16世紀
西暦1501年から西暦1600年までの100年間
16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 15世紀 - 16世紀 - 17世紀 |
十年紀: |
1500年代 1510年代 1520年代 1530年代 1540年代 1550年代 1560年代 1570年代 1580年代 1590年代 |
16世紀の歴史
編集世界
編集ヨーロッパではルネサンスと宗教改革の嵐により中世的な世界観にかわり、近世的な新しい世界観が生まれた。また、これまで天動説の体系が長らく信じられてきたが、ニコラウス・コペルニクスにより地動説が発表された。当初はなかなか支持を得られず、明確に賛同する天文学者もヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイの登場まで現れなかった。暦では、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して新暦となるグレゴリオ暦を制定すると、まずはカトリック国家で使われ始めたが、世界中に浸透するまでにはまだ時間を要することとなる。
スペインが送り込んだコンキスタドールやヨーロッパからもたらされた伝染病などにより、新大陸の既存の文明であるインカ文明(アンデス文明)、アステカ文明は滅亡、マヤ文明も大きく衰退(17世紀に滅亡)し、大航海時代における「冒険の時代」から「征服の時代」へと移行した。
西洋史では、ルネサンス・宗教改革以降を近世と区分する(イタリア・ルネサンス年表も参照のこと)。
日本
編集日本は9世紀の平安時代以降、断続的に内戦が続き、16世紀には戦国大名の乱立する状態になったが、天下統一を目前に本能寺の変で自害した織田信長に代わり、家臣の豊臣秀吉が統一を果たした。しかし、秀吉の死後には豊臣政権内の対立が表面化、関ヶ原の戦いにより徳川家康率いる東軍が政権擁護派の石田三成ら西軍に勝利を収め、家康の覇権を決定的なものとした。
中国・アジア
編集アジア各国では新たな繁栄の時代となり、国内政治が充実し、文化・経済が発展した。新大陸や日本から流れた大量の銀が世界的なインフレーションを起こし(価格革命)、西欧・アジアの経済が急速に拡大した。
できごと
編集1500年代
編集→詳細は「1500年代」を参照
- 1501年
- 1501年頃
- 1502年
- 1503年
- 1503年頃
- アメリゴ・ベスプッチが『新世界』を刊行する。
- 1504年
- 立河原の戦い。
- イオシフ・ヴォロツキイらによる教会会議でロシアにおける異端者への厳罰が決定される。
- 1505年
- 明の正徳帝が第11代皇帝に即位。
- スリランカにポルトガル人が到来、コロンボに要塞を築き、海岸地帯を占領(ポルトガル領セイロン) 。
- 1506年
- 1507年
- 1508年
- 1509年
- ディーウ沖の海戦でポルトガルがマムルーク朝・グジャラート・スルターン朝らのイスラム勢力に勝利しインド洋の覇権を握る。
1510年代
編集→詳細は「1510年代」を参照
- 1510年
- 1511年
- デジデリウス・エラスムスの『痴愚神礼賛』が出版される。
- ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケがマラッカを占領(マラッカ占領 (1511年))。
- スペインがキューバを占領、ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルがキューバ総督となる。
- 前将軍足利義澄が水茎岡山城で死去。船岡山の戦いで勝利した細川高国・大内義興政権が成立。
- 1512年
- 1513年
- オスマン朝で「ピーリー・レイースの地図」が作成される。
- ボスコリ事件でニッコロ・マキャヴェリが失脚。
- 教皇ユリウス2世が死去し、メディチ家出身のレオ10世が教皇になる。
- フロドゥンの戦いでイングランド軍がスコットランド王ジェームズ4世を敗死させる。
- 1514年
- チャルディラーンの戦いでオスマン朝がサファヴィー朝に勝利。
- 1515年
- 1516年
- 1517年
- 1518年
- 1519年
1520年代
編集→詳細は「1520年代」を参照
- 1520年
- 1521年
- 1522年
- 1523年
- 1524年
- 1525年
- パヴィアの戦いでフランス王フランソワ1世が神聖ローマ皇帝カール5世により捕虜になる。
- ポーランド王ジグムント1世がドイツ騎士団総長アルブレヒトを臣従させる。
- 1526年
- 1527年
- 1528年
- 1529年
1530年代
編集→詳細は「1530年代」を参照
- 1530年
- 神聖ローマ皇帝カール5世とローマ教皇クレメンス7世が和解する。
- ボローニャにてカール5世はクレメンス7世より戴冠される(ローマ教皇による神聖ローマ皇帝への最後の戴冠式)。
- フィリップ・メランヒトンが「アウクスブルク信仰告白」を起草する。
- 聖ヨハネ騎士団がマルタ島を領有する(マルタ騎士団)。
- 人文学者ギヨーム・ビュデがフランソワ1世に進言して「王立教授団(コレージュ・ド・フランスの前身)」が設立される。
- 神聖ローマ皇帝カール5世とローマ教皇クレメンス7世が和解する。
- 1531年
- 1532年
- 1533年
- 石山本願寺(大坂御坊)が本願寺教団の本山になる。
- ベトナムで黎朝と莫朝が分裂し、南北朝時代が始まる( - 1592年)。
- インカ帝国がフランシスコ・ピサロにより征服される。
- フランス王子アンリ(後のアンリ2世)とカトリーヌ・ド・メディシスの婚姻。
- イングランド王ヘンリー8世がキャサリン・オブ・アラゴンと離婚、アン・ブーリンと再婚。
- アルジェリアのバルバロス・ハイレッディンがオスマン朝に帰服し、提督(パシャ)となる。
- 1534年
- 1535年
- ジャック・カルティエ第2回探検行。イロコイ族の村落オシュラガの山をモンロワイヤルと命名。
- ミラノのスフォルツァ家断絶。ミラノはハプスブルク家に支配される。
- ヘンリー8世の離婚に反対したジョン・フィッシャーやトマス・モアが処刑される。
- スペインがチュニスを占領し、ハフス朝を保護下に置く。
- スペインがメキシコシティを首都にヌエバ・エスパーニャ副王領を設置。
- 1536年
- 1537年
- 1538年
- 1539年
1540年代
編集→詳細は「1540年代」を参照
- 1540年
- 1541年
- ジャック・カルティエ第3回探検行。
- エルナンド・デ・ソトが北アメリカのミシシッピ川に到達。
- イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王国国王を名乗る。
- ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂祭壇壁画『最後の審判』が完成する。
- レーゲンスブルク帝国議会。
- オスマン帝国のブダ占領。
- ハンガリーはオスマン帝国領、オスマン帝国配下のトランシルヴァニア公国領、ハプスブルク帝国領に三分割される。
- 1542年
- 1543年
- 1544年
- ルター訳聖書(新約聖書・旧約聖書全巻)の刊行。
- ケーニヒスベルク大学創設。
- 1545年
- スペイン人によりポトシ銀山が発見される。
- ピエール・ルイージ・ファルネーゼが初代パルマ公(ピアチェンツァ公を含む)となる。
- 1546年
- 教皇パウルス3世によりトリエント公会議が召集される。
- シュマルカルデン戦争。
- 足利義輝が室町幕府第13代将軍となる。
- アントニオ・メンドーサによりメキシコの鉱山都市グアナファトが築かれる。
- 1547年
- 1548年
- 1549年
- フランシスコ・ザビエルの鹿児島来訪により、日本にキリスト教が伝来。
- 国王エドワード6世のもとイングランドで一般祈祷書が制定される。
- チューリッヒ一致信条で、ツヴィングリ後継者ハインリヒ・ブリンガーとカルヴァンが改革派教会合同を行う。
- 江口の戦いで細川(晴元)政権が崩壊、三好長慶による三好政権が畿内に成立。
1550年代
編集→詳細は「1550年代」を参照
- 1550年
- 庚戌の変でアルタン・ハーンが北京を包囲。
- 平戸に初めてポルトガル商船が入港。ザビエルの平戸上陸。
- ラス・カサスとフアン・ヒネス・デ・セプルベダのバリャドリード論争。
- ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』が刊行される。
- 1551年
- 1552年
- 1553年
- 1554年
- 1555年
- 1556年
- 明で華県地震。
- ロシアのイヴァン4世がアストラハン・ハン国を征服。
- ムガル帝国でアクバル即位。第二次パーニーパットの戦いでスール朝残党軍を破る。
- カール5世の退位により、息子フェリペ2世がスペイン王を、弟フェルディナント1世が神聖ローマ皇帝を分割して継承。カール5世はスペインのユステ修道院に隠棲する。
- ローマのナヴォーナ広場でポンポニオ・アルジェリオが処刑される。
- 1557年
- 1558年
- 1559年
1560年代
編集→詳細は「1560年代」を参照
- 1560年
- 1561年
- 1562年
- 1563年
- 1564年
- ムガル皇帝アクバルがヒンドゥー教徒へのジズヤ(人頭税)を廃止する。
- ロシア皇帝イヴァン4世が退位を宣言。
- 1565年
- ロシア皇帝イヴァン4世の復位宣言、オプリーチニナ制度を導入。
- アルタン・ハーンがフフホト(帰化城)を建設。
- 永禄の変で、三好三人衆と松永久秀により将軍足利義輝が殺害される。
- 正親町天皇による最初のキリスト教宣教師追放令。
- ターリコータの戦いで、デカンのムスリム5王国同盟が南インドのヴィジャヤナガル王国に勝利する。
- アンドレス・デ・ウルダネータがセブ島からメキシコへの航路を開発(マニラ貿易・アカプルコ貿易の始まり)。
- マルタ包囲戦でマルタ騎士団がオスマン帝国軍を撃退。
- 1566年
- 1567年
- 1568年
- 1569年
1570年代
編集→詳細は「1570年代」を参照
- 1570年
- 1571年
- スペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンのマニラを占領。
- ポルトガル王セバスティアン1世による日本人奴隷禁止の命令。
