新発田市

新潟県の市
新発田から転送)

新発田市(しばたし)は、新潟県下越地方にある1947年昭和22年)、県内では6番目に市制施行。

しばたし ウィキデータを編集
新発田市
新発田市旗
新発田市章
新発田市章
新発田市旗
1934年7月9日制定
新発田市章
1934年7月9日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
市町村コード 15206-4
法人番号 5000020152064 ウィキデータを編集
面積 533.11km2
総人口 90,401[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 170人/km2
隣接自治体 新潟市阿賀野市胎内市北蒲原郡聖籠町東蒲原郡阿賀町
福島県喜多方市
山形県西置賜郡小国町
市の木 サクラ
市の花 アヤメ
市のシンボル 新発田城
新発田市役所
市長 二階堂馨
所在地 957-8686
新潟県新発田市中央町3丁目3番3号
北緯37度56分53秒 東経139度19分38秒 / 北緯37.94792度 東経139.32728度 / 37.94792; 139.32728座標: 北緯37度56分53秒 東経139度19分38秒 / 北緯37.94792度 東経139.32728度 / 37.94792; 139.32728
新発田市役所本庁舎(ヨリネスしばた)
新発田市役所本庁舎(ヨリネスしばた)
外部リンク 公式ウェブサイト

新発田市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
新発田市中心部周辺の空中写真。
2009年4月30日撮影の39枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

概要

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新潟県立新発田病院から望む新発田市街(2020年3月)

越後平野の北部に位置する新潟県の北部の中核都市。市北西部には日本海に面した白砂浜海岸が広がり、東部には飯豊山二王子岳などの山々がそびえ、街からその姿を望むことができる。またこの地では加治川などを水源とした水田が広がっており、県下有数の良質なコシヒカリ)の産地としても知られる。

新発田藩城下町として栄えた市街地は新発田城を代表とする歴史的建築物が多数あり、今も城下町当時の区割りや道、新発田川などの水路がかつての姿をとどめている。明治から戦前にかけては軍都として、戦後は県北部の商業都市として発展した。その昭和の頃の面影を色濃く残す旧公設鮮魚市場や各商店街といった建物や街並みも多く残り、風情ある街にもなっている。 こうした歴史を背景に、新発田の市民は2004年平成16年)の新発田城三階櫓・辰巳櫓の復元をはじめとする街の景観保存維持に対する関心が非常に高く、市民自ら熱心に取り組んでいる。

市章には新発田藩主・溝口家の家紋「溝口菱」(掻摺菱、五階菱とも)をそのまま用いている。

新潟市への通勤率は16.6%(平成22年国勢調査)。

地理

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城下町の市街地を流れる新発田川

気候

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市全域が国から豪雪地帯の指定を受けるが、特別豪雪地帯には指定されていない。県の観測によれば、市街地の新栄町における年累計降雪量および最深積雪の1994-2019年度の平均値はそれぞれ244 cm、48 cmであり、新潟市中央区美咲町の131 cm、30 cmと比べてやや多い[1]。一方、山間部の赤谷では最深積雪が2 mを超える年もある[2]

赤谷(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
降水量 mm (inch) 384.8
(15.15)
261.3
(10.287)
223.3
(8.791)
175.7
(6.917)
149.0
(5.866)
192.7
(7.587)
345.1
(13.587)
250.5
(9.862)
202.7
(7.98)
240.0
(9.449)
376.4
(14.819)
450.6
(17.74)
3,252
(128.031)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 26.0 21.5 20.8 14.8 12.9 12.6 15.7 12.7 14.3 16.3 20.2 24.8 212.6
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[3]

隣接している自治体・行政区

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新潟県
福島県
山形県

地域・市街地構成

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市域は中心となる本庁地区に、戦後に編入した旧自治体をベースとする11の地区を加えた計12の地区から成る[4]。また、都市計画マスタープランではこれと異なる10の地域設定が行われている[5]

