航空機ハイジャック事件の一覧
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航空機ハイジャック事件の一覧(こうくうきハイジャックじけんのいちらん)では、民間航空機に対して行われたハイジャックやハイジャックを原因とする破壊行為や墜落事件について記述する。
なお、日本航空のハイジャック事件は「日本航空ハイジャック事件」、全日本空輸のハイジャック事件は「全日本空輸ハイジャック事件」も参照のこと。
凡例
編集- 発生日
- 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
- 製造元と機種
- 犠牲者数
- 事件の状況
- 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク
1959年以前
編集- 1931年2月21日
- 1948年7月17日[4]
- 便名: キャセイパシフィック航空 ミス・マカオ号(機体記号:VR-HDT)[4]
- 機種: コンソリデーテッド PBY-5A カタリナ[4]
- 死者: 乗員乗客26人中25人が死亡[4]
- 状況: マカオから香港に向かう旅客機が4人組にハイジャックされた。犯行グループが操縦士を射殺したため旅客機は墜落し、犯人のうちの1人を除き搭乗者全員が死亡した。ハイジャックにより旅客機が墜落した最初の事件となり、アジアで発生した最初の航空機ハイジャック事件ともなった[5][6]。
- 詳細: 「キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件」を参照。
- 1950年3月23日
- 便名: チェコスロバキア国営航空
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: なし
- 状況: ハイジャックされ西ドイツに着陸。犯行グループ4人による亡命であったが、乗客2人も便乗して亡命した。同年には同じ航空会社の他の2機も亡命目的でハイジャックされている。
- 1958年2月16日
1960年代
編集1970年代
編集- 1970年3月17日
- 1970年3月31日 - 4月5日
- 1970年8月19日
- 1970年9月6日 - 9月12日
- 便名: 1) エル・アル航空 219便[18]、2) トランス・ワールド航空 741便[19]、3) スイス航空 100便[20]、4) パンアメリカン航空 93便[21]、5) 英国海外航空 (BOAC) 775便[22]
- 機種: 1) ボーイング 707-458[18]、2) ボーイング 707-331B[19]、3) ダグラス DC-8-53[20]、4) ボーイング 747-121[21]、5) ヴィッカース VC10-1151[22]
- 死者: 犯人1人
- 状況: 計4機の旅客機がPFLPのテロリストによって同時にハイジャックされ、収監されている同志の釈放を要求した。同乗していた私服警備員が銃撃戦の末犯人を射殺・拘束したエル・アル機と、機体の問題で着陸できなかったパンナム機以外の2機が、ヨルダンの砂漠にある空軍基地跡に強制着陸させられ、その後BOAC機もハイジャックされ、同地に着陸させられた。交渉の末すべての乗客が解放された後、示威行為のため3機の旅客機は爆破された。エル・アル機で拘束されたライラ・カリドは、1969年に発生したトランス・ワールド航空840便ハイジャック事件の実行犯でもあった。
- 詳細: 「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」を参照。
- 1970年10月15日
- 1971年1月23日
- 1971年6月11日
- 便名: トランス・ワールド航空 358便
- 機種: ボーイング727
- 死者: 1人
- 状況: アルバカーキ発ニューヨーク行きのTWA機が経由地のシカゴ・オヘア国際空港で駐機中に当時23歳の男に乗っ取られた。犯人は客室乗務員1人を人質に取り、乗客全員を解放したが、忘れたコートを取りに戻った65歳の男性乗客を射殺。シカゴを離陸後、犯人は北ベトナム行きと身代金75000ドルを要求。オヘア空港で駐機中にコックピットの窓から進入していた保安官助手が離陸後に犯人を狙撃し逮捕。同機はニューヨークに着陸した。犯人は精神病院に収容されたが、1978年に首つり自殺した。米国で乗客に初の死者が出たハイジャック事件[23]。
