小野行守
日本の陸軍軍人 (1893-1947)
小野 行守(おの ゆきもり、1893年7月21日 - 1947年8月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
小野 行守 | |
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生誕 |
1893年7月21日 高知県 幡多郡中村 |
死没 |
1947年8月3日(54歳没) シベリア |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915 - 1945 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 |
豊予要塞司令官 工兵第10連隊長 |
戦闘 | 第二次世界大戦 |
履歴
編集高知県幡多郡中村(現:四万十市)で生まれる。県立第三中学卒業を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官。1916年(大正5年)、陸軍砲工学校卒業、翌年、同高等科卒業。その後、陸軍派遣学生として京都帝国大学工科大学機械工学科で学び、1922年(大正11年)3月に卒業する。
1923年(大正12年)、陸軍工兵学校の教官になる。1929年(昭和4年)、英国駐在武官、1932年(昭和7年)、陸軍技術本部付などを歴任。1936年(昭和11年)8月、砲工学校教官に就任し、1938年(昭和13年)3月、工兵大佐に昇進。1939年(昭和14年)1月、工兵第10連隊長となり、同年3月、豊予要塞司令官に転じた。1939年(昭和14年)11月、関東軍技術部長となり、太平洋戦争の終戦近くまで在任した。1941年(昭和16年)8月、陸軍少将に進級。
1945年(昭和20年)6月、第1方面軍兵器部長に就任し、敦化で終戦を迎えた。終戦とともにシベリア抑留となり、1947年(昭和22年)8月、シベリアで病死した。
栄典
編集参考文献
編集- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。