安井章一
日本の内務官僚
安井 章一(やすい しょういち、1890年(明治23年)1月7日[1] - 1984年(昭和59年)7月10日[2])は、日本の内務官僚。高松高等商業学校(現在の香川大学)校長、旧制水戸高等学校(現在の茨城大学)校長。
経歴
編集兵庫県出身。1911年(明治44年)、農商務省水産講習所本科卒業[3]。山口県水産試験場技手、特許局技手・審査官補を務め、1918年(大正7年)に高等試験に合格した[3]。徳島県属、同警視、同海部郡長、同理事官・地方課長、庶務課長、商工課長、新潟県地方課長、同事務官、神奈川県事務官、同工場監督官、京都府事務官、奈良県書記官・学務部長、鳥取県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、青森県書記官・内務部長、同経済部長、群馬県書記官・総務部長、岡山県書記官・総務部長を歴任した[1][3]。
1939年(昭和14年)、文部省教学局企画部長に転じ、翌年には高松高等商業学校校長に就任した[3]。その後は水戸高等学校校長を務めた。
脚注
編集- ^ a b 大衆人事録 1937.
- ^ 『読売新聞』1984年7月12日、朝刊23頁。
- ^ a b c d 日本官界名鑑 1942.
- ^ “広報ひめじ 第22号” (PDF). 姫路市 (1951年4月10日). 2016年11月24日閲覧。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。
公職 | ||
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先代 豊崎長蔵 |
徳島県海部郡長 1920年 - 1922年 |
次代 永井末之進 |