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日本選手権競輪(にほんせんしゅけんけいりん/にっぽんせんしゅけんけいりん)は、毎年4月30日あるいは5月上旬から中旬ごろの6日間に渡って開かれる、競輪のGI競走である。

日本選手権競輪
概要
格付け GI
優勝賞金 8900万円(副賞を含む)
愛称 競輪ダービー
概定番組 6日間トーナメント
開催地 持ち回り
開催時期 4-5月(2016年度から)
歴史
初回開催 1949年
開催回数 78回(2024年)
初代優勝者 横田隆雄(甲、乙規格とも)
最多優勝者 吉岡稔真村上義弘(各4回)
直近優勝者 平原康多(2024年)
次回開催予定
次回開催 2025年4月29日-5月4日
次回開催地 名古屋競輪場
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概要

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競輪においてもグレード制が導入されたことにより、KEIRINグランプリは企画レースとして別格・最上位(格付けはGP)とされたため、本競走はそれに次ぐGIレースの一つとされた。

ただ、GPの格はグランプリのみであり、同列とされたGI競走の中でも、かつては前もってトライアルレースが行われておりそれを勝ち抜かなければ本大会の出場権を得られなかった(現在は廃止)ことや、歴史、正賞として授与される内閣総理大臣杯及びその他の各賞・名誉及び賞金額において、競輪界で最高の格式を誇るレース(事実上春の競輪実力日本一決定戦)である。そのため、競馬で最高の競走であるダービーになぞらえ『競輪ダービー』の通称で古くから呼ばれ、親しまれている。優勝者は『ダービー王』の称号で呼ばれる[1]

優勝賞金は8900万円[2](副賞込み、第78回)であり、これは6つあるGIレースの中で最高額となっている[注 1]。第59回(2006年)より6600万円(副賞込み[注 2])であったが、第65回2012年)では東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から6400万円(副賞込み)へと減額された。翌年の第66回2013年)からは更に減額され6000万円(副賞込み)となっていたが、第69回2016年3月)で6500万円(副賞込み)へと久々に増額され、第73回2019年)まで続いた。なお、中止となった2020年の第74回[3]では5年ぶりに増額され5910万円(本賞金)となり、それ以降は毎年増額されている。

いくつかの6日制GI開催は、一時期4 - 5日間開催に短縮されていたが、この日本選手権競輪(以下ダービー)だけは唯一6日間で開催され続けている[注 3]。開催時期は、2008年までは3月の中旬から下旬にかけて開催されていたが、2009年より2012年までは2 - 3週間繰り上げられ3月上旬の開催であった。しかし2013年からは読売新聞社杯全日本選抜競輪が2月の開催となったこともあり、再び3月中旬から下旬の日程に戻った。その後、売り上げ増を見込んでゴールデンウィーク期間中にGIレースを開催する方針を立てたことから、この日本選手権競輪を2016年度以降は4月末 - 5月開催と変更したため(当該年度の最初に開催されるGIとなる)、2016年に関しては例外的に3月上旬から中旬4月末から5月上旬とで計2回開催が行われた(このうち3月開催は2015年度開催の扱い)。現在はゴールデンウィーク後半の6日間(決勝戦は日曜ないし土曜日以外の祝日のどちらか)にかけての開催となっている。

賞金

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以下は、第78回大会(2024年)の決勝戦における各着順の賞金額[4](単位:万円)。

( )内は副賞(1〜3着に授与)を含んだ金額[5][6]

1着 2着 3着 4着 5着 6着 7着 8着 9着
8,200
(8,900)
4,010
(4,080)
2,744
(2,784)
1,956.3 1,547.1 1,251,2 1,042.0 901.3 844.6

歴史

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第1回は1949年大阪住之江競輪場(現在の住之江公園)で「全国争覇競輪(ぜんこくそうはけいりん)」と題して(当初第7回までは春秋の年2回)開催された。全国争覇戦時代は女子の部や実用車・軽快車(何れも一般の自転車)を使ったレースも実施された[注 4]。この「全国争覇競輪」の名称は第16回(1963年)まで採用され、第17回(1964年)から現在の名称となった。

