倉田秋

日本のサッカー選手

倉田 秋(くらた しゅう、1988年11月26日 - )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手Jリーグガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表

倉田 秋
名前
愛称 シュウ
カタカナ クラタ シュウ
ラテン文字 KURATA Shu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-11-26) 1988年11月26日(36歳)
出身地 大阪府高槻市
身長 172cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 ガンバ大阪
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
ユース
2001-2006 ガンバ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007- ガンバ大阪 385 (53)
2010 ジェフユナイテッド千葉loan 29 (8)
2011 セレッソ大阪(loan) 33 (10)
代表歴2
2015-2017 日本の旗 日本 9 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月8日現在。
2. 2017年12月6日現在。
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来歴

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プロ入り前

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中学時代からガンバ大阪の下部組織に所属。2006年、高校3年次の日本クラブユース選手権大会では、決勝でゴールを決めるなど大きく貢献(チーム1-0で優勝)し、大会MVPに輝いた。

ガンバ大阪

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2007年にトップチームに昇格(同期昇格は下平匠星原健太)。シーズン前の海外キャンプでは才能の片鱗を見せ、当時の西野朗監督はガンバの攻撃を操るユースの先輩と比較して「二川2世」と評した。7月7日に行われたヤマザキナビスコカップ浦和レッドダイヤモンズ戦でスタメンで公式戦初出場を果たすと、ボランチの位置で90分間積極的にプレー。バー直撃の推定35m強烈ミドルやファールでしか止めることの出来ないほど推進力のあるドリブルを披露した。ユース時代はキャプテンを務め、チームが「攻撃的スタイル」にシフトチェンジする際に、ポジションをセンターハーフからサイドハーフに変え、前に出ていく回数を増やすという戦術が頻繁に用いられた。しかし、遠藤・二川らの経験豊富な中盤に割って入るには至らず、出場機会には恵まれなかった。

ジェフユナイテッド市原・千葉

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2010年J2ジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍が発表された[1][2]。J2開幕戦のロアッソ熊本戦で、Jリーグ初得点を決め順調な滑り出しを見せると、以後レギュラーに定着して活躍、プロ入り後初めてシーズン通して出場した。

セレッソ大阪

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2011年セレッソ大阪への期限付き移籍での加入が発表された。J1開幕戦、古巣ガンバとの大阪ダービーで、J1初得点を決める。レヴィー・クルピ監督の下で清武弘嗣乾貴士金甫炅と好連携を見せ[3] 、最終的にチームトップタイの10得点を挙げる活躍を見せた。 退団以降も山口蛍清武弘嗣といった当時のチームメイトと食事をするなど親交がある他、「セレッソサポーターのことは好き。あったかいチームやったし。それも分かってるんで。試合になればガツガツ行きたい」と話している[4][5]

ガンバ大阪復帰

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2012年、セレッソ大阪との移籍期間満了につき3年ぶりにガンバ大阪に復帰した[6][7]。開幕当初は怪我で出遅れるも、復帰後はレギュラーに定着しガンバでも安定したプレーを見せたが、チームは極度の不振に陥りJ2降格となってしまった。

2013年、J1クラブからオファーを貰うもガンバに残留した[8]。開幕からレアンドロと2トップを組み攻撃陣を牽引し、前半戦だけで7得点を記録するなど監督の長谷川健太からは「前半戦のMVP」と称される活躍を見せた。しかし、J2第21節徳島戦で左膝外側側副靭帯損傷および左脛骨近位骨挫傷の重傷を負い長期離脱を余儀なくされ[9]、2か月半後のJ2第36節栃木戦で復帰。以降、サイドハーフで出場し、ガンバのJ2優勝とJ1復帰に貢献した。

2014年、開幕当初はFWの人材不足により前線で起用されることが多かったが、シーズン半ば以降は中盤の2列目からの積極的なハードワークで攻守両面にわたり奮闘[10]。天皇杯2回戦ツエーゲン金沢戦ではプロ入り初のハットトリックを達成。シーズン終盤は控えに回ったが、優勝への天王山となった第32節浦和戦では、試合終了間際にダメ押しゴールを決めるなど随所で存在感を発揮し、ガンバのリーグ優勝さらには国内三冠に大きく貢献した。

