
- 2022年1月19日 - 協会会長で浅草演芸ホール正月二之席の昼の部主任であった春風亭昇太の新型コロナウイルス陽性が判明(18日より休演していた)。演芸ホールは、同日夜の部および翌20日の昼夜興行を中止。館内の消毒作業ののち、21日から興行を再開。
- 2023年5月21日 - 新型コロナウイルス感染拡大により、2020年以降オンラインで実施していた「芸協らくごまつり」を有観客イベントで再開(オンライン配信イベントも併催)[28]。
- 2024年5月 - 前年から芸協の定席興行に客演していた日本浪曲協会所属の玉川奈々福、三代目広沢菊春、国本はる乃の浪曲師3名が正会員として入会。既に入会している玉川太福と2名の弟子(前座)を含めて、芸協所属(日浪協にも引き続き所属)の浪曲師が6名に増員する。
- 2024年8月1日 - 三代目会長で最高顧問であった四代目桂米丸が老衰のため、99歳で死去した。
- 2024年11月 - 青森県弘前市の弘前かだれ劇場で行われている「わどなんど寄席」が、文化庁・独立行政法人日本芸術文化振興会の助成を受ける形で、落語芸術協会主催興行(毎月12・13および26・27日の1日2回興行)となる。
所属会員
編集落語
編集真打
編集原則として、真打に昇進した順で香盤に列せられている。ただし、既に真打に昇進していた落語協会から移籍の三遊亭遊雀については、入会日の時点で真打の香盤最後尾に列せられている。また、2015年1月に準会員として入会した立川談幸(その後、2017年1月に正会員となる[31])は当初は香盤上別枠であったが、2019年6月頃に2016年と2017年の真打昇進者の間に列せられた。三遊亭円楽は生前「客員」として別枠扱いとなっていた。
上方落語協会と両方に所属している鶴光は「真打(上方)」という、特殊な階級で香盤に配されている(芸協公式サイトでは別枠での記載だが、東京かわら版刊の『寄席演芸家名鑑シリーズ』では通常の香盤で掲載されている)。ただし、芸協に所属する鶴光の弟子は通常の香盤で扱われている[注釈 8]。
2020年6月頃からは、一部の落語家が「会友」として別枠で記載されている[注釈 9]。高齢や病気などにより定期的な高座での活動が難しい落語家がこの枠に配されている[32]。
- 三遊亭遊三(相談役)
- 三笑亭可楽
- 三遊亭圓輔
- 三遊亭圓遊
- 三笑亭茶楽
- 三笑亭夢太朗(理事)
- 雷門助六
- 昔昔亭桃太郎
- 桂米助(参事)
- 三遊亭小遊三(参事)
- 古今亭寿輔
- 春雨や雷蔵
- 笑福亭鶴光(真打(上方))[33]
- 桂歌春(理事)
- 桂富丸
- 柳亭楽輔(理事)
- 柳家蝠丸(理事)
- 三遊亭笑遊
- 桂伸治(理事)
- 瀧川鯉昇(理事)
- 桂幸丸
- 三遊亭右京
- 桂南なん
- 春風亭昇太(会長)
- 桂小文治(理事)
- 桂小南(理事)
- 桂竹丸(理事)
- 三遊亭右左喜
- 三遊亭遊吉(理事)
- 三遊亭とん馬
- 春風亭柳橋(副会長)
- 三遊亭圓丸
- 三遊亭遊之介
- 桂歌助(監事)
- 桂文治(理事)
- 春風亭柳好(理事)
- 桂右團治(監事)
- 桂歌若
- 三遊亭圓雀
- 一玄亭米多朗
- 三遊亭圓馬(理事)
- 桂米福(理事)
- 三遊亭遊史郎
- 桂歌蔵
- 春風亭柳之助
- 瀧川鯉朝
- 春風亭昇乃進
- 三遊亭遊雀
- 三笑亭夢花
- 桂文月
- 春風亭柳太郎
- 三遊亭遊馬
- 古今亭今輔
- 三遊亭遊喜
- 春風亭鯉枝
- 橘ノ杏奈
- 瀧川鯉太
- 桂枝太郎
- 三笑亭可龍
- 春風亭傳枝
- 昔々亭慎太郎
- 春風亭愛橋
- 春風亭柳城
- 柳亭芝楽
- 瀧川鯉橋
- 笑福亭里光
- 東生亭世楽
- 春風亭笑好
- 雷門小助六
- 春風亭柏枝
- 春風亭小柳
- 三笑亭小夢
- 三笑亭夢丸
- 橘ノ圓満
- 三笑亭可風
- 立川談幸
- 昔昔亭桃之助
- 笑福亭和光
- 桂夏丸
- 瀧川鯉斗
- 三遊亭藍馬
