1982年の野球
(1982年の日本プロ野球から転送)
競技結果
編集日本プロ野球
編集ペナントレース
編集セリーグ
編集順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 47 | 19 | .577 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 50 | 14 | .569 | 0.5 |
3位 | 阪神タイガース | 65 | 57 | 8 | .533 | 4.5 |
4位 | 広島東洋カープ | 59 | 58 | 13 | .504 | 8.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 14.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 45 | 75 | 10 | .375 | 23.5 |
パリーグ
編集
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 67 | 52 | 11 | .563 | -2.5 |
3位 | 近鉄バファローズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 2.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 62 | 60 | 8 | .508 | 4.0 |
5位 | ロッテオリオンズ | 54 | 69 | 7 | .439 | 12.5 |
6位 | 南海ホークス | 53 | 71 | 6 | .427 | 14.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月9日(土) | 第1戦 | 日本ハムファイターズ | 0 - 6 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月10日(日) | 第2戦 | 日本ハムファイターズ | 2 - 3 | 西武ライオンズ | |
10月11日(月) | 第3戦 | 雨天中止 | 後楽園球場 | ||
10月12日(火) | 西武ライオンズ | 1 - 2 | 日本ハムファイターズ | ||
10月13日(水) | 休養日 | ||||
10月14日(木) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 7 - 5 | 日本ハムファイターズ | 後楽園球場 |
年間優勝:西武ライオンズ |
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日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月23日(土) | 第1戦 | 西武ライオンズ | 7 - 3 | 中日ドラゴンズ | ナゴヤ球場 |
10月24日(日) | 第2戦 | 西武ライオンズ | 7 - 1 | 中日ドラゴンズ | |
10月25日(月) | 移動日 | ||||
10月26日(火) | 第3戦 | 中日ドラゴンズ | 4 - 3 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月27日(水) | 第4戦 | 中日ドラゴンズ | 5 - 3 | 西武ライオンズ | |
10月28日(木) | 第5戦 | 中日ドラゴンズ | 1 - 3 | 西武ライオンズ | |
10月29日(金) | 移動日 | ||||
10月30日(土) | 第6戦 | 西武ライオンズ | 9 - 4 | 中日ドラゴンズ | ナゴヤ球場 |
優勝:西武ライオンズ(24年ぶり4回目) |
個人タイトル
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 中尾孝義 | 中日 | 落合博満 | ロッテ | ||
最優秀新人 | 津田恒美 | 広島 | 大石大二郎 | 近鉄 | ||
首位打者 | 長崎啓二 | 大洋 | .351 | 落合博満 | ロッテ | .325 |
本塁打王 | 掛布雅之 | 阪神 | 35本 | 落合博満 | ロッテ | 32本 |
打点王 | 掛布雅之 | 阪神 | 95点 | 落合博満 | ロッテ | 99点 |
最多安打 | 田尾安志 | 中日 | 174本 | 落合博満 | ロッテ | 150本 |
盗塁王 | 松本匡史 | 巨人 | 61個 | 福本豊 | 阪急 | 54個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
掛布雅之 田尾安志 |
阪神 中日 |
232個 | 落合博満 | ロッテ | .431 |
最優秀防御率 | 斉藤明夫 | 大洋 | 2.07 | 高橋里志 | 日本ハム | 1.84 |
最多勝利 | 北別府学 | 広島 | 20勝 | 工藤幹夫 | 日本ハム | 20勝 |
最多奪三振 | 江川卓 | 巨人 | 196個 | 松沼博久 | 西武 | 152個 |
最高勝率 | 都裕次郎 | 中日 | .762 | 工藤幹夫 | 日本ハム | .833 |
最優秀救援投手 | 山本和行 | 阪神 | 40SP | 江夏豊 | 日本ハム | 37SP |
ベストナイン
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 北別府学 | 広島 | 工藤幹夫 | 日本ハム |
捕手 | 中尾孝義 | 中日 | 中沢伸二 | 阪急 |
一塁手 | 谷沢健一 | 中日 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 落合博満 | ロッテ |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | スティーブ.O | 西武 |
遊撃手 | 宇野勝 | 中日 | 石毛宏典 | 西武 |
外野手 | 田尾安志 | 中日 | 福本豊 | 阪急 |
長崎啓二 | 大洋 | 栗橋茂 | 近鉄 | |
山本浩二 | 広島 | 新井宏昌 | 南海 | |
指名打者 | T.ソレイタ | 日本ハム |
ダイヤモンドグラブ賞