- レパントの海戦で、ヨーロッパ連合艦隊がオスマン帝国艦隊に勝利。
- クリミア・ハン国がモスクワを焼き払う(モスクワ大火 (1571年))。
- 隆慶和議により明とモンゴルの和平が成立、アルタン・ハンは順義王の称号を得る。
- 比叡山焼き討ち。
- 1572年
- 1573年
- 1574年
- 1575年
- 1576年
- 1577年
- 1578年
- 御館の乱。有岡城の戦い。
- アルカセル・キビールの戦い。
- アルタン・ハーンがソェナムギャツォを招聘し「ダライラマ(3世)」の称号を贈る。
- 1579年
1580年代
編集→詳細は「1580年代」を参照
- 1580年
- 1581年
- 1582年
- 1583年
- 1584年
- 小牧・長久手の戦い。
- スペインのエル・エスコリアル宮殿が完成する(1563年 - )。
- スペイン王フェリペ2世が天正遣欧少年使節を歓待する。
- デルフトでオラニエ公ウィレムが暗殺される。
- ロシアでノヴォ・ホルモゴイ(現アルハンゲリスク)港が開かれる。
- ムガル皇帝アクバルがファテープル・シークリーからラホールに遷都。
- 1585年
- 1586年
- 1587年
- 1588年
- 1589年
1590年代
編集→詳細は「1590年代」を参照
- 1590年
- 1591年
- 1592年
- 1593年
- 1594年
- ザビエルの墓があるゴアのボム・ジェズ教会が建立される。
- 豊臣秀吉の吉野の花見。
- 1595年
- 1596年
- 1597年
- 1598年
- 1599年
1600年代
編集→詳細は「1600年代」を参照
- 1600年
- 関ヶ原の戦い。
- 豊後国臼杵にオランダ船リーフデ号が漂着する。
- 教皇クレメンス8世がイエズス会にのみ認められていた日本での宣教活動を全ての修道会に認める。
- ローマのカンポ・デ・フィオーリ広場にてジョルダーノ・ブルーノ刑死。
- イギリス東インド会社設立。
- フランス王アンリ4世がメディチ家のマリー・ド・メディシスと結婚。
- 南アメリカ・ペルーのワイナプチナ火山の大爆発。
- 年月不詳
- 西遊記成立。
人物
編集ヨーロッパ
編集イタリア
編集- アレクサンデル6世(1431年 - 1503年) - ローマ教皇(在位1492年 - 1503年)・ボルジア家出身のルネサンス教皇
- ユリウス2世(1443年 - 1513年) - ローマ教皇(在位1503年 - 1513年)・ルネサンス教皇・サン・ピエトロ大聖堂の改修を始める
- ドナト・ブラマンテ(1444年頃 - 1514年) - ローマで活躍した建築家・教皇ユリウス2世の依頼でサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となる
- ピエロ・ソデリーニ(1450年 - 1522年) - フィレンツェ共和国元首(正義の旗手)・メディチ家不在の政局を指導・後に追放される
- アメリゴ・ヴェスプッチ(1451年 - 1512年) - フィレンツェ出身の探検家・論文「新世界」を書き「アメリカ」の名の由来となる
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年 - 1519年) - フィレンツェ派の画家・彫刻家・建築家など「万能の天才」・「モナリザ」他がある
- ピエトロ・ポンポナッツィ(1462年 - 1525年) - パドヴァ大学教授・『霊魂不滅論』を執筆して人間霊魂の不滅を否定し論争を引き起こす
- アンドレア・ドーリア(1466年 - 1560年) - ジェノヴァの提督・コンドッティエーレ・チュニスの海戦で勝利するもプレヴェザの海戦で敗北
- パウルス3世(1468年 - 1549年) - ローマ教皇(在位1534年 - 1549年)・宗教改革に対抗すべくトリエント公会議を召集
- ニッコロ・マキャヴェッリ(1469年 - 1527年) - フィレンツェの外交官・政治思想家・『君主論』『ディスコルシ』の著者
- トマス・デ・ヴィオ・カイエタヌス(1469年 - 1534年) - ガエタ出身の神学者・枢機卿・ドミニコ会総長・ルターとの折衝で有名・主著は『名辞の類比』
- ピエトロ・ベンボ(1470年 - 1547年) - ヴェネツィア出身の人文学者・枢機卿・聖ヨハネ騎士団員・『俗語読本』で近代イタリア語の基礎をなす
- イザベラ・デステ(1474年 - 1539年) - エステ家出身のマントヴァ侯フランチェスコ2世の妃・文芸支援者として名高い
- ルドヴィーコ・アリオスト(1474年 - 1533年) - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕える・『狂えるオルランド』を執筆
- チェーザレ・ボルジア (1475年 - 1507年) - イタリアの軍人・政治家・父の教皇アレクサンデル6世の援助でイタリア統一を目指す
- ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年 - 1564年) - フィレンツェ出身の画家・彫刻家・「ダヴィデ像」「ピエタ」「最後の審判」がある
- レオ10世(1475年 - 1521年) - ローマ教皇(在位1513年 - 1521年)・メディチ家出身・最盛期のルネサンス教皇・ルターの宗教改革を招く
- ジョルジョーネ(1477年/1478年頃 - 1510年) - 盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「嵐」「三人の哲学者」などがある
- クレメンス7世(1478年 - 1534年) - ローマ教皇(在位1523年 - 1534年)・メディチ家出身・ローマ略奪により皇帝カール5世に屈服
- バルダッサーレ・カスティリオーネ(1478年 - 1529年) - イタリアの外交官・ヨーロッパ宮廷人の模範となった『宮廷人(廷臣論)』を執筆
- ジローラモ・フラカストロ(1478年 - 1553年) - ヴェローナ出身の科学者・パドヴァ大学教授・梅毒やチフスを命名しコンタギオン説を提唱
- マッテオ・バンデッロ(1480年 - 1562年) - ピエモンテ出身の作家・ドミニコ会士・物語集『ノヴェッロ』を執筆しシェークスピアにも影響を与える
- ラファエロ・サンティ(1483年 - 1520年) - 盛期ルネサンスのウルビーノ出身の画家・建築家・代表作に「アテナイの学堂」がある
- フランチェスコ・グイチャルディーニ(1483年 - 1540年) - フィレンツェの政治家・歴史家として『フィレンツェ史』『イタリア史』を執筆
- ガスパーロ・コンタリーニ(1483年 - 1542年) - ヴェネツィアの外交官・枢機卿・司教・聖霊派(スピリトゥアリ)としてカトリック改革を指導
- レオ・アフリカヌス(1483年? - 1555年?) - グラナダ生まれの旅行家・冒険家・教皇レオ10世に仕え『アフリカ誌』を執筆する
- ユリウス3世(1487年 - 1555年) - ローマ教皇(在位1550年 - 1555年)・トリエント公会議第2会期を指導・パレストリーナの庇護者
- ベルナルディーノ・オキーノ (1487年 - 1564年) - シエーナ出身のカプチン会士・スイスに亡命しイングランド他で宗教改革の著述を行う
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488年/1490年頃 - 1576年) - 盛期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「聖母被昇天」「聖愛と俗愛」がある
- アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(1489年頃 – 1534年) - 盛期ルネサンスのパルマ派の画家・「神々の愛」の連作が有名
- ピエトロ・アレティーノ(1492年 - 1556年) - ヴェネツィアで活躍した作家・詩人・著名人への諷刺や毒舌で有名・代表作に『遊女』ほかがある
- ヴィットリア・コロンナ(1492年 - 1547年) - ローマの名門出身の女流詩人・教会改革を支持しミケランジェロとの交遊でも知られる
- ヤコポ・ダ・ポントルモ(1494年 - 1557年) - マニエリスムのフィレンツェの画家・サンタ・フェリチタ聖堂「十字架降架」が有名・『日記』もある
- マテオ・ダ・バッシ(1495年 - 1552年) - カプチン会の創始者・フランシスコ会の修道規則を厳格に適用した
- ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500年 - 1571年) - マニエリスムのフィレンツェの彫刻家・「サリエラ(黄金の塩入れ)」が有名・『自伝』もある
- ニコロ・フォンタナ・タルタリア(1499年/1500年 - 1557年) - イタリアの数学者・三次方程式の解法を研究・大砲の弾道計算を行い弾道学の祖とされる
- ジェロラモ・カルダーノ(1501年 - 1576年) - ミラノ出身の数学者・『偉大なる術(アルス・マグナ)』で三次方程式の根の公式などを紹介
- グレゴリウス13世(1502年 - 1585年) - ローマ教皇(在位1572年 - 1585年)・ユリウス暦を廃し新規にグレゴリオ暦を採用
- アーニョロ・ブロンズィーノ(1503年 - 1572年) - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・複雑な寓意をめぐらした「愛のアレゴリー」がある
- ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ(1507年 - 1573年) - モデナ近郊出身の建築家・マニエリスム建築を大成・ローマのイエズス会ジェズ教会がある
- アンドレーア・パッラーディオ(1508年 - 1580年) - パドヴァ出身の建築家・マニエリスム建築を大成・「ヴィラ・アルメリコ」がある
- ピエトロ・カルネセッキ(1508年 - 1567年) - フィレンツェ出身の人文主義者・教皇庁書記官・福音派に転じたため異端審問で死刑にされる
- ベルナルディーノ・テレジオ(1509年 - 1588年) - コゼンツァ出身の自然哲学者・アリストテレスに反対し『固有の原理から見た事物の本性』を執筆
- ジョルジョ・ヴァザーリ(1511年 - 1574年) - マニエリスムのフィレンツェ派の画家・伝記作家として『画家・彫刻家・建築家列伝』を残す