本庁地区の中心街は、新発田駅前から西へ伸びる道路沿いに1km以上に渡って片持ちアーケードが設置されており、この通りが事実上メインストリートとなっている。かつてはこの通り沿いに百貨店(ハヤカワ)や大型商業施設(ダイエーカネダイ新発田店ジャスコ新発田店)が存在していたが、1980年代末から1990年代にかけて郊外移転・閉店が相次ぎ、空洞化が進行した。一方で新新バイパスから続く新発田バイパス新発田南バイパス沿いには郊外型商業施設の出店が相次ぎ[6]1998年(平成10年)オープンのコモタウン[7]2005年(平成17年)オープンのイオンモール新発田が代表的である。こうした開発に合わせて市街地も大きく広がり(DID面積は1980年(昭和55年)5.50km22010年(平成22年)9.49km2[8])、これらのバイパスの内側では2010年代に入ってからも宅地開発が続いている[9]

こうしたドーナツ化現象への対策として様々な取り組みが行われており[10]、2006年11月には県立新発田病院が駅前の大倉製糸新発田工場跡に移転され、2016年には図書館を核とする駅前複合施設「イクネスしばた」、2017年にはオープンスペースを有する市役所新庁舎「ヨリネスしばた」が相次いで開設された。なお、市役所は従来北側の旧武家地に位置していたものを旧町人地(現在のメインストリート)に移した形である。

歴史

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新発田城二の丸隅櫓(国の重要文化財

阿賀野川信濃川の流域に拓けたこの地域は、中世には佐々木氏の傍系・新発田氏が領し、この地を流れる新発田川の流域にその水運を生かして城が築かれた。

慶長3年(1598年)、豊臣家の家臣であった溝口秀勝が6万石の所領を得てこの地に移封され、以後幕末まで新発田藩溝口氏が治め、新発田城城下町として発展していくことになる[11][12]。城下では武家町・町人町・寺町などの特徴的な町が形成され、また周辺地域では新田開発によって低湿地の耕地化が進められた。

明治4年7月14日1871年8月29日)の廃藩置県で新発田県が設置されたが、まもなく新潟県に編入。1878年明治11年)の郡区町村編制法で阿賀野川以北の地域(阿賀北地域)一帯が北蒲原郡とされると、その郡役所が新発田本村に置かれ、新発田は阿賀北地域の中心地として発展していった。1873年(明治6年)に廃城となった新発田城の跡地には陸軍歩兵第16連隊が置かれ、以降、明治から終戦までこの町は軍隊の町としての性格を強めた(これは戦後も陸上自衛隊新発田駐屯地として残り、現在に至っている。)。

市制が施行され「新発田市」となったのは、第2次世界大戦後、1947年昭和22年)のことである。

市名の由来

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「新発田」の由来には諸説ある。

  • 荒地を開墾してできた新田「新開発田」の転訛とする説[13]。なお、この説の補強論・背景として、江戸時代中期には紫雲寺潟新田が開発されるなど、穀倉地帯として発展した北陸東北地方の歴史があるためである。
  • 潟湖に接する「州端(すばた)」を由来とする説[13]
  • アイヌ語で「鮭が取れる所」を意味する「シビタ」を由来とする説[13]
  • 諏訪神社の社田「諏訪田(すわた)」を由来とする説[要出典]

「新発田」という地名は、享徳3年(1454年)の中条房資記録 [注 1]。 など、室町時代から見られる。[13] 「新発田」という表記に対する推察の一つとして、「しばた」に対する当時の現地発音が「シンバッタ」またはそれに類する発音であり、それに沿って「新発田」の字が当てられたのでは、といったものがある[14]

なお、「新発田」を発音する上でのアクセントは標準語では「し」に置かれるが、地元では2文字目の「ば」に置かれることもある(これは白根新井など県内の3文字地名で多く見られるパターンである)[15]

