額田地区
額田地区 ぬかたちく | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
自治体 | 岡崎市 |
旧自治体 | 額田郡額田町 |
面積 |
160.27km² |
世帯数 |
2,938世帯 |
総人口 |
8,590人 |
人口密度 |
53.6人/km² |
隣接地区 |
岡崎市 本庁地区、大平地区、東部地区 新城市 作手地区 豊川市 一宮地区、音羽地区 豊田市 下山地区 |
岡崎市役所額田支所 | |
所在地 |
〒444-3696 愛知県岡崎市樫山町字山神21番地1 |
地理
編集岡崎市の東部約4割の面積を占める地区であり、千万町町に東端をもつ。地区域は2006年に岡崎市に編入された額田町の全域であり、人口は8590人、人口密度は53.6人/km2と市内の地区では一番少ない。
中山間である本地区は美濃三河高原の一部にあり、地区の86%が森林である。地区内の本宮山、巴山はいずれも本宮山県立自然公園に指定されている。
地区内を流れる河川は主に矢作川水系に属する。主な河川は地区北部を流れる乙川と乙川から下流の茅原沢町(大平地区)で分流する男川(いずれもおとがわ)であり、両河川から放射状に分流する。本地区含む岡崎市は渓流が多く、各河川の支川などが土石流危険渓流に指定されている[1]。乙川などの地区内の河川は、男川漁業協同組合が漁業権を持っている[2]。
また地区内の木下町(きくだしちょう)並びに千万町町(ぜまんじょうちょう)は難読地名である。
河川
編集山岳・渓谷
編集町
編集歴史
編集室町時代、戦国時代は三河国そのものが松平氏(徳川氏)、今川氏、武田氏など多くの戦国大名によって支配をされ、当時の額田も例外ではなく当時この地を治めていた奥平氏や、額田山内氏、額田麻生氏、麻生松平家などは仕える領主を変えながら細々と生きていた。そのため、領主同士の争いに巻き込まれることもあり額田三大合戦と言われる日近合戦、雨山合戦、滝山合戦などの大きな戦いも起こった。日近城をはじめとして多くの山城が額田につくられ、奥平氏には奥平氏の重臣12家のうち6家が額田に在住した。
江戸時代になり、額田の村々はそれまでの村落が解体・再編成され、新しい村が生まれた。その大きな役割を果たしたのが、豊臣秀吉や徳川家康によって行われた刀狩令と太閤検地(兵農分離)などである。本地区域は幕府領(天領)、大名領(岡崎藩、作手藩、刈谷藩、大垣新田藩、鳥羽藩、西大平藩、磐城平藩、田中藩)、旗本領(形原巨勢家、長沢巨勢家、赤松松平家、長沢松平家、保久石川家、細川酒井家)、寺社領(天恩寺、桜井寺など)等多くの領主によって支配された。
明治時代になり、岡崎県、額田県、愛知県へと名を変えた。1871年(明治4年)に52村あった村が1889年に豊岡村、高富村、巴山村(1890年に栄枝村に改称)、宮崎村、形埜村、下山村の6か村体制に、1906年に豊富村、宮崎村、形埜村、下山村の4か村体制になり、1954年に豊富、宮崎、形埜、下山(田代、田折、蕪木、蘭は除)の4地区が合併し額田町が成立した。名前の由来は額田郡から。町内の中学校も合併後すぐに統合案が出され豊富、宮崎、形埜、下山の4中学校が統合され額田町立額田中学校が新設された。
第二次世界大戦時には多くの疎開児が額田に来た。町内には多くの寺院、神社が在り片寄町字山下の天恩寺にある山門・仏殿は国指定の重要文化財。
年表
編集- 715年 - 額田八郷成立。
- 813年 - 空海により桜井寺が建立される。
- 1339年 - 足利尊氏の命令で高師氏が広祥院を建立。
- 1362年 - 足利尊氏の遺言により天恩寺を足利義満が建立。
- 1382年 - 足利義満誕生日祈祷のため寺領の寄進及び、足利義満自筆山号・寺号の下付が天恩寺になされた。
- 1415年 - 松平親氏が麻生城を攻め落とす。その後大林城を攻め落とす。
- 1423年 - 室町幕府第4代将軍足利義持により天恩寺を祈願所とされた。
- 1427年 - 天野貞国が鍛埜に天正寺を建立。
- 1441年
- 1469年 - 天野長弘が土に、須佐之男神社を建立。
- 1478年 - 奥平貞昌が日近城を築く。
- 1556年
- 1557年 - 滝山合戦が起こる。
- 1568年 - 桜井寺が火災によって焼失。