- 1971年7月23日
- 1971年11月24日
- 便名: ノースウエスト・オリエント航空 305便[26]
- 機種: ボーイング 727-51[26]
- 死者: なし
- 状況: ハイジャックでは珍しく身代金を要求。犯人は飛行中の旅客機の後部階段からパラシュートで脱出し以後消息不明、未解決事件となった。
- 詳細: 「D.B.クーパー事件」を参照。
- 1972年4月7日
- 便名: ユナイテッド航空 855便
- 機種: ボーイング ボーイング727
- 死者: なし
- 状況: 4か月前のD.B.クーパー事件と同様の手口で身代金を略取し、飛行中の旅客機からパラシュートで脱出したが、2日後に逮捕された。
- 詳細: 「リチャード・マッコイ」を参照。
- 1972年1月26日 - 1月27日
- 便名: モホーク航空 452便
- 機種: FH-27
- 死者: 犯人1人
- 状況: ニューヨーク州アルバニー発ニューヨーク行きの双発ターボプロップ航空機が当時45歳の男に乗っ取られた。爆弾を持っていると自称した男はニューヨーク州ホワイト・プレインズのウエストチャーチ空港に着陸後、乗客42人全員を解放。前年起きた身代金目的のハイジャック事件を模倣し、20万ドルと脱出用のパラシュート2個を要求した。犯人は人質の客室乗務員を連れて脱出するつもりだったのである。航空会社の副社長が人質の身代わりを申し出たが拒否された。身代金が用意され、離陸後同機はホワイト・プレインズ上空を旋回した。旅客機には機外脱出用のハッチが設けられていないため、脱出はサイドドアから行わなければならず困難を伴う。人質の女性が脱出を頑なに拒んだため、犯人はポーキープシ空港に同機を着陸させ、逃走用の自動車を要求。犯人が人質を連れて車に乗り込んだ直後、連邦捜査官が犯人を射殺した。人質の女性客室乗務員は無事だった[27]。
- 1972年5月8日 - 5月9日
- 1972年7月2日
- 便名: パンアメリカン航空 841便
- 機種: ボーイング 747
- 死者: 犯人1人
- 状況: サンフランシスコ発南ベトナム・サイゴン行きのパンナム機が経由地のフィリピン・マニラから153人を乗せて離陸してから45分後、ナイフを持ったベトナム人の男に乗っ取られた。犯人は機長に「爆弾を持っている」というメモを渡し、北ベトナムのハノイに向かうよう要求。メモは犯人の血液で書かれていた。機長は犯人の要求を無視してサイゴンのタン・ソン・ヌット空港に同機を着陸させた。機内で交渉中に犯人を取り押さえた機長は乗客の1人に犯人を撃つよう命じ、犯人の遺体は機外に放り出された。緊急脱出時に多くの乗客が負傷した。犯人を射殺した乗客は民間の警備員で、同機に搭乗する前に拳銃を乗員に預けていたが、ハイジャックされた後に乗員からひそかに拳銃を受け取っていた[29]。
- 1972年11月6日
- 1972年12月8日
- 1973年5月18日
- 1973年7月20日
- 1974年5月10日 - 5月11日
- 1974年7月24日
- 1974年9月15日
- 1976年2月29日
- 便名: ACESコロンビア航空 便名不明
- 機種: ST-27
- 死者: 犯人1人
- 状況: コロンビア国内線の双発ターボプロップ旅客機を乗っ取った犯人がメデジン着陸後、警察に射殺された。犯人は身代金30万ドルを要求していたが、乗客15人は解放していた[36]。
- 1976年5月21日 - 5月23日
- 便名: フィリピン航空 116便
- 機種: BAC1-11-517FK
- 死者: 乗客10人と犯人3人
- 状況: 乗客乗員103人を乗せたマニラ行きのフィリピン航空の双発ジェット機がダバオを離陸後6人のハイジャック犯に乗っ取られた。犯人は身代金37万5000ドル、自動小銃、ライフルを要求。リビア行きのため長距離飛行可能なDC-8型機を用意することを要求した。交渉の結果、女性14人と子供が解放された。その後、乗客2人と客室乗務員1人を解放。しかし、犯人の親族が投降を促すため機内に食糧を差し入れて離れる際、乗客が一緒に脱出しようとして銃撃戦になり、23日午後0時半ごろフィリピン軍が突入。無差別銃撃で犯人3人を含む13人が死亡、22人が負傷した。機体は炎上し、生き残った犯人3人のうち1人は重体。3人は逮捕され死刑判決を受けた[36]。