第21回(1968年)までは12車立て[7]でレースを開催した後楽園競輪場の名物レースとして親しまれたが、それまで後楽園の固定開催であったため、同場の休止が決定されると、開催を希望する施行者による全国各地の競輪場で持ち回りという形で開催されるようになった。ただ、現在は静岡・松戸・立川・平塚など関東・南関東の競輪場で持ち回りしていることが多い[注 5]

第27回(1974年)からは、一次予選特別選抜競走の出場選手27名を「全国から選抜された選手が実力で最高の地位を争う」といった観点から、予め選手選考委員会において選定された選手135名により、開催直前の1月〜2月にかけて開催する「ダービートライアル」(3日間×3会場)で決定していた。

第29回(1976年)からは、原則として選考委員会より選定された選手によりトライアルレースを実施して全出場選手を決定する方式となった(3日間×2会場)。ただ、トライアルレースでは早い段階でポイントを稼いで後半は欠場する選手や、出場の可能性がなくなるとみるや半ば無気力に走る選手も現れたりするなどして弊害も出たため、第48回(1995年)を以って廃止された。

第49回(1996年)からは前年の平均競走得点上位選手から順次選抜する方式となり、第51回(1998年)からは、前年における特別競輪等選手選考評価点の上位選手から順次選抜する方式となった。なお、現在は選考期間中の獲得賞金額(手当は含まない)の上位選手から順次選抜する方式となっている。

第55回(2002年)では、KPK以来となる大幅な番組改革がなされたことに合わせて、敗者復活戦が第38回(1985年)以来17年ぶりに復活し、準決勝4個レース(各レース1・2着のみ勝ち上がり)と二次予選特別選抜競走(ゴールデンレーサー賞)1着選手(このときは濱口高彰)の9名により決勝戦が行われた[注 6]。だが、結局はその翌年の第56回(2003年)からは敗者復活戦は廃止かつ通常の準決勝3個レース(各レース1 - 3着のみ勝ち上がり)の9名が決勝戦に勝ち上がる方式に戻され、現在に至っている。

 
第74回は直前に中止が決定した。静岡競輪場にて(2020年4月)。

第74回(2020年)は、当初静岡無観客にて開催予定であったが、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い日本国政府より改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令された影響から、開催予定地である静岡県からの勧告に従い開催中止となった[8][3]特別競輪(GI)の中止は第15回オールスター競輪1970年1971年)以来49年ぶり6度目であり、日本選手権競輪の中止は1961年に実施予定であった第16回(後楽園)以来59年ぶりとなった[3]。なお、今回は回数はそのままカウントされており、正選手として出場契約を済ませた162名については出場したとみなし、連続出場記録も同様にカウントされることとなった[9]ほか、総賞金額3億6002万4000円[10]の30%に当たる1億800万7200円を均等割りした66万6711円が補償として162名全員に支払われた。

第75回(2021年)は前年同様の影響により無観客で[注 7][11][12]、第76回(2022年)は事前抽選による入場制限を行った上で開催された[注 8][13][14]

第78回(2024年)では、令和6年能登半島地震を受け、令和6年能登半島地震復興支援競輪として実施される。

出場選手選抜方法

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日本選手権競輪の出場選手は、競輪選手の証である賞金獲得額によって選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手162名、補欠選手8名を選抜する[15]

  • 選考期間…前年2月〜当年1月(12か月間)[注 9]、選考月…2月、最低出走回数…48出走(但し変更となる可能性もある)
  1. S級S班在籍者
  2. 過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)
  3. 選手選考対象期間において4か月以上JCFトラック種目強化指定(A)に所属した者(開催時S級1班所属が条件)※他のGIは2か月以上
  4. 賞金獲得額上位者