- 立川吉幸
- 柳亭小痴楽
- 昔昔亭A太郎
- 瀧川鯉八
- 桂伸衛門
- 桂宮治
- 三遊亭小笑
- 春風亭昇々
- 春風亭昇吉
- 笑福亭羽光
- 春風亭柳雀
- 春風亭昇也
- 桂翔丸
- 春風亭吉好
- 柳亭明楽
- 雲龍亭雨花
- 山遊亭金太郎
会友
編集二ツ目
編集前座
編集前座は楽屋入りからプロフィール掲載まで時間差があり、公演スケジュール[34]にのみ掲載されているケースもあり、またSNSの投稿などで楽屋入りした事実が判明することもある[35]。※印は公演スケジュールのみに記載。
近年、入門志願者が増加しているため、芸協においては2018年8月の理事会で入門制限を行うことを決定している。具体的には前座の定員は30人(講談師・色物の前座も含む)として、弟子入りの際の年齢は35歳までとする。現在の前座が二ツ目に昇進し、空きが出た分だけ、楽屋入りが許されるとしている[15]。
系図
編集- 真打は太字、前座は小文字で示した。
- †印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。物故者については公式サイトの記載がある者または系図上必要な者について記載。
色物
編集()内に役職のほか、芸種を示す。芸種は公式サイトの記述による。
近年、色物芸種での入会者が増加傾向であり、代演などで芸協の高座に上がっていた芸人が後に入会するパターンが続いている(コント山口君と竹田君、藤本芝裕、松廼家八好、坂本頼光、新宿カウボーイ、母心など)。
一方で太神楽曲芸、音曲、紙切り芸人のように色物として入門したばかりの見習いも師匠の方針により、落語家・講談師の前座とともに寄席での前座修行を行うことがある(ただし、落語家・講談師の前座修行と異なり、1年程度で独り立ちとなる)。
- 翁家喜楽・喜乃(太神楽曲芸)
- 東京太・ゆめ子(漫才、参与)
- 林家今丸(紙切り)
- 東京ボーイズ(ボーイズ)
- ボンボンブラザース(太神楽曲芸)
- 北見伸(奇術)
- マジックジェミー(奇術)
- 瞳ナナ(奇術、「スティファニー」[注釈 13]
- 八重子プラスワン(奇術)
- 東城けん(漫談[注釈 14])
- 東京平(漫談[注釈 15])
- 新山真理(漫談)
- 江戸家まねき猫(動物ものまね)
- 国分健二(ワンマン笑)
- コントD51(コント)
- 鏡味正二郎(太神楽曲芸)
- 桧山うめ吉(俗曲)
- 宮田陽・昇(漫才)
- ぴろき(ウクレレ漫談)
- 一矢(相撲漫談)
- やなぎ南玉(曲独楽)
- マグナム小林(バイオリン漫談)
- ナイツ(漫才)
- 鏡味初音(太神楽曲芸)
- 林家花(紙切り)
- 養老瀧之丞(和妻)[注釈 16]
- 鏡味味千代(太神楽曲芸)
- コント青年団(コント)
- ザ・ニュースペーパー(コント集団)
- 丸一小助・小時(太神楽曲芸)
- 鏡味よし乃(太神楽曲芸)
- カントリーズ(漫才)[注釈 17]
- 小泉ポロン(奇術、「スティファニー」[注釈 13])
- 山上兄弟(奇術)
- ナオユキ(スタンダップコメディー)
- 林家喜之輔(紙切り)
- 桂小すみ(音曲)[注釈 18]
- できたくん(発泡スチロール芸)
- ねづっち(漫談)
- きょうこ(和妻)
- 好田タクト(指揮者形態模写)
- おせつときょうた(漫才)
- コント山口君と竹田君(コント)
- 藤本芝裕(三味線漫談)
- 松廼家八好(幇間)
- 坂本頼光(活動写真弁士)
- 新宿カウボーイ(漫才)
講談
編集芸協においては、講談師は、前座修行を芸協で行った者のみが落語家と同様の香盤に入り、真打昇進後に入会した者は色物として扱うこととなっていたが、2019年12月頃より、公式サイトのプロフィールページにおいて、講談師の項目が別項に移行した。これにより、真打・二ツ目・前座の落語家の香盤と色物にまたがっていた香盤が一本化された。講談師の部の中において真打・二ツ目・前座の区別がなされており、従来「色物」だった講談師は「真打」に改められた。入会から長期間経過している松鯉ら4名は、従前より真打だった山陽らより真打昇進順に上位に列せられたが、2019年入会の阿久鯉(真打)、2020年入会の紅佳(二ツ目)はそれぞれ通常の香盤と別枠となっている。
