外ヶ濱弥太郎
外ヶ濱 弥太郎(そとがはま やたろう、1897年8月27日 - 1966年5月30日[1])は、現在の青森県弘前市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は斉藤 弥作。174cm、92kg。最高位は東前頭筆頭。引退後は3代峰崎から13代千賀ノ浦を襲名し、年寄として後進の指導につとめた。
来歴
編集1916年1月入間川部屋より初土俵、その後千賀ノ浦部屋に移り1924年5月新入幕、その後出羽海部屋に移籍した。幕内では金星を3つ獲得した。春秋園事件の際に一時脱退したが、その後復帰。1934年1月に引退し、3代峰崎、13代千賀ノ浦と改め、桟敷部長、理事、監事の要職を長年務め、1962年8月停年退職。
主な成績
編集- 幕内29場所127勝140敗37休4分
- 通算46場所179勝167敗5分預
- 金星3(西ノ海1、宮城山2)
場所別成績
編集春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1916年 (大正5年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1917年 (大正6年) |
西序ノ口14枚目 3–2 |
x | 西序二段96枚目 4–1 |
x | ||
1918年 (大正7年) |
東序二段26枚目 優勝 5–0 |
x | 東三段目37枚目 2–3 |
x | ||
1919年 (大正8年) |
東三段目35枚目 4–0 1預 |
x | 西幕下52枚目 3–2 |
x | ||
1920年 (大正9年) |
東幕下34枚目 3–2 |
x | 東幕下18枚目 3–2 |
x | ||
1921年 (大正10年) |
西幕下11枚目 3–2 |
x | 東幕下7枚目 2–3 |
x | ||
1922年 (大正11年) |
東幕下15枚目 3–2 |
x | 東幕下4枚目 4–1 |
x | ||
1923年 (大正12年) |
西十両7枚目 4–1 |
x | 東十両5枚目 4–3 |
x | ||
1924年 (大正13年) |
西十両筆頭 5–3 |
x | 東前頭16枚目 5–3 3分 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
東前頭11枚目 8–3 |
x | 西前頭3枚目 3–7 1分 |
x | ||
1926年 (大正15年) |
西前頭8枚目 7–4 |
x | 東前頭筆頭 3–8 |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
西前頭4枚目 6–5 ★ |
西前頭4枚目 0–0–11 |
西前頭2枚目 3–8 |
東前頭12枚目 6–5 |
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1928年 (昭和3年) |
東前頭7枚目 6–5 |
西前頭4枚目 0–0–11 |
西前頭7枚目 6–5 |
西前頭7枚目 7–4 |
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1929年 (昭和4年) |
東前頭3枚目 3–8 ★ |
東前頭3枚目 1–2–8 |
東前頭12枚目 6–5 |
東前頭12枚目 5–6 |
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1930年 (昭和5年) |
東前頭9枚目 6–5 |
東前頭9枚目 6–5 |
東前頭7枚目 0–4–7 |
東前頭7枚目 4–7 ★ |
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1931年 (昭和6年) |
西前頭12枚目 6–5 |
西前頭12枚目 7–4 |
東前頭10枚目 1–10 |
東前頭10枚目 6–5 |
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1932年 (昭和7年) |
西前頭16枚目 – |
x | x | x | ||
1933年 (昭和8年) |
前頭 7–4 |
x | 東前頭13枚目 6–5 |
x | ||
1934年 (昭和9年) |
西前頭10枚目 引退 3–8–0 |
x | x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名
編集綾緑弥作→外ヶ濱弥太郎[2]
出典
編集- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 56頁
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709