柿生村
日本の神奈川県都筑郡にあった村
柿生村(かきおむら)は、神奈川県都筑郡西部に1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した日本の村。現在の神奈川県川崎市麻生区(あさおく)の大部分にあたる。
かきおむら 柿生村 | |
---|---|
廃止日 | 1939年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 柿生村、岡上村 → 川崎市 |
現在の自治体 | 川崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 都筑郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
神奈川県 川崎市 都筑郡山内村、中里村 東京府 南多摩郡稲城村、多摩村、鶴川村 |
柿生村役場 | |
所在地 | 神奈川県都筑郡柿生村上麻生 |
座標 | 北緯35度36分14秒 東経139度30分20秒 / 北緯35.60378度 東経139.50569度座標: 北緯35度36分14秒 東経139度30分20秒 / 北緯35.60378度 東経139.50569度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集現行町名
編集すべて川崎市麻生区に所在する。
歴史
編集村名は、鎌倉時代に王禅寺で発見されたと伝えられる柿の品種「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」の原産地であることに由来する[1]。王禅寺の境内には「禅寺丸柿」の原木が残されており、国の登録記念物に登録されている[2]。また「禅寺丸柿」が発見された真言宗の寺院・王禅寺は、王禅寺村の地名の由来となっている[3]。この「禅寺丸柿」は日本最古の甘柿の品種と言われる。
沿革
編集- 戦国時代 - 万福寺の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の10村が成立。
- 1868年(明治元年)
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、王禅寺村、早野村、下麻生村が第6大区第7小区に、栗木村、五力田村、片平村、黒川村、上麻生村、万福寺村、古沢村が第6大区第8小区になる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上麻生村、下麻生村、早野村、王禅寺村、古沢村、万福寺村、片平村、五力田村、栗木村、黒川村が合併して柿生村が成立。岡上村と町村組合を結成し、柿生村外一ヶ村組合が発足。大字上麻生に組合役場を設置。
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 柿生村外一ヶ村組合が川崎市へ編入。同日柿生村を廃止。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され行政区を設置。旧村域が多摩区となる。
- 1982年(昭和57年)7月1日 - 川崎市多摩区から麻生区を分区[1]。旧村域が麻生区となる。
交通
編集鉄道
編集川崎市への移行後に小田急多摩線が開業し、旧村域内に新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅、はるひ野駅が開業した。
道路
編集イメージ・ソング
編集- 「かきくけかきお」- 歌唱:bless4