なお、補欠選手は正選手を除く、賞金獲得額上位者からさらに順次選抜される。

また、正選手のうち、S級S班在籍者と賞金獲得額上位者の合計27名については、特別選抜予選競走に出走できる。

勝ち上がり方式

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6日間とも11レース。

6日制GIの中で唯一、各選手の出走回数が4回となっている。そのためGIの中で唯一、シード番組以外の勝ち上がり戦は車券に絡む3着入着が勝ち上がりの絶対条件となる厳しい条件となっている(GIIまで広げると、サマーナイトフェスティバルが3着入着が求められる特別競輪となる)。

 優秀  初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日
特選予選
(1)(2)
GR賞
(1)
準決勝
(3)
二次予選
(5)(2)
決勝
(1)
一次予選
(10)(5)
敗者戦 00-00 (4) (6) (8) (8) (10)
  • 初日・2日目
「一次予選」 合計15レース(初日10レース・2日目5レース)行われ、各レース1〜3着45名が「二次予選」進出。
「特別選抜予選」 合計3レース(初日1レース・2日目2レース)行われ、各レース1〜3着9名は無条件で、4日目の「ゴールデンレーサー賞」と5日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。4〜9着18名は「二次予選」進出。
  • 3日目・4日目
「二次予選」 合計7レース(3日目5レース・4日目2レース)行われ、各レース1〜2着14名と3着7名のうち一走目の着順上位(特別選抜予選回りが優先[注 10])4名が「準決勝」進出。
「ゴールデンレーサー賞」 二次特別選抜予選として、4日目の最終レースに行われる。失格しない限り9名全員が「準決勝」進出。
  • 5日目
「準決勝」 後半3レース。各レース1〜3着9名が「決勝」進出。
  • 6日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。
「順位決定」 「決勝」の一つ前のレース。「準決勝」各レース4〜6着9名により行われる。
「優秀」 「順位決定」の一つ前と二つ前のレース。「準決勝」各レース7〜9着9名と、二次予選敗退選手による「特選(1)」各レース1〜2着6名及び「特選(2)」各レース1着3名により行われる。

その他、2日目以降の前半に予選敗退者を対象とした以下の競走が開催される。

2日目…「一般(1)」×4
3日目…「一般(1)」×4、「選抜」×2
4日目…「一般(2)」×4、「特一般」×2、「選抜(1)」×2
5日目…「一般(2)」×2、「一般(1)」×1、「特選(2)」×3、「特選(1)」×2
6日目(最終日)…「選抜」×2、「特選(2)」×3、「特選(1)」×2

途中帰郷

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本大会では斡旋される正選手の数が4日制GIの1.5倍と多いのに対して一日ごとの競走に対する出走可能選手が少ないため、一次予選を敗退した選手は4〜5日目の「一般(2)」または5日目の「一般(1)」を走った後、失格の有無に関わらず最終日を待たずに途中帰郷(俗に言う「お帰り」)させられる[注 11]。なお二次予選に進出した者は決勝に進めなくても失格にならない限り、「順位決定」レースや「優秀」レースなど、最終日の出走が保障される。

他のGI競走のうちオールスター競輪では途中帰郷の対象者は傷病理由の途中欠場がなかった場合でも多くて36人止まり[注 12]だが、本大会の場合は最大で63人がお帰りの通告を受ける可能性があり[注 13]、他の競走と比べて実に7倍に達する。早い選手では3日目の午後に斡旋契約解除の通知を受けることもあり、最終日のレース前には数十人が既に開催競輪場を離れ、帰郷の途についていることになる。

また、失格や負傷などにより途中欠場が多数発生した場合でも補充選手は一切充当せず、代わりに途中帰郷の対象となっていた選手を帰郷させずに出走させることによって欠場を埋める形としている。これは「GI最高峰の開催である日本選手権競輪に出走できるのは、選考によって選抜された選手のみにすべき」という思想を制度に反映したものである。特に日本選手権競輪とオールスター競輪に関しては途中帰郷者が多く発生することから補充する必要がないため、急病などで当日欠場が発生しない限り敗者戦も含めて全てのレースで9車立てにて行われている。

