サッカーアラブ首長国連邦代表
サッカーアラブ首長国連邦代表(サッカーアラブしゅちょうこくれんぽうだいひょう)は、アラブ首長国連邦サッカー協会(UAEFA)によって構成される、アラブ首長国連邦のサッカーのナショナルチームである。愛称の「Al Abyad」はアラビア語で白の意。
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国または地域 | アラブ首長国連邦 | |||
協会 | アラブ首長国連邦サッカー協会 | |||
FIFAコード | UAE | |||
愛称 | Al Abyad | |||
監督 | パウロ・ベント | |||
最多出場選手 | アドナン・アル・タリヤニ(161試合) | |||
最多得点選手 | アリー・マブフート(80得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
アラブ首長国連邦 1–0 カタール (サウジアラビア; 1972年3月17日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
ブルネイ 0–12 アラブ首長国連邦 (ブルネイ・バンダルスリブガワン; 2001年4月14日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
アラブ首長国連邦 0–8 ブラジル (アラブ首長国連邦・アブダビ; 2005年11月12日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 1回(初出場は1990) | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (1990) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 11回 | |||
最高成績 | 準優勝 (1996) | |||
FIFAコンフェデレーションズカップ | ||||
出場回数 | 1回 | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (1997) | |||
概要
編集FIFAワールドカップには1990年大会で初出場を果たしたが、3戦全敗でグループリーグ敗退に終わった。
AFCアジアカップでは、1992年大会で4位、1996年大会で準優勝の成績を収めた。その後は低迷が続いたが、2015年大会では5大会ぶりに決勝トーナメントに進出。準々決勝で日本を[1]、3位決定戦でイラクを破り[2]3位に入賞した。自国開催となった2019年大会でもベスト4入りを果たしている[3]。ガルフカップでは2007年大会、2013年大会で優勝している。著名な選手にはアリー・マブフートや、オマル・アブドゥッラフマーンなどが存在する。
歴史
編集初めての国際試合は1972年3月17日に行われたカタール戦(プリンス・ファイサル・ビン・ファハド・スタジアム)で、1-0で勝利した。
AFCアジアカップでは、クウェートで開催された1980年大会で初出場を果たした。グループBに入り、開催国であり前回大会の優勝国でもあるクウェート、準優勝の韓国、マレーシア、カタールと同組になり結果は1分3敗のグループ4位(全体9位)であった。1984年シンガポール大会、1988年カタール大会も予選突破したが、いずれもグループステージ敗退となっている。アジアカップでの初勝利は1984年12月7日のインド戦であった。
1988年、ブラジル代表監督の経験を持つマリオ・ザガロが監督に就任。1990年イタリアW杯のアジア予選を混戦ながら勝ち抜き、本大会初出場を決めた。本大会では西ドイツ、ユーゴスラビア、コロンビアと共にグループDに入ったが、それぞれ1-5、1-4、0-2と2得点11失点という内容で3戦全敗を喫した[4]。
AFCアジアカップ1992、1996はそれぞれ4位、準優勝の成績を収めた。それに伴ってサウジアラビアで開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ1997にアジア代表として出場した。
しかし、AFCアジアカップ2000(レバノン開催)でまさかの予選敗退となると、ガルフカップ2002(サウジアラビア開催)で最下位、アジアカップ2004年大会、2007年大会、2011年大会では3大会連続のグループステージ敗退となるなど低迷が続いた。なお、ガルフカップ2007では初優勝を遂げている。
ロンドン五輪世代
編集2012年、U-23UAE代表をロンドン五輪出場に導いたマフディ・アリがA代表監督に就任。U-23監督時代に共にプレーした選手主体のチームを作り上げ、ガルフカップ2013で2度目の優勝を果たした。AFCアジアカップ2015では2勝1敗で決勝トーナメントに進出。準々決勝で前回大会優勝の日本をPK戦で下すと、準決勝で開催国オーストラリアに敗れたものの、3位決定戦でイラクに3-2で勝利し過去最高の3位となった。