2015年7月23日、東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに初選出された[11]。8月5日の韓国戦で代表初出場を果たし、山口蛍の代表初ゴールをアシストする活躍を見せた。前半戦はベンチスタートになることもあったが、長谷川監督の守備を安定させる意向で後半戦から4-2-3-1のシステムが採用されるとトップ下のレギュラーに定着し攻守両面のキーマンとして活躍[12]。天皇杯準々決勝鳥栖戦と準決勝広島戦では宇佐美貴史が決めた計4得点全ての起点となり、決勝の浦和戦ではパトリックの先制ゴールをアシストし天皇杯連覇に貢献するなど決定的な成果も多くもたらした。

2016年5月21日、第13節のサンフレッチェ広島戦ではボランチとして先発して勝利に貢献した。その後は井手口陽介がボランチに定着したため本来のサイドハーフのポジションに戻った。

2017年より長年二川孝広がつけていた背番号「10」番に変更された[13]。3月16日、日本代表のメンバー発表が行われ、東アジアカップ以来の代表復帰を果たした。4月16日、第7節のセレッソ大阪との大阪ダービーではアドリアーノ以来2人目、日本人では初の大阪ダービーにおいて両クラブで得点を果たした。10月6日、キリンチャレンジカップニュージーランド戦で代表初得点を決めた。続く10月10日のキリンチャレンジカップのハイチ戦ではスタメン出場し、先制点を決めて2試合連続得点を記録。

2018年は、ロシアW杯に向けてメンバー入りが期待されたが、シーズン序盤で怪我をしてコンディションが整わなかったことや、代表監督交代などもあり、同年以降は一度も日本代表に招集されることはなく、初のW杯メンバー入りも叶わなかった。

2019年10月19日、第29節の川崎フロンターレ戦では、65分に小野瀬康介からのクロスに飛び込みヘディングで同点ゴールを決めた。しかし、そのシュート時に川崎の選手と頭が激突し、そのまま倒れ込んだまま動けなくなり途中交代となった。その後、救急車で病院に搬送され、脳震とうと左頬骨骨折と診断された[14]

2020年2月23日、開幕戦の横浜F・マリノス戦でJ1通算50得点を決め、チームの2011年以来9年ぶりの開幕戦勝利に貢献した。

2022年より、チームキャプテンに就任。しかしシーズンを通してチームは残留争いで苦しい状況を戦い、自身もシーズン中盤以降は徐々に出番を失い、ベンチ外になることも多くなり、2009年以来の公式戦無得点に終わった。7月2日、第19節の浦和レッズ戦で前半にゴールネットを揺らすもVARの判定により得点取り消しとなった。

2023年は怪我で出遅れメンバー外が続いたが14節の横浜F・マリノス戦でリーグ戦初先発を勝ち取りチームは敗れたもの好パフォーマンスを見せた。翌節のアルビレックス新潟戦で1年7ヶ月ぶりのゴールを決めチームの連敗ストップ、更にその後チームは3年ぶりのリーグ4連勝を飾った。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 G大阪 31 J1 6 0 2 0 0 0 8 0
2008 20 13 0 2 0 4 0 19 0
2009 3 0 0 0 0 0 3 0
2010 千葉 14 J2 29 8 - 3 1 32 9
2011 C大阪 23 J1 33 10 1 0 5 0 39 10
2012 G大阪 14 31 7 2 0 4 1 37 8
2013 6 J2 28 8 - 1 0 29 8
2014 11 J1 30 6 11 2 6 3 47 11
2015 31 5 4 0 4 1 39 6
2016 34 2 5 0 2 0 41 2
2017 10 33 8 2 0 2 0 37 8
2018 31 4 6 0 1 0 38 4
2019 31 7 8 3 1 0 40 10
2020 34 4 2 0 2 0 38 4
2021 37 1 2 0 3 1 42 2
2022 18 0 3 0 2 0 23 0
2023 17 1 4 0 0 0 21 1
2024 25 1 1 0 4 0 30 1
通算 日本 J1 407 56 55 5 40 6 502 67
日本 J2 57 16 - 4 1 61 17
総通算 464 72 55 5 44 7 563 84

