松浦有信

江戸時代中期の大名。平戸藩第7代藩主

松浦 有信(まつら ありのぶ)は、江戸時代中期の大名肥前国平戸藩の第7代藩主。官位従五位下壱岐守

 
松浦 有信
時代 江戸時代中期
生誕 宝永7年5月8日1710年6月4日
死没 享保13年8月25日1728年9月28日
戒名 等覚院殿前壱州太守天麟英心大居士
墓所 長崎県平戸市雄香寺
官位 従五位下壱岐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
肥前平戸藩
氏族 松浦氏
父母 父:松浦篤信、母:小宮氏
兄弟 有信誠信交信雅信義信信桯牧野貞通正室、朝倉豊良室、吉子、松浦斉養女
正室:松平信祝の娘・多代
養子:誠信
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略歴

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第6代藩主・松浦篤信の長男として誕生した。母は小宮氏。正室は大河内松平信祝の娘・多代。

享保12年(1727年)、父が病気を理由に隠居したため、その跡を継いで藩主となった。そして父の後を受けて藩政改革に乗り出したが、翌年に病に倒れ、8月25日に平戸城にて死去した。享年19。嗣子がなく、弟の誠信を養嗣子として跡を継がせた。墓所は平戸市雄香寺。法号は等覚院殿前壱州太守天麟英心大居士。

系譜

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