大相撲昭和2年1月場所(おおずもうしょうわにねんいちがつばしょ)は、1927年(昭和2年)1月14日からの1月24日までの11日間、東京都墨田区両国国技館(初代国技館)で開催された大相撲本場所である。

大相撲昭和2年1月場所
初代国技館
基本情報
会場 両国国技館
番付発表 1927年1月7日
開催期間 1927年1月14日1月24日(11日間)
各段優勝・三賞
幕内最高優勝 宮城山福松(10勝1敗)
十両優勝 {{{十両優勝}}}({{{十両優勝成績}}})
幕下優勝 {{{幕下優勝}}}({{{幕下優勝成績}}})
三段目優勝 {{{三段目優勝}}}({{{三段目優勝成績}}})
序二段優勝 {{{序二段優勝}}}({{{序二段優勝成績}}})
序ノ口優勝 {{{序ノ口優勝}}}({{{序ノ口優勝成績}}})
殊勲賞 {{{殊勲賞}}}
敢闘賞 {{{敢闘賞}}}
技能賞 {{{技能賞}}}
 < 先場所  翌場所 >
テンプレートを表示

概要

編集

江戸時代の勧進相撲以来の流れをくむ全国各地の相撲興行の内、最後まで残った東京相撲大阪相撲が合流する形で、大日本大角力協会が発足、今日にまで続く大相撲の記念すべき第1回興行となった。また、昭和に改元されてから初の本場所にもなった。

番付・星取表

編集
幕内
東 111点(優勝 番付 西 89点
備考 成績 力士名 力士名 成績 備考
3勝2敗6休 西ノ海嘉治郎 横綱 常ノ花寛市 7勝4敗
大阪相撲より合流
幕内最高優勝
10勝1敗 宮城山福松 張出横綱
新大関
(第161代)
8勝3敗 能代潟錦作 大関 大ノ里萬助 6勝5敗
0勝0敗11休 太刀光電右衛門 張出大関
7勝4敗 小野川喜一郎 関脇 常陸岩英太郎 9勝2敗 優勝次点
7勝4敗 若葉山鐘 小結 山錦善治郎 2勝9敗
張出小結 出羽ヶ嶽文治郎 6勝5敗
3勝8敗 清水川清行 前頭1 真鶴秀五郎 4勝7敗 大阪相撲より合流
張出前頭 綾錦由之丞 4勝7敗
6勝5敗 大蛇山雄作 前頭2 白岩亮治 1勝4敗5休1分
優勝旗手 8勝3敗 清瀬川敬之助 前頭3 玉錦三右衛門 6勝5敗
3勝8敗 三杉磯善七 前頭4 外ヶ濱弥太郎 6勝5敗
6勝4敗1休 錦洋与三郎 前頭5 柏山大五郎 3勝8敗
1勝3敗6分1休 東関善三郎 前頭6 桂川力蔵 3勝8敗 大阪相撲より合流
8勝3敗 朝響信親 前頭7 若常陸恒吉 5勝6敗
7勝4敗 吉野山要治郎 前頭8 常陸嶽理市 7勝4敗
大阪相撲より合流 2勝9敗 荒熊谷五郎 前頭9 常陸島朝吉 2勝9敗
大阪相撲より合流 5勝6敗 錦城山勇吉 前頭10 綾鬼喜一郎 0勝4敗7休
6勝5敗 一ノ濱善之助 前頭11 雷ノ峰伊助 3勝8敗
5勝6敗 阿久津川高一郎 前頭12 光風貞太郎 0勝0敗11休
2勝9敗 真砂石三郎 前頭13 朝光亀太郎 5勝6敗 大阪相撲より合流
新入幕 8勝3敗 星甲実義 前頭14 樽錦政吉 6勝5敗
6勝5敗 泉洋藤太郎 前頭15 琴ヶ浦善治郎 4勝7敗

表彰

編集
タイトル 四股名 地位 回数 成績 部屋 出身 備考
幕内最高優勝 宮城山福松 東張出横綱 初優勝 10勝1敗 高田川部屋 岩手県一関市

備考

編集
  • 東京と大阪の番付を合同編成するにあたり、前年に「東西連盟大相撲」として技量審査を行ったうえで、番付編成を行った。元々両団体の間では旧東京組が人気、実力、規模ともに優位にあり、大阪合流組の力士は、横綱の宮城山を除いて、大阪時代の番付よりかなり低い番付に留め置かれることとなった(荒熊と錦城山は、ともに大阪では大関だったが、合流後は平幕まで落とされた)[1]
  • 前評判の低かった大阪合流組であったが、優勝争いでは宮城山が、8日に常ノ花との横綱対決に敗れたのみの10勝1敗で新制大相撲の初代王者に輝き、旧大阪協会の意地を示した[2]
  • 関脇の常陸岩が優勝次点の好成績をあげて、場所後に大関昇進を果たす[2]

脚注

編集

注釈

編集

出典

編集
  1. ^ 高永, p. 32.
  2. ^ a b 高永, p. 35.

参考文献

編集
  • 高永武敏『相撲昭和史 激動の軌跡』恒文社東京都千代田区、1982年6月30日。ISBN 4-7704-0489-1