過去の優勝者

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以下は全て競走車(ピスト)部門。第10回まで行われた、実用車(軽快車)部門の優勝者は外部リンクを参照。
なお、第1回、第2回は甲規格・乙規格とで分かれて開催された(前期日程が甲規格、後期日程が乙規格)。

決勝日 開催場 優勝者 GDR賞勝者
氏名 府県 氏名 府県
1 1949年 6月11日 大阪住之江 横田隆雄 27大阪
6月12日
2 1949年 10月23日 川崎
10月24日 小林源吉 11埼玉
3 1950年 5月9日 名古屋 宮本義春 43熊本
4 1951年 5月6日 後楽園 山本清治 27大阪
5 1951年 10月5日 大阪中央 高倉登[注 14] 11埼玉
6 1952年 5月6日 川崎
7 1952年 11月3日 後楽園 宮本義春 43熊本
8 1953年 11月3日 大阪中央 中井光雄 25滋賀
9 1954年 11月3日 川崎 松本勝明 26京都
10 1955年 11月3日 大阪中央
11 1956年 11月3日 後楽園 坂本昌仁 27大阪
12 1957年 11月3日 佐藤喜知夫 01北海道
13 1958年 11月4日 吉田実 37香川
14 1959年 11月2日 石田雄彦 30和歌山
15 1960年 11月3日 吉田実 37香川
16 1963年 3月25日 一宮 西地清一[注 15] 27大阪
17 1964年 2月13日 後楽園 笹田伸二 36徳島
18 1964年 11月10日 石田雄彦[注 15] 30和歌山
19 1965年 11月3日 笹田伸二 36徳島
20 1966年 11月1日 宮路雄資 43熊本
21 1967年 11月1日 平間誠記 04宮城
22 1968年 11月5日 吉川多喜夫 14神奈川
23 1970年 2月16日 一宮 工藤元司郎 13東京
24 1970年 11月6日 岸和田 荒川秀之助 04宮城
25 1972年 3月7日 千葉 河内剛
26 1973年 3月20日 西武園 阿部道
27 1974年 2月19日 田中博 10群馬 福島正幸 10群馬
28 1975年 3月25日 千葉 高橋健二 23愛知 伊藤繁 14神奈川
29 1976年 4月3日 新井正昭 11埼玉 藤巻清志
30 1977年 3月29日 一宮 小池和博 中野浩一 40福岡
31 1978年 3月28日 藤巻清志 14神奈川 福島正幸 10群馬
32 1979年 3月26日 立川 山口健治 13東京 国持一洋 22静岡
33 1980年 3月26日 前橋 吉井秀仁 12千葉 吉井秀仁 12千葉
34 1981年 3月24日 千葉 中野浩一 40福岡 国持一洋 22静岡
35 1982年 3月23日 大垣 中里光典 28兵庫 井上茂徳 41佐賀
36 1983年 3月22日 前橋 井上茂徳 41佐賀 中野浩一 40福岡
37 1984年 3月20日 千葉 滝澤正光 12千葉 山口健治 13東京
38 1985年 3月26日 立川 清嶋彰一 13東京
39 1986年 3月27日 平塚 滝澤正光 12千葉 滝澤正光 12千葉
40 1987年 3月24日 千葉 清嶋彰一 13東京
41 1988年 3月23日 立川 滝澤正光 12千葉 井上茂徳 41佐賀
42 1989年 3月24日 花月園 小川博美 40福岡 小門洋一 14神奈川
43 1990年 3月26日 平塚 俵信之 01北海道 滝澤正光 12千葉
44 1991年 3月26日 一宮 坂巻正巳 08茨城 長谷部純也 08茨城
45 1992年 3月25日 前橋 吉岡稔真 40福岡 尾崎雅彦 13東京
46 1993年 3月24日 立川 海田和裕 24三重 伊藤公人 11埼玉
47 1994年 3月28日 静岡 小橋正義 33岡山 神山雄一郎 09栃木
48 1995年 3月27日 松戸 吉岡稔真 40福岡
49 1996年 3月26日 千葉 吉岡稔真 40福岡 稲積秀樹 16富山
50 1997年 3月27日 岸和田 濱口高彰 21岐阜 小橋正義 33岡山
51 1998年 3月26日 西武園 吉岡稔真 40福岡 吉岡稔真 40福岡
52 1999年 3月30日 静岡 神山雄一郎 09栃木 東出剛 12千葉
53 2000年 3月28日 千葉 岡部芳幸 07福島 小橋正義 33岡山
54 2001年 3月25日 松戸 稲村成浩 10群馬 稲村成浩 10群馬
55 2002年 3月24日 立川 山田裕仁 21岐阜 浜口高彰 21岐阜
56 2003年 3月23日 平塚 伏見俊昭[注 16] 07福島
小橋正義[注 16] 15新潟
57 2004年 3月28日 静岡 伏見俊昭 07福島 澤田義和 28兵庫
58 2005年 3月21日 松戸 鈴木誠 12千葉 加藤慎平 21岐阜
59 2006年 3月26日 立川 吉岡稔真 40福岡 大塚健一郎 44大分
60 2007年 3月25日 平塚 有坂直樹 05秋田 武田豊樹 08茨城
61 2008年 3月23日 静岡 渡邉晴智 22静岡 山崎芳仁 07福島
62 2009年 3月8日 岸和田 武田豊樹 08茨城 山口幸二 21岐阜
63 2010年 3月7日 松戸 村上博幸 26京都 村上義弘 26京都
64 2011年 3月6日 名古屋 村上義弘 伏見俊昭 07福島
65 2012年 3月4日 熊本 成田和也 07福島 武田豊樹 08茨城
66 2013年 3月24日 立川 村上義弘 26京都 深谷知広 23愛知
67 2014年 3月23日 名古屋
68 2015年 3月22日 京王閣 新田祐大 07福島 新田祐大 07福島
69 2016年 3月13日 名古屋 村上義弘 26京都 平原康多 11埼玉
70 2016年 5月5日 静岡 中川誠一郎 43熊本 原田研太朗 36徳島
71 2017年 5月7日 京王閣 三谷竜生 29奈良 武田豊樹 08茨城
72 2018年 5月6日 平塚 浅井康太 24三重
73 2019年 5月5日 松戸 脇本雄太 18福井 脇本雄太 18福井
74 中止 静岡 - - - -
75 2021年 5月9日 京王閣 松浦悠士 34広島 郡司浩平 14神奈川
76 2022年 5月8日 いわき平 脇本雄太 18福井 平原康多 11埼玉
77 2023年 5月7日 平塚 山口拳矢 21岐阜 守澤太志 05秋田
78 2024年 5月5日 いわき平 平原康多 11埼玉 坂井洋 09栃木