沿革

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  • 1875年(明治8年)8月:外城村、小路村、鍛冶上町、下町が合併し、五十公野村となる。
  • 1875年(明治8年)10月:松岡村と松岡新田が合併し、松岡村となる。
  • 1876年(明治9年)8月:合併により滝谷村下寺内村が発足。
滝谷村 滝谷村、常磐岡新田
下寺内村 下楯新村、下寺内村
  • 1877年(明治10年)11月:浦村新田が浦村となる。
  • 1886年(明治19年)2月:砂山村と飯島新田地先が合併し、砂山村となる。
  • 1886年(明治19年)4月:浦新田と赤橋が合併し、浦新田となる。
  • 1887年(明治20年)3月:上中山村と中居新田が合併し、上中山村となる。
  • 1889年4月:町村制により新発田本村新発田町が誕生
新発田本村 二ノ丸、古丸、外ヶ輪、外ヶ輪裏、三ノ丸、掛倉、七軒町、八軒町、八軒町裏、御免町、寺町、寺町裏、竹町、馬場町、同心町、古徒土町、片田町、小人町、西築地、下鉄砲町、谷町、西ヶ輪、裏町、尾ノ上町、築留、中曽根、片町、袋町、新築地、下杉縄手、菜園地
新発田町 東町、泉町、諏訪町、旭町、立売町、万町、上町、中町、下町、指物町、麸屋町、桶町、材木町、紺屋町、職人町、下新町、地蔵堂町、新道、広小路、上鉄砲町、清水谷、田所町、定役町
鳥興野村 飯島新田、太田新田、下興野村、鳥穴村、砂山村
荒川村 荒川村、上中山村
五十公野村 五十公野村、金谷村
内竹村 上新保村、下新保村、古寺村、江口村、上内竹村、下内竹村、丑首村、小見村、山崎村
松浦村 小友村、浦新田、松岡村、大崎村、八幡村、八幡新田、浦村、法正橋村、六日町新田、古開分
米倉村 米倉村、山内村、中々山村
赤谷村 上赤谷村、滝谷村
中井村 新井田村、中田村、小船渡村、長畑村、中谷内村、中谷内新田、桑ノ口村、道賀村
島塚村 東塚ノ目村、西塚ノ目村、板敷村、島潟村、西名柄村
猿橋村 猿橋村、船入新田、富塚村、弓越村、奥山新保村、中曽根村
大宮村 大友村、小戸村、宮古木村
板津村 板山村、上羽津村、下羽津村
石田村 下高岡村、敦賀村、岡田村、西姫田村、石喜新村
楠川村 下楠川村、南楯新村、東姫田村、田貝村、虎丸村、上楠川村、上三光村、下三光村
蔵光村 上石川村、中川新村、下石川村、滝村、蔵光村、北中江新村、中中江新村、下中江新村、中倉村、麓村、東宮内村、中妻村、黒岩村
菅谷村 菅谷村、繁山新田、小出村、上寺内村、下寺内村、横山村、上荒沢村、熊出村、溝足村、下中山村、丸市新田
  • 1890年(明治23年)3月7日:楠川村が竹ノ俣村に名称を変更。
  • 1901年(明治34年)11月1日:新発田本村と新発田町が合併し、新発田町が発足
鴻沼村 中井村、島塚村
五十公野村 五十公野村、内竹村
川東村 大宮村、板津村、石田村、竹ノ俣村
菅谷村 菅谷村、蔵光村
松浦村 松浦村、荒川村
佐々木村 佐々木村、簑島村、鳥興野村
新発田町 新発田本村、新発田町
  • 1959年(昭和34年)
  • 2003年平成15年)7月7日:北蒲原郡豊浦町を編入。人口が9万人を超え、一時期県下4番目に人口の多い自治体となる(これ以前は柏崎市三条市についで6番目)。
  • 2005年(平成17年)5月1日:北蒲原郡紫雲寺町、加治川村を編入。人口が10万人を超える。ただし人口規模では同日に新設合併を行った三条市に次いで県下第5位となる。
  • 2017年(平成29年)1月4日:市役所本庁舎を中央町4丁目から、中央町3丁目へ移転。

