西地清一
日本の競輪選手 (1932-)
西地 清一(にしぢ せいいち、1932年3月15日 - )は、日本競輪選手会大阪支部を経て、同会滋賀支部に在籍していた元競輪選手。期前選手。選手登録番号4027[1]。
来歴
編集1952年3月、高松競輪場で開催された第2回全国都道府県選抜競輪・2000m競走を優勝。1963年3月、俗に復活ダービー[2]と称され、一宮競輪場で開催された第16回全国争覇競輪決勝戦では、1着入線の白鳥伸雄に続き2着でゴールしたが、白鳥が内線突破により失格となったことから、繰り上がって優勝を果たした[3]。
その後、選手登録地を大阪から滋賀に移す。1985年5月9日登録削除。通算勝利数892。また、実子の西地孝介(43期。引退)も競輪選手だった。
主な獲得タイトルと記録
編集脚注
編集- ^ 選手プロフィール|KEIRIN.JP
- ^ この呼称の経緯については、こちらを参照。
- ^ “山田英明が1着失格 ビッグ決勝15年ぶり/伊東G2”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年9月22日) 2020年9月27日閲覧。
関連項目
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