女子優勝者

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決勝日 開催場 優勝者
氏名 府県
2 1949年 10月24日 川崎 高木ミナエ 21岐阜
3 1950年 5月9日 名古屋
4 1951年 5月6日 後楽園 黒田智子 40福岡
5 1951年 10月5日 大阪中央 渋谷小夜子 14神奈川
6 1952年 5月6日 川崎 田中和子 29奈良
7 1952年 11月3日 後楽園 水野信子 23愛知
8 1953年 11月3日 大阪中央 有江美和子 42長崎
9 1954年 11月3日 川崎 田中和子 29奈良
10 1955年 11月3日 大阪中央
11 1956年 11月3日 後楽園 畑田美千代 26京都

エピソード

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数々の開催危機

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競輪で最も伝統のある日本選手権競輪だが、開催され無い年もあれば、年2回開催された年もある。これは過去、幾度も開催の危機にさらされたためである。

後楽園競輪場で開催された第15回(1960年)の決勝戦当日(11月3日)、場内に入りきれなかった約1,500名の観客をバンク内に入れて競走を行わざるを得なくなった状況となった。その大会終了後、当時の施行者の東京都が「警備上の問題」を理由とし、すでに翌年の開催(第16回)が決定していたにもかかわらず開催を返上する事態となった。当時、来場者が数万人規模となるダービーを後楽園以外の競輪場では開催することが困難であったことから代替地として名乗りを挙げる施行者が現れず、そのため1961年度は競輪の歴史で唯一ダービーの開催がない年となった。