平成の大合併

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2003年7月7日北蒲原郡豊浦町を、2005年5月1日、北蒲原郡紫雲寺町加治川村をそれぞれ編入合併した。合併後の面積は532.82km2、総人口は106,834人(2003年7月31日住民基本台帳より)となった。平成の大合併以前は県内で同規模の都市である柏崎市や三条市より遅い市制施行ということもあり後塵を拝しており、人口が県下第6位であったが、合併によって人口が柏崎市を越して県下第5位の人口を擁することとなった。その後、2007年4月1日の統計で三条市を抜き、現在は第4位の人口を擁している。

災害史

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  • 1935年(昭和10年)9月13日 - 上町から出火して延焼して大火になる。8時間にわたり燃え続け全焼戸数780戸、半焼14戸[16]
  • 1951年(昭和26年)1月 - 市内で赤痢患者が集団発生。同年4月1日までに240人が発病[17]
  • 1966年(昭和41年)7月17日 - 下越水害により加治川や支流の堤防が決壊。
  • 1967年(昭和42年)8月28日 - 羽越豪雨により前年に加治川の堤防が決壊した箇所などが再度決壊[18]

人口

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新発田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 新発田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 新発田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
新発田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 101,245人
1975年(昭和50年) 99,746人
1980年(昭和55年) 102,134人
1985年(昭和60年) 103,552人
1990年(平成2年) 104,499人
1995年(平成7年) 106,563人
2000年(平成12年) 106,016人
2005年(平成17年) 104,634人
2010年(平成22年) 101,202人
2015年(平成27年) 98,611人
2020年(令和2年) 94,927人
総務省統計局 国勢調査より


最新の推計人口は以下のサイトを参照。

行政

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市長

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  • 二階堂馨(2010年12月1日就任、3期目)
    • 片山吉忠(前市長、1998年12月1日から3期)

経済

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産業

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周辺一帯では、越後平野稲作を中心とした農業地帯が広がっている。こうしたことを背景として、産業面でも食品関連産業や酒造会社などが目につく。また、城下町茶道が盛行された伝統もあってか、和菓子業も多い[19][20]

冬季間の農家の女性のための働き口と、同市出身者大倉喜八郎大倉財閥の大倉製糸新発田工場(1919年創立、1981年閉業[21])があったこともあり繊維業・特に縫製工場が多く点在していたが、海外への仕事の流出などにより、近年では数が減ってきている。

砂丘地帯には石油資源開発の紫雲寺ガス田があり、天然ガスの地下貯蔵の役割も持っている[22]。また、国道7号新発田バイパス沿線では2000年代まで石油の採掘が行われていた(新潟製油新発田鉱山)[23]

市域東部にはかつて赤谷鉱山があり、鉄などの資源が産出されていたが、1977年(昭和52年)に閉山となった[24](ただし石灰石は1998年まで採掘された[25])。赤谷には日鉄の鉄鉱山以外にも、日曹の銅鉱山や北越製紙の炭鉱があった[21][26]

1939年(昭和14年)には日曹の新発田工場が創立し、のちに大平洋金属新発田工場となり1979年(昭和54年)まで稼働した(新潟東港へ移転し跡地はカルチャーセンターとなった)[21][26]

市内の主な企業

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漁業

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市域には漁港が1つだけ存在する[28][29]

  • 松塚漁港

姉妹都市・提携都市

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国内

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  •  加賀市石川県
    友好都市提携(※1991年11月8日友好都市提携):豊臣秀吉による天下平定後には1583年秀吉の家臣で、加賀大聖寺城主(4万4千石)であった溝口秀勝が越後新発田(6万6千石)に配置移封が縁で交流が開始。
  •  須坂市長野県
    姉妹都市提携:江戸時代に信州、須坂市米子出身の竹前権兵衛とその弟小八郎が紫雲寺潟の干拓工事にあたったことから、昭和60年6月16日に当時の紫雲寺町と姉妹都市提携を結ぶ。平成17年5月1日に紫雲寺町が新発田市に編入した後も、両市にある米子(よなこ・よねこ)町をはじめ全市的な交流が活発に続いている。

