四十二番街』(よんじゅうにばんがい、42nd Street)は、1933年アメリカ映画ワーナー・ブラザース製作。ミュージカル映画のエポックメイキングとされる傑作だが、ただし通常のミュージカル映画のように劇中で突然、歌いだすのではなく。あくまでもミュージカルの舞台を上演するまでの舞台裏を扱ったドラマ映画である。

四十二番街
42nd Street
ポスター(1933)
監督 ロイド・ベーコン
脚本 ライアン・ジェームズ
ジェイムズ・シーモア
製作 ダリル・F・ザナック
撮影 ソル・ポリト
編集 トーマス・プラット
配給 ワーナー・ブラザース
公開 アメリカ合衆国の旗 1933年3月9日
日本の旗 1933年6月10日
上映時間 89分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 44万ドル
配給収入 アメリカ合衆国の旗 230万ドル
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予告編よりタイトル

概要

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レビューシーン

物語は「ブロードウェイ・メロディー」(1929年)などと同様、華やかなレビュー舞台の裏側を扱ったもので、劇中でスターとなるペギーのように、この映画からルビー・キラーディック・パウエルジンジャー・ロジャースといった注目すべきスターが生まれた。

しかし最も話題となったのはバスビー・バークレーの振付による大掛かりなレビューシーンである。とくに大人数のダンサーを真上から見下ろし、万華鏡的な映像を作るいわゆる「バークレー・ショット」は大きな話題となり、その後のバークレー作品のみならず幾多のシネ・ミュージカルに採用される"お約束"となる。またそれは舞台では見せることが不可能な、映画ミュージカルならではの画期的な個性の誕生といえるものだった。

この作品の成功により、『ブロードウェイ・メロディー』以後の粗製濫造で低迷気味であったミュージカル映画は、ふたたび息を吹き返す。本作の直接的な続編ではないが、同年、ほぼ同じスタッフの製作による『ゴールド・ディガーズ』『フットライト・パレード』が公開、うち『ゴールド・ディガーズ』はシリーズとして1938年まで計5作が作られた(この1933年版はシリーズ3作目にあたる)。それに刺激されてメトロ・ゴールドウィン・メイヤーが『ブロードウェイ・メロディー』をシリーズ化、パラマウントも『ビッグ・ブロードキャスト』シリーズで対抗し、舞台裏ミュージカルが花盛りとなるのである。

なお劇中のオーディション及びリハーサルはニューヨークの『四十二番街』で行われるが、劇中劇『プリティ・レディ』の上演はフィラデルフィアである。

原作ではビリーと恋仲になるのは演出家ジュリアンであったが、同性愛の描写が不可能であったためビリーとペギーへ変更になった。

ストーリー

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株の大暴落で心身を消耗したかつての名演出家ジュリアン・マーシュは、新作のミュージカル『プリティ・レディ』を最後の花道として大ヒットさせることに全てを賭けていた。オーディションでダンサーが選ばれ、さまざまな人間模様が生まれる中、ジュリアンの厳しく情熱的な指導による練習が続く。そしていよいよフィラデルフィアのプレミアを控えた前日、主演に起用されていた女優ドロシー・ブロックが、身から出た錆によって足に怪我をしてしまう。ドロシーの代わりに急遽抜擢されたのは、コーラスガールとして参加していた新人ペギー・ソイヤーだった。ペギーはジュリアンとの一対一の猛特訓の末、ドロシーの励ましも受けて見事舞台を成功させ、新しきスターとなった。しかしジュリアンの功績までは、観客が正しく理解することはなかったのだった。

キャスト

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※括弧内は日本語吹替(テレビ版)

スタッフ

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公開

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1933年に公開された中で最も成功した作品であり、$2,300,000の収益を上げた。第6回アカデミー賞において作品賞と音響(録音)賞にノミネートされた。また、AFIが選んだ「ミュージカル映画ベスト」で13位に入った。 

舞台化

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1980年ブロードウェイミュージカルとして舞台化トニー賞の作品賞と振付賞を受賞、最終的には8年間のロングランを記録する大ヒット作品となった。2001年にはリバイバル公演が行われた。日本では1997、1999、2000、2002年、涼風真世主演で上演された。

関連項目

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外部リンク

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