1950年の松竹ロビンス
1950年の松竹ロビンスでは、1950年シーズンの松竹ロビンスの動向をまとめる。
1950年の松竹ロビンス | |
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成績 | |
日本シリーズ敗退 2勝4敗(対毎日)[1] セントラル・リーグ優勝 98勝35敗4分 勝率.737[2] | |
本拠地 | |
都市 | 京都府京都市 |
衣笠球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 田村駒治郎 |
経営母体 | 田村駒(スポンサー:松竹) |
監督 | 小西得郎 |
« 1949 1951 » |
この年の松竹ロビンスは、2リーグ制1年目のシーズンであり、職業野球創設1年目の1936年から1938年まで監督を務めた小西得郎が、2度目の監督を1年だけ務めたシーズンである。
概要
編集本塁打・打点の2冠に輝いた小鶴誠を筆頭に、岩本義行や金山次郎ら水爆打線と呼ばれた強力打線を武器に98勝を挙げて優勝した。これは現在に至るまでのセントラル・リーグ記録である。しかし、日本シリーズは毎日に2勝4敗で敗れ、最初で最後の日本シリーズ出場となった(1952年終了後に大洋と合併したため)。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 左 | 木村勉 |
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2 | 遊 | 三村勲 |
3 | 中 | 小鶴誠 |
4 | 右 | 岩本義行 |
5 | 一 | 大岡虎雄 |
6 | 二 | 金山次郎 |
7 | 三 | 平野謙二 |
8 | 捕 | 荒川昇治 |
9 | 投 | 小林恒夫 |
順位 | 3月終了時 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 10月終了時 | 最終成績 | |||||||||
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1位 | 中日 | -- | 中日 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- | 松竹 | -- |
2位 | 松竹 | 1.0 | 松竹 | 0.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 5.0 | 中日 | 5.0 | 中日 | 7.5 | 中日 | 9.0 | 中日 | 8.5 | 中日 | 9.0 |
3位 | 巨人 | 2.0 | 巨人 | 2.5 | 巨人 | 8.0 | 巨人 | 6.5 | 巨人 | 11.5 | 巨人 | 10.5 | 巨人 | 10.5 | 巨人 | 14.0 | 巨人 | 17.5 |
4位 | 大洋 | 3.0 | 大阪 | 10.0 | 大阪 | 10.0 | 大阪 | 8.5 | 大阪 | 14.5 | 大洋 | 20.0 | 大阪 | 22.5 | 大阪 | 25.5 | 大阪 | 30.0 |
5位 | 大阪 | 5.5 | 大洋 | 10.0 | 大洋 | 12.0 | 大洋 | 11.5 | 大洋 | 15.0 | 大阪 | 22.5 | 大洋 | 24.0 | 大洋 | 27.0 | 大洋 | 31.0 |
6位 | 西日本 | 7.0 | 西日本 | 11.5 | 西日本 | 18.0 | 西日本 | 19.0 | 西日本 | 22.0 | 西日本 | 28.5 | 西日本 | 34.5 | 西日本 | 43.5 | 西日本 | 48.5 |
7位 | 広島 | 7.5 | 広島 | 18.0 | 広島 | 20.0 | 広島 | 20.0 | 広島 | 25.5 | 広島 | 36.5 | 広島 | 43.0 | 広島 | 49.5 | 国鉄 | 57.5 |
8位 | 国鉄 | 10.0 | 国鉄 | 20.0 | 国鉄 | 27.0 | 国鉄 | 29.5 | 国鉄 | 34.5 | 国鉄 | 42.5 | 国鉄 | 48.5 | 国鉄 | 54.0 | 広島 | 59.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 松竹ロビンス | 98 | 35 | 4 | .737 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 89 | 44 | 4 | .669 | 9.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 82 | 54 | 4 | .603 | 17.5 |
4位 | 大阪タイガース | 70 | 67 | 3 | .511 | 30.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 69 | 68 | 3 | .504 | 31.0 |
6位 | 西日本パイレーツ | 50 | 83 | 3 | .376 | 48.0 |
7位 | 国鉄スワローズ | 42 | 94 | 2 | .309 | 57.5 |
8位 | 広島カープ | 41 | 96 | 1 | .299 | 59.0 |
日本シリーズ
編集→詳細は「1950年の日本シリーズ」を参照
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 | 開始時刻 | 入場者数 |
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11月22日(水) | 第1戦 | 毎日オリオンズ | 3 - 2 | 松竹ロビンス | 明治神宮野球場 | 13時16分 | 23,018人 |
11月23日(木) | 第2戦 | 松竹ロビンス | 1 - 5 | 毎日オリオンズ | 後楽園球場 | 13時1分 | 35,541人 |
11月24日(金) | 移動日 | ||||||
11月25日(土) | 第3戦 | 毎日オリオンズ | 6 - 7x | 松竹ロビンス | 甲子園球場 | 13時30分 | 19,399人 |
11月26日(日) | 第4戦 | 松竹ロビンス | 5 - 3 | 毎日オリオンズ | 阪急西宮球場 | 13時31分 | 35,518人 |
11月27日(月) | 第5戦 | 毎日オリオンズ | 3 - 2 | 松竹ロビンス | 中日球場 | 12時59分 | 12,630人 |
11月28日(火) | 第6戦 | 松竹ロビンス | 7 - 8x | 毎日オリオンズ | 大阪球場 | 13時29分 | 22,035人 |
優勝:毎日オリオンズ(初優勝) |
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
小鶴誠 | 最優秀選手 | 初受賞 | |
本塁打王 | 51本 | 初受賞 | |
打点王 | 161打点 | 初受賞 | |
大島信雄 | 新人王 | ||
最優秀防御率 | 2.03 | 初受賞 | |
最高勝率 | .833 | 初受賞 | |
金山次郎 | 盗塁王 | 74個 | 初受賞 |
真田重男 | 最多勝利 | 39勝 | 初受賞 |
沢村賞 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
真田重男 | 投手 | 2年ぶり2度目 |
荒川昇治 | 捕手 | 初受賞 |
小鶴誠 | 外野手 | 2年連続2度目 |
岩本義行 | 初受賞 |
関連項目
編集出典
編集- ^ a b “1950年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2016年5月30日閲覧。
- ^ “年度別成績 1950年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年5月30日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1950年3月11日付朝刊、8版、3面
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。