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 西本聖 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 中尾孝義 | 中日 | 大宮龍男 | 日本ハム |
一塁手 | 中畑清 | 巨人 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 大石大二郎 | 近鉄 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 古屋英夫 | 日本ハム |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 石毛宏典 | 西武 |
外野手 | 平野謙 | 中日 | 福本豊 | 阪急 |
松本匡史 | 巨人 | 簑田浩二 | 阪急 | |
北村照文 | 阪神 | 島田誠 | 日本ハム |
オールスターゲーム
編集→詳細は「1982年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
編集- 第54回選抜高等学校野球大会優勝:PL学園(大阪府)
- 第64回全国高等学校野球選手権大会優勝:池田(徳島県)
大学野球
編集- 第31回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第13回明治神宮野球大会優勝:東海大
社会人野球
編集メジャーリーグ
編集→詳細は「1982年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- セントルイス・カージナルス(ナ・リーグ) (4勝3敗) ミルウォーキー・ブルワーズ(ア・リーグ)
できごと
編集1月
編集- 1月9日 - プロ・アマ合同規則委員会が東京・本郷の旅館「天竜」にて開かれ、今季からパ・リーグの指名打者に偵察要員を送ること禁止すると決定[1]。
- 1月11日 - パ・リーグは阪急ブレーブスの佐藤義則の任意引退を公示。腰痛の治療に専念するため練習生扱いとする球団の方針による[2]。
- 1月21日 - ヤクルトスワローズはチャーリー・マニエルを自由契約にしたと発表[3]。
- 1月28日 - 阪神タイガースは近鉄バファローズから永尾泰憲を金銭トレードで獲得したと発表[4]。
- 1月29日 - 野球体育博物館に表彰される野球関係者を選ぶ特別表彰委員会が東京・九段下のホテルグランドパレスで開かれ、セ・リーグ会長の鈴木龍二と元全日本学生野球連盟会長の外岡茂十郎を選出[5]。
2月
編集- 2月1日 - 横浜大洋ホエールズは前シカゴ・カブスのマイク・ラムの入団を発表。球団の今季3人目の外国人選手となる[6]。
- 2月8日 - ロッテオリオンズは西新宿のロッテ本社にて、球団代表の西垣徳雄が退任し後任に東急エージェンシー勤務の石原照夫が就任すると発表[7]。
3月
編集4月
編集- 4月3日 - 1982年度のプロ野球の公式戦がセントラル、パシフィックリーグが同時に開幕[11]。
- 4月4日
- 4月5日 - 第54回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、PL学園が二松学舎大付を15-2で破り、2年連続2回目の優勝[15]。
- 4月6日 - 日本ハムファイターズの間柴茂有が後楽園球場での対近鉄1回戦に先発して勝利投手となり、連勝記録を16に伸ばす[16]。
- 4月9日
- 4月18日
- 4月22日 - 巨人対中日5回戦が平和台球場で行われ、巨人対中日の公式戦はこれで通算1000試合[22]。
- 4月29日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対ロッテ6回戦で勝利投手となり、プロ通算200勝を達成[23]。
5月
編集- 5月2日 - ロッテの有藤通世が川崎球場での対日本ハム5回戦の1回裏に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録。史上8人目[24]。
- 5月4日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対巨人3回戦で一回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[25]。
- 5月7日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト5回戦の7回表に9号満塁本塁打を打ち、球団史上100本目の満塁本塁打[26]。
- 5月8日 - ロッテの有藤通世が後楽園球場での対日本ハム8回戦の6回表に5号本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成[27]。
- 5月9日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対ロッテ9回戦の10回裏に7号サヨナラ本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[28]。
- 5月11日 - ヤクルトの大杉勝男が横浜スタジアムでの対大洋6回戦の6回表に2号3点本塁打を打ち、プロ通算450本塁打を達成[29]。
- 5月14日 - 東京運動部長会は、読売新聞社および日本プロスポーツ会議から委嘱されていた「沢村栄治賞」と「日本プロスポーツ大賞」の選考を辞退することを決定[30]。
- 5月15日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対日本ハム5回戦で、六回裏に左打席で3号本塁打を、八回裏に右打席で4号本塁打を放ち、日本プロ野球で日本人では初の左右両打席本塁打を記録[31]。
- 5月18日 - 日本ハムは球団代表の三原脩が健康面で不安から辞任し、後任に取締管理部長の小島武士が就任すると発表。三原は今後は相談役となる[32]。これに伴い、パ・リーグは連盟理事長だった三原の後任に南海の球団代表の塩見猛を選出することを決定[32]。
- 5月19日 - 大洋の福嶋久晃が後楽園球場での対巨人5回戦の2回表に2号2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上120人目[33]。
- 5月21日