28年ぶりの出場を狙った2018年ロシアW杯・アジア予選では最終予選に進出した。グループBの初戦で再び日本に勝利する好スタートを切った[5]が、4勝1分5敗の勝点13、グループ4位となりプレーオフにも進めなかった。最終予選敗退が決まりマフディ・アリは退任した[6]。
W杯ロシア大会以降
編集2017年10月、元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニが監督に就任[7]。1996年大会以来の自国開催となったAFCアジアカップ2019では、グループリーグを首位で突破し[8]、準々決勝では前回王者のオーストラリアを破って[9]、2大会連続でベスト4に進出。準決勝では、カタールと対戦となり、UAEサポーターによるカタールへのブーイングが起こる[10]中、0-4と大敗。この大会をもってザッケローニは退任した[11]。
2022年カタールW杯・アジア最終予選ではグループ3位の成績でアジア予選5位を争う4次予選に出場。中立地カタールで行われたオーストラリアとの一発勝負は後半終了間際に勝ち越しを許し、1-2で敗戦。大陸間プレーオフに進めず、32年ぶりの出場の夢は途絶えることになった[12]。
カタールで催されたAFCアジアカップ2023では、決勝トーナメント1回戦で初出場のタジキスタン(FIFAランキング106位、UAE : 64位)にPK戦で敗れる下剋上を起こされ、ベスト16で大会を去った[13][14]。
成績
編集FIFAワールドカップ
編集開催年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1974 | 不参加 | ||||||
1978 | 棄権 | ||||||
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | |||||||
1990 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 11 |
1994 | 予選敗退 | ||||||
1998 | |||||||
2002 | |||||||
2006 | |||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
2018 | |||||||
2022 | |||||||
合計 | 出場1回 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 11 |
AFCアジアカップ
編集- 赤枠は自国開催
開催年 | 成績 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1976 | 不参加 | ||||||
1980 | グループリーグ敗退 | 4 | 0 | 1 | 3 | 3 | 9 |
1984 | 4 | 2 | 0 | 2 | 3 | 8 | |
1988 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 4 | |
1992 | 4位 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 |
1996 | 準優勝 | 6 | 4 | 2 | 0 | 8 | 3 |
2000 | 予選敗退 | ||||||
2004 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 5 |
2007 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 6 | |
2011 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | |
2015 | 3位 | 6 | 3 | 1 | 2 | 10 | 8 |
2019 | ベスト4 | 6 | 3 | 2 | 1 | 8 | 8 |
2023 | ベスト16 | 4 | 1 | 2 | 1 | 6 | 5 |
合計 | 出場11回 | 46 | 16 | 12 | 18 | 46 | 62 |
ガルフカップ
編集開催年 | 成績 |
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1972 | 3位 |
1974 | 4位 |
1976 | 3位 |
1979 | 6位 |
1982 | 3位 |
1984 | 4位 |
1986 | 準優勝 |
1988 | 準優勝 |
1990 | 5位 |
1992 | 4位 |
1994 | 準優勝 |
1996 | 4位 |
1998 | 3位 |
2002 | 6位 |
2003 | 5位 |
2004 | グループリーグ敗退 |
2007 | 優勝 |
2009 | グループリーグ敗退 |
2010 | 準決勝敗退 |
2013 | 優勝 |
2014 | 3位 |
2017 | 準優勝 |
2019 | グループリーグ敗退 |
2023 | グループリーグ敗退 |
FIFAコンフェデレーションズカップ
編集- 出場した大会のみ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1997 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 8 |
