西浜町 (大阪府)

日本の大阪府西成郡にあった町

西浜町(にしはまちょう)は、かつて大阪府西成郡に存在したである。現在の大阪市浪速区の一部にあたる。

にしはまちょう
西浜町
廃止日 1897年4月1日
廃止理由 編入合併
(大阪市第一次市域拡張)
現在の自治体 大阪市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
西成郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 西成郡木津村難波村川南村
西浜町役場
所在地 大阪府西成郡西浜町
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歴史

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もとは渡辺津付近に居住していた住民たちが数度の移転を経て、1701年元禄14年)から1706年宝永3年)にかけて西成郡木津村の西部に移転し、西成郡渡辺村(わたなべむら)が成立した。

また、移転完了と同時に渡辺村の耕作地として、七瀬川右岸の月正島の南縁に西成郡七瀬新田(ななせしんでん。七瀬新地とも)も成立した。なお、渡辺村・七瀬新田が成立する直前には、河村瑞賢によって木津川の改修および十三間堀川の開削が行われている(十三間堀川の開削の費用は西成郡津守新田の地主が負担している[1])。

江戸時代を通じて渡辺村は大坂三郷天満組の付属地で、1724年享保9年)の大火で消火活動の功績があったことから長らく消防役を担っていた。

沿革

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  • 1706年宝永3年) 西成郡渡辺村・七瀬新田が成立。
  • 1871年明治4年) 大阪西大組(のち第3大区)に所属。
  • 1872年(明治5年) 渡辺村が藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・洲先町・栄町となる。
  • 1873年(明治6年) 七瀬新田が七瀬町となる。
  • 1879年(明治12年) 郡区町村編制法施行により、区部から分離されて西成郡に所属。
  • 1887年(明治20年) 西成郡藻刈町・野上町・霧島町・菜摘町・千里町・入江町・穂波町・洲先町・栄町・七瀬町が合併して、西成郡西浜町となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 西成郡西浜町単独で町村制施行。
  • 1897年(明治30年)4月1日 大阪市第1次市域拡張により南区へ編入される。同日西浜町廃止。
  • 1900年(明治33年) 南区西浜町を西浜北通1 - 4丁目、西浜中通1 - 3丁目、西浜南通1 - 3丁目に改編。
  • 1925年大正14年)4月1日 浪速区へ転属。
  • 1962年昭和37年) 西浜北通4丁目(もと七瀬新田→七瀬町)を除いて浪速町東1 - 3丁目、浪速町西1 - 4丁目のそれぞれ一部に改編。
  • 1967年(昭和42年) 西浜北通4丁目を木津川元町に改称。
  • 1980年(昭和55年) 現行行政地名の浪速東1 - 3丁目、浪速西1 - 4丁目、木津川2丁目のそれぞれ一部に改編。

人口

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1927年出版の『一経済学徒の断草』によると、戸数1120、人口5205である[2]

町政

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町長

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経済

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産業

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商工業

皮革産業が盛んで、和太鼓の製造が行われている。皮革商を営む人物は「西浜南通の有本楠太郎[4]、岩田光造[5][6]清坂作之助[5]、佐々木益太郎[5]、篤田治良兵衛[5]、西森源兵衛[5]、松田良助[5]、西浜中通の合阪五兵衛[4][5]、小林熊太郎[5]」などがいた。

日本大学教授・井上貞蔵は『一経済学徒の断草』の中で、西浜町は部落であることを指摘している[2]。井上貞蔵によると「北島町と西浜町は日本屈指の大部落に違いない。概して北島には貧民が多く、西浜には金持ちが多い。西浜は問屋格のものが軒をならべ、革成金と称せらるる部類の人がかなりある。」という[2]

店舗・企業

地主・家主

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西浜南通の家主は岩田又兵衛[6][7][8]、岩田光之祐[8]、地家主は岩田庄一郎[6]などがいた。

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ 大阪に関するよくある質問”. 大阪市立図書館. 2024年1月10日閲覧。
  2. ^ a b c 『一経済学徒の断草』196 - 197頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
  3. ^ 『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』35 - 36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月16日閲覧。
  4. ^ a b 『大阪商工人名録 明治40年3月刊』73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月22日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『大阪人士商工銘鑑』295、314 - 317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月22日閲覧。
  6. ^ a b c 『日本紳士録 第26版』大阪い、ゐ之部13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月21日閲覧。
  7. ^ 『人事興信録 第9版』イ278頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月22日閲覧。
  8. ^ a b 『日本紳士録 第35版』大阪イ、ゐの部36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月21日閲覧。
  9. ^ a b 『人事興信録 第13版 下』ニ56 - 57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月16日閲覧。
  10. ^ a b 『大阪財界人物史』108 - 110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月16日閲覧。

参考文献

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  • 芝弥一郎編『大阪人士商工銘鑑』大阪人士商工銘鑑発行所、1902年。
  • 『大阪商工人名録 明治40年3月刊』府立大阪商品陳列所、1901 - 1907年。
  • 横田文之助編『赤十字名鑑 博愛慈善 第1輯』赤十字名鑑編纂所、1907年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第26版』交詢社、1921年。
  • 井上貞蔵『一経済学徒の断草』邦光堂、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店、1983年) ISBN 978-4-04-001270-4

関連項目

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