- 1573年 - 阿知波定直が雨山奥平家として奥平氏の七族に収まる。
- 1575年 - 長篠の戦いに向かう徳川家康が天恩寺で一泊した[3]。
- 1602年 - 天恩寺が徳川家康から片寄村79石余の寄進を受けた。
- 1651年 - 保久陣屋を建立。
- 1783年 - 天明の飢饉が起こり八幡村に「米問屋」ができる。
- 1788年 - 疫病がはやる。
- 1796年(寛政 8年) - 奥平平右衛門が雨山熱田神社に兼貞名刀・金子壱両を寄進。
- 1799年(寛政11年) - 夏山と柳田に大久手の山を巡っての山論が起こる。
- 1800年(寛政12年) - 切山皇太神社に春日七郎右門の灯籠が立つ。
- 1846年(弘化 3年) - 亀穴村に猪垣を積む。
- 1856年(安政 3年) - 男川初の用水、淡渕用水ができる。
- 1860年(万延 1年) - 片寄用水ができる。
- 1869年(明治 1年) - 三河裁判所の支配となる。
- 1870年(明治 2年) - 一部地域が静岡県の支配下となる。
- 1872年(明治 5年)
- 1873年(明治 6年)
- 1874年(明治 7年)
- 木下・千万町仮校舎を桜形学校の分教場として東向寺に設置。
- 7月 - 原用水工事が終わる。
- 1876年(明治 9年) - 千万町仮校舎が東向寺より弘福寺へ移る。
- 1877年(明治10年) - 宮崎村に堂庭学校と石原学校ができる。
- 1878年(明治11年)
- 亀穴交番所(藤川分署)ができる。
- 桜形交番所ができる。
- 1889年(明治22年) - 各村の村長が選出。
- 1907年(明治40年) - 明見坂改修される。
- 1913年(大正 2年) - 石原消防隊公設。隊員60名、予備40名、ポンプ2台。
- 1915年(大正 4年)
- 下山村産業組合開設。
- 村連合大運動会が開催される。
- 1917年(大正 6年) - 宮崎、夏山、両村の一部に電灯が点く。
- 1948年(昭和23年) - 額田町立下山中学校が開校。
- 1950年(昭和25年) - 額田町立形埜中学校、額田町立宮崎中学校が開校。
- 1954年(昭和29年) - 額田町立豊富中学校が開校。
- 1956年(昭和31年)
- 主要地方道愛知県道35号岡崎設楽線が認定される。 4月 -
- 12月 - 第1回額田町町会議員選挙。
- 12月 - 町歌制定(作曲・冨田勲、作詞・藤井静)
- 1957年(昭和32年)
- 1月 - 額田町商工会発足(69店、228工場)。
- 消防団出初め式行われる。 1月 - 額田町初の
- 4月 - 夏山小学校新校舎完成。
- 4月 - 大字小久田の桃久保を下山小学区に編入。
- 5月 - 額田町青年団協議会が発足される。
- 5月 - 大字桜井寺の三河珪石工場が操業開始。
- 5月 - 町有林を設定(142町8反歩)。
- 6月 - 町内中学校交歓野球大会を豊富中学校で開催。
- 7月 - 第二回県消防操法競技大会に第6分団が出場。
- 1959年(昭和34年)
- 闇苅渓谷(現在はくらがり渓谷とも表記される)の開発が始まる。
- 8月 - 桜形神社で盆踊り大会が開催。
- 12月 - 主要地方道愛知県道37号岡崎清岳線が認定される。
- 12月 - 一般県道愛知県道333号切山夏山線が認定される。
- 12月 - 一般県道愛知県道334号千万町豊川線が認定される。
- 12月 - 一般県道愛知県道335号南大須鴨田線が認定される。
- 12月 - 一般県道愛知県道336号東蘭鍛埜線が認定される。
- 1962年(昭和37年)
- 7月 - 県道阿蔵本宿線の根裏隧道が開通。
- 愛知県道477号東大見岡崎線が認定される。 4月 - 一般県道
- 1963年(昭和38年) 9月 - 闇苅渓谷が県立公園に指定。
- 1964年(昭和39年)10月 - 額田町町役場庁舎完成[5]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 4月 - 四農協が合併し額田町農業協同組合が誕生する。
- 5月 - 県道阿蔵本宿線が全線開通。
- 11月 - 鍛埜農道橋が完成する。
- 1972年(昭和47年)