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2008 G大阪 20 3 0 0 0
2009 1 0 -
2011 C大阪 23 5 1 -
2012 G大阪 14 3 1 -
2015 11 11 2 -
2016 5 0 -
2017 10 4 0 -
2021 6 1 -
通算 AFC 38 5 0 0

その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪ユース
ガンバ大阪

個人

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代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 9試合 2得点(2015年 - 2017年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2015 1 0
2017 8 2
通算 9 2

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2015年8月5日   武漢 武漢体育中心   韓国 △1-1 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
2. 2017年3月23日   アル・アイン ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム   アラブ首長国連邦 ○2-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
3. 2017年6月7日   調布 味の素スタジアム   シリア △1-1 キリンチャレンジカップ2017
4. 2017年6月13日   テヘラン シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム   イラク △1-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
5. 2017年10月6日   豊田 豊田スタジアム   ニュージーランド ○2-1 キリンチャレンジカップ2017
6. 2017年10月10日   横浜 日産スタジアム   ハイチ △3-3
7. 2017年12月9日   調布 味の素スタジアム   朝鮮民主主義人民共和国 ○1-0 EAFF E-1サッカー選手権2017
8. 2017年12月12日   中国 ○2-1
9. 2017年12月16日   韓国 ●1-4

ゴール

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開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 試合概要
1. 2017年10月6日  豊田 豊田スタジアム   ニュージーランド ○2-1 キリンチャレンジカップ2017
2. 2017年10月10日  横浜 日産スタジアム   ハイチ △3-3

脚注

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  1. ^ MF倉田秋選手 2010年シーズン ジェフ千葉へ期限付き移籍 ガンバ大阪オフィシャルサイト、2010年1月5日
  2. ^ 倉田秋 選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト、2010年1月5日
  3. ^ セレッソ時代の強力デュオが復活!”. サッカーダイジェストWeb編集部. 2021年4月18日閲覧。
  4. ^ 清武弘嗣&山口蛍&倉田秋、懐かしの3ショット…「グラウンド外では仲良し」”. 2021年4月18日閲覧。
  5. ^ G大阪MF倉田秋、古巣対戦にブーイングも歓迎「セレッソサポのことは好きやから」”. Goal編集部. 2021年4月25日閲覧。
  6. ^ 倉田 秋選手期限付き移籍期間満了のお知らせ セレッソ大阪オフィシャルサイト、2012年1月5日
  7. ^ MF倉田秋選手 ガンバ大阪へ復帰のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2012年1月5日
  8. ^ 長谷川ガンバ 選手流出は最小限…倉田、岩下、藤春は残留決定的 スポニチ、2013年1月3日
  9. ^ 倉田選手の怪我のお知らせ ガンバ大阪オフィシャルサイト、2013年7月1日
  10. ^ “ガンバ遠藤保仁が語るV2「2005年のチームと違う強さ」”. sportiva. (2014年12月7日). http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2014/12/07/2005/index2.php 2014年12月19日閲覧。 
  11. ^ “青黒随一のマルチロール。遠藤と二川の特長を足して二で割った男・倉田秋”. J論コラム. (2015年8月2日). http://j-ron.jp/jron20150802.php 2016年1月11日閲覧。 
  12. ^ “【G大阪】天皇杯決勝へ鍵を握る倉田秋の役割。「守備で頑張るのは当たり前。決定的な仕事にこだわる」”. soccerdigestweb. (2015年12月31日). http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=13364 2016年1月11日閲覧。 
  13. ^ G大阪倉田「より相手の脅威に」志願の背番号10 日刊スポーツ(2017年1月15日)
  14. ^ 「命に別状がなくてよかった…」G大阪の倉田秋が脳震とう、左頬骨骨折で3~4週間の離脱 サッカーダイジェストWeb 2019年10月21日

関連項目

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外部リンク

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