- ロレンツィーノ・デ・メディチ (1514年 - 1548年) - 政治家・アレッサンドロ・デ・メディチを暗殺・ミュッセの戯曲『ロレンザッチョ』でも有名
- フィリッポ・ネリ(1515年 - 1595年) - フィレンツェ出身の司祭・オラトリオ会創始者・聖歌オラトリオの発展を促し「喜びの聖人」とされる
- ティントレット(1518年 - 1594年) - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・ドゥカーレ宮殿壁画「天国」などが有名
- コジモ1世(1519年 - 1574年) - メディチ家(弟脈)の初代トスカーナ大公(在位1537年 - 1574年)・マニエリスム芸術の支援者
- シクストゥス5世(1520年 - 1590年) - ローマ教皇(在位1585年 - 1590年)・公共事業として都市ローマの壮大な整備を実施
- ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525年? - 1594年) - ローマの音楽家・「教会音楽の父」・「教皇マルチェルスのミサ曲」などが有名
- パオロ・ヴェロネーゼ(1528年 - 1588年) - 後期ルネサンスのヴェネツィア派の画家・「カナの婚礼」「レヴィ家の饗宴」などが有名
- フランチェスコ・パトリッツィ(1529年 - 1597年) - ローマ・サピエンツァ大学教授・『新普遍哲学』でアリストテレス哲学を全面的に批判
- ジャンボローニャ(1529年 - 1608年)- フランドル出身のマニエリスムの彫刻家・メディチ家に仕え「サビニの女たちの略奪」などを残す
- ヤコポ・ザバレラ(1533年 - 1589年)- パドヴァ大学教授・主著『論理学』では演繹法や帰納法の先駆となる推論を展開
- カルロ・ボロメオ(1538年 - 1584年) - 枢機卿・ミラノ大司教・カトリック改革の旗手で小教区の再建やペスト流行時の救済で活躍・聖人とされる
- カエサル・バロニウス(1538年 - 1607年) - 枢機卿・オラトリオ会総長・歴史家としてプロテスタント側に対抗する『教会年代記』を編纂
- ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(1538年 - 1615年) - ナポリの博物学者・自然科学の最初の学会を結成・主著に『自然魔術』がある
- クリストファー・クラヴィウス(1538年 - 1612年) - ローマ学院の数学教授・リリウス兄弟とともにグレゴリウス暦改定の中心人物となる
- ロベルト・ベラルミーノ(1542年 - 1621年) - イタリアのイエズス会士・枢機卿・カトリック改革を指揮し『異端反駁信仰論争』を執筆・教会博士
- トルクァート・タッソ(1544年 - 1595年) - イタリアの詩人・フェラーラ公に仕え『解放されたエルサレム』ほかを執筆
- ジョバンニ・ボッテーロ(1544年頃 - 1617年) - イタリアの政治思想家・イエズス会士・マキャヴェッリの思想を批判的に継承し『国家理性論』を執筆
- ジョルダーノ・ブルーノ(1548年 - 1600年) - イタリアのドミニコ会士・哲学者・地動説を擁護し無限宇宙論を提唱・異端判決で火刑
- アルベリコ・ジェンティーリ(1552年 - 1608年) - イタリア出身の国際法学者・オックスフォード大学法学教授・著作に『戦争法論』がある
- ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年) - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで地動説を擁護し宗教裁判を受ける
- アロイシウス・ゴンザーガ(1568年 - 1591年) - イタリアのイエズス会士・名門に生まれカルロ・ボロメオに教導を受けるも早世・若者の守護聖人となる
- ベアトリーチェ・チェンチ(1577年 - 1599年) - イタリアの貴族女性・ローマでの父親殺しの裁判の被告となり悲劇的な最期を遂げた
ポルトガル
編集- マヌエル1世(幸運王)(1469年 - 1521年) - ポルトガル王(在位1495年 - 1521年)・ポルトガル海上帝国の最盛期の王
- ジョアン・デ・バロス(1496年頃 - 1570年) - ポルトガルの歴史家・「ポルトガルのリウィウス」・『アジア史』で大航海時代のポルトガルを記録
- ルイス・デ・カモンイス(1524年頃 - 1580年) - ポルトガルの詩人・大航海時代でのポルトガルの海外覇権を『ウズ・ルジアダス』に描く[1]
- セバスティアン1世(熱望王)(1554年 - 1578年) - ポルトガル王(在位1557年 - 1578年)・アルカセル・キビールの戦いで戦死
スペイン
編集- フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス(1436年 - 1517年) - スペインの摂政・トレド大司教・枢機卿・異端審問や多言語対訳聖書編集で活躍
- フェルディナンド・マゼラン(1480年? - 1521年) - スペイン王に仕えた探検家・世界周航を目指しマゼラン海峡などを発見・フィリピンで戦死
- フアン・ヒネス・デ・セプルベダ(1489年 - 1573年) - スペインの神学者・哲学者・バリャドリッド論争でラス・カサスと対決する
- イグナチオ・デ・ロヨラ(1491年 - 1556年) - スペインのイエズス会創立者・会の初代総長としてフランシスコ・ザビエルらを世界宣教に遣わす
- フランシスコ・デ・ビトリア(1492年頃 - 1546年) - スペインの神学者・哲学者・法学者・トマス神学の導入でサラマンカ学派の祖となる
- マルティン・デ・アスピルクエタ(1493年 - 1586年) - スペインのサラマンカ学派の神学者・著書『徴利明解論』で「貨幣数量説」から価格革命を解明
- ドミンゴ・デ・ソト(1494年 - 1560年) - スペインのサラマンカ学派の神学者・哲学者・法学者・代表作は『公正と法』・インディオ問題にも関与
- アンドレス・デ・ウルダネータ(1498年 - 1568年) - スペインの探検家・修道士・フィリピンから太平洋を渡りメキシコのアカプルコに至る航路開拓
- アルカンタラのペトロ(1499年 - 1562年) - スペインの修道士・フランシスコ会厳修派に属し新大陸各地を歴訪・著書に『祈りと黙想』がある・ブラジルの守護聖人
- アビラのテレサ(1515年 - 1582年) - スペインの女性神秘家・カルメル会で改革に取り組む・著作に『完徳の道』などがある
- フェリペ2世(1527年 - 1598年) - スペイン王(在位1556年 - 1598年)・ポルトガル王を兼位し「太陽の沈まない帝国」を実現
- ルイス・デ・モリナ(1535年 - 1600年) - スペインのサラマンカ学派の神学者・イエズス会士・恩寵に協力する人間の自由意思を擁護(モリナ主義)
- エル・グレコ(1541年 - 1614年) - ギリシャのクレタ島出身の画家・ヴェネツィアのティツィアーノ・ヴェチェッリオの弟子・スペインに移住し活躍
- 十字架のヨハネ(1542年 - 1591年) - スペインの神秘家・アビラのテレサに影響を受けカルメル会で改革に取り組む・著作に『暗夜』など
- フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ(1545年 - 1618年) - スペインのアウグスティノ会士・最も古い中国学の書『シナ大王国誌』を執筆
- ドン・フアン・デ・アウストリア(1547年 - 1578年) - スペイン王フェリペ2世の異母弟・総司令官としてレパントの海戦を勝利に導く
- ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545年 - 1568年) - スペイン王フェリペ2世の皇太子・その悲恋はシラーの戯曲などで有名
- フランシスコ・スアレス(1548年 - 1617年) - スペインのイエズス会士・サラマンカ学派の哲学者・『形而上学論考』がある
ネーデルラント
編集- デジデリウス・エラスムス(1466年 - 1536年) - ネーデルラントの人文主義者・神学者・『痴愚神礼讃』でカトリック教会を批判
- メノ・シモンズ(1496年 - 1561年) - フリースラント出身の牧師・アナバプテスト(再洗礼派)の指導者でその派をメノナイトと呼ぶ
- フェルナンド・アルバレス・デ・トレド(1507年 - 1582年) - アルバ公・スペインのネーデルラント総督・「血の審判所」で圧政を行う
- ゲラルドゥス・メルカトル(1512年 - 1594年) - ネーデルラントの地理学者・地図の投影法であるメルカトル図法で知られる
- アンドレアス・ヴェサリウス(1514年 - 1564年) - ネーデルラント出身の医師・解剖学者・パドヴァ大学教授・『人体の構造』を出版
- ヨーハン・ヴァイヤー(1515年 - 1588年) - ネーデルラント出身の医師・魔女裁判に反対した最初期の人物・『悪魔の偽王国』などがある
- レンベルト・ドドエンス(1517年 - 1585年) - フランドル出身の植物学者・皇帝ルドルフ2世の侍医・本草書『クリュードベック』の著者
- ピーテル・ブリューゲル(1525年/1530年 - 1569年) - ネーデルラントの画家・民衆を題材にした絵画を残す・「子供の遊び」など
- オラニエ公ウィレム1世(沈黙公)(1533年 - 1584年) - オランダ独立の指導者で八十年戦争初期に活躍するが暗殺される
- アレッサンドロ・ファルネーゼ(1545年 - 1592年) - パルマ公・スペインのネーデルラント総督・独立派に対し南北離間策を実施
- シモン・ステヴィン(1548年 - 1620年) - ネーデルラントの物理学者・数学者・落下の法則や十進法による小数の導入などで知られる
- ウィレム・バレンツ(1550年頃 - 1597年) - オランダの航海士・探検家・ヨーロッパからの北東航路を探検しスヴァールバル諸島ほかを発見
神聖ローマ帝国
編集- ヨハネス・ロイヒリン(1455年 - 1522年) - ドイツの人文主義者・古典学者・メランヒトンの大伯父・ヘブライ語研究と聖書研究を結びつける
- ヤーコプ・フッガー(1459年 - 1525年) - ドイツのアウクスブルクの豪商・銀山や金融で巨利を得て神聖ローマ皇帝選挙にも関与する