- 額田町立額田中学校が発足。 4月 - 豊富中学校・形埜中学校・宮崎中学校・下山中学校の4校を統合し
- 6月 - 額田町子ども会発足。
- 8月 - 岡崎額田広域市町村圏推進協議会発足。
- 愛知県道331号一色小久田線が認定される。 9月 - 一般県道
- 愛知県道377号豊川額田線が認定される。 9月 - 一般県道
- 10月 - 額田ゴルフ場の起工式が行われる。
- 11月 - 桜形簡易水道寛政。
- 1973年(昭和48年)
- 1975年(昭和50年)
- 4月 - 本宮山スカイライン全線開通。
- 変電所から夏山変電所が新設される。 5月 - 電気需要の増大のため大平
- 10月 - 額田ゴルフ場、全コース完成。
- 1976年(昭和51年)
- 7月 - 町の花『ささゆり』、町の鳥『ウグイス』を選定する。
- 9月 - 額田町合併20週年記念式典が開かれる。
- 10月 - 鳥川ダム実施計画調査を愛知県が行い地元説明会を開いたがダム廃止請願が地元住民より提出される。
- 1977年(昭和52年)
- [5]。 3月 - 額田図書館完成
- 10月 - 工業再配置促進費補助事業の一環として旧豊富中学校跡に町民総合運動場ができる。
- 1978年(昭和53年)
- [5]。 3月 - 自然休養村センター完成
- 6月 - 消防団にラッパ隊を新設。
- 1979年(昭和54年)
- 2月 - 森林総合整備事業実施始まる。
- 2月 - 宮崎簡易水道完成。
- 3月 - 町民憲章を制定。
- 1981年(昭和56年)
- [5]。 2月 - 額田町保健センター開設
- 4月 - 樫山コミュニティセンター完成。
- 1982年(昭和57年)
- 8月 - 額田北部トレーニングセンター開設。
- 8月 - 形埜学区が形埜地区コミュニティ推進地区に指定され、花壇を各部落に設置。
- 1983年(昭和58年)
- 3月 - 保久簡易水道完成。
- 9月 - ホタルを額田町文化財に指定。
- 1984年(昭和58年)
- 2月 - 牧平公園ができる。
- 10月 - 町内路線バス(夏山線、守義線、豊川線)廃止。
- 1985年(昭和59年) 3月 - 額田中学校敬信寮女子棟が増築される。
- 1986年(昭和61年) 7月 - ぬかた会館完成[5]。
- 1993年(平成 5年) 4月 - 愛知県道36号阿蔵本宿線の全線が一般国道473号として指定施行[7]。
- 1994年(平成 6年) 4月 - 額田図書館増築[5]。
- 1995年(平成 7年) 3月 - 一般県道愛知県道382号一宮額田線が認定される。
- 1998年(平成10年) 3月 - 岡崎市消防本部東消防署額田出張所完成[8]。
- 1999年(平成11年) 4月 - 岡崎市、幸田町、額田町の1市2町の農協が合併。あいち三河農業協同組合(JAあいち三河)が成立。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 3月 - 本宮山スカイラインが一般県道愛知県道526号本宮山作手保永線、愛知県道527号本宮山作手白鳥線として県道認定。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 愛知県道336号蘭鍛埜線に改称。 4月 - 愛知県道336号東蘭鍛埜線が一般県道
- 愛知県道377号豊川片寄線に改称。 4月 - 愛知県道377号豊川額田線が一般県道
- 愛知県道382号足山田大代線に改称。 4月 - 愛知県道382号一宮額田線が一般県道
- 2008年(平成20年)10月 - 額田町森林組合と岡崎市森林組合が合併して「岡崎森林組合」が発足[10]。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- - 下山小学区のささゆりバスを 4月 1日豊栄交通に委託。
- 愛知県道37号岡崎作手清岳線へ名称変更。 4月 1日 - 愛知県道37号岡崎清岳線から
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 2018年(平成30年)
行政区域の沿革
編集特徴・特産
編集林業
