東和町 (岩手県)

日本の岩手県和賀郡にあった町

東和町(とうわちょう)は、平成17年(2005年)まで岩手県和賀郡にあった。現在の花巻市の東和町を冠する各大字にあたる。

とうわちょう
東和町
成島毘沙門堂
東和町旗 東和町章
東和町旗 東和町章
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 新設合併
花巻市、東和町石鳥谷町大迫町花巻市
現在の自治体 花巻市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
和賀郡
市町村コード 03361-8
面積 157.51 km2
総人口 10,637
推計人口、2006年1月1日)
隣接自治体 花巻市北上市遠野市江刺市稗貫郡大迫町石鳥谷町
町の木 あかまつ
町の花 あやめ
町の鳥 きじ
東和町役場
所在地 028-0192
岩手県和賀郡東和町土沢8区60番地
(現在の花巻市東和町土沢8区60番地)
座標 北緯39度23分13秒 東経141度13分41秒 / 北緯39.38686度 東経141.22808度 / 39.38686; 141.22808座標: 北緯39度23分13秒 東経141度13分41秒 / 北緯39.38686度 東経141.22808度 / 39.38686; 141.22808
東和町の県内位置図
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地理

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歴史

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当地域の歴史は坂上田村麻呂の時代にさかのぼり、成島毘沙門堂や丹内山神社などが田村麻呂の創建と伝わる。中世の当地域は和賀氏が支配しており、その家臣の小原氏の領地があったが、戦国時代末期、豊臣秀吉による奥州仕置で和賀氏は改易された。後に和賀氏は領土回復を目的に和賀・稗貫一揆岩崎一揆を起こしたが最終的に南部氏に平定され、近世は南部藩領となった。また、伊達藩と接する重要拠点として慶長17年(1612年)に土沢城が築かれた。土沢城は旧葛西氏家臣・江刺隆直を城主として使用されたが、寛文10年(1670年)に廃城となった。江戸時代は盛岡から釜石に続く釜石街道の宿場町として栄えた[1]

廃藩置県では地域内に多くの村が設立され、後にこれらが合併して土沢町小山田村谷内村中内村などが成立、昭和30年、前述の各町村が合併し、東和町が成立した。

町名の由来

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賀郡の部にちなんで東和町と命名。 (同じく平成の大合併では当町と入れ替わる形で同郡の西部に西和賀町が発足した。)

沿革

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行政

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  • 最後の町長:小田島峰雄(おだしま みねお、1998年1月25日就任)

教育

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小学校

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-2010

  • 東和町立小山田小学校
  • 東和町立土沢小学校
  • 東和町立成島小学校
  • 東和町立田瀬小学校
  • 東和町立谷内小学校
  • 東和町立浮田小学校

2011-

  • 花巻市立東和小学校(6校合併)

中学校

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-2007

  • 東和町立東和中学校
  • 東和町立田瀬中学校

2008-

  • 花巻市立東和中学校(田瀬中合併)

高等学校

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-2010

交通

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公共交通

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  • 花巻市コミュニティバス
    • 土沢線

道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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名所・旧跡・観光スポット

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祭事・催事

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出身有名人

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 東和町史

外部リンク

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