- ティルマン・リーメンシュナイダー(1460年頃 - 1531年) - ドイツの彫刻家・ローテンブルクの聖ヤコブ教会の聖血の祭壇が有名
- ヨハンネス・トリテミウス(1462年 - 1516年) - ドイツの修道院長・隠秘学者として『ステガノグラフィア』や『ヒルサウ年代記』がある
- フリードリヒ3世(1463年 - 1525年) - ザクセン選帝侯(在位1486年 - 1525年)・マルティン・ルターを保護し宗教改革に協力する
- マティアス・グリューネヴァルト(1470年/1475年頃 - 1528年) - ドイツの末期ゴシックの画家・「イーゼンハイムの祭壇画」が有名
- アルブレヒト・デューラー(1471年 - 1528年) - ドイツのルネサンス期の画家・版画家・「メランコリア I」などが有名
- ルーカス・クラナッハ(1472年 - 1553年) - ドイツのルネサンス期の画家・宗教改革を支持し「マルティン・ルターの肖像」を残す
- ヨハン・ファウスト(1480年? - 1540年?) - ドイツの錬金術師・悪魔と契約したとの伝説からゲーテの小説のモデルとなる
- アンドレアス・カールシュタット(1480年頃 - 1541年) - ドイツの宗教改革者・ルターの影響でヴィッテンベルクの急進的改革を行うが後に離反
- マルティン・ルター(1483年 - 1546年) - ドイツの宗教改革者・「95ヶ条の論題」からカトリック教会と対決しルター派教会を結成
- ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ(1486年 - 1535年) - ドイツの人文主義者・神秘哲学者・カバラ研究や『隠秘哲学』で知られる
- ヨハン・エック(1486年 - 1543年) - ドイツの神学者・インゴルシュタット大学教授・ライプツィヒ討論以来ルターの論敵となる
- ジギスムント・フォン・ヘルベルシュタイン(1486年 - 1566年) - ドイツの外交官・著作家・ハプスブルク家に仕え各国を歴訪・著作に『モスクワ事情』がある
- ウルリヒ・フォン・フッテン(1488年 - 1523年) - ドイツの人文主義者・桂冠詩人・宗教改革に共鳴しドイツ騎士戦争に参加するが敗北
- フランツ・フォン・ジッキンゲン(1481年 - 1523年) - ドイツの帝国騎士・フッテンとともに騎士戦争を起こすが敗死
- トマス・ミュンツァー(1489年 - 1525年) - ドイツの宗教改革者・ドイツ農民戦争の指導者となるが捕らえられ斬首にされる
- アルブレヒト(1490年 - 1568年) - ドイツ騎士団総長・後にルター派に改宗して初代プロイセン公となる(在位1525年 - 1568年)
- ハンス・ザックス(1494年 - 1576年) - ドイツのマイスタージンガー(職匠歌人)・ルターに共感し「ヴィッテンベルクの鶯」などを歌う
- ゲオルク・アグリコラ(1494年 - 1555年) - ドイツの鉱山学者・「鉱山学の父」・大著『デ・レ・メタリカ(金属について)』を執筆する
- フィリップ・メランヒトン(1497年 - 1560年) - ドイツのキリスト教神学者・ルターの思想を「アウクスブルク信仰告白」で体系化
- ハンス・ホルバイン(1497年/1498年 - 1543年) - ドイツのルネサンス期の画家・「エラスムス像」などで知られ後年はイングランドで活躍
- カール5世(1500年 - 1558年) - ハプスブルク家のスペイン国王(在位1516年 - 1556年)・神聖ローマ皇帝(在位1519年 - 1556年)
- フェルディナント1世(1503年 - 1564年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1556年 - 1564年)・カール5世の弟でオーストリア系の祖
- ヤン・ファン・ライデン(1509年 - 1536年) - オランダ出身の再洗礼派の説教家・ミュンスターの反乱を指導し王と名乗る・反乱は鎮圧され殺害される
- モーリッツ(1521年 - 1553年) - ザクセン選帝侯(在位1547年 - 1553年)・シュマルカルデン戦争で皇帝に接近・別名「マイセンのユダ」
- ペトルス・カニシウス(1521年 - 1597年) - ネーデルラント出身のイエズス会士・「ドイツ第二の使徒」・カトリック教会の巻き返しの中心
- イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル(1525年 - 1609年) - プラハのラビ・神秘主義者としても知られ「ゴーレム伝説」の主人公とされる
- ジュゼッペ・アルチンボルド(1527年 - 1593年) - ミラノ出身のマニエリスムの画家・歴代皇帝に仕え奇抜な作品を残す・20世紀に再評価
- ヴァレンティン・ヴァイゲル(1533年 - 1588年) - ドイツの神学者・プロテスタント神秘主義者・「内的生活」「霊的教会」を提唱
- ルドルフ2世(1552年 - 1612年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1576年 - 1612年)・プラハでのマニエリスム文化の支援者
スイス
編集- フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484年 - 1531年) - スイスの宗教改革者・チューリッヒに改革派教会を設立・第2次カッペル戦争で戦死
- パラケルスス(1493年/1494年 - 1541年) - スイスの医師・バーゼル大学教授・医学でのガレノスの権威を否定・錬金術師でもある
- ジャン・カルヴァン(1509年 - 1564年) - フランス出身の宗教改革者・ジュネーヴで神権政治を行う・『キリスト教綱要』が主著
- ミシェル・セルヴェ(1511年 - 1553年) - スペイン出身の医師・神学者・三位一体説を批判して異端者とされジュネーブで火刑に処される
- セバスティアン・カステリヨン(1515年 - 1563年) - フランス出身の人文学者・カルヴァンと対立しバーゼルで活躍・主著に『異端者について』がある
- コンラート・ゲスナー(1516年 – 1565年) - スイスの博物学者・動物学の『動物誌』、植物学の『植物名目録』、書誌学の『世界書誌』を残す
フランス
編集- ジャック・ルフェーヴル・デタープル(1450年? - 1536年) - フランスの神学者・人文主義者・聖書をフランス語に訳したことで知られる
- フランソワ・ラブレー(1483年? - 1553年) - フランスの医師・作家として『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を残す
- ジュール・セザール・スカリジェ(1484年 - 1558年) - パドヴァ出身の医師・人文学者・古典注釈や校訂で活躍し『創作論』を執筆
- マルグリット・ド・ナヴァル(1492年 - 1549年) - ナバラ王エンリケ2世妃・文芸の庇護者であり『エプタメロン』を執筆・フランソワ1世の姉
- フランソワ1世(1494年 - 1547年) - ヴァロワ朝のフランス王(在位1515年 - 1547年)・イタリア戦争でカール5世と戦う
- ミシェル・ノストラダムス(1503年 - 1566年) - フランスの医師・占星術師として王妃カトリーヌに引見され『予言集』を残す
- ギョーム・ポステル(1510年 - 1581年) - フランスの神秘思想家・東洋学者・卓越した語学力で王立教授団に登用される・主著は『世界諧和論』
- アンブロワーズ・パレ(1510年 - 1590年) - フランス王室付き外科医・銃創治療での軟膏の使用や血管結紮法を工夫・『大外科学全集』を執筆
- ベルナール・パリッシー(1510年頃 - 1590年) - フランスの陶工・独立自学で釉陶を研究・王母カトリーヌに認められ宮廷付きになる
- カトリーヌ・ド・メディシス(1519年 - 1589年) - フランス王アンリ2世の王妃・フランソワ2世とシャルル9世とアンリ3世の三代の母后
- テオドール・ド・ベーズ(1519年 - 1605年) - フランスのプロテスタント神学者・カルヴァンの弟子・暴君放伐論を唱え君主の絶対性に対抗した
- ピエール・ド・ロンサール(1524年 - 1585年) - フランスの詩人・プレイヤード派の中心・「詩人たちの君主」・代表作は『オード』
- マルタン・ゲール(1524年頃 - 1560年以降?) - フランスの農民・フランス史上有名な詐欺事件である「マルタン・ゲール事件」の当事者
- ジャン・ボダン(1530年 - 1596年) - フランスの経済学者・法学者・宗教戦争の混乱から国家主権を検討した『国家論』を執筆
- エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(1530年 - 1563年) - フランスの人文主義者・ボルドー高等法院評定官・『自発的隷従論』を執筆
- ピエール・ド・ブールデイユ・ブラントーム(1530年頃 - 1614年) - フランスの軍人・著作家として『回想録』ほか『好色女傑伝』を執筆
- ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年 - 1592年) - フランスの哲学者・モラリスト・懐疑論者・主著は『エセー(随想録)』
- フランソワ・ヴィエト(1540年 - 1603年) - フランスの数学者・法律家・既知数の記号化やヴィエトの公式で知られ「代数学の父」と呼ばれる
- ギーズ公アンリ(1550年 - 1558年) - フランスの貴族・カトリック同盟の領袖・「三アンリの戦い」を戦うが暗殺される
- アンリ3世(1551年 - 1589年) - ポーランド最初の選挙王(在位1573年 - 1575年)・ヴァロワ朝最後のフランス王(在位1574年 - 1589年)
- アンリ4世(1553年 - 1610年) - ブルボン朝初代のフランス国王(在位1589年 - 1610年)・宗教戦争をおさえナントの勅令を発布
イングランド
編集- トマス・モア(1478年 - 1535年) - イングランドの思想家・『ユートピア』の著者・ヘンリー8世の離婚問題で処刑される
- トマス・クロムウェル(1485年 - 1540年)- イングランドの政治家・ヘンリー8世に仕え宗教改革を主導したが後に寵を失い処刑される