編集明治中期まで額田地区は山焼きが行われていたため、いたるところはげ山であった。1889年(明治22年)に旧宮崎村初代村長となった山本源吉は村の発展はひとえに植林によるものと考え、1895年(明治28年)に山焼きの廃止を実現。また同年、将来50年間にわたり毎年7万本以上のスギ・ヒノキを植えることや、1000本以上を植林すれば10円を補助することなどを定めた「宮崎村共有林保護規則」を策定した。その後9年間で36万本が植林された[24]。1956年(昭和31年)に合併により成立した額田町は旧宮崎村地域を中心として林業で栄えた。
2015年(平成27年)5月15日、森林再生と地域振興を目指す「額田木の駅プロジェクト」が開始された[25][26]。
宮崎茶
編集本宮山から流れ出る清流や寒暖の差が激しい気候に恵まれた宮崎地区(旧宮崎村)では、江戸時代から茶の栽培が盛んであった。年貢として上納していた記録もある[27]。明治から大正時代にかけては「全国三大銘茶」と称された[28]。兼業で盛んだった茶業も林業とともに廃れ、現在は15軒が茶葉を栽培している[29]。
健康への影響を考えて農薬の使用を止めた石原町の農家が2006年に有機JAS認定を取得すると、他の農家も自信を得てこれに追随。今では有機栽培が地区全体に広がった。先の農家が開発した商品「わ紅茶」は海外にも流通している[30]。
ぬかた味噌
編集地元の60~80代の女性らが組織する味噌工房「蔵っ工(こ)」(牧平町)で作られる味噌。減反政策で大豆の栽培量が増えたのをきっかけに、1973年に当時の額田生活改善実行グループが約10年の加工研究を重ね開発したのが始まり。1985年にJAの味噌加工施設が設置され、販売が開始された。
大豆と米は地元産を使用し、毎年冬に仕込む。蒸した米にこうじ菌を振りかけよく混ぜ、白味噌は9月、赤味噌は12月に出来上がる。生産量は1年に約2トン。発売当時から製造方法はほとんど変わってなく、甘くこくがある味が特徴といわれている[31][32]。
おかざきかき氷街道
編集2016年(平成28年)3月31日、環境省主催で行われた「名水百選選抜総選挙」で鳥川町の「鳥川ホタルの里湧水群」が「秘境地として素晴らしい名水」部門の1位に選ばれた[33][34]。
2017年(平成29年)、前述の石原町の茶農家がこの地元の〝名水〟に目をつけ、茶の販売とともに、天然水を使ったかき氷を始めた[35]。
2018年(平成30年)1月、額田地区における所得の向上や雇用の増大を目指す「岡崎市ぬかたブランド協議会」が設立される。同協議会は農林水産省の農山漁村振興交付金と市の補助を受け、様々な事業を展開[36][37]。同年7月21日から、各店が保久町字神水(かんずい)の湧き水を使ってオリジナルかき氷を提供するイベント「おかざきかき氷街道」を始めた[38][39]。同町の天然水は柴田酒造場で仕込みに使われており、硬度が1リットル当たり0.2ミリグラムと極めて低い[38]。初年度は岡崎市ぬかた商工会主催で行われ、石原町の茶農家を含む7店舗が参加した。
同年11月30日、「おかざきかき氷街道」は愛知県の観光事業である食と花の街道に認定された。
愛知県立農業大学校(岡崎市美合町)の生徒らが作った桃やブルーベリーなど季節の果物を使ったかき氷が4店舗で出されている。大手新聞の取材も多く、2021年(令和3年)には2店が加わり9店となった[40][41]。
教育
編集高等学校
編集地区内に高等学校は置かれていない。
中学校
編集小学校
編集閉校した学校
編集- 額田町立豊富中学校(1972年)
- 額田町立宮崎中学校(1972年)
- 額田町立形埜中学校(1972年)
- 額田町立下山中学校(1972年)
- 岡崎市立鳥川小学校(2010年)
- 岡崎市立千万町小学校(2010年)
- 岡崎市立大雨河小学校(2010年)
交通
編集地区内に鉄道は走っていないため、自動車・バスが主な移動手段である。
鉄道
編集バス路線
編集名鉄バス
町バス
- 額田地域内交通
道路
編集高速道路
編集一般国道
編集主要地方道
編集一般県道
編集- 愛知県道331号一色小久田線
- 愛知県道333号切山夏山線
- 愛知県道334号千万町豊川線
- 愛知県道335号南大須鴨田線
- 愛知県道336号蘭鍛埜線
- 愛知県道377号豊川片寄線
- 愛知県道382号足山田大代線
- 愛知県道477号東大見岡崎線