- 5月24日 - セ・リーグ会長の鈴木龍二は、巨人の江川卓が完投で6勝目を挙げた5月19日の対大洋5回戦で右手左指にばんそうこうを巻いて投球していたとして、江川に対し球団宛ての文書にて「警告処分」とした[36]。
- 5月27日 - ヤクルトの相馬和夫球団代表は遠征先の広島にて、二軍監督の内藤博文を一軍ヘッドコーチとすると発表。27日現在で10勝27敗、5位阪神と6ゲーム差のセ・リーグ最下位に低迷するチームの現状の打開策[37]。
6月
編集- 6月1日
- 6月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対巨人10回戦の1回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算1000得点を達成[40]。
- 6月5日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対巨人11回戦の六回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[41]。
- 6月6日 - 日本ハムのトニー・ソレイタが後楽園球場での対阪急9回戦の4回裏に11号3点本塁打を放ち、プロ野球通算100本塁打を達成[42]。
- 6月8日 - 阪神の藤田平が神宮球場での対ヤクルト9回戦の四回表に3号3点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[43]。
- 6月10日 - 広島の北別府学が藤崎台県営野球場での対中日9回戦に先発して10勝目を挙げ、球団創設以来初の10連勝を記録[44]。
- 6月16日 - 日本ハムの柏原純一が西宮球場での対阪急12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上229人目[45]。
- 6月18日 - 神宮球場でのヤクルト対大洋12回戦で、ヤクルト先発・鈴木正幸と大洋先発・野村収が共に被安打1で完投し、1試合最少安打2を記録。またヤクルトは26打数、大洋は25打数で合計51打数の1試合最少打数のプロ野球新記録[46][47]。
- 6月22日 - 巨人の浅野啓司が後楽園球場での対中日12回戦の9回表に金山卓嗣から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上65人目[48]。
- 6月25日 - 藤井寺球場で行われた近鉄対阪急13回戦で阪急が近鉄に2-7と敗れたため、西武が前後期制となって初の優勝達成。パ6球団では最後に前後期制で優勝した球団となった[49][50]。
- 6月27日 - 中日の谷沢健一がナゴヤ球場での対ヤクルト9回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算1500安打を達成[51]。
- 6月29日 - パ・リーグの前期日程が終了[52]。
- 6月30日 - 近鉄のスカウト部長の中島正明が午前0時20分、肝硬変のため兵庫県西宮市の西宮病院にて死去。62歳[53]。
7月
編集- 7月1日 - 日本ハムは前米国三菱商事副社長兼ロサンゼルス支店長の瀬古和男が球団社長に就任したと発表。丹羽芳道前球団社長は日本ハム本社専務に戻る。また、三原脩が取締役を辞任し相談役に専念することになった[54]。
- 7月2日
- 後楽園球場での日本ハム対近鉄後期1回戦で日本ハムの江夏豊が7回裏からリリーフ登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成。史上18人目[55]。日本ハムの井上弘昭が8回裏に2号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上65人目[56]。
- 阪神は甲子園球場での対巨人15回戦に6-4で勝利し、1976年4月以来6年ぶりの11連勝を記録[57]。
- 西武ライオンズ球場での西武対阪急後期1回戦で阪急のボビー・マルカーノが5回表に二塁打を放ち、プロ野球通算1000安打を達成。史上123人目で、外国人選手としては4人目[58]。阪急の加藤英司が7回表に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成。史上20人目[59]。
- 7月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対中日15回戦に先発出場し、1500試合連続出場を達成[60]。
- 7月6日 - 阪急の加藤英司が西宮球場での対近鉄後期1回戦の一回裏に2点適時二塁打を打ち、プロ通算1000打点を達成[61]。
- 7月7日 - ロッテのレロン・リーが平和台球場での対西武後期二回戦で5号、6号本塁打を放ち、日本プロ野球通算150本塁打を達成。史上66人目、外国人選手では9人目[62]。
- 7月8日 - 近鉄の鈴木啓示が西宮球場での対阪急後期三回戦に先発し、七回裏に先頭打者の松永浩美を三塁ゴロに打ち取り、プロ通算4000イニングを達成[63]。
- 7月13日 - 日生球場にて近鉄対南海後期1回戦が行われ、近鉄が9対3で勝利し、球団通算1800勝を達成[64]。南海の山下律夫がこの試合に先発しプロ通算500試合登板を達成。
- 7月14日
- 7月18日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対広島15回戦の五回裏に22号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[70]。
- 7月23日 - ジュニアオールスターで近鉄の金村義明がジュニアオールスター史上初のサイクル安打を記録。試合は6対1でウェスタン・リーグが勝利し、金村はこの試合、5打数4安打1本塁打1三振でMVP獲得[71]。
8月
編集- 8月1日 - 日本ハムの柏原純一が札幌市円山球場での対阪急ダブルヘッダー第2試合の後期6回戦の二回裏に17号本塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成[72]。
- 8月6日
- 8月8日 - 第53回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で14時から行われ、和歌山市の住友金属が福山市の日本鋼管に5対4で勝利し大会初優勝[75]。