- 1976年6月27日 - 7月3日
- 便名: エールフランス 139便[37]
- 機種: エアバス A300B4-203[37]
- 死者: 乗客3人と犯人6人
- 状況: テルアビブからパリに向かったエールフランス機がPFLPと革命細胞の混成グループにハイジャックされ、リビアのベンガジを経由してウガンダのエンテベ国際空港に着陸。ここでユダヤ人以外の人質が釈放された。同国の独裁者であるイディ・アミン大統領はPFLPを支持し、人質103名を空港の旧ターミナル内に押し込めた。7月3日深夜、イスラエルの特殊部隊は人質を救出すべく救出作戦を決行。人質3名と強襲部隊指揮官のネタニヤフ中佐(後のイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの兄)が死亡したものの、そのほとんどを助け出した。この電撃作戦は3社で映画化され[注 1] 世界中で物議を醸した。
- 詳細: 「エンテベ空港奇襲作戦」を参照。
- 1976年8月23日
- 1977年3月17日
- 1977年3月17日
- 1977年9月28日 - 10月3日
- 便名: 日本航空 472便[41]
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-62[41]
- 死者: なし
- 状況: 南回り欧州航路として運航されていたパリ発羽田行きの便が、経由地サンタクルズ国際空港を離陸直後に武装した日本赤軍のメンバー5人にハイジャックされた。当該機はバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸し、ハイジャック犯は身代金と拘留・服役中の9人の釈放を求め、日本政府は超法規的措置として6人を釈放した。最終的にアルジェリアのダル・エル・ペイダ空港で残った人質と乗員が解放された。
- 詳細: 「ダッカ日航機ハイジャック事件」を参照。
- 1977年10月13日 - 10月17日
- 便名: ルフトハンザドイツ航空 181便[42]
- 機種: ボーイング 737-230C[42]
- 死者: 乗員1人と犯人3人
- 状況: スペイン領マリョルカ島パルマ・デ・マリョルカ発フランクフルト・アム・マイン行きのルフトハンザ航空機が、ドイツ赤軍 (RAF) とパレスチナ解放人民戦線 (PFLP) の混成グループにハイジャックされ、中東の空港を転々とした後、ソマリアのモガディシオに着陸させられた。10月17日、ミュンヘンオリンピック事件をきっかけに設立された西ドイツの対テロ特殊部隊である第9国境警備群が急襲し人質全員を解放した。
- 詳細: 「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」を参照。
- 1977年12月4日
1980年代
編集- 1980年10月13日
- 1981年3月2日 - 3月14日
- 1981年3月28日 - 3月31日
- 便名: ガルーダ・インドネシア航空 206便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-9-32[44]
- 死者: 犯人5人、特殊部隊1人、パイロット1人[44]
- 状況: パレンバンからメダンに向かっていたガルーダ・インドネシア航空の国内線が、イスラム過激派5人組にハイジャックされ、タイのバンコクで膠着状態となった。事件発生から約65時間後の3月31日未明、インドネシア軍の特殊部隊が突入し解決した。
- 詳細: 「ガルーダ航空206便ハイジャック事件」を参照。
- 1982年7月25日[45]
- 1983年5月5日
- 便名: 中国民航(機体記号:B-296)[46]
- 機種: ホーカー・シドレー HS-121 トライデント 2E[46]
- 死者: なし
- 状況: 瀋陽発上海行きの中国民航の国内線が6名の武装グループにハイジャックされ、領空侵犯した韓国で在韓米軍機の誘導により春川の在韓米軍基地に緊急着陸した。その後犯人はアメリカへの亡命を求め投降、逮捕された。当時外交関係がなかった中、韓両国が事後処理で朝鮮戦争後初の直接交渉を行い、最終的にソウル地方裁判所で懲役2年から6年の実刑判決となったが、犯人らは当時国交のあった台湾へ亡命した。なお犯行グループは台湾で「反共義士」として報奨金を受け取ったが、首謀者は後に誘拐殺人事件を引き起こし、2001年に死刑になった。