1962年度についても開催地の選定は難航を極め、2年連続で日本選手権競輪が開催されない可能性もちらつき始めていた。しかし、一宮競輪場2014年3月廃止)が1963年3月に同大会の開催を引き受けた(年度としては1962年度の開催)ことから連続中止の危機は免れた。なお、この大会で特別競輪史上初めて、決勝戦がテレビ中継された(キー局は中部日本放送。他に東京放送朝日放送がネット局)[注 17]

その後再び後楽園での開催に戻ったが、1967年に行われた東京都知事選挙において、都営ギャンブル廃止を公約に掲げていた革新系の美濃部亮吉が当選したことにより、公約に沿って美濃部は1964年の2月に行われた開催から続けてきた後楽園での日本選手権競輪開催を1968年限りで返上することを表明[注 18]。そのため、またしても1969年度(第24回)の開催地が宙に浮く事態が生じた。だが、この時も危機を救ったのは一宮競輪場であり、1970年2月の開催を引き受けたため無事に開催された。

しかし、1971年には再度オールスター競輪も含めて開催地の選定に行き詰まり、夏場を迎えても開催が決定できない状況に陥っていた。だが、日本選手権競輪だけでも年度内に開催させたいという関係者の意向により、翌年の1972年3月に第25回が千葉競輪場で開催されることとなった。

以後は大会ごとに開催地が移動する持ち回り制となり、一か月程度の開催時期の変動があったりしたものの、同大会は2016年まで毎年3月に開催され続けた。なお、2016年は3月と5月の2回開催されているが、これは先述の通りそれぞれ開催年度が異なるためで、開催危機とは関係がない。

第74回(2020年)は、COVID-19による感染拡大の影響で、施行者の静岡市田辺信宏が感染拡大を防止するため開催中止を決定したと大会直前の4月24日の記者会見で明らかにした[16]。当時は政府から改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言が発令中であったこと、また選手・関係者合わせると全国各地から200名ほどが検車場などの狭い空間に一堂に会するため[17][注 19]、万が一の感染拡大のリスク[18]を取り除くことができず、やむを得ず中止の断が下された。日本選手権競輪の中止は1961年に実施予定であった第16回(後楽園)以来59年ぶりとなった[3]が、今回は前回とは異なり大会数はそのままカウントされており、また正選手として出場契約した162名については出場したとみなし、連続出場記録に加算されている。そのため2021年の開催は第75回となっており、またその第75回では史上初となる無観客開催として行われた。

「白鳥は悲しからずや」

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第16回(1963年)決勝では、白鳥伸雄が1着入線するも内線突破で失格となってしまう。この時現場で観戦していた寺内大吉は、『白鳥の歌』(若山牧水作詞/古関裕而作曲)の出だし部分をもじって、白鳥に対する心情を「白鳥は悲しからずや」と詠んだ。なお、白鳥は翌1964年の第18回においても決勝で1着入線したが、これまた内線突破により失格となった[19]。その後、白鳥は西武園での事件を含めて「悲劇のヒーロー」として扱われることになった。なお、白鳥は日本選手権競輪では全国争覇競輪時代も含めて7回決勝に進出したが、最高は第17回大会(1964年)での3着であり[20]、終身日本選手権競輪のタイトルは獲れなかった。

データ

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以下は、いずれも2023年(第77回)終了時点

  • 過去最高売上額は、1994年の第47回(静岡)における、430億1,370万5,100円。
    • 静岡では、他に1999年の第52回でも407億円を売り上げており、ベスト5のうち2つが静岡である。
  • 2001年の第54回では、稲村成浩が優勝し、特別競輪(現在のGI)を初制覇。稲村は父・稲村雅士も特別競輪を2度優勝しており、松村憲松村信定父子に次ぐ史上2例目の父子特別競輪制覇を達成した。