海外

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教育

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食育が推進されていることが特筆され、保育園卒園までにご飯が炊け、中学校卒業までには郷土料理小煮物を含む夕食が作れるようにという具体的な目標が掲げられている[30]

大学

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高等学校

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2019年10月時点では、新発田市のほか、阿賀野市や胎内市などの阿賀北地域、そして新潟市から多くの学生を集めている[31]

中学校

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小学校

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特別支援学校

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  • 新潟県立竹俣別支援学校
    • 新潟県立竹俣特別支援学校いじみの分校

学校教育以外の施設

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施設・生活

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新発田ガスの「ニコタン」(右)

医療施設

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文化施設

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スポーツ

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スポーツチーム

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スポーツ施設

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河川施設

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ライフライン

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行政施設等

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警察
消防
市の施設
  • 豊浦庁舎
  • 加治川庁舎
  • 紫雲寺支所
県の機関
  • 新発田地域振興局
国の機関

裁判所

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防衛施設

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交通

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新発田駅を出発する市街地循環バス「あやめバス

鉄道路線

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在来線

中心駅の新発田駅は、JR羽越本線と白新線が合流する駅。市内には7つの駅がある。

廃線
 
日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道に由来する新潟県道335号滝谷上赤谷線の洞門

かつては国鉄赤谷線が新発田駅〜東赤谷駅間を結んでいたが、1984年に全線廃止となっている。また、東赤谷駅からは日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道も存在した。

バス

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高速バス

泉観光バスが東京方面の路線を運行している。

一般路線バス
 
新発田市域のバス路線図。時刻表は「新潟交通観光バス:新発田エリア」を参照。

道路

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高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
道の駅

名所・旧跡・観光スポット

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新発田城表門(国の重要文化財
 
新発田藩下屋敷 清水園(国の名勝
 
蔵春閣(国の登録有形文化財
 
月岡温泉

新発田中心街

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五十公野地区

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旧豊浦町

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その他

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夏の藤塚浜海水浴場の空撮映像

祭事・催事

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新発田市を舞台にした作品

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小説
  • 自叙伝(大杉栄、土曜社、2011年)
  • 露の玉垣(乙川優三郎
  • 堀部安兵衛(池波正太郎
  • 裏切り-戊辰新潟港陥落す(中島欣也)
映画
テレビドラマ

著名な出身者

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名誉市民

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ゆかりのある人物

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新発田の名物

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その他

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「新発田高校」前にある「芝高」前公園の看板

戦前は「新発田」を略して「芝田」と書く慣例があり、当時は新聞報道などでも「芝田」という記述が罷り通っていた。その名残から、現在も年配者の間では「芝田」と略して記述する向きが多く、一例として新発田駅を「芝田駅」、新発田高校を「芝高」、新発田農高を「芝農」などと記すケースがままある(現在でも目にできる例として、新津駅近くにある「新津市鉄道資料館」の赤谷線コーナーに「赤谷線鉄道唱歌」の歌詞が展示されているがその中に「汽笛一声芝田駅 はや我が汽車は離れたり」と書かれている)。

新聞・テレビなど県内の各メディアも1980年代半ばまではこの慣例に倣っていたものの(特に「芝農」は、同校がスポーツ等で実績を挙げていたことから多用されていた)、地元住民などから「本来の地名には存在しない字を使って、地名を略して記すのは如何なものか」と疑問が寄せられるなどしたため、こうした記述は徐々に淘汰されていった。

脚注

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注釈

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  1. ^ 越後応永の大乱1423年)に関し「黒河・加地・新発田・白川之面々」との記述がある