- 8月10日 - 西武球場での西武対ロッテ後期4回戦で、西武は16-4で勝利。1試合24安打は球団創設以来1試合最多安打の球団新記録となる[76]。スティーブ・オンティベロスが4回裏に8号満塁本塁打を打ち、これはパ・リーグ通算400本目の満塁本塁打となる[76]。山崎裕之が八回裏に中前安打を打ち、プロ通算3000塁打を達成、史上19人目[77]。
- 8月12日
- 8月14日 - 阪急の山田久志が西武球場での対西武後期8回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[80]。
- 8月17日 - 西武の山崎裕之が大阪球場での対南海後期7回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上17人目[81]。
- 8月19日
- 8月20日 - 第64回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、徳島県代表の池田が広島県代表の広島商を12-2で破り初優勝。
- 8月24日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対ヤクルト19回戦の7回裏に27号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上125人目。更に同回裏に28号本塁打を放ち、1イニング2本塁打を記録。史上9人目(10度目)[84]。
- 8月29日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神20回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上18人目[85]。
- 8月31日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神21回戦で、阪神の七回表の攻撃で先頭打者の藤田平が三塁と本塁の間に飛球を打ちあげ、大洋の三塁手の石橋貢が捕球し損ねて三塁塁審の鷲谷亘はファウルと判定。これに対し阪神の監督の安藤統夫が石橋のグラブに当たったのでフェアだと抗議。守備走塁コーチの島野育夫が鷲谷を手でついたため、鷲谷は島野に退場を宣告。だが島野が暴行を続け主審の岡田功が止めに入ったのを今度はコーチの柴田猛が岡田に暴行を加える。審判団は阪神の2コーチの暴力行為に抗議しグラウンドから引き上げたが、安藤が岡田に謝罪し約10分の中断の後試合再開となった(横浜スタジアム審判集団暴行事件)[86]。
9月
編集- 9月1日
- 9月2日
- 9月4日 - 近鉄の羽田耕一が大阪球場での対南海後期11回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上126人目[91]。
- 9月6日 - 日本プロ野球コミッショナーの下田武三とセ・リーグ会長の鈴木龍二は、阪神の島野育夫と柴田猛への処分についてセが1日に下した「無期限停止処分」で意見が一致[92]。
- 9月15日 - 巨人対中日23回戦が後楽園球場で行われ、9回7対7で時間切れ引き分けとなり、中日はプロ野球新記録のシーズン19度目の引き分け[93]。
- 9月28日 - 日本ハム対ロッテ後期10回戦が後楽園球場で行われ、日本ハムが6対5で勝利し後期優勝を達成[94]。
10月
編集- 10月8日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対近鉄後期13回戦でサイクル安打を達成[95]。
- 10月9日 - 横浜スタジアムで大洋対巨人26回戦が行われ巨人は1-3と敗れ、全公式戦を終了、セ・リーグの優勝はマジック5の中日の残り8試合の結果次第となる[96]。
- 10月12日
- 10月14日 - パ・リーグのプレーオフ第4戦が後楽園球場で行われ、前期優勝の西武が後期優勝の日本ハムを7-5で破り、西鉄時代以来19年ぶり6度目のリーグ優勝[100]。
- 10月16日 - 広島の渡辺秀武が広島市民球場での対阪神26回戦で5回表2死から登板し吉竹春樹に死球を与え、日本プロ野球新記録の144与死球。渡辺の現役最後の登板となった[101]。
- 10月17日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日26回戦で中日が大洋に1-3と敗戦、これで18日の同球場のカードで中日が勝てばリーグ優勝、負ければ巨人が優勝という大一番となる[102][103]。
- 10月18日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日26回戦のシーズン最終戦に中日が8-0で勝利し、8年ぶり3度目のリーグ優勝を決める[104][105]。この試合で、打率トップの大洋の長崎啓二を9毛差で追う中日の田尾安志に対し、大洋バッテリーは5打席全て敬遠で歩かせる。
- 10月20日
- 阪急は岡本一光を任意引退に、白石静生を自由契約とした[106]。
- 大洋はマイク・ラムとジェームス・ピータースを自由契約にした[107]。
- 10月21日 - 沢村栄治賞の選考が同賞の選考委員会によって行われ、広島の北別府学を選出。前年まで選考に当たっていた東京運動記者クラブ部長会が選考を辞退したため、今年度より選考委員会を設置[108]。
- 10月22日 - 阪急の山口高志が大阪市北区の球団事務所を訪れ、現役引退を申入れて了承される[109]。
- 10月25日 - 南海は岡田公意球団社長が辞任し、後任に南海電鉄専務の甲村甫が就任。併せて同調査部参事の泉谷一夫が営業取締役となる[110]。
- 10月30日 - 日本シリーズ第6戦がナゴヤ球場で行われ西武が中日を9-4で破り、4勝2敗で西鉄時代以来24年ぶり4度目の日本一[111]。
11月
編集- 11月1日
- 11月2日 - 近鉄は佐々木恭介が現役を引退しスカウトに就任すると発表[117]。
- 11月9日
- 11月11日 - 阪神のグレッグ・ジョンストンが藤江清志編成部長と話し合い、退団が決定。12月1日付で自由契約選手として公示[120]。
- 11月12日 - 第六回正力松太郎賞の選考が午後、東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、西武ライオンズ監督の広岡達朗を選出[121]。