なお、ひまわりは講談師であるが、現在でも落語家の香盤に含められている。
真打
編集二ツ目
編集前座
編集- 神田紅希
- 神田梅之丞
- 神田青之丞
- 神田若之丞
- 神田松樹
浪曲
編集浪曲師はかつては芸協ホームページ内のプロフィールで「色物」内に記載されていたが、2024年9月に分離して「浪曲」として別枠に移行した。
前座
編集客員
編集また、五代目円楽一門会所属の6代目三遊亭円楽[39]も客員であったが、2022年に死去した。
おはやし
編集古田尚美、滝沢仁美、福岡民江、稲葉千秋、成田みち子、足立奈保、木本惠子、清水登美、井手窪泉、舩窪舞子、芦田由莉子、早見莉沙
仙台事務所
編集この他、東北を拠点に活動する芸人と多く業務提携を結び、また、芸協や漫才協会等と提携し東京から芸人を派遣している。
2011年7月に協会初の地方事務所として開設。2018年4月、宮城県仙台市青葉区の繁華街に常設の寄席「花座」が開場。同館の名誉館長に桂歌丸が就任し、芸協が毎月1~5日および21~25日に10日間の定席興行を行う事となった[42]。
関連項目
編集芸協関連商品
編集- 芸協らくごまつり(DVD3枚組BOX)…創立80周年記念DVD Vol.1-3&DVD BOX(2010年)
注釈
編集- ^ 近年の例では、特に単独または抜擢による真打昇進(三代目柳亭小痴楽、六代目神田伯山、桂宮治など)では五月に限らず昇進披露興行が行われている。
- ^ a b 永谷商事所有の演芸場
- ^ これには上方の落語家との親交がある瀧川鯉朝、十一代目桂文治などの尽力が大きい。特に文治が主任を務める定席興行においては、上方落語協会所属の落語家が日替わりで1名ゲストが顔付けされることが定番化している。
- ^ 主に六代目神田伯山主任の定席興行で顔付けされる機会が多い。
- ^ 芸協入会にあたり、太福は春風亭昇太門下、奈々福は瀧川鯉昇門下、菊春は三笑亭夢太朗門下、はる乃は桂小文治門下のそれぞれ内輪として加わっている。
- ^ 桂竹丸主任の興行では山田邦子のほか、松村邦洋、山田雅人などが常連出演者として顔付けされているほか、入門前は漫才師・コント芸人出身の笑福亭羽光、春風亭昇也などが主任を務める際に、中堅クラスの芸人が顔付けされることが増えている。このほか2024年は、5月上席の浅草演芸ホール興行で活動写真弁士の片岡一郎、7月下席の神田伯山・三遊亭遊雀が主任となった新宿末廣亭の興行で実況アナウンサーの清野茂樹が顔付けされるなど、新たな試みも見られる。
- ^ 芸協所属の講談師では2020年2月に神田松之丞改メ六代目神田伯山が抜擢真打となっている。
- ^ 鶴光の筆頭弟子である笑福亭学光は、師匠の東京進出後も大阪を拠点としているために上方落語協会に所属しており、現役の弟子の中では唯一落語芸術協会非加入となっている。
- ^ 2020年の香盤整理で「会友」に移行したのが、柳家金三、三遊亭圓太(2023年12月死去)、三遊亭遊朝、三遊亭小圓右、三遊亭左遊(2022年11月死去)の5名。その後、三遊亭扇馬が2023年に「会友」に移行している。
- ^ やなぎ南玉(曲独楽)門下。実父は三遊亭右左喜、実兄は林家喜之輔[36]。
- ^ 師匠であった10代目文治の死去以降、伸治門下であったが、現在は破門されているため、便宜上こちらに表記する。
- ^ 師匠であった圓の死去以降、5代目圓馬門下であったが、現在は破門されているため、便宜上こちらに表記する。
- ^ a b 北見伸が立ち上げた女性マジシャンユニット。芸協のサイトではユニットとしてのプロフィールページも設けられている。メンバーはナナ、ポロンの他にプチ☆レディーがいるが芸協正会員ではなくプロフィールは掲載されていない(高座に上がることはある)。