- ヘンリー8世(1491年 - 1547年) - イングランド王(在位1509年 - 1547年)・離婚問題からイギリス国教会を独立させる
- ウィリアム・ティンダル(1494年/1495年 - 1536年) - イングランドの宗教改革者・聖書を英語に翻訳し欽定版に影響を与える・火刑に処される
- レジナルド・ポール(1500年 - 1558年) - 枢機卿・最後のカトリックのカンタベリー大司教・トリエント公会議でも活躍
- アン・ブーリン(1507年頃 - 1536年) - イングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃・エリザベス1世の母・イングランドの宗教問題に影響
- エドワード6世(1537年 - 1553年) - イングランド王(在位1547年 - 1553年)・ヘンリー8世唯一の男子・一般祈祷書を制定
- メアリー1世(1516年 - 1558年) - イングランド女王(在位1553年 - 1558年)・イングランドでカトリックを復活させる
- トーマス・グレシャム(1519年 - 1579年) - イングランドの財政家・貿易商・「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムの法則で有名
- ジョン・ディー(1527年 - 1608年/1609年) - イングランドの数学者・錬金術師・占星術師・著作に『象形文字の単子』がある
- ジョン・ホーキンス(1532年 - 1595年) - イングランドの海賊・私掠船船長・後に海軍提督・ドレークの従兄弟・アルマダの海戦でも活躍
- エリザベス1世(処女王)(1533年 - 1603年) - イングランド女王(在位1558年 - 1603年)・エリザベス朝の最盛期を現出
- トマス・カートライト(1535年 - 1603年) - ケンブリッジ大学教授・長老制を導入し王権と対立・ピューリタン運動の先駆けとなる
- マーティン・フロビッシャー(1535年/1539年 - 1594年) - イングランドの探検家・私掠船船長・北西航路開発からバフィン島などを発見
- フランシス・ドレーク (1543年? - 1596年) - イングランドの海賊・私掠船船長・後に海軍提督となりアルマダの海戦で活躍
- ウィリアム・ギルバート(1544年 - 1603年) - イングランドの医師・物理学者・磁石や静電気の研究から「電気」の概念を構築
- エドマンド・スペンサー(1552年頃 – 1599年) - イングランドの詩人・女王エリザベス1世に捧げられた『妖精の女王』で有名
- エドワード・ケリー(1555年 - 1597年) - イングランドの錬金術師・交霊術師・ディーとともに各地を遍歴するがボヘミアで投獄され獄死
- クリストファ・マーロウ(1564年 - 1593年) - イングランドのエリザベス朝演劇の劇作家・代表作に『フォースタス博士』がある
- ウィリアム・シェイクスピア(1564年 - 1616年) - イングランドのエリザベス朝演劇の劇作家・代表作に『ハムレット』『リア王』他がある
スコットランド
編集- ジョン・ノックス(1510年 - 1572年) - スコットランドの牧師・宗教改革を指導し長老派教会を創立・女王メアリーとは対立
- メアリー・ステュアート(1542年 - 1587年) - スコットランド女王(在位1542年 - 1567年)・亡命したイングランドで処刑される
北欧
編集- クリスチャン2世(1481年 - 1559年) - デンマーク王(在位1513年 - 1523年)・ストックホルムの血浴でスウェーデン独立派を弾圧
- オラウス・マグヌス(1490年 - 1558年) - スウェーデンのウプサラ司教・地図「カルタ・マリナ」を作成し『北方民族文化誌』を執筆
- グスタフ・ヴァーサ(1496年 - 1560年) - ヴァーサ朝初代のスウェーデン王(在位1523年 - 1560年)・ルター派の教義を受け入れる
ハンガリー・ポーランド他
編集- スタンチク(1480年頃 - 1560年頃) - ポーランドの宮廷道化師・三代の王に仕え軽妙だが時事に通じた深い洞察を見せたことで記録に残る
- サポヤイ・ヤーノシュ(1487年 - 1540年) - ハンガリーの対立王・トランシルヴァニア公・ハプスブルク家に対抗し王を名乗る
- ニコラ・シュビッチ・ズリンスキ (1508年 - 1566年) - クロアチアの総督・オスマン帝国と戦う・民族英雄として「ウ・ボイ、ウ・ボイ」などで名が残る
- ジグムント2世(1520年 - 1572年) - ヤゲウォ朝最後のポーランド国王(在位1548年 - 1572年)・セイム勢力を抑えルブリン合同を推進
- ステファン・バートリ(1533年 - 1586年) - ポーランド国王(在位1576年 - 1586年)・トランシルヴァニア公・最も優れた選挙王
- ヤン・ザモイスキ(1542年 - 1605年) - ポーランドの王国宰相・選挙王政確立後のシュラフタを中心とする国政(黄金の自由)を指導
- ジグムント3世(1566年 - 1632年) - ポーランド国王(在位1587年 - 1632年)・スウェーデン王位も兼任・ブレスト合同を推進
- ニコラウス・コペルニクス(1473年 - 1543年) - ポーランドの天文学者・カトリック司祭・『天球回転論』で地動説を唱える
- ファウスト・ソッツィーニ(1539年 - 1604年) - イタリア出身の反三位一体論の神学者・ユニテリアン教会のポーランド兄弟団の創設者
ロシア
編集- 聖愚者ワシリー(1460年代 - 1557年) - 佯狂者・「裸の聖者」とも呼ばれ雷帝イヴァン4世にも畏怖される・聖ワシリー大聖堂で顕彰される
- フィロテウス(フィロフェイ)(1465年 - 1542年) - プスコフのイェリツァロフ修道院典院・「モスクワ第3のローマ説」を提唱
- ヴァシアン・パトリケーエフ(1470年頃 - 1545年頃) - 政治家・皇帝と対立し修道院に送られる・修道士となり異端者への厳罰否定を主張
- マクシム・グレク(1475年頃 - 1556年) - アトス山出身の修道士・翻訳活動に従事し異端説を論駁・非所有派を支持・正教会の聖人(克肖者)
- フィリップ2世(1507年 - 1569年) - モスクワ府主教・イヴァン雷帝に諫言し粛清される・正教会の聖人(神品致命者・奇蹟者・成聖者)
- イヴァン4世(雷帝)(1530年 - 1584年) - モスクワ大公・初代のロシア・ツァーリ(在位1547年 - 1574年、1576年 - 1584年)
- イェルマーク・チモフェーイェヴィチ(1532年/1542年 - 1585年) - コサックの頭領・シビル・ハン国と戦いシベリア各地を探検する
南北アメリカ
編集- フアン・ポンセ・デ・レオン(1460年 - 1521年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・フロリダを発見する
- モクテスマ2世(1466年 - 1520年) - アステカ帝国第9代君主(在位1502年 - 1520年)・エルナン・コルテスと接触後に混乱で事故死
- フランシスコ・ピサロ(1470年頃 - 1541年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・インカ帝国を滅ぼす・リマ市を建設
- フアン・ディエゴ(1474年 - 1548年) - メキシコ先住民でカトリック改宗者・グアダルーペの聖母の出現に立ち会い聖人とされる
- バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(1475年 - 1519年) - スペイン出身の探検家・植民地政治家・ヨーロッパ人として初めて太平洋に到達
- ディエゴ・デ・アルマグロ(1479年 - 1538年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・インカを滅ぼした後に初めてチリに到達
- ラス・カサス(1484年 - 1566年) - スペイン出身のドミニコ会士・チャパス司教・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』で有名[2]
- エルナン・コルテス(1485年 - 1547年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・アステカ帝国を滅ぼす・メキシコ市を建設
- ジャック・カルティエ(1491年 - 1557年) - フランス出身の探検家・セントローレンス湾沿いを探検しカナダと名づけ領有を宣言
- クアウテモック(1495年頃 - 1525年) - アステカ帝国最後の第11代君主(在位1520年 - 1521年)・モクテスマ2世の従兄弟
- ベルナル・ディアス・デル・カスティリョ(1496年 – 1584年) - スペイン出身の征服者・メキシコ遠征に参加し『メキシコ征服記』を残す
- エルナンド・デ・ソト(1496年/1497年 - 1542年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・北アメリカを探検しミシシッピ川を発見
- アタワルパ(1502年頃 - 1533年) - インカ帝国第13代君主(在位1532年 - 1533年)・フランシスコ・ピサロに処刑される
- トゥパク・アマル(? - 1572年) - インカ帝国最後の君主(在位1571年 - 1572年)・アタワルパの甥でスペインの支配に抵抗
- ロペ・デ・アギーレ(1510年頃 - 1561年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・黄金郷を求めアンデス奥地を探検・後に殺害される
- フランシスコ・デ・オレリャーナ(1511年 - 1546年) - スペイン出身の征服者(コンキスタドール)・アマゾン川を発見し河口までを航海する
- シエサ・デ・レオン(1521年頃 - 1554年) - スペイン出身の探検家・著述家・ピサロの征服後のペルー各地を遍歴し『ペルー記』を執筆
- ディエゴ・デ・ランダ(1524年 - 1579年) - スペイン出身のフランシスコ会士・ユカタン司教・『ユカタン事物記』を残す
- ジョゼ・デ・アンシエタ(1534年 - 1597年) - カナリア諸島出身のイエズス会士・ブラジルでの宣教を進め原住民タモヨ連合と和平を結ぶ