- 11月24日 - パ・リーグのオーナー懇談会が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、プレーオフを残すことを条件に、来シーズより現行の2シーズン制から1シーズン制へ移行する事を決定[122]。
- 11月25日 - ドラフト会議が東京・九段下のホテルグランドパレスにて午前11時より行われ、72名を指名[123][124]。
- 11月29日 - 近鉄の井本隆と、ヤクルトの鈴木康二朗・柳原隆弘のトレードが成立[125]。
12月
編集- 12月1日 - ロッテは奥江英幸を自由契約にした[126]。
- 12月2日
- 12月7日
- 12月8日
- 12月9日 - 阪急はシカゴ・カブスのバンプ・ウィルスの入団が決定したと発表。アメリカに渡りバンプ側と入団交渉に当たっていた取締役の矢形勝洋が球団へ条件面で合意に達したと連絡した。4年契約で年俸は40万ドル[133]。
- 12月10日
- 12月15日
- 12月16日 - 阪神の小津正次郎球団社長は、去る8月31日に審判への暴行で無期限出場停止中の柴田猛、島野育夫両コーチを球団事務所へ呼び、今後の処遇を話し合い。両者はいずれも「いずれユニフォームを着ることを前提に考えて」球団職員として契約し、管理部付となった[137]。
- 12月18日 - 阪急はミネソタ・ツインズのグレッグ・ウェルズの入団を発表[138]。
- 12月21日 - 阪神の若菜嘉晴が午後、大阪・梅田の球団事務所にて球団社長の小津正次郎に対し「一身上の都合で退団したいので自由契約選手にして欲しい」と申し入れて了承される[139]。
- 12月22日 - 広島は広島の球団事務所にて福士敬章の任意引退を発表[140]。
- 12月29日 - 広島の水谷実雄と阪急の加藤英司のトレードが成立。24日に球団よりトレードを通告された水谷が球団に対し功労金を要求して折り合わなかったが、この日野崎泰一球団本部長と話し合い、年俸のアップ額の増額で合意したもの[141]。
誕生
編集1月
編集- 1月1日 - 林智勝
- 1月5日 - 青木宣親
- 1月6日 - 河内貴哉
- 1月7日 - フランシスコ・ロドリゲス
- 1月8日 - 栗原健太
- 1月9日 - 田中雅彦
- 1月12日 - ドントレル・ウィリス
- 1月18日 - 塚本浩二
- 1月21日 - 米野智人
- 1月31日 - ユニエスキー・ベタンコート
2月
編集- 2月1日 - ジーン・マチー
- 2月2日 - 中村真人
- 2月10日 - 渡辺亮
- 2月12日 - 齊藤信介
- 2月17日 - 川崎雄介
- 2月19日 - クリス・スチュワート
- 2月22日 - 中山慎也
- 2月22日 - ケリー・ジョンソン
3月
編集- 3月16日 - ブライアン・ウィルソン
- 3月22日 - マイケル・モース
- 3月24日 - ダスティン・マゴワン
- 3月30日 - 高木康成
- 3月30日 - レスリー・アンダーソン
- 3月31日 - 柳田殖生
4月
編集- 4月2日 - 中村一生
- 4月8日 - 西﨑伸洋
- 4月10日 - アンドレ・イーシアー
- 4月12日 - 甲斐雅人
- 4月15日 - 森跳二
- 4月15日 - 加藤光教
- 4月16日 - 山本淳
- 4月20日 - 石橋尚登
- 4月21日 - マキシモ・ネルソン
- 4月26日 - 荻野忠寛
- 4月26日 - 李景一
- 4月28日 - 川本良平
- 4月29日 - 内海哲也
5月
編集- 5月4日 - 星孝典
- 5月6日 - 西谷尚徳
- 5月6日 - エルネスト・ペレイラ
- 5月8日 - エイドリアン・ゴンザレス
- 5月11日 - 中田賢一
- 5月11日 - 鈴木健之
- 5月12日 - ジェイミー・デントナ
- 5月22日 - 駒居鉄平
- 5月24日 - 坂元弥太郎
- 5月24日 - 田中浩康
- 5月24日 - 呉偲佑
- 5月25日 - ジェイソン・クベル
- 5月31日 - 加藤領健
6月
編集- 6月1日 - 攝津正
- 6月1日 - 東和政
- 6月2日 - 伊藤義弘
- 6月3日 - 牧田明久
- 6月7日 - 松岡健一
- 6月11日 - 小島心二郎
- 6月15日 - 桑原義行
- 6月16日 - 大松尚逸
- 6月16日 - 手嶌智
- 6月17日 - 西川雅人
- 6月21日 - 染田賢作
- 6月22日 - イアン・キンズラー
- 6月22日 - ジェイソン・モット
- 6月26日 - 近澤昌志
- 6月27日 - 菊地和正
7月
編集- 7月1日 - ジャスティン・ヒューバー
- 7月3日 - 藤田一也
- 7月3日 - 山下浩宜
- 7月5日 - 一場靖弘
- 7月13日 - ヤディアー・モリーナ
- 7月13日 - 秋信守
- 7月15日 - 呉昇桓
- 7月25日 - 新井智
- 7月27日 - 香月良太
- 7月27日 - 田村彰啓
- 7月28日 - 亀井善行
- 7月28日 - 町豪将
- 7月29日 - 松家卓弘
- 7月29日 - 大廣翔治
- 7月31日 - 中島宏之
8月
編集- 8月1日 - 西﨑聡
- 8月2日 - グレイディ・サイズモア
- 8月4日 - 内川聖一
- 8月8日 - 三木均
- 8月16日 - 山崎勝己
- 8月17日 - 山岸穣
- 8月19日 - J.J.ハーディ
- 8月21日 - 桟原将司
- 8月21日 - 山地隆
- 8月22日 - 伊藤秀範
- 8月22日 - 新田玄気
- 8月26日 - 髙橋秀聡
- 8月28日 - カルロス・クエンティン
- 8月31日 - 森大輔
9月
編集- 9月1日 - 仲澤忠厚
- 9月2日 - ジェイソン・ハメル
- 9月6日 - 赤松真人
- 9月6日 - 後藤伸也
- 9月10日 - 服部泰卓
- 9月12日 - 中里篤史
- 9月13日 - 畠山和洋
- 9月26日 - ダニエル・マカッチェン
- 9月28日 - マイカ・オーウィングス
- 9月30日 - セス・スミス
10月
編集- 10月4日 - 那須野巧
- 10月6日 - 加藤暁彦
- 10月13日 - 岩﨑哲也
- 10月16日 - 松谷秀幸
- 10月18日 - 岸本秀樹
- 10月19日 - J.A.ハップ
- 10月21日 - 根市寛貴
- 10月22日 - ロビンソン・カノ