- ^ 元Wモアモア。2020年にコンビを解散(2022年に元相方の東城しんが死去)しているが、協会ホームページの協会プロフィール上は「漫才」で表記されている。
- ^ 元東京丸・京平。2021年に相方の京丸が死去しているが、協会ホームページのプロフィール上は「漫才」で表記されている。
- ^ 旧名・北見翼。
- ^ えざおが2023年9月21日に死去[37]したため、協会プロフィールは相方の福田純一のみ「カントリーズ」名義でそのまま掲載されている。
- ^ 元おはやしの松本優子。
- ^ 五代目柳亭痴楽門下へ移籍するにあたり日本講談協会を退会しており、芸協のみ加入。公式サイトのプロフィールでは落語家の香盤に含まれており、同期昇進の遊馬と今輔の間に列せられている。
- ^ a b 玉川太福門下
脚注
編集- ^ 「わどなんど寄席」のご案内 - 落語芸術協会 2024年11月13日
- ^ 「わどなんど寄席」が11月から本格的な寄席にパワーアップ! - 弘前芸術鑑賞会 2024年10月11日
- ^ “「今のままじゃあ、寄席にお客来ない」”. 朝日新聞. (2012年1月26日). オリジナルの2012年1月26日時点におけるアーカイブ。 2012年12月3日閲覧。
- ^ 「落語を壊さないようにしてくださいね」桂歌丸さんの切なる願い、小遊三・昇太ら明かす(会見全文) - ハフポスト 2018年7月3日
- ^ 歌丸さんからバトン!落語芸術協会の新会長に春風亭昇太「お断りするわけには」 - SANSPO.COM 2019年3月20日
- ^ a b 春風亭昇太、落語芸術協会会長に就任 “若返り”へ,スポーツ報知,2019年6月27日
- ^ 新着情報詳細 - 新着情報一覧- 落語芸術協会
- ^ “沿革”. 日本芸術文化振興会 2022年1月25日閲覧。
- ^ 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P16-P17より
- ^ “『笑点』エロ担当の三遊亭小遊三、ケーシーさんは「スケール違った」”. サンスポコム. サンケイスポーツ (2019年4月11日). 2019年4月11日閲覧。 “「(春風亭)柳昇師匠に誘われて入会したけど、一度も寄席に出ないまま消滅した」”
- ^ 魅知国(みちのく)仙台寄席
- ^ 小遊三さんが会長代行に 落語芸術協会 - 産経ニュース 2018年6月15日
- ^ “訃報 桂歌丸さん81歳=落語家、笑点で人気”. 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. (2018年7月2日) 2018年7月2日閲覧。
- ^ 歌丸さんの遺志継ぐ…春風亭昇太「後に続くものが頑張らないと」 - スポーツニッポン 2018年7月3日
- ^ a b 瀧川鯉斗、橘ノ双葉、立川吉幸が来年5月に真打ち昇進 双葉は三遊亭藍馬に改名 - スポーツ報知 2018年8月31日
- ^ 尾崎稔裕 (2019年1月22日). “落語芸術協会が三重・伊勢市と協定 寄席定期開催や観光振興策を提言”. 毎日新聞
- ^ “春風亭昇太さんら「伊勢おかげ寄席」 落語芸術協会と伊勢市の協定調印後初”. 見る・遊ぶ. 伊勢志摩経済新聞 (2019年11月21日). 2019年11月21日閲覧。
- ^ “昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、伸三改メ桂伸衛門 真打昇進披露興行の延期について”. 落語芸術協会 (2020年4月6日). 2020年4月10日閲覧。
- ^ “5月24日(日)「第14回芸協らくごまつり」の中止について”. 落語芸術協会 (2020年4月6日). 2020年4月10日閲覧。
