褰帳(けんちょう)は、即位朝賀など大礼の時に高御座御帳を褰げ開くこと、またはその役の女官のことで褰帳命婦の略である。帳上げ(とばりあげ)ともいう。

概要

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「内裏式」には、「褰帳命婦二人、内親王以下三位已上為之、若無者王氏四位五位亦得」とある。のち神祇伯の王氏の女性に定まり、褰帳の女王といった。

当日、諸員着席ののち、褰帳1人ずつ左右に分かれ、北面東西の戸からはいって着座、天皇の高御座着座ののち、執翳女嬬が左右おのおの9人が御前に進んで翳を奉じると、褰帳命婦が東西の階を昇り、高御座の帳を褰げる。その褰げ方は高御座の南方の一間のみを褰げ、女官が内から助けて針で端を留め、八の字形に開いた。式の終った時もまた執翳女嬬が翳を奉じたのち、進んで帳を垂れ、そののち、天皇は後房に帰りはいった。

即位時の褰帳表

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始めは女王2名をあてていたが、後に女王1名、典侍1名となり、院政期に至り、伯家の女王(左)と乳母である典侍(右)が務める慣例が定着した[1]

天皇
 清和天皇  坂子女王  重子女王
 陽成天皇  簡子女王(時康親王の娘)  康子女王(本康親王の娘)
 光孝天皇  媞子女王  (不明)
 宇多天皇  (不明)  (不明)
 醍醐天皇  姣子女王(陽成天皇の配偶者)  (不明)
 朱雀天皇  研子女王(克明親王の娘)   明子女王(元良親王の娘) 
 村上天皇  麗子女王(重明親王の娘)  馨子女王(有明親王の娘)
 冷泉天皇  平子女王(元利親王の娘)  典侍大江皎子(大江維時の娘)
 円融天皇  亭子(亮子)女王  典侍藤原貴子(藤原守義の娘)
 花山天皇  慶子女王(章明親王の娘)  明子女王(盛明親王の娘)
 一条天皇  典侍藤原貴子(藤原守義の娘)  良子女王(佐頼王の娘)
 三条天皇  典侍橘清子(乳母)  典侍藤原芳子(神祇伯秀頼王の娘)
 後一条天皇  一品宮々君(章明親王の娘)  神祇伯季頼王の娘
 後朱雀天皇  長子女王  典侍藤原高子(藤原近信の娘)
 後冷泉天皇  永子女王(清仁親王の娘)  典侍藤原頼子(藤原頼親の娘)
 後三条天皇  信子女王(小一条院女王)  典侍藤原行子(藤原実経の娘)
 白河天皇  小一条院女王  典侍藤原経子(藤原経平の娘)
 堀河天皇  居子女王(敦賢親王の娘)  從五位藤原兼子(乳母・藤原顕綱の娘)
 鳥羽天皇  典侍源仁子(神祇伯康資王の娘)  典侍藤原長子藤原顕綱の娘)
 崇徳天皇  仁子女王(輔仁親王の娘)  典侍藤原宗子(乳母・藤原隆宗の娘)
 近衛天皇  敞子(徽子)女王(白河院の娘)  典侍藤原家子(乳母・藤原家政の娘)
 後白河天皇  顕子女王(正親正顕広王の娘)  典侍源重子(源公里の娘)
 二条天皇  源有子(源有仁の娘)  典侍源重子(乳母・藤原光保の娘)
 六条天皇  信子女王(神祇伯顕広王の娘)  典侍藤原邦子(乳母・藤原邦綱の娘)
 高倉天皇  延子女王(正親正顕行王の娘)  典侍藤原綱子(乳母・藤原邦綱の娘)
 安徳天皇  仲子女王(神祇伯顕広王の娘)  典侍藤原輔子(乳母・藤原邦綱の娘)
 後鳥羽天皇  広子女王(神祇伯仲資王の娘)  典侍高階愷子(乳母・高階清章の娘)
 土御門天皇  清子女王(神祇伯仲資王の娘)  典侍藤原家子(藤原家通の娘)
 順徳天皇  業子女王(神祇伯仲資王の娘)  典侍別当局(乳母・藤原定経女経子?)
 後堀河天皇  康子(寧子)女王(神祇伯仲資王の娘)  典侍藤原宗子(乳母・藤原基宗の娘)
 四条天皇  宗子女王(神祇伯資宗王の娘)  藤原衡子
 後嵯峨天皇  経子女王(神祇伯資基王の娘)  典侍藤原能子(乳母・四条隆親室)
 後深草天皇  吉子女王(神祇伯資宗王の娘)  典侍藤原近子(四条隆親の娘)
 亀山天皇  登子女王(神祇伯資基王の娘)  典侍藤原近子
 後宇多天皇  幸子女王(神祇伯資基王の娘)  典侍平業子
 伏見天皇  典侍登子女王(神祇伯資基王の娘)  典侍藤原隆子
 後伏見天皇  仲子女王(神祇伯資緒王の娘)  典侍(権中納言俊宣の娘)
 後二条天皇  載子女王(神祇伯業顕王の娘)  典侍藤原経子
 花園天皇  通子女王(神祇伯資通王の娘)  典侍藤原為子(京極為教の娘)
 後醍醐天皇  瑃子女王(神祇伯業顕王の娘)  典侍藤原氏(甘露寺定房の娘)
 光厳天皇  資子女王(神祇伯業顕王の娘)  典侍藤原名子日野資名の娘)
 光明天皇  資子女王(神祇伯業顕王の娘)  典侍藤原氏
 崇光天皇  継子女王(神祇伯資継王の娘)  典侍藤原慶子
 後光厳天皇  治子女王(神祇伯業清王の娘)  典侍藤原宣子
 後円融天皇  某女王(神祇伯顕邦王の娘)  典侍(藤原氏)

脚注

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  1. ^ 栗山圭子「典侍試論—即位褰帳を中心に—」(女性官僚の歴史・35頁)

参考文献

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