- 詳細: 「中国民航機韓国着陸事件」を参照。
- 1983年11月18日
- 1984年12月4日 - 12月9日
- 便名: クウェート航空 221便
- 機種: エアバス A300C4-620[48]
- 死者: 乗客2人
- 状況: パキスタンのカラチに向かっていたクウェート航空機が4人組に乗っ取られ、イランの首都テヘランにあるメヘラーバード国際空港に緊急着陸した。事態はそのまま膠着し、発生から5日後の12月9日深夜、イランの革命防衛隊の突入により事件は解決した。
- 詳細: 「クウェート航空221便ハイジャック事件」を参照。
- 1985年6月14日 - 6月30日
- 便名: トランス・ワールド航空 (TWA) 847便[49]
- 機種: ボーイング 727-231[49]
- 死者: 乗客1人
- 状況: アテネからローマへ向かったTWA機が地中海上空を飛行中、イスラム過激派を名乗る2人組にハイジャックされた。事件は17日間に及び、TWA機はレバノンとアルジェリアの間を数度往復した。事件でアメリカ人乗客1名が射殺されたため、アメリカ政府はこの事件の報復として、リビアの指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーの自宅を爆撃、娘を含む親類や側近数名を殺害した。
- 詳細: 「トランス・ワールド航空847便テロ事件」を参照。
- 1985年11月23日 - 11月24日
- 便名: エジプト航空 648便[50]
- 機種: ボーイング 737-266[50]
- 死者: 乗員乗客58人と犯人2人
- 状況: アテネ発カイロ行きのエジプト航空機の国際線が国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされ、リビアに向かうよう要求された。事件発生当初、同乗していたスカイマーシャルが応戦したものの、射殺された。ハイジャックの目的は、中東問題に対するエジプト政府の姿勢に抗議するためであったが、燃料が不足していたためハイジャック機はマルタに緊急着陸した。着陸後主犯格のオマル・レザックは乗客3人を射殺した。事件発生から25時間後にエジプトの特殊部隊が強行突入し、犯人との銃撃戦の末機体を奪還したが、その際乗客に多数の死亡者が発生した。犯人3人のうち2人は死亡、主犯格のレザックは重傷で発見された。彼はマルタでの裁判で懲役25年の判決を言い渡されたが、服役7年後に恩赦が行われ釈放された。しかしFBIはICPOの協力を得、レザックをナイジェリアで拘束した。現在、彼はアメリカ国内で終身刑に服している。
- 詳細: 「エジプト航空648便ハイジャック事件」を参照。
- 1986年9月5日
- 便名: パンアメリカン航空 73便[51]
- 機種: ボーイング 747-121[51]
- 死者: 少なくとも乗員乗客21人[52]。
- 状況: パキスタンのカラチにあるジンナー国際空港に駐機中だったパンアメリカン航空73便が、国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされた。操縦室にいた乗務員は脱出に成功したため、客室乗務員と乗客を乗せたまま同国政府と犯人との交渉が行われた。代わりの乗務員の到着を待っていた22時ごろ、補助電源装置が停止して機内が真っ暗になったのを突入の合図と誤認したハイジャック犯が、人質に手榴弾を投げつけ、無差別銃撃を行い、結果として21人以上の乗員乗客が死亡した[52]。
- 詳細: 「パンアメリカン航空73便ハイジャック事件」を参照。
- 1986年12月25日
- 便名: イラク航空 163便
- 機種: ボーイング737
- 死者: 乗客乗員71人