- 本宮山スカイライン
主な林道
編集- 寺野木下線
- 桜形木下線
- 鍛埜桜形線
- 小久田岩下線
- 石原河原線
街道
編集施設
編集
医療
消防(岡崎市消防本部)
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自治
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その他
|
郵便
|
観光スポット
編集名所
編集史跡
編集名称 | 主な城主 | 築城年 | 所在地 | 備考 |
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鹿勝川城 | 奥平氏・菅沼氏 | 1556年以前 | 鹿勝川町字西屋敷 | |
小金城 | 菅沼正庵 | 1556年以前 | 牧平町字大崎 | |
夏山城 | 奥平久正 | 1530年~1554年以前 | 夏山町字村上 | 夏山奥平家 |
夏山城山城 | 黒屋宗太夫 | 夏山町字城山 | ||
鳥川城 | 奥平次郎左衛門 | 鳥川町 | 鳥川奥平家 | |
黒谷城 | 黒谷半九郎 | 1570年台 | 明見町字黒谷 | |
千万町城 | 奥平弥六郎 | 1570年以前 | 千万町町字村上 | |
阿知波城 | 奥平定直 | 1543年以前 | 雨山町字東アチワ | 阿知波氏 雨山奥平家 |
久保城 | 奥平貞昌 | 1530年台 | 石原町 | 滝山合戦 |
滝山城 | 奥平信丘 | 1560年以前 | 石原町字清水沢西 | 滝山合戦 |
日近城 | 奥平貞直 | 1478年 | 桜形町 | 日近奥平家 日近合戦 |
柳田城 | 山内角兵衛 | 1285年 | 桜形町字惣玉 | 日近衆の居城 柳田村古城とも |
大川城 | 竹内九藤平 額田麻生氏 |
1556年 | 大高味町 | 大河城とも 日近合戦 |
麻生城 | 天野氏 麻生松平家 |
1487年 | 桜形町 | 1580年廃城 |
麻生古城 | 麻生内蔵助 | 1350年台 | 鍛埜町字神谷倉 | |
大林城 | 二重栗内記 | 1410年 | 鍛埜町字カクレヤ | 1415年落城 |
土城 | 天野長弘 | 1410年 | 鍛埜町字焼跡 | |
赤田和城 | 間部少輔政清 | 1430年 | 小久田町字門田 | 阿弥陀寺精霊簿 |
毛呂城 | 大山市蔵 | 1526年以前 | 毛呂町字日影 | 日近衆 1526年落城 |
保久城 | 山下義道 | 1230年頃 | 保久町 | 室町幕府奉公衆 |
中保久城 | 成瀬頼清 | 1365年 | 中伊町 | |
伊ヶ谷城 | 中伊西町 | 伊賀谷城とも | ||
冨尾城 | 三河疋田氏 | 1520年以前 | 冨尾町 |
神社
編集
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|
寺院
編集豊富小学区・夏山小学区
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宮崎小学区
形埜小学区
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下山小学区
- 善光寺(中伊町)
- 天然寺(中伊町)
- 萬福寺(保久町)
- 長興寺(保久町)
- 明圓寺(一色町)
- 法性寺(冨尾町)
文化財
編集名称 | 指定別 | 種別 | 所有者名 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
天恩寺仏殿 | 国指定重要文化財 | 建造物 | 天恩寺 | 1907年(明治40年)5月27日 | 片寄町 |
天恩寺山門 | 国指定重要文化財 | 建造物 | |||
蝦蟇、鉄拐仙人図 | 市指定文化財 | 絵画 | 1970年(昭和45年)1月21日 | ||
からうすの図 | 市指定文化財 | 絵画 | |||
見返りの大スギ | 市指定天然記念物 | 1971年(昭和46年)5月20日 | |||
木造地蔵菩薩坐像 不動明王坐像 愛染明王坐像 (附 地蔵菩薩坐像内納入品) |
市指定文化財 | 絵画 | 2010年(平成22年)9月13日 | ||