北アフリカ・西アジア・中央アジア
編集- イブン・イヤース(1448年 - 1522年) - マムルーク朝エジプトの歴史家・古代からのエジプトの歴史をまとめた大著『花の驚異』で知られる
- ムハンマド・シャイバーニー・ハン(1451年 - 1510年) - シャイバーニー朝ウズベク・ハン国の初代ハン・ティムール朝を滅ぼす
- ビフザード(1455年? - 1530年代) - ヘラートで活躍した画家・ティムール朝からサファヴィー朝に仕えミニアチュールを大成する
- ピーリー・レイース(1465年? - 1554年) - オスマン帝国海軍提督・アデン征服などで活躍・『海洋の書』や地図の作成でも有名
- セリム1世(冷酷者)(1470年 - 1520年) - オスマン帝国第9代皇帝(在位1512年 - 1520年)・マムルーク朝を滅ぼす
- バルバロス・ハイレッディン(1475年 - 1546年) - アルジェの海賊からオスマン帝国提督となる・プレヴェザの海戦でスペインに勝利
- フズーリー(1483年頃 - 1556年) - オスマン帝国の詩人・トルコ語やペルシャ語やアラビア語など多言語を通じて詩作
- イスマーイール1世(1487年 - 1524年) - サファヴィー朝初代シャー(在位1501年 - 1524年)・白羊朝を滅ぼして建国
- ヨセフ・カロ(1488年 - 1575年) - オスマン帝国領シリアのユダヤ教のラビ・ユダヤ法の最後の大法典『シュルハン・アルーフ』の著者
- ミマール・スィナン(1489年? - 1588年) - オスマン帝国の建築家・スレイマニエ・モスクなどを手がけトルコ最高の建築家とされる
- ムタワッキル3世(? - 1543年) - マムルーク朝に庇護されていたアッバース家最後のカリフ(在位1508年 - 1517年)
- スレイマン1世(大帝)(1494年 - 1566年) - オスマン帝国第10代皇帝(在位1520年 - 1566年)・「立法者」「壮麗者」とも呼ぶ
- ロクセラーナ(? - 1557年) - オスマン帝国皇帝スレイマン1世の寵妃・セリム2世の母・もとはロシアの司祭の娘
- セイディ・アリ・レイース(1498年 - 1563年) - オスマン帝国の海軍提督・オマーン湾の戦いで敗れるが『国々の鏡』を執筆
- ソコルル・メフメト・パシャ(1506年 - 1579年) - オスマン帝国の大宰相・スレイマン1世からセリム2世そしてムラト3世に仕える
- ウルグ・アリ(クルチ・アリ)(1519年 - 1587年) - オスマン帝国の提督・キリスト教徒の奴隷からアルジェ総督に昇進・レパントの海戦でも活躍
- モーシェ・コルドヴェロ(1522年 - 1570年) - ガリラヤ地方のツファットのユダヤ教のラビ・カバラ学者・主著に『柘榴の庭』がある
- ヌール・バヌ(1525年 - 1587年) - オスマン帝国皇帝のムラト3世の母・もとはヴェネツィア貴族の娘・「母后」の称号を得て摂政となる
- バーキー(1526年 - 1600年)- オスマン帝国の宮廷詩人・スレイマン1世に仕え戦勝での賛歌などを捧げる・別名は「詩人たちのスルタン」
- アブドゥッラーフ2世(1533年 - 1598年) - シャイバーニー朝ブハラ・ハン国のハン(在位1583年 - 1598年)・ブハラに遷都
- イツハク・ルーリア(1522年 - 1570年) - ガリラヤ地方のツファットのユダヤ教のラビ・カバラ学者・『ゾーハル注解』やその他の著作がある
- アフマド・アル・マンスール(勝利者)(1549年 - 1603年) - サアド朝の君主(在位1578年 - 1603年)・ソンガイ王国を滅ぼし塩交易を独占
- サフィエ・スルタン(1550年 - 1618年)- オスマン帝国皇帝のメフメト3世の母・ヌール・バヌの親戚・「母后」の称号を得る
- アッバース1世(1571年 - 1629年) - サファヴィー朝第5代シャー(在位1588年 - 1629年)・最盛期のシャー・イスファハーンに遷都
南アジア
編集- カビール(1440年 - 1518年) - インドの宗教改革者・もとは織物職人・グル・ナーナクに影響・「ビージャク」という教典をまとめる
- フランシスコ・デ・アルメイダ(1450年 - 1510年) - ポルトガルの初代インド総督・ディーウ沖の海戦に勝利しインドのコチンを占領する
- アフォンソ・デ・アルブケルケ(1453年 - 1515年) - ポルトガルの第2代インド総督・インドのゴアを占領する
- グル・ナーナク(1469年 - 1539年) - シク教教祖にして初代グル(尊師)・カビールやイスラーム神秘主義者に影響を受ける
- クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ(1471年 - 1529年) - ヴィジャヤナガル王国(トゥルヴァ朝)の王(在位:1509年 - 1529年)・最盛期を現出
- サリーム・チシュティー(1478年 - 1572年) - チシュティー派スーフィー聖者・予言を行いアクバルのファテープル・シークリー遷都を促す
- イブラーヒーム・ローディー(? - 1526年) - ローディー朝(デリー・スルターン朝)最後の君主(在位:1517年 - 1526年)・第一次パーニーパットの戦いに敗北して死亡する
- バーブル(1483年 - 1530年) - ムガル帝国の建国者(在位:1526年 - 1530年)・ティムール朝の末裔・ローディー朝を滅ぼす・自伝『バーブル・ナーマ』も有名
- チャイタニヤ・マハープラブ(1485年 - 1533年) - チャイタニヤ派の創始者・愛の精神を重視し詠歌行進(サンキールタナ)を奨励
- シェール・シャー(1486年 - 1545年) - スール朝の建国者(在位:1539年 - 1545年)・一時フマーユーンをデリーから追い払う
- ミーラー・バーイー(1499年頃 - 1546年頃) - ラージャスターン出身の女流詩人・夫の死後にクリシュナ信仰に目覚め熱烈な信愛を賛歌に表わす
- フマーユーン(1508年 - 1556年) - ムガル帝国の第2代皇帝(在位:1530年 - 1540年、1555年 - 1556年)・バーブルの子
- ウダイ・シング2世(1522年 - 1572年) - メーワール王国の王(在位:1540年 - 1572年)・アクバルの攻撃によりウダイプルに遷都
- グルバダン・ベグム (1523年頃 - 1603年) - ムガル皇帝バーブルの王女・皇帝フマユーンの妹・兄の事績を記録した『フマユーン・ナーマ』を執筆
- トゥルシー・ダース(1523年/1543年 - 1623年?) - 北インド出身の詩人・バクティ運動の中心人物でラーマ信仰への熱烈な信愛を讃歌に表わす
- プラタープ・シング(1540年 - 1597年) - メーワール王国の君主(在位:1572年 - 1597年)・アクバル帝に対し徹底抗戦をした英雄
- アクバル(1542年 - 1605年) - ムガル帝国の第3代皇帝(在位:1556年 - 1605年)・ジズヤを廃止し諸宗教の融和を進める
- フィリシュタ(1560年 - 1620年) - ペルシア生まれの歴史家・インドのビジャープル王国に仕え『フィリシュタの歴史』を執筆
- スヴァートマーラーマ(16世紀) - インドの宗教家・ヨーガ論書『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』で「ハタ・ヨーガ」を体系化する
東南アジア
編集- トメ・ピレス(1466年頃 - 1524年頃) - ポルトガルのインド東南アジア商館員・マラッカに駐在し『東方諸国記』を執筆・後に中国へも派遣される
- ラプ=ラプ(1491年 - 1542年) - フィリピンのマクタン島の部族長・スペイン人探検家フェルディナンド・マゼランの上陸に抵抗した・フィリピンの英雄
- ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(1502年 - 1572年) - スペインの初代フィリピン総督・マニラを占領しフィリピン諸島を制圧
- ダン・ヒャン・ニラルタ(16世紀) - ジャワ出身のヒンドゥー教僧侶・バリ島のゲルゲル王国に渡来しタナロット寺院やウルワツ寺院を建立
- バインナウン(1517年 - 1581年) - ビルマのタウングー朝の王(在位1551年 - 1581年)・隣国アユタヤ朝の都アユタヤを征服
- ナレースワン(大王)(1555年 - 1605年) - タイのアユタヤ朝の21代目の王(在位1590年 - 1605年)・ビルマから独立回復する
東アジア
編集明
編集- 劉瑾(? - 1510年) - 明の宦官・正徳帝の寵愛を受け政治に介入・後に帝位簒奪の陰謀が露見し凌遅刑に処される
- 朱寘鐇(? - 1511年) - 明の王族(安化王)・劉瑾に対する反乱(安化王の乱)を起こし鎮圧される
- 朱宸濠(? - 1521年) - 明の王族(寧王)・正徳帝に対する反乱(寧王の乱)を起こし鎮圧される
- 楊廷和(1459年 - 1529年) - 明の政治家(内閣大学士)・嘉靖帝を擁立し「救時宰相」と呼ばれるが大礼の儀問題に巻き込まれる
- 祝允明(1460年 - 1526年) - 明の官僚・文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人
- 文徴明(1470年 - 1559年) - 明の官僚・文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・子の文彭や文嘉も書画で有名
- 唐寅(1470年 - 1523年) - 明の文人・呉派に属し「呉中の四才子」の一人・事件に巻き込まれ官人になれず在野で活躍
- 王陽明(1472年 - 1528年) - 明の政治家・思想家(陽明学)・寧王の乱ほかを鎮圧・主著に『伝習録』
- 厳嵩(1480年 - 1567年) - 明の政治家(内閣大学士)・息子厳世蕃とともに嘉靖年間後半の政治を壟断・「青祠宰相」の別名がある
- 徐階(1494年 - 1574年) - 明の政治家(内閣大学士)・嘉靖帝死後に隆慶帝を擁立し内廷粛正を図る
- 仇英(1494年? - 1552年) - 明の画家・漆工から身を起こし模写を重ね花鳥や人物を得意とした・特に美人画でよく知られる
- 呉承恩(1504年頃 - 1582年頃) - 明代の官僚・文人・『西遊記』の編者か?