- 状況: 乗員15人と乗客91人を乗せたバグダッド発アンマン行きのイラク航空機が巡航高度28000フィート(8500m)でサウジアラビア領空を飛行中、手榴弾を持った男に乗っ取られた。犯人と航空保安官が銃撃戦になり、飛行高度約15000フィート(5000m)で少なくとも2発の手榴弾が爆発した。同機はバグダッド南西約250マイル(400㎞)のサウジアラビアのアラーに着陸しようとしたが、現地時間午後12時半ごろ滑走路から0.5マイル(0.8㎞)の砂漠に墜落炎上した。銃撃戦、爆発、墜落による死者の総数は63人。生存者も全員負傷し、多くが重傷だった。この事件では4つのグループが犯行声明を出したが、特定できなかった[53]。
- 詳細: 「イラク航空163便ハイジャック事件」を参照。
- 1987年7月24日
- 1987年12月7日
- 便名: パシフィック・サウスウエスト航空 (PSA) 1771便[55]
- 機種: BAe 146-200[55]
- 死者: 乗員乗客43人全員[55]。
- 状況: PSAの親会社であるUSエアウェイズに不満を持つ元従業員が、乗員などに発砲の上、機体を急降下させたため墜落した。音速を超える速度で地面に激突したため、機体や遺体は破片となって四散した。
- 詳細: 「パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故」を参照。
- 1988年3月8日
- 1988年4月5日 - 4月20日
- 1989年12月16日
1990年代
編集- 1990年1月25日
- 1990年10月2日
- 便名: 1) 厦門航空 8301便[61]、2) 中国南方航空(機体記号:B-2812)[62]、3) 中国西南航空 2402便(機体記号:B-2402)[63]
- 機種: 1) ボーイング 737-247[61]、2) ボーイング 757-21B[62]、3) ボーイング 707-3J6B[63]
- 死者: 3機の乗員乗客225人中128人[61][62][63]。
- 状況: ハイジャックされた廈門航空の旅客機が燃料不足のため広州白雲国際空港(旧空港)に緊急着陸しようとしたが、その際犯人ともみ合いになったため着陸に失敗。離陸待ちだった中国南方航空機と駐機中の中国西南航空機に相次いで衝突した後、横転して炎上した。廈門航空機で82人(犯人含む)、中国南方航空機で46人が死亡した。
- 詳細: 「1990年広州白雲空港衝突事故」を参照。
- 1991年3月26日 - 3月27日
- 1993年2月11日
- 1993年4月24日 - 4月25日
- 1994年4月7日
- 便名: フェデックス・エクスプレス 705便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-30F[65]
- 死者: なし
- 状況: フェデックス・エクスプレスの航空機関士であった犯人は、便乗した貨物機をハイジャックしようとしたが、反撃され未遂に終わった。
- 詳細: 「フェデックス705便ハイジャック未遂事件」を参照。
- 1994年6月7日[66]
- 1994年12月24日 - 12月26日
- 便名: エールフランス 8969便[67]
- 機種: エアバス A300B2-1C[67]
- 死者: 乗客3人と犯人4人[67]
- 状況: アルジェリアのアルジェにあるウアリ・ブーメディアン空港で、フランスのパリ=オルリー空港行きのエールフランス機が、離陸準備中に4人組の武装イスラム集団にハイジャックされた。アルジェの空港で膠着状態が続き、26日未明にマルセイユ・プロヴァンス空港へ移動した後、GIGNが人質を救出した。
- 詳細: 「エールフランス8969便ハイジャック事件」を参照。
- 1995年6月21日
- 1996年11月23日
- 1997年3月10日
- 1999年7月23日
- 1999年12月24日 - 12月31日
2000年代
編集- 2000年12月29日
- 便名: ブリティッシュ・エアウェイズ 2069便
- 機種: ボーイング 747-436
- 死者: なし
- 詳細: 「ブリティッシュ・エアウェイズ2069便ハイジャック未遂事件」を参照。
- 状況: スーダン上空を飛行中に、精神病を患っていたケニア人の男にコックピットを襲撃され、機体が急降下した。犯人との揉み合いの末、なんとか機体の制御を取り戻し、機体は無事にナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港に着陸した。このハイジャック未遂事件により、5人の怪我人が出た。
- 2001年3月15日 - 3月16日