決勝戦テレビ中継

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決勝戦の地上波テレビ中継は、前述の1963年からTBS系列で放送された後、1979年以降は東京12チャンネル → テレビ東京系列に移行され2015年第68回)(年度としては2014年度)まで放送された(テレビ東京系列でも2004年2006年 - 2009年は放送されていない)。

2016年の(第69回)(年度としては2015年度)と(第70回)は日本テレビ系列坂上忍の勝たせてあげたいTV)で放送されたが、2017年第71回)と2018年第72回)はワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップを優先したためテレビ東京系列で放送された。なお、2019年第73回)以降は再び日本テレビ系列で放送されている[注 21]

今後の開催予定

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  • 第79回 - 2025年 4月29日~5月4日 - 名古屋競輪場 (9年ぶり5度目)

関連項目

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日本選手権競輪の直前、4月下旬に行われるガールズケイリンのGI大会。「クラシック」の名称を用いている通り、ガールズケイリンにおける日本選手権競輪の位置づけであり、当大会と同じく選考条件は原則として獲得賞金順での選出となっている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 競馬競艇など他の公営競技を含めても、優勝賞金(競馬では騎手個人の手取り額)がこの日本選手権競輪を上回るのは、KEIRINグランプリとボートレースのグランプリのみである。
  2. ^ 第62回(2009年)では、賞金5500万円と副賞1100万円。
  3. ^ のちに競輪祭2018年より、オールスター競輪2021年より、高松宮記念杯2023年より、それぞれ6日間開催を復活させたが、優勝賞金はともに日本選手権競輪には及ばない。
  4. ^ 但しこれらはいずれも人気がなく、実用車・軽快車部門は第10回をもって、女子の部は第11回をもって、それぞれ取り止められている。
  5. ^ 第53回(2000年)以降での関東・南関東以外における開催は、名古屋(3回)、いわき平(2回)、岸和田(1回)、熊本(1回)のみ。
  6. ^ これと類似した主旨の競走体系は2009年2010年に行われたオールスター競輪(会場は2009年が松山競輪場、2010年はいわき平競輪場)でも行われ、一次予選で特別選抜競走相当の「ドリームレース」「オリオンレース」勝ち上がり9人による二次予選特別選抜競走「シャイニングスター賞」で1着となった選手が準決勝免除で決勝戦シードの権利が与えられたほか、敗者復活戦を採用するなどしたが、こちらも勝ち上がりの番組体系があまりにも複雑でファンに不評であったため、僅か2年で廃止され元の準決勝3個レース(各レース1 - 3着のみ勝ち上がり)の9名が決勝戦に勝ち上がる方式に戻された。
  7. ^ 当初は事前の申し込み抽選で当選した5,000名に入場許可証を発行する入場制限が敷かれる予定だった(第75回日本選手権競輪開催期間の入場制限・前売発売等について
  8. ^ 実際には、最終日の7,987名が最高だった。
  9. ^ ただし、第70回大会の選考期間は前年4月〜当年1月となり、最低出走回数も40走となった。
  10. ^ 一次予選1着と特別選抜予選9着では、特別選抜予選9着が優先される。
  11. ^ 「お帰り」となった選手は番組表に『帰』のマークが付けられ、この大会の競走にはもう出場しないことを意味する。
  12. ^ 4日制のGIは2017年から、2018年から同じ6日制になった競輪祭は男子の正選手は108名のため、途中帰郷がなくなった。
  13. ^ 正選手162人のうち、最終日に出走できるのは最大で99人。
  14. ^ 第5回は1着で入線した高橋恒(大阪)の失格による繰り上がり。
  15. ^ a b 1着で入線した白鳥伸雄(千葉)の失格による繰り上がり。
  16. ^ a b 同着。
  17. ^ 「復活ダービー」という人もいた。
  18. ^ 1972年10月をもって、後楽園競輪場での競輪開催は休止(事実上廃止)された。
  19. ^ 競輪は全選手が1日1走のみ(PIST6では1日2走)のため、平時の開催でも競馬や競艇、オートレースよりも競走参加人数が必然的に多くなるが、特に日本選手権競輪など特別競輪ともなると、競走参加人数が大きく膨れ上がるため『』となる空間が生まれやすく感染拡大のリスクが高まる。なお、コロナ禍以降は暫定的にグレードレース以外は原則1レース最大7車立てとして競走参加人数を抑えて開催している。
  20. ^ 2022年第76回にて連続25回出場記録を達成[23](中止となった2020年の第74回も出場したとみなし連続出場記録にカウントされている)。
  21. ^ 2020年も中継予定であったが、開催中止により番組は内容を変更して放送した。