- 10月22日 - カルロス・トーレス
- 10月22日 - ダレン・オデイ
- 10月22日 - カルロス・トーレス
- 10月23日 - 田中彰 (1982年生の内野手)
- 10月28日 - 押本健彦
11月
編集- 11月5日 - ブライアン・ラヘア
- 11月12日 - 中尾敏浩
- 11月12日 - 高橋浩司
- 11月13日 - ネルソン・パヤノ
- 11月18日 - 田中良平
- 11月23日 - 松坂恭平
- 11月25日 - 近藤智勝
12月
編集死去
編集脚注
編集- ^ 毎日新聞1982年1月9日19面「指名打者の"偵察要員"禁止」毎日新聞縮刷版1982年1月p311
- ^ 読売新聞1982年1月11日17面「阪急・佐藤投手が任意引退」読売新聞縮刷版1982年1月p405
- ^ 読売新聞1982年1月23日19面「マニエル引退」読売新聞縮刷版1982年1月p831
- ^ 読売新聞1982年1月28日17面「近鉄・永尾、阪神へ」読売新聞縮刷版1982年1月p1061
- ^ 読売新聞1982年1月30日17面「鈴木、外岡氏『野球の殿堂』入り」読売新聞縮刷版1982年1月p1105
- ^ 読売新聞1982年2月2日17面「大洋に三人目の新外人」読売新聞縮刷版1982年2月p53
- ^ 読売新聞1982年2月9日17面「」読売新聞縮刷版1982年2月p53
- ^ 「佐藤義、再び支配下登録に 腰完治の診断」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)3月13日付朝刊、14面(スポーツ面)。
- ^ 読売新聞1982年3月26日夕刊15面「センバツの朝 『勝負師 水原』逝く 現代野球に縦横さい配 巨人第二黄金時代築く」読売新聞縮刷版1982年3月p1027
- ^ 読売新聞1982年3月28日16面「関根監督、球団重役に」読売新聞縮刷版1982年3月p1088
- ^ 毎日新聞1982年4月3日夕刊7面「プロ野球 幕開け 西は雨 東は鼻曇りの熱戦」毎日新聞縮刷版1982年4月p103
- ^ 読売新聞1982年4月5日17面「広島・衣笠が1000打点」読売新聞縮刷版1982年4月p165
- ^ 本来予定されていた4月3日は雨天中止のため、4月4日になった。
- ^ "【巨人】ドラ1大勢、球団史上初の新人開幕戦セーブ 球史に残る新記録樹立". nikkansports.com. 日刊スポーツNEWS. 25 March 2022. 2022年3月26日閲覧。
- ^ 毎日新聞1982年4月6日1面「センバツ PL学園が連覇 52年ぶり 二松学舎に大勝」毎日新聞縮刷版1982年4月p161
- ^ 毎日新聞1982年4月7日19面「間柴、連勝『16』に」毎日新聞縮刷版1982年4月p211
- ^ 毎日新聞1982年4月10日17面「プロ誘致し、千葉新球場 千葉公園に59年4月開く」毎日新聞縮刷版1982年4月p319
- ^ 「巨人―阪急 藤城、笹本を交換 公式戦中トレード第1号」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月10日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1982年4月19日19面「GT1000試合目 踊る『若い力』原が祝砲3ラン 巨人"お祭り"快勝」毎日新聞縮刷版1982年4月p577
- ^ 毎日新聞1982年4月19日19面「いやはや21四死球」毎日新聞縮刷版1982年4月p577
- ^ 「記録メモ 有藤(ロッテ)通算1000得点」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)4月19日付朝刊、14面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1982年4月23日19面「巨・中千試合目 中畑3ランで飾る また”お祭り”サヨナラ劇 巨人九州シリーズ」毎日新聞縮刷版1982年4月p717
- ^ 毎日新聞1982年4月30日19面「山田200勝 しんどかった 打線に援護され 苦しみながら投げ抜く」毎日新聞縮刷版1982年4月p947
- ^ 「記録メモ 有藤(ロッテ)通算1000三振」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)5月3日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1982年5月5日15面「若松が1500安打」毎日新聞縮刷版1982年5月p113
- ^ 毎日新聞1982年5月7日19面「原、トップ9号 巨人満塁100号はしゃぐ間なく 角が火をつけて神宮大騒動」毎日新聞縮刷版1982年5月p151
- ^ 毎日新聞1982年5月9日19面「有藤が300号 前の打席はバント "自己犠牲"知るミスター・ロッテ」毎日新聞縮刷版1982年5月p215
- ^ 毎日新聞1982年5月10日23面「好投の工藤見殺しにできぬ 柏原が”友情アーチ” 通算150本に花を添える」毎日新聞縮刷版1982年5月p243
- ^ 毎日新聞1982年5月12日17面「テスト生から18年 大杉450号 5人目、なお望み高く」毎日新聞縮刷版1982年5月p305
- ^ 毎日新聞1982年5月15日15面「沢村賞など選考辞退 東京運動部長会」毎日新聞縮刷版1982年5月p405
- ^ 毎日新聞1982年5月16日19面「左打席、右打席連続アーチ 日本人で初めて阪急・松永」毎日新聞縮刷版1982年5月p437
- ^ a b 毎日新聞1982年5月19日15面「三原代表が辞任 日本ハム、後任に小島氏」毎日新聞縮刷版1982年5月p517
- ^ 「記録メモ 福島(大洋)通算100本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)5月20日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 毎日新聞1982年5月22日17面「巨人4500号本塁打 3試合連続の14号 本塁打得点 巨人に軍配」毎日新聞縮刷版1982年5月p619
- ^ 毎日新聞1982年5月22日17面「サヨナラ男が現役サヨナラ 阪神竹之内『悔いない』」毎日新聞縮刷版1982年5月p619
