盛明親王
平安時代中期の皇族。醍醐天皇の十八男。四品・上野太守。子に斯忠王
盛明親王(もりあきらしんのう)は、平安時代前期から中期の皇族。醍醐天皇の第十五皇子[1]。臣籍降下時は源 盛明を名乗る。官位は四品・上野太守。
盛明親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延長6年(928年) |
薨去 | 寛和2年5月8日(986年6月17日) |
改名 | 源盛明 → 盛明親王 |
官位 |
四品、上野太守 (臣籍時)正四位下、大蔵卿 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源周子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
妻 | 菅原在躬女 |
子 |
源則忠、斯忠王 養女:源明子 |
経歴
編集朱雀朝の天慶5年(942年)元服し、ほどなく従四位上に直叙されたと想定される。村上朝では大蔵卿を務め、位階は正四位下に至った。
康保4年(967年)冷泉天皇の践祚後まもなく、親王宣下されて四品・上総太守に叙任される。円融朝初頭の安和2年(969年)安和の変が発生し、同母兄の左大臣・源高明が失脚するが、盛明親王は連座を逃れたと見られる。またこのころ、上野太守に任ぜられると、10年ほどに亘ってこれを務めた。