獅球嶺隧道
獅球嶺隧道(しきゅうれいずいどう)は台湾基隆市安楽区にある清朝統治時代の鉄道トンネル跡。台湾で最初かつ清朝時代のものとしては唯一現存する鉄道トンネル。安楽路にある道路トンネル自強隧道上方に位置し、現在は基隆市の市定古蹟。路線が清朝の台湾巡撫だった劉銘伝により推進されたことから、劉銘伝隧道(りゅうめいでんずいどう、繁体字中国語: 劉銘傳隧道)とも称される。
獅球嶺隧道(劉銘伝隧道) Shiqiuling Tunnel または Liu Ming-Chuan Tunnel | |
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中華民国 文化資産 | |
登録名称 | 劉銘傳隧道(獅球嶺隧道) |
その他の呼称 | 劉銘伝隧道 |
種類 | 隧道 |
等級 | 市定古蹟 |
文化資産登録 公告時期 | 1985年8月19日[1] |
位置 | 台湾 基隆市安楽区嘉仁里崇徳路129号 |
建設年代 | 清 光緒14 - 16年 (1888 - 1890年) |
獅球嶺隧道周辺図[2] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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獅球嶺隧道 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 獅球嶺隧道 |
簡体字: | 狮球岭隧道 |
拼音: | Shī qiú lǐng Suì dào |
通用拼音: | Shih cióu lǐng Suèi dào |
注音符号: | ㄕ ㄑㄧㄡˊ ㄌㄧㄥˇ ㄙㄨㄟˋ ㄉㄠˋ |
発音: | シーチュウリー シュイダオ |
日本語漢音読み: | しきゅうれいずいどう |
日本語慣用読み: | しきゅうれいトンネル |
英文: | Shiqiuling Tunnel |
『曠宇天開』の扁額(南側) | |
概要 | |
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路線 | 台北-基隆線 |
位置 |
台湾 台北県基隆支庁(廃止時) (現在の基隆市安楽区嘉仁里崇徳路129号) |
座標 |
北緯25度07分30.8秒 東経121度43分54.5秒 / 北緯25.125222度 東経121.731806度 (座標は北側入口) |
現況 | 廃止、市定古蹟に。 |
系統 | 全台鉄路商務総局鉄道 |
起点 | 基隆市安楽区嘉仁里 |
終点 | 基隆市安楽区鶯歌里 |
駅数 | 0 |
運用 | |
建設開始 | 1888年 |
開通 | 1890年 |
閉鎖 | 1898年3月 |
所有 |
(廃止前)全台鉄路商務総局→台湾総督府臨時台湾鉄道部 (廃止後)国防部軍備局・財政部国有財産局・行政院農業委員会林務局[3] |
管理 |
(廃止前)全台鉄路商務総局→台湾総督府 (廃止後)基隆市政府文化局[3] |
通行対象 | 鉄道→歩行者 |
技術情報 | |
全長 | 235m |
軌道数 | 単線 |
軌間 | 1,067mm |
電化の有無 | 非電化 |
沿革
編集清朝統治時代
編集清朝は1860年に西欧諸国と締結した北京条約により台湾統治政策の変更を余儀なくされた[3]。1887年(光緒13年)に福建台湾省を設置、同時に「全台鉄路商務総局」を設立し[3]、基隆から府城(現・台南市)を結ぶ台湾初の鉄道路線(全台鉄路商務総局鉄道。現在の縦貫線の前身)建設計画に着手した。
初期は基隆港から台北を経て竹塹(現在の新竹)までの区間が最優先とされ、このトンネル工事は1888年(光緒14年)春に起工された[3]。1890年(光緒16年)8月に30ヶ月の工期と相当数の人手、資金を費やした全長約235メートルのトンネルが完成した[3]。
劉銘伝 |
日本統治時代
編集1895年(明治28年)6月3日、日本軍が基隆を攻略した。同月、日本の技師が実地検査を行った際にはこの路線の線路はアップダウンが激しく、急曲線や急勾配が多いことに気づき改良事業に着手することになった。8月、台湾総督府は臨時台湾鉄道隊を設立し、基隆~台北間の改良工事を進行させた。 まずこのトンネルを含む獅球嶺地区の区間を別経路で新設することになった。それがこのトンネルより東に約1 km離れた竹仔藔トンネル(その後の竹仔嶺トンネル)だった[3]。
1898年(明治31年)3月、竹仔藔トンネルが完工するとともに獅球嶺トンネルは放棄され、開業から僅か7年でその歴史を閉じてしまった[3]。その後まもなく、1916年に『縦貫道』と命名される道路に組み込まれ基隆と八堵間を短絡する陸路交通としての役割を果たした。板車や牛車、商人などがここを経由し八堵にある基隆河の渡船場に至り、水路で台北まで往来していた。
南側出口付近には土地公を祀る廟(石黎坑土地公)があったが、戦時中に軍によるオイルタンク建設に伴い移設されている[4]。
戦後
編集1949年(民国38年)に国民政府が台湾に敗走してからは南側出口を含む一帯に軍事管制エリアが築かれたため、トンネルの位置は機密扱いになった。1958年、空軍によるオイルタンク(八堵油庫)の立地として選ばれ[5][6]、その管理のためにトンネルは北側入口の30メートルほどを除いて閉鎖された。
