第1方面軍 (日本軍)

第一方面軍から転送)

第1方面軍(だいいちほうめんぐん)は、1942年(昭和17年)に設置された方面軍関東軍の指揮下主に満州方面を作戦地域としていたが、1945年(昭和20年)5月30日に大陸命第1338号により関東軍戦闘序列が発令され関東軍隷下となり、終戦時は敦化にあった。正しくは「第一方面軍」。

第1方面軍
創設 1942年昭和17年)7月1日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 方面軍
所在地 満州
通称号/略称
最終上級単位 関東軍
担当地域 満州
最終位置 満州 敦化
戦歴 第二次世界大戦-ソ連対日参戦
(ハルビン・吉林攻撃作戦ロシア語版)
(牡丹江の戦い)
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第1方面軍の人事

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歴代司令官

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歴代参謀長

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  • 綾部橘樹少将 1942年(昭和17年)7月4日 - 1942年(昭和17年)12月7日
  • 四手井綱正少将 1942年(昭和17年)12月7日 - 1944年(昭和19年)10月16日
  • 寺垣忠雄少将 1944年(昭和19年)10月26日 - 1945年(昭和20年)4月1日
  • 桜井鐐三少将 1945年(昭和20年)4月1日 - 終戦

参謀副長

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  • 坂間訓一少将 1945年(昭和20年)8月9日 - 終戦

歴代高級参謀

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  • 西村敏雄 大佐:1942年(昭和17年)7月1日 - 1943年(昭和18年)10月24日
  • 島貫武治 大佐:1943年(昭和18年)10月24日 - 1944年(昭和19年)3月23日
  • 池谷半二郎 大佐:1944年(昭和19年)3月23日 - 1944年(昭和19年)12月20日
  • 松本博 大佐:1944年(昭和19年)12月20日 - 終戦

最終司令部構成

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  • 司令官:喜多誠一大将
  • 参謀長:桜井鐐三少将    
  • 参謀副長:坂間訓一少将    
  • 高級参謀:松本博大佐   
  • 高級副官:中山亮輔大佐    
  • 兵器部長:小野行守少将   
  • 経理部長:正木五郎主計少将
  • 軍医部長:川島清軍医少将
  • 獣医部長:近江小太郎獣医少将
  • 法務部長:高田正信法務大佐

所属部隊

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1943年(昭和18年)当時

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終戦時

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  • 第122師団赤鹿理中将[23]
  • 第134師団井関仭中将[23]
  • 第139師団富永恭次中将[16]
  • 陸軍病院
    • 関東第8(牡丹江):藤本砂喜軍医大佐  
    • 関東第24(東安):笹川竹蔵軍医大佐  
    • 関東第25(林口):中尾六次軍医大佐  
    • 関東第60(敦化):増沢武男軍医中佐  
    • 関東第69(斐徳):久奥博雄軍医中佐  
    • 関東第70(密山)    
    • 関東第72(宝東):長野一郎軍医中佐  
    • 関東第75(勃利):谷村一治軍医中佐  
    • 関東第76(綏芬河):上島成人軍医中佐  
    • 関東第77(二道崗):原健一軍医少佐
兵站部隊
  • 独立工兵第12連隊
  • 独立自動車第114大隊      
  • 電信第17連隊:松原作治大佐(最終位置:敦化)
補給廠
  • 第2野戦補充馬廠:高瀬真少佐    
  • 第16野戦兵器廠      
  • 第25野戦自動車廠      
  • 第25野戦貨物廠:河田和夫主計中佐
特務部隊
  • 関東軍第2特別警備隊:今井亀次郎大佐(最終位置:牡丹江)
  • 関東軍第6陸軍拘禁所
  • 第1方面軍臨時軍法会議

脚注

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参考文献 

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  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 

関連項目

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外部リンク

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