- 王直(? - 1559年) - 明の海賊・嘉靖の大倭寇の中心人物・日本の五島列島に本拠地を持つ・胡宗憲に捕縛され処刑される
- 鄭舜功(生没年不詳) - 明の外交官・倭寇禁圧の要請のため訪日・日本の国情を記した『日本一鑑』を残す
- 嘉靖帝(1507年 - 1566年) - 明の第12代皇帝(世宗)(在位1521年 - 1566年)・40年に及ぶ治世で北虜南倭に苦しむ
- 海瑞(1514年 - 1587年) - 明の官僚・嘉靖帝に対して厳しい直諫を行い投獄されるが後に復権・歴史戯曲『海瑞罷官』でも有名
- 李攀竜(1514年 - 1570年) - 明の詩人・文人・復古主義の古文辞派を代表し後七子を指導・『李滄溟集』があり『唐詩選』の編纂者とされる
- 李時珍(1518年 - 1593年) - 明の医師で本草学者・中国本草学の集大成である『本草綱目』を編纂
- 徐渭(1521年 - 1593年) - 明の文人・書画や詩文や戯曲など多様な分野で天才性を発揮・一方で精神を病み妻を殺害する
- 張居正(1525年 - 1582年) - 明の政治家(内閣大学士)・幼い万暦帝の補佐をして一条鞭法の導入などの政治改革を行う
- 戚継光(1528年 - 1587年) - 明の軍人・倭寇とモンゴルとそれぞれ戦ってともに戦果を挙げた
- 李卓吾(1527年 - 1602年) - 明の官僚・思想家(陽明学左派)・『焚書』の著者・世に入れられずに獄中で自殺
- 蘭陵笑笑生(生没年不詳) - 明の小説家・万暦年間に成立した四大奇書『金瓶梅』の作者か(王世貞・徐渭・厳嵩ら別名説もある)
- 許仲琳(生没年不詳) - 明の小説家・万暦年間までに成立した神怪小説『封神演義』の作者か・最古の版本にその名が残る
- 袁黄(袁了凡)(1533年 - 1606年) - 明の官僚・儒学者(陽明学左派の王畿の門人)・『了凡四訓』(『陰騭録』)がある
- 呂坤(呂新吾)(1536年 - 1618年) - 明の官僚・儒学者・『呻吟語』その他の著作がある
- 洪自誠(洪応明)(活躍時期1572年 - 1620年) - 明の文人・処世訓を記した随筆集『菜根譚』がある
- 沈惟敬(? - 1597年) - 明の使節(副使)・小西行長や宗義智らと講和を交渉・交渉が決裂し偽装外交の咎で処刑される
- 李如松(1549年 - 1598年) - 明の軍人・朝鮮援兵(文禄・慶長の役)で明側の指揮官として日本の豊臣秀吉軍と戦う
- 湯顕祖(1550年 - 1616年) - 明の劇作家・「中国のシェイクスピア」とも言われる・「牡丹亭還魂記」の作者
- 趙士禎(1554年 - 1611年) - 明の軍事学者・朝鮮に侵攻した日本軍の銃器に対抗すべくまとめられた『神器譜』の著者
- 万暦帝(1563年 - 1620年) - 明の第14代皇帝(在位1572年 - 1620年)・張居正死後に親政・放漫な政治で万暦の三征が発生
越南
編集モンゴル
編集チベット
編集朝鮮
編集- 燕山君(1476年 - 1506年) - 李氏朝鮮の第10代国王(在位1494年 - 1506年)・戊午士禍や甲子士禍を招いた暗君とされ廃位される
- 李滉(1501年 - 1570年) - 李氏朝鮮の儒学者(朱子学)・「東方の小朱子」と呼ばれ李栗谷と二派を形成・日本儒学にも影響
- 李栗谷(1536年 - 1584年) - 李氏朝鮮の儒学者(朱子学)・李滉の主理説に対し主気説を唱え別派を形成
- 柳成龍(1542年 - 1607年) - 李氏朝鮮の政治家・壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)で李舜臣を抜擢・『懲毖録』を記録として残す
- 李舜臣(1545年 - 1598年) - 李氏朝鮮の将軍・壬辰・丁酉倭乱で日本の豊臣秀吉軍と戦うが露梁海戦で戦死・大韓民国の英雄
- 姜沆(1567年 - 1618年) - 李氏朝鮮の官人・丁酉の倭乱で日本に連行され『看羊録』を残す・藤原惺窩に朱子学を伝えたとされる
日本
編集- 雪舟等楊(1420年 - 1506年?) - 水墨画家・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる
- 了庵桂悟(1425年 - 1514年) - 禅僧・東福寺住持・80歳を超えて遣明使正使となる・明では王陽明らと交友する
- 宗長(1448年 - 1532年) - 連歌師・宗祇に師事し『水無瀬三吟百韻』などに参加・今川家の外交顧問でもあり『宗長日記』を残す
- 北条早雲(1456年? - 1519年) - 武将・相模伊豆の戦国大名・伊勢氏の流れを汲み後北条氏の祖となる
- 山崎宗鑑(1465年? - 1554年?) - 連歌師・俳諧作者・自由奔放で滑稽味のある句風の作品を集めた俳諧撰集『犬筑波集』で知られる
- 細川政元(1466年 - 1507年) - 室町幕府管領・明応の政変で将軍足利義稙を追放し細川政権を樹立・永正の錯乱で暗殺される
- 足利義稙(1466年 - 1523年) - 室町幕府第10代征夷大将軍(在任1490年 - 1494年・1508年 - 1521年)・明応の政変で廃されるが、10年以上の亡命生活を経て将軍に復帰
- 清原宣賢(1475年 - 1550年) - 公卿・儒学者・古典学者・『日本書紀神代巻抄』『伊勢物語惟清抄』ほか研究を残す
- 細川高国(1484年 - 1531年) - 室町幕府管領・細川政元の養子・畿内を支配するが大物崩れで殺害される
- 斎藤道三(1494年 - 1556年) - 武将・美濃の戦国大名・土岐頼芸を追放し美濃を征服する
- 毛利元就(1497年 - 1571年) - 武将・安芸の戦国大名・厳島の戦いで陶晴賢を破り中国地方を統一
- 策彦周良(1501年 - 1579年) - 臨済宗の禅僧・外交官・大内氏の船団で二度明に渡る・『策彦入明記』はこの時代の重要資料
- 快川紹喜(1502年 - 1582年) - 臨済宗の禅僧・甲斐恵林寺住持・武田信玄の帰依を受けるが織田信長の甲州征伐で焼死
- 雪村周継(1504年? - 1589年頃) - 水墨画家・戦国時代の関東画壇の中心人物になる・代表作に「呂洞賓図」がある
- フランシスコ・ザビエル(1506年 - 1552年) - スペイン出身のイエズス会宣教師・鹿児島や山口で布教
- 大内義隆(1507年 - 1551年) - 武将・周防・長門の戦国大名・家臣陶晴賢に殺害される・山口の大内文化を育む
- 山科言継(1507年 - 1579年) - 公卿・権大納言・逼迫した朝廷の財政のため各地を奔走・日記『言継卿記』はこの時代の重要資料
- 曲直瀬道三(1507年 - 1594年) - 医師・日本医学中興の祖・明からの李朱医学をもとに『啓迪集』を執筆・天皇や将軍らも診察した
- 松永久秀(1510年 - 1577年) - 武将・三好家家宰・大和の戦国大名・信貴山城の戦いで織田信長に滅ぼされる
- 足利義晴(1511年 - 1550年) - 室町幕府第12代征夷大将軍(在任1521年 - 1546年)
- 細川晴元(1514年 - 1563年) - 室町幕府管領・細川高国を滅ぼすが畿内で一向一揆や法華一揆に翻弄される
- 北条氏康(1515年 - 1571年) - 武将・相模の戦国大名・河越城の戦いで関東での覇権を確立・甲相駿三国同盟を締結
- 今川義元(1519年 - 1560年) - 武将・駿河の戦国大名・「海道一の弓取り」・桶狭間の戦いで織田信長に滅ぼされる
- 武田信玄(1521年 - 1573年) - 武将・甲斐の戦国大名・川中島の戦いで上杉謙信と激突
- 三好長慶(1522年 - 1564年) - 武将・畿内の戦国大名・細川政権(細川晴元)を倒し三好政権を樹立
- 千利休(1522年 - 1591年) - 茶人・堺の商人・豊臣秀吉に茶頭として近侍し豊臣政権を支える・後に秀吉の怒りで切腹を命じられる
- 柴田勝家(1522年 - 1583年) - 武将・織田信長の重臣・清洲会議で羽柴秀吉の優位を許し賤ヶ岳の戦いで滅ぼされる
- 里村紹巴(1525年 - 1602年) - 連歌師・古今伝授を受け古典注釈書を執筆・「愛宕百韻」に参加・秀次事件に連座
- 明智光秀(1528年 - 1582年) - 武将・織田信長の重臣・本能寺の変で織田信長を倒すが山崎の戦いで羽柴秀吉に滅ぼされる
- 上杉謙信(1530年 - 1578年) - 武将・関東管領・越後の戦国大名・川中島の戦いで武田信玄と激突
- 大友宗麟(1530年 - 1587年) - 武将・豊後の戦国大名(キリシタン大名)・伊東マンショは縁者
- ルイス・フロイス(1532年 - 1597年) - ポルトガル出身のイエズス会宣教師・織田信長や豊臣秀吉らと会見し『日本史』を記録する。
- 大村純忠(1533年 - 1587年) - 武将・肥前の戦国大名(キリシタン大名)・長崎港を開港する
- 織田信長(1534年 - 1582年) - 武将・尾張の戦国大名・室町幕府を倒し織田政権を樹立・本能寺の変で明智光秀に滅ぼされる
- 細川幽斎(1534年 - 1610年) - 武将・細川氏一族で足利義昭・織田信長・豊臣秀吉に仕える・歌人として古今伝授を行う
- 島津義弘(1535年 - 1619年) - 武将・薩摩の戦国大名・九州に覇を唱えるがやがて豊臣秀吉の九州平定に従う
- 足利義輝(1536年 - 1565年) - 室町幕府第13代征夷大将軍(在任1546年 - 1565年)・永禄の変で三好三人衆らに殺害される
- 豊臣秀吉(1536年 - 1598年) - 武将・関白(在任1585年 - 1591年)・後に太閤と呼ばれる・豊臣政権を樹立し天下統一
- 足利義栄(1538年 - 1568年) - 室町幕府第14代征夷大将軍(在任1568年)・松永久秀と三好三人衆に擁立される
- 足利義昭(1537年 - 1597年) - 室町幕府最後の第15代征夷大将軍(在任1568年 - 1573年)・織田信長に擁立されるが後に反目
- 前田利家(1538年 - 1599年) - 武将・豊臣政権の五大老の一人・後の加賀前田家の基礎を築く
- 長宗我部元親(1539年 - 1599年) - 武将・土佐の戦国大名・四国を統一するがやがて豊臣秀吉の四国平定に従う
- 長谷川等伯(1539年 - 1610年) - 長谷川派の画家・京都智積院「金碧障壁画」や「松林図屏風」で知られる
- 服部正成(1542年 - 1596年) - 武将・伊賀同心の統領(2代服部半蔵)・徳川家康に仕え伊賀越えを先導する・忍者のモデル
- 顕如(1543年 - 1592年) - 浄土真宗本願寺第11世法主・石山本願寺から一向一揆を指揮して信長包囲網に参加
