藤原守義
藤原 守義(ふじわら の もりよし)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。藤原北家魚名流、中納言・藤原山蔭の孫で、但馬守・藤原公利の三男。官位は従四位上・参議。
時代 | 平安時代前期-中期 |
---|---|
生誕 | 寛平8年(896年) |
死没 | 天延2年2月4日(974年2月28日) |
官位 | 従四位上、参議 |
主君 | 醍醐天皇→朱雀天皇→村上天皇→冷泉天皇→円融天皇 |
氏族 | 藤原北家魚名流 |
父母 | 父:藤原公利、母:安倍氏主の娘 |
妻 | 平好風の娘 |
子 | 永頼、為昭、庶正、貴子、藤原為輔室 |
経歴
編集醍醐朝の延長2年(924年)文章生に補せられる。越前権大掾・六位蔵人・式部丞を経て、承平6年(936年)従五位下・和泉守に叙任される。
朱雀・村上・冷泉・円融の四朝35年以上の長きに亘って、和泉守のほか、天慶4年(941年)伊予守、天暦2年(948年)越前守、天暦10年(956年)丹波守、応和4年(964年)伊予守、安和3年(970年)播磨守と六ヶ国の受領を歴任。この間に治国の功労として、天慶4年(941年)従五位上、天暦2年(948年)正五位下、天暦5年(951年)従四位下、応和3年(963年)従四位上と昇進を重ねる。
天禄3年(972年)参議に任ぜられる。父・公利は地方官を歴任して従四位下に終わっていたことから、守義の公卿昇進の目は薄かったが、赫々たる地方官と認識されて治国の功労により昇叙を重ね、六国の国守を務め上げて、77歳にして遂に公卿に列した。
官歴
編集『公卿補任』による。
- 延長2年(924年) 12月:文章生(字会山、明望山雪)
- 延長6年(928年) 正月19日:越前権大掾
- 延長8年(930年) 正月:六位蔵人
- 延長9年(931年) 3月13日:民部少丞(先朝蔵人)
- 承平3年(933年) 正月13日:民部大丞
- 承平6年(936年) 正月7日:従五位下。29日:和泉守
- 天慶4年(941年) 正月7日:従五位上(治国)。3月29日:阿波守。12月1日:伊予守
- 天暦2年(948年) 正月7日:正五位下(治国)。正月11日:越前守
- 天暦5年(951年) 正月8日:従四位下(越前任中率分其勤、先年止加階、今年又叙之)
- 天暦10年(956年) 正月27日:丹波守
- 応和3年(963年) 正月7日:従四位上(丹波功。治国)
- 応和4年(964年) 正月27日:伊予守
- 安和3年(970年) 正月15日:播磨守
- 天禄3年(972年)11月27日:参議
- 天禄4年(973年) 3月20日:宮内卿
- 天延2年(974年) 正月29日:出家。2月4日:卒去
系譜
編集『尊卑分脈』による。