出典

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  1. ^ 新潟県の雪情報 降積雪資料”. 新潟県. 2022年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月22日閲覧。
  2. ^ 新発田市環境基本計画(第2次) 第2章第2節 p.25”. 新発田市 (2016年4月). ?時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月22日閲覧。
  3. ^ 赤谷 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月29日閲覧。
  4. ^ 新発田市新エネルギービジョン 第2章 地域特性 p.14 (PDF) (国立国会図書館アーカイブ)
  5. ^ 都市マス、p.62
  6. ^ 立地、pp.24
  7. ^ “新潟県新発田、大型SC、コモタウン開業”. 日本経済新聞. (1998年3月28日). p. 22 地方経済面 新潟 
  8. ^ 立地、pp.20-21
  9. ^ 立地、pp.22-23
  10. ^ 市街地、p75
  11. ^ No.001 溝口秀勝”. 新発田市. 2018年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月2日閲覧。
  12. ^ しばた・ひと往来 〜新発田ゆかりの人物〜【No.1】” (PDF). 新発田市. ?時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月2日閲覧。
  13. ^ a b c d 角川日本地名大辞典15
  14. ^ にいがた地名考
  15. ^ 5月7日(月)今日も新潟弁でナイスデイ!”. 近藤丈靖の独占ごきげんアワー今すぐ使える新潟弁 by Podcast. BSN新潟放送 (2012年5月7日). 2020年5月3日閲覧。
  16. ^ 「新発田で大火、八百戸を焼失」『新潟日報』1935年9月14日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.529 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  17. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、81頁。ISBN 9784816922749 
  18. ^ 繰り返された加治川決壊 被害、去年と同じ場所『朝日新聞』昭和42年8月29日朝刊12版、15面
  19. ^ 新発田の茶道と和菓子について - 新発田まちづくり振興公社 - WayBack Machineによるアーカイブ
  20. ^ 特集 秋を彩る―新発田の「茶の湯文化」」(PDF)『広報しばた』第1499号、新発田市、2019年9月2日、4-9頁。 
  21. ^ a b c 『新発田・北蒲原(2)』新潟日報事業社〈写真集ふるさとの百年〉、1982年5月、16-19、34頁。国立国会図書館書誌ID:000001586436 
  22. ^ 天然ガス地下貯蔵の現状と課題について”. 第30回 総合資源エネルギー調査会 基本政策分科会 ガスシステム改革小委員会. 経済産業省石油資源開発. 2020年10月19日閲覧。
  23. ^ “休止中の油井からガス、油 新潟・新発田”. 産経新聞. (2017年3月1日). オリジナルの2017年3月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170319171311/https://www.sankei.com/life/news/170301/lif1703010073-n1.html 
  24. ^ 赤谷地区福祉活動計画 pp.1-4 地域伝言板”. 地域福祉活動計画. 新発田市社会福祉協議会. 2020年11月22日閲覧。
  25. ^ 下坂康也、和田猛郎、亀山東剛、高橋昭三、小倉義雄「B24 新潟県赤谷鉱山産粘土鉱物について」『第43回粘土科学討論会講演要旨集』1999年、122-123頁、doi:10.11362/cssj2.43.0_122 
  26. ^ a b 『図解にいがた歴史散歩新発田・北蒲原2』新潟日報事業社、1985年2月、108-110頁。国立国会図書館書誌ID:000001770308 
  27. ^ “京セラ新発田工場、来年3月末にも閉鎖へ 従業員の配置転換も検討”. 新潟日報. (2021年3月3日). オリジナルの2021年6月13日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/UpKB0 
  28. ^ 松塚漁港 - 新発田市.2019年2月6日閲覧。
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  30. ^ “おしゃべりな麩”. ふうど (株式会社タカヨシ) 37. (2017). https://www.takayoshi.co.jp/dcms_media/other/fudo37.pdf. 
  31. ^ 特集 学生たちのまちづくり」(PDF)『広報しばた』第1503号、新発田市、2019年11月1日、4-11頁。 
  32. ^ 映画『ミスムーンライト』公式ホームページ 2020年5月5日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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行政
観光