- 狩野永徳(1543年 - 1590年) - 狩野派の画家・「唐獅子図屏風」や「洛中洛外図屏風」で知られる
- 徳川家康(1543年 - 1616年) - 武将・三河の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・江戸幕府初代征夷大将軍(在任1603年 - 1605年)
- 古田織部(1544年 - 1615年) - 武将・茶人で利休七哲の一人・豊臣秀吉や徳川家康の茶頭となる・大坂の陣後に切腹
- 浅井長政(1545年 - 1573年) - 武将・近江の戦国大名・信長の妹お市の方を娶るが後に信長と離反して敗死・浅井三姉妹の父
- 黒田孝高(1546年 - 1604年) - 武将・豊後の大名・軍師として豊臣秀吉に献策を行う・息子の長政は福岡藩初代藩主となる
- 内藤如安(1550年頃 - 1625年) - 武将・松永久秀の甥・足利義昭から小西行長に仕える・朝鮮の役では和議交渉で北京に赴く
- 毛利輝元(1553年 - 1625年) - 武将・周防の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・関ヶ原の戦い後に領土を削られる
- 小西行長(1555年? - 1600年) - 武将・キリシタン大名・朝鮮出兵の交渉役・関ヶ原の戦いでは西軍に属し敗北の後に斬首される
- 上杉景勝(1556年 - 1623年) - 武将・越後の戦国大名・豊臣政権の五大老の一人・会津征伐を受け領土を削られる
- 蒲生氏郷(1556年 - 1595年) - 武将・陸奥黒川の大名・近江出身で信長から秀吉に仕える・利休七哲の一人
- 大谷吉継(1558年 - 1600年) - 武将・越前敦賀の大名・関ヶ原の戦いでは病を押して西軍に参加・奮戦するが戦死
- 石田三成(1560年 - 1600年) - 武将・豊臣政権の五奉行の一人・関ヶ原の戦いでは西軍を率いるが敗北し処刑される
- 直江兼続(1560年 - 1619年) - 武将・上杉家家老・対立していた徳川家康に直江状を送り会津征伐を引き起こす
- 福島正則(1561年 - 1624年) - 武将・安芸広島の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは東軍に属す
- 加藤清正(1562年 - 1611年) - 武将・肥後熊本の大名・賤ヶ岳の七本槍の一人・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは九州の西軍と戦う
- 上田重安(1563年 - 1650年) - 武将・茶人・古田織部から茶道を学ぶ・上田宗箇流の流祖
- 細川ガラシャ(1563年 - 1600年) - 大名細川忠興の正室・キリシタンとして悲劇的な最期を遂げた話は国外でも広く知られた
- 有馬晴信(1567年 - 1612年) - 武将・肥前の戦国大名(キリシタン大名)・大村純忠の甥・岡本大八事件で処刑される
- 伊達政宗(1567年 - 1637年) - 武将・出羽・陸奥の戦国大名・「独眼竜」・豊臣秀吉から徳川家康に従う
- 豊臣秀次(1568年 - 1595年) - 武将・関白(在任1592年 - 1595年)・秀吉の甥で後継者となるも後に対立し切腹させられる
- 宗義智(1568年 - 1615年) - 武将・対馬の大名・豊臣政権下では朝鮮との交渉を担当・朝鮮出兵にも従軍する
- 伊東マンショ(1569年頃 - 1612年) - 天正遣欧少年使節の正使・後にイエズス会士でカトリック司祭となる
- 出雲阿国(1572年 - ?) - 歌舞伎の創始者といわれる女性芸能者・もとは出雲大社の巫女か
- 宇喜多秀家(1573年 - 1655年) - 武将・豊臣政権の五大老の一人・関ヶ原の戦いで敗北し八丈島に流される
- 小早川秀秋(1582年 - 1602年) - 武将・備前岡山の大名・朝鮮出兵で活躍・関ヶ原の戦いでは西軍を裏切り東軍の勝利に貢献する
架空のできごと
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事件
編集- 室町時代後期 - 東と北の間にあると言われるエミシの村に住む少年アシタカは、村を襲った祟り神を退治した際に、右腕に死の呪いを受けてしまう。その呪いは、何者かに鉛のつぶてを撃ち込まれ、憎しみから祟り神と化した巨大な猪(ナゴの守)によるものだった。アシタカはそのため村を後にし、呪いを解くためにも猪が来た西の地へと旅立つ(宮崎駿「もののけ姫」)。
- 1497年 - 1514年 - アメリゴ・ヴェスプッチの航海に同行したラファエル・ヒュトロダエウスが赤道南部のユートピア島に到達し、各地を回る(トマス・モア『ユートピア』)。
- 1524年 - フランス王フランソワ1世に娘ブランシュが弄ばれたため、道化師トリブレが王に復讐をしようとして悲劇が起こる(ヴィクトル・ユーゴー『王は愉しむ』)。
- 1540年 - ドイツ南西端の都市シュタウフェンで錬金術師ヨハン・ファウストが実験中に爆死しその身体は四散した。悪魔メフィストフェレスと契約をしていたために非業の最期を遂げたとされる(ドイツの「ファウスト伝説」。これがもとになりクリストファー・マーロウの戯曲『フォースタス博士』やゲーテの戯曲『ファウスト』が描かれる)。
- 1540年 - 宇宙人がついていた隕石が地球に衝突、衝撃で全ての宇宙人は死滅したが、一つの細胞が生き延び、その子孫が1879年、狼男となってヴィクトリア女王に襲いかかる(ドクター・フー)。
- 1547年 - 同じ10歳の少年であるヘンリー8世の王子エドワードと物乞いの少年トム・キャンティが、ひょんなことからそれぞれの地位と身分を交換し、それまで知らなかった新しい世界に目を開かれていく(マーク・トウェインの小説『王子と乞食』)。
- 1547年 - 陸上自衛隊第三特別実験中隊が人工磁場シールドの暴走事故により、2003年10月13日15時34分から演習場ごとタイムスリップしてくる(戦国自衛隊1549)。
- 1549年 - 陸上自衛隊ロメオ隊が第三特別実験中隊を追って2005年10月13日12時5分からタイムスリップしてくる。その74時間26分後、作戦成功により2005年10月16日16時31分へ帰還し、この時代から完全に姿を消す(戦国自衛隊1549)。
- 1500年代半ば - 戦国時代の丹波国の領主花房家は、家老の大館左馬之助一派の下剋上によって幼い忠文・小笹兄妹の2人を残して滅ぼされ、領民たちは砦の建設のために苦役を強いられることになってしまった。花房の兄妹は忠臣小源太の叔母で魔神の山の魔神阿羅羯磨(あらかつま)を鎮める巫女の信夫の下に身を寄せ、お家再興の機をうかがっていた。やがて魔人の山も大館一派が押し寄せることになり…(大映の映画「大魔神」)。
- 1550年代以降 - 果心居士はこの時代を代表する幻術師で、奈良の猿沢の池に散らした枯れ葉を魚に変えたり、洪水の幻影を人に見させたりしたと伝えられる。奈良多聞城主松永久秀の面前では、久秀の亡妻の幻霊を呼び寄せ、大いに畏怖させたという(愚軒『義残後覚』ほか。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康との交流の記事もある)。
- 1565年 - 松永大膳が天下を奪おうとして、将軍の母慶寿院と画師雪舟の孫で雪村の娘に当たる雪姫を金閣寺に幽閉する。大膳は雪姫に愛妾になるよう迫る。絶体絶命の最中、桜の木に縛られた雪姫は祖父譲りの画力で爪先で鼠の絵を書いていく(歌舞伎狂言『祇園祭礼信仰記(金閣寺)』)。
- 1585年 - 天正遣欧使節の一員としてピサを訪れた千々石ミゲルがトスカーナ大公妃ビアンカ・カッペッロと結ばれる。その2人から生まれた子供が「黒死舘」で名高い降矢木算哲の先祖である(小栗虫太郎の探偵小説『黒死館殺人事件』)。
- 1585年以降 - 神聖ローマ皇帝ルドルフ2世が支配するプラハにおいて、ユダヤ教ラビであるイェフダ・レーヴ・ベン・ベザレルが土をこねて人型を作りゴーレムとして蘇らせた。ゴーレムは苦境にあったユダヤ人を救うべく動き出し始める(「ゴーレム伝説」。これをもとにした1936年の映画『巨人ゴーレム』も有名)。
- 1590年以前 - 父の仇討のため諸国を武者修行で回る岩見重太郎が、淀川河口にほど近い野里の集落を訪れると、悪疫と風水害に苦しむこの地の民が神に人身御供を奉げることを耳にする。重太郎が生贄に成り代わり身を潜めて待っていると、そこに現れたのは巨大な狒々であった。武勇に優れた重太郎ではあったが、苦難の上、狒々を討ち果たした。この石見重太郎の後身こそ大坂夏の陣で獅子奮迅の働きをした薄田兼相である(大阪市西淀川区の野里住吉神社の伝承。『摂津名所図会』ほかに記載がある)。
- 1590年 - オーストリアのエーセルドルフ(ドイツ語でロバの村)に自らを「サタン」と名乗る少年が現れる。サタンは不思議な力を村の少年テオドールたちに次々と見せる。その後、村では次々と事件が起こるが、サタンはその様子を見るたびに人間を嘲る(マーク・トウェインの小説『不思議な少年』ペイン編集版)。
- 1591年 - イスラム暦1000年に当たるこの年、ムラト3世支配下のオスマン帝国首都イスタンブールにおいて宮廷細密画家が何者かにより暗殺される(オルハン・パムク『わたしの名は紅』)。
- 1594年以前 - 南禅寺山門で悠然と構える天下の大盗賊石川五右衛門、その彼のもとに明国の宋素卿からの手紙が届く、この手紙で自分が宋素卿の遺児であること、天下人真柴久吉(羽柴秀吉)が自分の敵であることを知り、真柴久吉への怒りを募らせる(並木五瓶『楼門五三桐』)。
- 1599年 - シェイクスピアとドクターが出会う(ドクター・フー)。
- 1600年 - 関ヶ原の戦いで小早川秀秋が裏切るも、武田信玄の騎馬隊によって西軍が優勢となり、徳川家康などの有力な武将が次々と殺され、東軍が敗北する(ズッコケ三人組)。
誕生
編集脚注
編集出典
編集- ^ “The Lusiads”. World Digital Library (1800-1882). 2013年9月1日閲覧。
- ^ “Mirror of the Cruel and Horrible Spanish Tyranny Perpetrated in the Netherlands, by the Tyrant, the Duke of Alba, and Other Commanders of King Philip II”. World Digital Library (1620年). 2013年8月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、16世紀に関するカテゴリがあります。