出典

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  1. ^ 山口拳矢が第77回ダービー王の称号を手に ~平塚競輪場~ 日刊プロスポーツ新聞社 2023年5月7日
  2. ^ 【いわき平競輪・GⅠ日本選手権】GP覇者の松浦悠士がケガから復帰「戦う上でできる限り自信を持って戦いたい」”. 東スポWEB (2024年4月29日). 2024年4月29日閲覧。
  3. ^ a b c d “静岡競輪ダービーが59年ぶり中止…G1もコロナ禍”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年4月24日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202004240000178.html 2020年4月24日閲覧。 
  4. ^ 日本選手権競輪(GⅠ)(SD1) (PDF) 副賞を含まない金額
  5. ^ “【競輪】吉田拓矢6番手から巻き返し平原康多は番手絶好 岩本俊介が外を伸び2着/いわき平G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年5月6日). https://www.nikkansports.com/public_race/photonews/photonews_nsInc_202405060000141-0.html 2024年5月6日閲覧。 
  6. ^ 【いわき平競輪・GⅠ日本選手権】GP覇者の松浦悠士がケガから復帰「戦う上でできる限り自信を持って戦いたい」”. 東スポWEB (2024年4月29日). 2024年4月29日閲覧。
  7. ^ 日刊スポーツが選ぶ 日本選手権競輪「名勝負5番」
  8. ^ 第74回日本選手権競輪の開催中止について”. KEIRIN.JP (2020年4月24日). 2020年4月24日閲覧。
  9. ^ 日刊スポーツ大阪本社版、2021年5月4日17面
  10. ^ 日本選手権競輪(GⅠ)(SD1) (PDF) 副賞を含まない金額
  11. ^ 【競輪】京王閣ダービーは無観客開催決定 - 東京スポーツ、2021年4月26日
  12. ^ 第75回日本選手権競輪GIの無観客開催について
  13. ^ 重要なお知らせ
  14. ^ 入場制限の解除について
  15. ^ 選考基準 ⇒ ここから「日本選手権競輪(GI)」をクリック
  16. ^ 最高権威の競輪G1「日本選手権」(ダービー)が中止 2020年4月24日 スポーツ報知
  17. ^ “競輪ダービー、なぜ中止? 他競技とは環境に差が…記者の目”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年4月25日). https://hochi.news/articles/20200424-OHT1T50231.html 2020年4月26日閲覧。 
  18. ^ “31選手が新型コロナウイルスに感染とJKAが発表”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年1月22日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202101220000422.html 2021年1月26日閲覧。 
  19. ^ “山田英明が1着失格 ビッグ決勝15年ぶり/伊東G2”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年9月22日). https://www.nikkansports.com/public_race/keirin/kyodo/2020/news/202009210001261.html 2020年9月27日閲覧。 
  20. ^ 記録(34頁) - 2019年版競輪年間記録集
  21. ^ 2019年版競輪年間記録集(34〜35頁)” (PDF). KEIRIN.JP (2020年3月1日). 2020年4月28日閲覧。
  22. ^ 脇本完全V 松戸・日本選手権 - 西日本スポーツ、2019年5月6日
  23. ^ 日本選手権競輪(GI)連続出場選手の表彰について”. Keirin.jp(JKA) (2022年5月3日). 2022年5月3日閲覧。
  24. ^ “感激のインタビューを再録!ダービー王・山口拳矢と父ヤマコウが表彰式で固いハグ/平塚G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年5月7日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202305070001164.html 2023年5月7日閲覧。 

外部リンク

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