富田浩太郎

日本の俳優(1925ー2004)

富田 浩太郎とみた こうたろう[1]1925年大正14年〉[2]1月20日[3][注釈 1] - 2004年平成16年〉6月10日[3])は、日本の俳優。本名および別名義は冨田 浩太郎(読みは同じ)[2]

とみた こうたろう
富田 浩太郎
本名 冨田 浩太郎とみた こうたろう
別名義 冨田 浩太郎
生年月日 (1925-01-20) 1925年1月20日
没年月日 (2004-06-10) 2004年6月10日(79歳没)
出生地 日本の旗 日本 熊本県玉名郡大浜町
職業 俳優
ジャンル
活動期間 1952年 - 2004年
事務所 東京俳優生活協同組合
テンプレートを表示

人物

編集

熊本県[2]玉名郡大浜町出身。宮崎大学[2]農学部畜産学科卒業。新協劇団[2]劇団民藝[2]東映[2]劇団青俳を経て[2]東京俳優生活協同組合に所属していた[2]

九州学院高等学校教員を経て劇団民藝に入団。舞台を中心に、映画やテレビドラマで脇役として活躍した。その知的で温厚な雰囲気から紳士的な役柄を演じることが多かったが、インテリ系の悪役としても実績を残している。

俳優活動の傍ら、教員経験を活かして民藝付属の演劇研究所や日本大学藝術学部などで演劇の講師も務めた。自らも「冨田演技塾」を主宰し、後進の育成に尽力した。

東京俳優生活協同組合に所属中の2004年6月10日肺炎のため死去。79歳没。

評論家の川本三郎にとっては姉の夫だという[注釈 2]

教え子に小村哲生がいる[4]。小村はその演出を受けて、芝居の凄さを知ったという[4]。その時にしていた芝居は、子供達に観せるミュージカルっぽい芝居だったが、「子供たちにこそ最も質の高いものを与えるべきだ!!」と言って、小村はその時、ハートが熱くなり、「僕はそれを、子供たちに観せる芝居を、自分のライフワークにしたいと思います」と叫んでいたという[4]。その後、色々な劇団を紹介し、そこへ面接に行くが、どこも小村の理想とかけ離れており、富田が「君は自分で劇団を立ち上げなさい。君に足りないところは僕が補ってあげるから」と言っていたという[4]。当時、小村は若く、何も世間のことを無知だったことから「はい!やってみます」と1976年には劇団民話芸術座の旗揚げに至ったという[4][5]

特技は声楽[2]ピアノ[2]

出演作品

編集

映画

編集

など

テレビドラマ

編集

など

舞台

編集
  • かの子撩乱
  • 雨ふり小僧

など

その他

編集

ラジオドラマ

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 1月30日とする資料もある[2]
  2. ^ 川本三郎・筒井清忠『日本映画 隠れた名作 昭和30年代前後』(中公選書2014年)に川本が語っていて[要ページ番号]、『胸より胸に』の演技を朝日新聞が酷評して出演作がなくなってしまったという。
  3. ^ 冨田浩太郎名義。

出典

編集
  1. ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 125, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1982年、151頁。 
  3. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「1月20日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、26頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ a b c d e 「井上和彦のちょっとよってく?【第47回】(ゲスト:小村哲生 後編)」『声優アニメディア』2013年1月号、学研マーケティング、2012年12月10日、88-89頁。 
  5. ^ 民話芸術座について”. 民話芸術座. 2023年9月1日閲覧。
  6. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 537–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  7. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 161, 「『狼の紋章』作品解説/俳優名鑑」

参考文献

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集