磬 | 県指定文化財 | 工芸品 | 桜井寺 | 1960年(昭和35年)6月2日 | 桜井寺町 |
曼荼羅仏絵図 | 市指定文化財 | 絵画 | 阿弥陀寺 | 1970年(昭和45年)1月10日 | 桜形町 |
延命地蔵菩薩 | 市指定文化財 | 彫刻 | 広祥院 | ||
日近城跡 | 市指定文化財 | 史跡 | 1990年(平成2年)7月6日 | ||
大川神明宮の舞台 | 県指定文化財 | 有形民俗 | 大川神明宮 | 1976年(昭和51年)11月1日 | 大高味町 |
鰐口 | 市指定文化財 | 工芸品 | 高薄八幡宮 | 1970年(昭和45年)1月21日 | |
太刀 | 市指定文化財 | 工芸品 | 熱田神社 | 1970年(昭和45年)1月21日 | 岡崎市美術博物館 |
熱田神社の脇差 | 市指定文化財 | 工芸品 | 熱田神社 | 1990年(平成2年)7月6日 | |
鰐口 | 市指定文化財 | 工芸品 | 白鬚神社 | 2007年(平成19年)12月18日 | |
千万町の神樂 | 県指定文化財 | 無形民俗 | 1964年(昭和39年)3月23日 | 千万町町 | |
須賀神社祭礼山車及び祭りばやし | 市指定文化財 | 無形民俗 | 須賀神社 | 1982年(昭和57年)1月8日 | 樫山町 |
寺野の大クス | 県指定天然記念物 | 寺野薬師堂 | 1968年(昭和43年)11月4日 | 夏山町 | |
切山の大スギ | 県指定天然記念物 | 皇太神社 | |||
夏山の大スギ | 市指定天然記念物 | 諏訪神社 | 1971年(昭和46年)5月20日 | ||
夏山八幡宮火祭り | 市指定文化財 | 無形民俗 | 夏山八幡宮 | 2005年(平成17年)9月16日 | |
万足平の猪垣(612メートル) | 県指定文化財 | 有形民俗 | 万足平を考える会 | 1981年(昭和56年)2月23日 | 中金町 |
保久城主山下家墓所 | 市指定文化財 | 史跡 | 個人 | 1970年(昭和45年)12月1日 | 保久町 |
保久八幡宮舞台 | 市指定文化財 | 有形民俗 | 保久八幡宮 | 2005年(平成17年)9月16日 | |
鰐口 | 市指定文化財 | 工芸品 | 高之御前神社 | 1970年(昭和45年)1月10日 | 大代町 |
雨山砦跡及び雨山合戦地 | 市指定文化財 | 史跡 | 個人 | 1992年(平成4年)6月15日 | 雨山町 |
とよとみ梨 | 市指定天然記念物 | 個人 | 1971年(昭和46年)5月20日 | 鳥川町 | |
ゲンジボタル | 市指定天然記念物 | 乙川・男川等 | 1983年(昭和58年)7月14日 | 額田地区 |
イベント・祭り
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 住民の嘆願による変更。隣接して巴村(後の作手村の一部。現・新城市)があり、紛らわしいことが理由という。
- ^ a b 栄枝村のうち旧・夏山村は豊岡村、高富村とともに豊富村へ合併。旧・千万町村、旧・木下村は宮崎村に編入。
- ^ 当初の計画では、豊富村、宮崎村、形埜村、下山村で合併する予定であったが、1956年5月、下山村北部(田代、田折、蕪木、蘭)の住民より、郡界川対岸の東加茂郡下山村との合併を望む声がでた。額田郡下山村村議会と県の行政係長が住民と長照寺にて開いた集会で田代、田折、蕪木、蘭の4地区の住民は東加茂郡下山村と合併をの意思を表明し、その実現を強く願った。一方東加茂郡下山村の方も北部4地区の受け入れを隣接している花沢地区も願っていることを額田郡下山村に報告した。その後も幾度も行われた話し合いで、下山村は額田郡下山村全体で額田町に合併するよう努力したが結局、1956年8月に田代、田折、蕪木、蘭の4地区が額田郡下山村から分割され、東加茂郡下山村に編入合併することでまとまったという。
- ^ 合併前、額田町の役場の設置場所については、町域の中心にあった旧・形埜村役場の再利用、人口が一番多い旧・豊富村役場の再利用、別に新しく設置するかでもめたという。最終的には旧・豊富村役場の使用となったという。
出典
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