- 便名:ヴヌーコヴォ航空
- 機種:Tu-154[73]
- 死者:3人
- 状況:トルコのイスタンブール発ロシアのモスクワ行きのヴヌーコヴォ航空のツポレフ154機(乗客162人、乗員12人)が離陸直後にナイフなどで武装した3人組にハイジャックされ、サウジアラビアのメディナに着陸。ハイジャック時に犯人と乗務員が激しく争い、機体は400メートル急降下した。メディナ到着後、乗客ら40人以上が解放された。サウジ当局が犯人側と交渉を進めた。ロシア外務省によると98人のロシア人と59人のトルコ人が搭乗していた。給油と引き替えに数人の人質を解放したが、20人以上が機体後部から自力で脱出。16日に交渉が決裂。サウジ政府はロシア政府の許可を得て救急車6台、消防車5台を配置し機内に突入。銃撃戦で犯人1人、トルコ人乗客1人、客室乗務員1人が死亡。犯人2人が逮捕され100人以上の乗客乗員が解放された。犯人はロシア軍によるチェチェン共和国での軍事行動の停止を要求していた。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は機長に犯人のアフガニスタン、パキスタン行きに同意しないよう指示。またサウジ政府の突入作戦を了承した[74]。
- 2001年9月11日
- 便名: 1) アメリカン航空 11便、2) ユナイテッド航空 175便、3) アメリカン航空 77便、4) ユナイテッド航空 93便
- 機種: 1) ボーイング 767-223ER[75]、2) ボーイング 767-222[76]、3) ボーイング 757-223[77]、4) ボーイング 757-222[78]
- 死者: 4機の乗員乗客265人全員と地上の約2700人[75][76][77][78][注 2]。
- 状況: アルカーイダに所属する複数のテロリストによってハイジャックされた航空機4機がニューヨークのワールドトレードセンター、ワシントンの国防総省(ペンタゴン)、ペンシルベニア州シャンクスヴィル近郊に次々と激突、墜落した。ビルの火災や崩壊などにより死者・行方不明者が約3000人となる、航空機に関連した惨事としては史上最悪のものとなった。
- 詳細: 「アメリカ同時多発テロ事件」、および「アメリカン航空11便テロ事件」、「ユナイテッド航空175便テロ事件」、「アメリカン航空77便テロ事件」、「ユナイテッド航空93便テロ事件」を参照。
- 2005年9月12日
- 2009年4月19日[81]
- 2009年9月9日
- 便名: アエロメヒコ航空 576便[82]
- 機種: ボーイング 737-852[82]
- 死者: なし
- 状況: メキシコの国内線でボリビア人によるハイジャックが発生した。メキシコ・シティ国際空港着陸後、犯人はフェリペ・カルデロンメキシコ大統領との対話を要求したが、メキシコ連邦警察の突入により身柄を拘束された。
- 詳細: 「アエロメヒコ航空576便ハイジャック事件」を参照。
2010年代
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 「エンテベの勝利」「特攻サンダーボルト作戦」「サンダーボルト救出作戦」の3本。
- ^ 乗員乗客にはテロリストを含む。
出典
編集- ^ a b “ASN Aircraft accident Ford Tri-Motor registration unknown Arequipa Airport (AQP)” (英語). Aviation Safety Network. 2017年11月25日閲覧。
- ^ “First hijack of an aircraft”. Guinness World Records. 2017年12月10日閲覧。
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- ^ ゲロー 1997b, p. 11.
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参考文献
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関連項目
編集外部リンク
編集- Aviation Safety Database - 世界各地で発生した民間航空機による事故の便覧