椎橋侃二
椎橋 侃二(しいばし かんじ、1892年(明治25年)2月8日[1] - 1969年(昭和44年)12月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
椎橋 侃二 | |
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生誕 |
1892年2月8日 日本 神奈川県 |
死没 | 1969年12月18日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に神奈川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1937年(昭和12年)10月に輜重兵第26連隊長(北支那方面軍・駐蒙軍・第26師団)に就任し[1][2]、日中戦争に出動した[1]。1938年(昭和13年)7月に陸軍輜重兵大佐に進級し[2]、1940年(昭和15年)5月29日に近衛師団司令部附となり[2]、6月8日に近衛輜重兵連隊補充隊長に就任した[2]。
1942年(昭和17年)8月1日に陸軍少将進級と同時に第7野戦輸送司令官(関東軍・第5軍)に就任した[1][2]。その後第57軍(第2総軍・第16方面軍)隷下に編入され[1]、内地に移駐し[1]、宮崎県庄内で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。