佐野虎太
佐野 虎太(さの とらた、1889年(明治22年)8月8日[1] - 1961年(昭和36年)2月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
佐野 虎太 | |
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生誕 |
1889年8月8日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1961年2月6日(71歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期卒業[1]。1937年(昭和12年)7月20日に歩兵第80連隊補充隊長に就任し[2]、11月1日に陸軍歩兵大佐に進級[2]。1938年(昭和13年)5月に歩兵第23連隊長(第11軍・第6師団・歩兵第36旅団)に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。武漢作戦では漢口に一番乗りの戦果を挙げ[1]、岳州を根拠地として贛湘作戦などにも参加した[1]。1940年(昭和15年)8月1日に熊本陸軍教導学校長に転じた[2]。
同年12月2日に陸軍少将に進級し[2]、1942年(昭和17年)に第1国境守備隊長に着任[1]。1944年(昭和19年)3月1日に陸軍中将に進級し[2]、3月10日に第42師団長(第5方面軍・第27軍)に親補され[1]、中千島の警備に任じた[1]。その後北海道北部での警備に転じ、訓練中に終戦となった[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。