合計 | 出場1回 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 8 |
オリンピック
編集歴代監督
編集- ドン・レヴィー 1977-1980
- ヘシュマト・モハジェラニ 1980-1984
- カルロス・アルベルト・パレイラ 1984-1988
- マリオ・ザガロ 1988-1990
- ベルンハルト・ブラウト 1990
- ヴァレリー・ロバノフスキー 1990-1992
- アントニ・ピエフニチェク 1992-1995
- トミスラヴ・イヴィッチ 1995-1996
- ロリ・サンドリ 1997
- ミラン・マチャラ 1997
- ロリ・サンドリ 1998
- カルロス・ケイロス 1998-1999
- スレチコ・ユルチッチ 1999
- アンリ・ミシェル 2000-2001
- ヨー・ボンフレーレ 2002
- ロイ・ホジソン 2002-2003
- ア・デモス 2004-2005
- ディック・アドフォカート2005
- ブルーノ・メツ2006-2008.9
- ドミニク・バテネー 2008.9-2009.6
- スレチコ・カタネッツ 2009.6-2011.9
- マフディ・アリ 2012.8-2017.3
- エドガルド・バウサ 2017.5-2017.10
- アルベルト・ザッケローニ 2017.10-2019.1
- ベルト・ファン・マルワイク 2019.3-2019.12
- イヴァン・ヨヴァノヴィッチ 2019.12-2020.4
- ベルト・ファン・マルワイク 2020.12-2022.2
- ロドルフォ・アルアバレーナ 2022.2-2023.7
- パウロ・ベント 2023.7-
歴代選手
編集脚注
編集- ^ “UAEにPK戦で惜敗、4強入り逃す ~AFCアジアカップ準々決勝~”. JFA|公益財団法人日本サッカー協会. 2023年12月24日閲覧。
- ^ “アジアカップ2015 日程・結果”. サッカーキング (2015年1月13日). 2023年12月24日閲覧。
- ^ 「サッカー=カタールとUAEがアジア杯4強、韓国と豪州は敗退」『Reuters』2019年1月26日。2023年12月24日閲覧。
- ^ “UAE's 1990 World Cup journey now a documentary”. Gulf News (30 November 2016). 28 April 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。11 February 2019閲覧。
- ^ “日本、UAEに逆転負け サッカーW杯最終予選”. 日本経済新聞 (2016年9月2日). 2024年1月25日閲覧。
- ^ “Mahdi Ali resigns as UAE's World Cup ends with a defeat”. The National (28 March 2018). 22 March 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。22 March 2019閲覧。
- ^ 「サッカー=ザッケローニ氏、UAE代表監督に就任」『Reuters』2017年10月18日。2024年8月9日閲覧。
- ^ “AFC アジアカップ UAE 2019”. 日程・結果 | AFC アジアカップ UAE 2019 |SAMURAI BLUE|JFA|公益財団法人日本サッカー協会. 2024年8月9日閲覧。
- ^ “豪主将ミリガン、準決勝進出のUAEを称賛「ホームの後押しで、UAEは全く違うチームになった」 | Goal.com 日本”. www.goal.com (2019年1月27日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “カタールと断交のUAE、ファンが国歌斉唱でブーイング…靴やペットボトルを投げ込む蛮行も | Goal.com 日本”. www.goal.com (2019年1月29日). 2024年8月9日閲覧。
- ^ “UAEザック監督退任へ「敗戦の責任は私にある」 - スポニチ Sponichi Annex サッカー”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年8月9日閲覧。
- ^ “豪がUAE下し大陸間POへ、フルスティッチ決勝点 W杯予選”. www.afpbb.com. 2024年8月9日閲覧。
- ^ ゲキサカ編集部 (2024年1月29日). “アジア杯決勝トーナメント開戦、オーストラリア大勝、初出場タジキスタンの快進撃は続く”. ゲキサカ. 2024年10月23日閲覧。
- ^ “タジキスタンがPK戦を制してベスト8に進出! UAEは後半ATに追いつくも無念の惜敗【アジア杯】 | サッカーダイジェストWeb”. www.soccerdigestweb.com. 2024年10月23日閲覧。