1985年、内政部は三級古蹟登録を公告、台湾で初となる鉄道インフラの古蹟登録だった。2002年、原状復帰のための修復事業が始まり、2003年5月に完了した[7]。基隆市政府が軍と協調し、また、タンクの安全面にも配慮しつつ、同年12月20日より一般開放に至った[5]。
2009年、トンネル壁面の煉瓦の組積造が風化などで剥落したため、観光客の安全を確保すべく再度非公開となった[8]。
現在は北側入口のみが見学できるが、内部の再修復と国定古蹟への昇格を目指す動きもあり[9]、2019年9月21日に修復工事が開始された[10][11]。
建築
編集標高155メートルの獅球嶺山を穿つトンネルは海抜74.75メートル地点を通り、基隆~台北間では最高標高地点であり、新竹までの全区間中でも亀崙嶺や頭前渓に次いで3番目の難所となっていた[12](p38)。基隆駅起点2.81km地点にあり[註 1][12](p29)、トンネル内は約20パーミルの勾配となっている[12](p47)。幅は約4.6メートル(一部は3.61メートル)[12](p47)、南北両方から掘り進んだが、当時の測量技術の誤差により、高さ5.85メートルの北入口から奥行き22.5メートル地点で4.6メートルと低くなる[12](p47)。直線ではなく、内部では西方にカーブしており、曲線半径は約840メートル[12](p52)。
トンネル南側出口は赤煉瓦で造られている[3]。アーチ上方には扁額が残されており、初代台湾巡撫だった劉銘伝の揮毫で『曠宇天開』の字が記されている[12](p74)。 対聯の右側には『五千年生面獨開,羽轂飆輪,從此康莊通海嶼。』と、左側には『三百丈巖腰新闢,天梯石棧,居然人力勝神工。』と書かれている[13][12](p74)。扁額上には『太子少保福建臺灣巡撫一等男劉建造,欽命浙江 州總鎮強勇巴圖魯監修,光緒歲次己丑仲冬立』という落款もある[12](p74)。
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対聯解説
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解説板
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貫通時に南北で高低差ができていたことを示す解説板
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北側入口
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古蹟銘板
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停留所のようなオブジェが設置された北側入口付近
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内部のレンガ壁
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内部のレンガ壁
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南側入口
交通
編集- 基隆駅西口から南西方向へ約1.5km。
- 基隆駅前東口からバス
脚注
編集註釈
編集- ^ 初代たる鶏龍駅は現在の基隆港西岸4号碼頭付近に所在。
出典
編集- ^ 基隆市文化資產手冊. 基隆市文化局. pp. 37-42 (※ページ数は紙媒体ではなく国家図書館内ビューワーのもの) 楊桂杰 (2006-12).
- ^ 碩一實習成果 R05實習(一)上成果 豢養組_實習課報告”. 国立台湾大学 建築與城鄉研究所. pp. 42-45 (2016年). 2018年11月17日閲覧。 “
- ^ a b c d e f g h i 劉銘傳隧道(獅球嶺隧道)2010-07-28,文化部文化資産局国家文化資産網
- ^ 鶯歌土地公的故事(08)2010-08-06,台灣社區通(文化部)
- ^ a b “獅球嶺古蹟景觀台飽覽美景”. 大紀元. (2004年2月3日)
- ^ “台灣最早的鐵路隧道”. 自立晩報. (2003年12月15日)
- ^ “獅球嶺隧道修復風華再現 預計八月開放參觀”. 台灣商會聯合資訊網. (2003年6月26日)
- ^ “〈北部〉劉銘傳隧道口 布滿土石”. 自由時報. (2014年2月25日)
- ^ “〈北部〉劉銘傳隧道將整修 爭列國定古蹟”. 自由時報. (2015年1月28日)
- ^ 台灣首座鐵路隧道! 基隆市定古蹟劉銘傳隧道開工整修”. 自由時報 (2019年9月21日). 2019年9月21日閲覧。 “
- ^ “清朝末期から残るトンネル、基隆市が修復へ 年末にも着工/台湾”. フォーカス台湾 (2019年7月26日). 2019年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 獅球嶺清代鐵路隧道調查研究. 基隆市政府 李乾朗 (1991-04).
- ^ 〈山洞已通〉,《申報》,1890年5月20日,上海。
- ^ 501 國家新城2017-10-25,基隆市公車處
- ^ 1031 國家新城 - 新台五線 - 樟樹灣2018-06-11,基隆客運
関連項目
編集外部リンク
編集- 劉銘傳トンネル 基隆市政府