- ^ 毎日新聞1982年5月25日19面「江川処分"罪一等減" 鈴木セ会長 『戒告』から『警告』へ」毎日新聞縮刷版1982年5月p707
- ^ 毎日新聞1982年5月22日17面「内藤氏がヘッドコーチに昇格 不振のヤクルト」毎日新聞縮刷版1982年5月p619
- ^ 読売新聞1982年6月5日17面「高橋直が西武へ 広島と 古沢、大原トレード」読売新聞縮刷版1982年6月p53
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- ^ 読売新聞1982年6月5日17面「広島・衣笠が通算1000得点」読売新聞縮刷版1982年6月p177
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- ^ “【6月18日】1982年(昭57) 史上初の両軍1安打 笑ったドラ1 泣いたドラフト外”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年6月11日). 2015年12月19日閲覧。
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- ^ “【6月25日】1982年(昭57) あれから1353日 西武 初の“優勝” 2日続けてビールかけ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2011年6月25日). 2015年12月19日閲覧。
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- ^ 「記録メモ 井上弘(日本ハム)通算150号本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)7月3日付朝刊、15面(スポーツ面)。
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- ^ 毎日新聞1982年7月19日19面「掛布22号、通算200号」毎日新聞縮刷版1982年7月p591
- ^ 毎日新聞1982年7月24日17面「ワンマンショー 金村サイクル安打」毎日新聞縮刷版1982年7月p763
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- ^ 毎日新聞1982年8月7日15面「1500安打」毎日新聞縮刷版1982年8月p185
- ^ 毎日新聞1982年8月8日1面「和歌山(住友金属)が初優勝 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1982年8月p223
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- ^ 毎日新聞1982年8月7日15面「19人目・山崎」毎日新聞縮刷版1982年8月p292
- ^ 毎日新聞1982年8月13日14面「夏ボケ?上田監督が大チョンボ」毎日新聞縮刷版1982年8月p352
- ^ 毎日新聞1982年8月13日14面「地震で新幹線止まり試合開始1時間遅れ」毎日新聞縮刷版1982年8月p352
- ^ 毎日新聞1982年8月15日14面「500登板・山田で連勝」毎日新聞縮刷版1982年8月p408
- ^ 「記録メモ 山崎(西武)通算2000試合出場」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)8月18日付朝刊、12面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 大杉(ヤクルト)通算300二塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)8月20日付朝刊、14面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 大洋、1イニング3犠打のセ・リーグタイ」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)8月20日付朝刊、14面(スポーツ面)。
- ^ 「記録メモ 掛布(阪神)1イニング2本塁打」『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)8月25日付朝刊、15面(スポーツ面)。
- ^ 「記録席(29日) 広島・衣笠祥雄内野手(三五)が2000試合出場」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1982年(昭和57年)8月30日付朝刊、17面。
- ^ 毎日新聞1982年9月1日19面「あきれた暴行劇 阪神の2コーチ 判定めぐり 審判を殴る、ける」毎日新聞縮刷版1982年9月p19
- ^ 読売新聞1982年9月2日22面「"暴力トラ"に罰 無期限出場停止に セ・リーグでは初」読売新聞縮刷版1982年9月p70
- ^ 読売新聞1982年9月2日17面「巨人・浅野啓司投手(三三)が500試合登板」読売新聞縮刷版1982年3月p65
- ^ 読売新聞1982年9月3日17面「山本、新記録の33セーブポイント」読売新聞縮刷版1982年9月p105
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- ^ 毎日新聞1982年9月6日夕刊7面「『再登録ありえぬ』下田コミッショナー・鈴木会長が一致」毎日新聞縮刷版1982年9月p193
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- ^ 読売新聞1982年9月30日16面「日本ハム、パ後期連続優勝 ロッテを大逆転 高橋一好投、江夏ピシャリ」読売新聞縮刷版1982年9月p1150
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- ^ 毎日新聞1982年10月10日19面「中日首位、Vへマジックは『5』」毎日新聞縮刷版1982年10月p329
- ^ 読売新聞1982年10月13日16面「落合、史上初の『5冠王』 江夏"救援王" 福本は"盗塁王"」読売新聞縮刷版1982年10月p508
