教学局
概要
編集1935年(昭和10年)11月18日、教学の刷新振興を図る目的で教学刷新評議会が設置された[1]。1937年(昭和12年)7月21日、同会の答申に基づいて文部省の外局として教学局が設置された[2]。局内には企画部(企画課・思想課)・指導部(指導課・普及課)・庶務課が置かれ、教学刷新振興策の企画・調査、図書・冊子の編纂や刊行・頒布、図書の調査、学校や社会教育団体の思想情報の収集ならびに指導・監督、教職員の再教育、文化講義などを所掌した[2][3]。
1942年(昭和17年)11月1日、行政簡素化に伴う文部省官制の改正に際して内局に編入され、企画課・思想課・指導課の三課体制となった[4]。1943年(昭和18年)11月、官制改正により図書局および教化局を廃止し、教学局で国語の調査や宗教行政、文化行政、社会教育関係も所管することとなり、局内に教学課・思想課・国語課・宗教課・文化課が置かれた[5][6]。
歴代局長
編集- 教学局長官
- 菊池豊三郎:1937年7月21日 - 1939年4月17日
- 小林光政:1939年4月17日 - 1940年1月27日
- 菊池豊三郎:1940年1月27日[8] - 1940年7月29日[9]
- (事務取扱)菊池豊三郎:1940年7月29日[10] - 1940年8月13日[11]
- 藤野恵:1940年8月13日 - 1942年10月30日(内局に編入)
- 文部省教学局長
脚注
編集- ^ 「教学刷新評議会官制ヲ定ム」 アジア歴史資料センター Ref.A14100450600 、昭和10年11月2日。
- ^ a b 「教学局官制」 アジア歴史資料センター Ref.A03033221900 、昭和12年7月2日。
- ^ 『官報』第3165号「彙報」昭和12年07月22日。
- ^ 「御署名原本・昭和十七年・勅令第七四八号・行政簡素化実施ノ為ニスル文部省官制改正ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03022764800 、昭和17年11月1日。
- ^ 「御署名原本・昭和十八年・勅令第八一二号・行政機構整備実施ノ為ニスル文部省官制中改正ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03022870500 、昭和18年11月1日。
- ^ 『官報』第5044号「彙報」昭和18年11月4日。
- ^ 「御署名原本・昭和二十年・勅令第五七〇号・文部省官制中改正ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A04017767800 、昭和20年10月13日。
- ^ 『官報』第3916号、1940年1月29日、871頁。
- ^ 『官報』第4069号、1940年7月30日、1004頁。
- ^ 前掲『官報』第4069号、1008頁。
- ^ 『官報』第4083号、1940年8月15日、473頁。
参考文献
編集- 秦郁彦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 4130301217。
関連項目
編集外部リンク
編集- 教学局|アジ歴グロッサリー - アジア歴史資料センター
- 教学刷新評議会(抄) - 『学制百年史 資料編』
- 『教学局』 - コトバンク