浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。大阪都心6区の一角を成す。

なにわく ウィキデータを編集
浪速区
通天閣とその南側の新世界界隈
通天閣とその南側の新世界界隈
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27111-0
面積 4.39km2
総人口 84,785[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 19,313人/km2
隣接自治体
隣接行政区
大阪市西区大正区天王寺区西成区中央区
区の花 ナデシコ
浪速区役所
所在地 556-8501
大阪府大阪市浪速区敷津東一丁目4番20号
北緯34度39分33.6秒 東経135度29分58.6秒 / 北緯34.659333度 東経135.499611度 / 34.659333; 135.499611座標: 北緯34度39分33.6秒 東経135度29分58.6秒 / 北緯34.659333度 東経135.499611度 / 34.659333; 135.499611
地図
外部リンク 大阪市浪速区
浪速区位置図
ウィキプロジェクト
なんばパークス大阪球場跡)

地理

一帯は上町台地西側の平地で、北辺では道頓堀川(西道頓堀川)が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には1733年難波入堀川(難波新川)と呼ばれる運河が開削されたが、1958年に埋め立てられた[注釈 1]。区内には通天閣で有名な新世界や、難波ミナミ)の繁華街の南端、電気街でんでんタウン)の名称で知られる日本橋などが含まれる。

日本一面積の小さな行政区でもある。地方自治体に関する日本一の一覧#面積も参照。

人口

浪速区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 65,746人
1975年(昭和50年) 55,725人
1980年(昭和55年) 50,104人
1985年(昭和60年) 49,074人
1990年(平成2年) 48,480人
1995年(平成7年) 49,122人
2000年(平成12年) 50,188人
2005年(平成17年) 54,174人
2010年(平成22年) 61,745人
2015年(平成27年) 69,766人
総務省統計局 国勢調査より

歴史

1925年(大正14年)に南区から分区によって誕生した。旧:西成郡難波村今宮村木津村西浜町の地域を中心にしている。

区名の由来

区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津の歌)からとられた[1]1943年(昭和18年)の区境変更により、湊町日本橋筋の南部・御蔵跡町の南部を南区から、幸町を西区から、北日東町・南日東町・逢阪下之町下寺町の西部を天王寺区からそれぞれ編入し、河原町の北部を南区へ割譲して現在の区域となった。 当初案としては「難波(なんば)区」があったが、漢字が難読で、かつ「なにわ」との表記揺れがあることを理由として反対運動が起き、非常に難航したと伝わる。[2]

概要

近世には、大坂城下へ野菜などを供給する「畑場八ヶ村」の一画を占めた。難波村は、今宮村は瓢箪、木津村は越瓜・匏瓜(干して干瓢にする)・大根菠薐草などが名産であった。これらの野菜類は天満青物市場まで持ってゆく決まりであったが、旧淀川以北の天満は城下南郊に位置する畑場八か村から遠く不便であった。農民達は道頓堀川付近に市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立した。その後、1809年(文化6年)に13品目限定で難波木津市場が開設されるに至った。

明治時代以後は1885年(明治18年)に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が、1889年(明治22年)には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現:JR難波駅)が開業し、奈良県や和歌山県の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。

戦後は日本橋(恵美須町)が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場クボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。バブル崩壊後、これらの再開発は足踏みしたが、2000年代以降には超高層マンション群やオフィスビル、商業施設の開発が行われている。恵美須町、日本橋周辺はオタク向けの街へと変貌している。

比較的地価が安いため、アジアヨーロッパアメリカオセアニアなどからの出稼ぎ労働者やホステス、外国語教師など外国人の居住が多いほか、若い単身者向けのワンルームマンションも多いのも特徴。区の人口は1940年(昭和15年)に約15万人いたが、その後の空襲による市街地の破壊やドーナツ化現象、生活環境の著しい悪化などに伴い長く減少傾向にあった。しかし近年再開発によりマンション建設が進み、都心回帰によって再び増加傾向にある。特に単身男性の転入が加速しており、全世帯数に占める単独世帯数の割合は2020年国勢調査では75.2%で全国の行政区で最も高く、人口性比(女性を100とした時の男性の比率)は同国勢調査で大阪市全体の93.0に対して103.6で西成区に次いで大阪市内第2位である(男性が多いのは大阪市内でこの2区のみ)。長らく大阪市内で人口が最も少なかったが、都心回帰による流入増加で2014年5月に此花区と大正区の人口を上回った。

こうした浪速区の都心再開発プロジェクトにはOCAT湊町リバープレイスを中心としてオフィスビル、高層マンション群と産経新聞社などを誘致したルネッサなんばプロジェクト(旧国鉄湊町駅の貨物ヤード再開発)、南海なんば駅前、大阪球場跡を再開発した商業施設、シネマコンプレックスとオフィスビル、高層マンションの複合体なんばパークスなどがある。

町名

交通

 
日本を代表する電気街の一つ、日本橋でんでんタウン(日本橋3南歩道橋から恵美須町方面を撮影)
 
円形劇場からパークスガーデンとパークスタワーを望む

鉄道

西日本旅客鉄道(JR西日本)
  大阪環状線芦原橋駅 - 今宮駅 - 新今宮駅
関西本線  大和路線):JR難波駅 - 今宮駅 - 新今宮駅
南海電気鉄道
  南海本線今宮戎駅(高野線の各駅停車のみ停車)
  高野線(汐見橋線)汐見橋駅 - 芦原町駅
※登記上、南海電鉄の新今宮駅は西成区、南海難波駅は中央区に所在
阪神電気鉄道
  阪神なんば線桜川駅
大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)
 御堂筋線大国町駅
 四つ橋線大国町駅 - 難波駅
 千日前線桜川駅
 堺筋線恵美須町駅
※登記上、御堂筋線・四つ橋線・千日前線ともに難波駅は中央区に所在
阪堺電気軌道
  阪堺線恵美須町停留場
※登記上、新今宮駅前停留場は西成区に所在

バス

道路

教育

大学

高等学校

小学校・中学校

(統廃合による小学校の閉校)

特別支援学校

マスメディア

新聞社

放送局

集合住宅

大規模マンション

  • ザ・なんばタワーレジデンス・イン・なんばパークス
  • ルネッサなんばタワー

住宅団地

  • 都市再生機構桜川市街地住宅
  • 都市再生機構アーベインなんば
  • 都市再生機構アーベインなんばウエスト
  • 市営塩草住宅
  • 市営敷津東住宅
  • 市営大国住宅
  • 市営大国南住宅
  • 市営日本橋住宅
  • 市営日本橋西住宅
  • 市営にしはま住宅

浪速区に本社を置く企業

名所・旧跡・文化・観光施設

 
なんばパークス
 
Zeppなんば大阪 外観

出身有名人

脚注

注釈

  1. ^ 埋め立て後の旧河道には阪神高速道路1号環状線が建設された。

出典

  1. ^ 浪速区ウェブサイトより。ちなみに同じ大阪市内の此花区の区名も同じ歌に由来する。
  2. ^ 浪速区創設三十周年記念事業委員会『浪速区史』、1957年
  3. ^ “野田 順子”. Excite News. エキサイト株式会社. https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PE975c4344a1b2907a758a76fe46e6281d316d4432/ 2021年11月18日閲覧。 

関連項目

外部リンク