- ^ 毎日新聞1982年10月13日15面「南海、穴吹新監督に」毎日新聞縮刷版1982年10月p397
- ^ “【11月21日】1982年(昭57) 星野仙一号泣!引退したのは体力の限界?それとも…”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年11月1日). 2015年12月19日閲覧。
- ^ 毎日新聞1982年10月15日1面「西武が初優勝 衣替え4年目 パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1982年10月p449
- ^ 読売新聞1982年10月17日19面「与死球新記録と共にメリーちゃん引退 広島の渡辺投手」読売新聞縮刷版1982年10月p691
- ^ 中日新聞1982年10月18日21面「中日、V目前に足踏み きょう最終戦にかける 開きなおってやるだけ 終盤の反撃、明るい材料」中日新聞縮刷版1982年10月p599
- ^ 毎日新聞1982年10月18日21面「V決着"結びの一番"で 中日○か△で奪取」毎日新聞縮刷版1982年10月p567
- ^ 中日新聞1982年10月19日1面「中日、8年ぶり優勝 セ・リーグ 最終戦で大洋に快勝 23日から西武と"日本一決戦"へ」中日新聞縮刷版1982年10月p611
- ^ 毎日新聞1982年10月19日1面「中日 歓喜のV奪取 セ・リーグ」毎日新聞縮刷版1982年10月p585
- ^ 読売新聞1982年10月21日17面「阪急の岡本と白石退く」読売新聞縮刷版1982年10月p869
- ^ 毎日新聞1982年10月21日17面「プロ野球だより マークら2外人解雇」毎日新聞縮刷版1982年10月p675
- ^ 読売新聞1982年10月22日17面「沢村賞に北別府(広島) 唯一人20勝を評価 江川抑える」読売新聞縮刷版1982年10月p913
- ^ 読売新聞1982年10月23日17面「腰痛再起ならず 山口高志が引退 阪急」読売新聞縮刷版1982年10月p957
- ^ 毎日新聞1982年10月26日19面「プロ野球だより 南海」毎日新聞縮刷版1982年10月p837
- ^ 毎日新聞1982年10月31日1面「西武、初の日本一 プロ野球日本シリーズ 中日に4勝2敗で」毎日新聞縮刷版1982年10月p999
- ^ 読売新聞1982年11月2日17面「MVPにセ・リーグ中尾 パ・リーグ落合 新人王は津田、大石」読売新聞縮刷版1982年11月p57
- ^ 朝日新聞1982年11月2日17面「”マサカリ”木俣が引退 中日で19年」朝日新聞縮刷版1982年11月p57
- ^ 毎日新聞1982年11月2日15面「プロ野球だより 中日」毎日新聞縮刷版1982年11月p49
- ^ 毎日新聞1982年11月2日15面「プロ野球だより ロッテ」毎日新聞縮刷版1982年11月p49
- ^ 毎日新聞1982年11月2日15面「プロ野球だより 阪神」毎日新聞縮刷版1982年11月p49
- ^ 読売新聞1982年11月3日17面「近鉄・佐々木が引退」読売新聞縮刷版1982年11月p105
- ^ 読売新聞1982年11月10日17面「中西氏、ヤクルト入り」読売新聞縮刷版1982年11月p351
- ^ 毎日新聞1982年11月10日19面「投手コーチに河村氏」毎日新聞縮刷版1982年11月p275
- ^ 読売新聞1982年11月10日17面「阪神のジョンストン外野手(二七)が退団」読売新聞縮刷版1982年11月p443
- ^ 読売新聞1982年11月13日22面「広岡監督に正力松太郎賞 就任一年目で日本一の座、二度目」読売新聞縮刷版1982年11月p492
- ^ 読売新聞1982年11月25日19面「『パ』一シーズン制復帰 オーナー懇で正式決定 プレーオフは"存続"」読売新聞縮刷版1982年11月p977
- ^ 読売新聞1982年11月25日夕刊15面「ドラフト 巨人は斎藤投手(市立川口)荒木ヤクルト 畠山南海 野口西武」読売新聞縮刷版1982年11月p1001
- ^ 読売新聞1982年11月26日16面「きょうから本格入団交渉 ドラフト 畠山早くも南海入り表明」読売新聞縮刷版1982年11月p1018
- ^ 読売新聞1982年11月30日16面「近鉄・井本 ヤクルトへ 鈴木康、柳原と1対2交換」読売新聞縮刷版1982年11月p1180
- ^ 読売新聞1982年12月2日16面「ロッテ・奥江、自由契約に」読売新聞縮刷版1982年12月p64
- ^ 読売新聞1982年12月3日16面「DH制(シリーズ)に反対 セ・オーナー懇談会」読売新聞縮刷版1982年12月p108
- ^ 読売新聞1982年12月3日16面「与那嶺氏西武入り」読売新聞縮刷版1982年12月p108
- ^ 読売新聞1982年12月8日17面「西武、大洋でトレード」読売新聞縮刷版1982年12月p311
- ^ 読売新聞1982年12月8日17面「セ事務局長に渋沢氏」読売新聞縮刷版1982年12月p311
- ^ 読売新聞1982年12月9日17面「加藤と野村を交換 阪神ー大洋トレード」読売新聞縮刷版1982年12月p359
- ^ 読売新聞1982年12月9日17面「阪急に新山投手コーチ」読売新聞縮刷版1982年12月p359
- ^ 読売新聞1982年12月9日17面「阪急に新外人ウイルス内野手」読売新聞縮刷版1982年12月p399
- ^ 読売新聞1982年12月11日17面「広島・水沼が中日へ」読売新聞縮刷版1982年12月p439
- ^ 読売新聞1982年12月11日17面「西武の小川が南海移籍」読売新聞縮刷版1982年12月p439
- ^ a b 読売新聞1982年12月16日17面「柳田と高井が引退」読売新聞縮刷版1982年12月p631
- ^ 読売新聞1982年12月17日17面「球団職員として契約 暴行事件の前コーチ」読売新聞縮刷版1982年12月p667
- ^ 読売新聞1982年12月19日17面「阪神、ウェルズ入団」読売新聞縮刷版1982年12月p735
- ^ 読売新聞1982年12月22日15面「若菜は自由契約」読売新聞縮刷版1982年12月p837
- ^ 読売新聞1982年12月23日17面「福士引退 韓国プロ野球へ」読売新聞縮刷版1982年12月p879
- ^ 読売新聞1982年12月30日16面「水谷、トレード了承 年俸3千6百万円で」読売新聞縮刷版1982年12月p1090