加茂 喜久(かも よしひさ、1932年11月24日[4] - 1994年4月25日[5])は、日本男性俳優声優イラストレーター装丁家兵庫県出身[3]加茂 嘉久とも表記される[4]

かも よしひさ
加茂 喜久
プロフィール
本名 加茂 義久[1]
性別 男性
出生地 日本の旗 日本徳島県徳島市[2]
出身地 日本の旗 日本兵庫県[3]
生年月日 (1932-11-24) 1932年11月24日
没年月日 (1994-04-25) 1994年4月25日(61歳没)
職業 俳優声優イラストレーター、装丁家
公称サイズ(1965年時点)[3]
身長 / 体重 165 cm / 58 kg
俳優活動
活動期間 1950年代 - 1994年
ジャンル テレビドラマ映画
声優活動
ジャンル アニメ吹き替え
イラストレーター、装丁家活動
活動名義 かも よしひさ
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来歴・人物

1932年、徳島県徳島市で生まれる[2]日本大学芸術学部演劇学科中退[3]。1951年、劇団俳優座養成所卒業後、日本大学芸術学部に入学[4]。1953年4月に前進座に入団後、同年8月に新協劇団に移る[3]。その後、劇団統合により東京芸術座の所属となり[4]、1962年の時点では東京俳優生活協同組合に所属[4]。1965年の時点ではフリーランスで活動[3]。その後、三日月プロ[6]同人舎プロダクション[7]青二プロダクションに所属した。イラストレーター、装丁家としてはかも よしひさ名義で活動していた[2]

大学在学中から、舞台美術家、俳優(舞台、映画)として活動を始める[8]。また、テレビの勃興期から、海外ドラマ吹き替え・アニメーションの声優として活躍。

さらに、イラストレーター、装丁家としても活動。1985年には装丁家たちの権利団体「日本図書設計家協会」を創設した。

1994年4月25日、腸閉塞のため死去[1]。61歳没。

出演

太字はメインキャラクター。

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

1963年
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年

劇場アニメ

吹き替え

特撮

  • ロボット刑事 第9話「電気椅子スパイ!!」・第10話「バドーのみな殺し作戦!!」(1973年) - ハリサスマンの声

舞台

  • 山の民(1954年、新協劇団) - 源吾[14]
  • 静かなる山々(1957年、東京芸術座・劇団中芸) - 百姓[15]
  • 京浜の虹(1959年、東京芸術座)[16]
  • 五右衛門釜煎り(1964年、東京芸術座) - 源之丞[17]

著書

  • 昭和戯作三昧 かもよしひさ漫画集 ノーベル書房 1970
  • 雑兵物語(現代語訳、插画)講談社 1980.11

出典

  1. ^ a b 『現代物故者事典 1994〜1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.174
  2. ^ a b c かもよしひさ「随想」『月刊不動産流通』7月号、不動産流通研究所、1984年、42頁。 
  3. ^ a b c d e f 『新劇便覧』テアトロ、1965年、256頁。 
  4. ^ a b c d e 『タレント名鑑NO1』芸能春秋社、1962年、26頁。 
  5. ^ 加茂喜久」『Excite News』(エキサイト株式会社)。2023年11月5日閲覧。
  6. ^ 『出演者名簿(昭和45年版)』著作権情報センター、1970年、116頁。 
  7. ^ 『出演者名簿(1973年版)』著作権情報センター、1972年、124頁。 
  8. ^ かもよしひさ プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2023年2月7日閲覧。
  9. ^ 日本民間放送連盟(編)「テレビドラマ発達史 (25回) 花咲ける50~60年代(5) / 和田矩衛」『月刊民放』第8巻第8号、日本民間放送連盟、1978年8月1日、40頁、NDLJP:3470912/21 
  10. ^ 鉄人28号”. エイケン オフィシャルサイト. 2021年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月11日閲覧。
  11. ^ パーマン”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2024年5月3日閲覧。
  12. ^ わんわん忠臣蔵”. メディア芸術データベース. 2016年10月25日閲覧。
  13. ^ 加藤みどり「ぷれいないと」『新評』10月号、新評社、1972年、274頁。 
  14. ^ 倉林誠一郎, ed (1966). “昭和二十九年(1954)”. 新劇年代記 戦後編. 白水社. pp. 345 - 346 
  15. ^ 『左翼文化年報 1958年版』星光社、1958年、243頁。 
  16. ^ 新日本文学』10月号、新日本文学会、1959年。 
  17. ^ 「東京芸術座」『新劇便覧』テアトロ、1965年、430頁。 

外部リンク