- ^ “ネット芸協らくごまつり”. 芸協らくごまつり. 落語芸術協会 (2020年5月24日). 2020年5月30日閲覧。
- ^ “本日10月11日より昔昔亭A太郎、瀧川鯉八、伸三改メ桂伸衛門 真打昇進披露興行始まります!”. 落語芸術協会 (2020年10月11日). 2020年10月12日閲覧。 “本年10月11日は1930年(昭和5年)10月11日に日本芸術協会として発足した私共にとって、記念すべき90周年を迎える日でございます。”
- ^ “三井住友信託銀行との遺言信託業務の紹介に関する協定締結について”. 落語芸術協会 (2020年12月16日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ 実力者、桂宮治が真打ち昇進 2月から披露興行 - 日本経済新聞 2021年1月19日
- ^ “5月1日~11日の寄席休業について/真打昇進披露興行の延期について”. 落語芸術協会. 新着情報. 落語芸術協会 (2021年4月28日). 2021年5月7日閲覧。
- ^ 寄席支援プロジェクト(一般社団法人落語協会・公益社団法人落語芸術協会). “寄席の危機に想いを寄せて|江戸から続く落語・寄席文化存続にご支援を”. READYFOR. 2021年7月25日閲覧。
- ^ “「北芸亭」春風亭昇太の落語会 令和3年7月28日(水)かでる2・7かでるホール”. 公益財団法人北海道文化財団 (2021年6月4日). 2021年7月30日閲覧。
- ^ “公益財団法人北海道文化財団との協定締結の調印式を執り行いました。”. 落語芸術協会. 2021年7月30日閲覧。
- ^ 落語芸術協会ファン感謝祭
- ^ https://www.geikyo.com/profile/index.php
- ^ 東京かわら版編・寄席演芸家名鑑
- ^ 【談志を語る】唯一の内弟子経験者・立川談幸が知る意外な優しさ - スポーツ報知 2019年5月21日
- ^ 【訃報】三遊亭左遊師匠 - 落語芸術協会 2022年12月5日
- ^ 東都寄席演芸家名鑑(東京かわら版・編)
- ^ [1]
- ^ 瀧川鯉朝 [@takigawa_richou] (2024年11月1日). "11/1池袋演芸場初日に鯉朝一門が勢揃い! 左端は新弟子の瀧川うりぼうです。 今日から楽屋入りしました。". X(旧Twitter)より2024年11月2日閲覧。
- ^ 林家喜之輔 [@kinosukesantati] (2024年1月31日). "明日2月上席から実弟が楽屋入りして前座修行に入ります". X(旧Twitter)より2024年1月31日閲覧。
- ^ お笑いコンビ「カントリーズ」えざおさん急死 40歳 20日ライブが体調不良で中止 「漫才新人大賞」V - Sponichi Annex 2023年9月23日
- ^ 新協会員ご紹介 六華亭遊花
- ^ “円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩”. デイリースポーツ. (2017年6月28日) 2017年7月6日閲覧。
- ^ “BBI花座 落語芸術協会 仙台事務所”. 株式会社 BBI花座. 2022年12月24日閲覧。
- ^ 株式会社BBI(仙台寄席・芸協仙台事務所を運営する企業)
- ^ 落語:「とにかく笑って…」仙台に常設寄席「花座」開場へ - 毎日新聞 2017年8月28日(同年12月6日閲覧)
外部リンク
編集- 公益社団法人 落語芸術協会
- 公益社団法人 落語芸術協会 - YouTubeチャンネル
- 芸協らくごまつり (@geikyo_matsuri) - X(旧Twitter)
- 芸協らくご名古屋寄席 (@GEIKYO_NAGOYA) - X(旧Twitter)
- 芸協らくごまつり(公式サイト) - 第4回(2010年)からの記録が収められている。
- 芸協らくごまつりDVD - テイチクエンタテインメント