1927年の相撲
できごと
編集本場所
編集誕生
編集- 1月7日 - 鳳龍一雄(最高位:十両5枚目、所属:立浪部屋、+ 1959年【昭和34年】)
- 1月7日 - 黒田山昭二(最高位:十両14枚目、所属:立浪部屋)
- 2月1日 - 大瀬川半五郎(最高位:前頭6枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 没年不詳)[4]
- 2月18日 - 大龍志郎(最高位:前頭19枚目、所属:二所ノ関部屋→湊川部屋→二所ノ関部屋)[5]
- 2月23日 - 若國一男(最高位:十両11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1989年【昭和64年】)
- 3月30日 - 大日山廣司(最高位:十両11枚目、所属:双葉山道場→時津風部屋)
- 5月21日 - 二所錦照生(最高位:十両13枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 5月30日 - 宮錦浩(最高位:小結、所属:芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋、+ 1992年【平成4年】)[6]
- 6月2日 - 七瀬川秀雄(最高位:十両10枚目、所属:時津風部屋)
- 9月24日 - 大晃定行(最高位:小結、所属:出羽海部屋、+ 1996年【平成8年】)[7]
- 9月29日 - 瀧見山延雄(最高位:十両4枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 10月10日 - 琴ヶ濵貞雄(最高位:大関、所属:二所ノ関部屋→佐渡ヶ嶽部屋、+ 1981年【昭和56年】)[7]
- 10月18日 - 七ッ海操(最高位:前頭12枚目、所属:立浪部屋、+ 1994年【平成6年】)[8]
- 10月22日 - 26代式守伊之助(元・立行司、所属:春日野部屋、+ 1994年【平成6年】)[9]
- 10月25日 - 三郎(元・一等呼出、所属:花籠部屋→放駒部屋、+ 2021年【令和3年】)
- 11月19日 - 吉田川清四郎(最高位:前頭13枚目、所属:音羽山部屋→双葉山道場→時津風部屋)[7]
死去
編集- 1月7日 - 九州山十郎(最高位:大関、所属:出羽ノ海部屋→入間川部屋、年寄:稲川、* 1889年【明治22年】)[10]
- 5月16日 - 八嶌山平八郎(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、年寄:浅香山、* 1874年【明治7年】)[11]
- 5月24日 - 鬼風一男(最高位:前頭7枚目格付出(大阪大関)(現役没)、所属:出羽海部屋、* 1899年【明治32年】)[1]
- 9月2日 - 2代梅ヶ谷藤太郎(第20代横綱、所属:雷部屋、年寄:雷、* 1878年【明治11年】)[12]
- 9月15日 - 小常陸由太郎(最高位:関脇、所属:出羽ノ海部屋、年寄:秀ノ山、* 1886年【明治19年】)[13]
- 10月27日 - 綾浪源鋭(最高位:関脇、所属:追手風部屋→高砂部屋→追手風部屋、年寄:湊川、* 1881年【明治14年】)[14]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 55頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 49頁
- ^ a b c d 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 313頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 136頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 133頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 131頁
- ^ a b c 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 126頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 135頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 361頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 36頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 18頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 6頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 16頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 20頁