サッカーブラジル代表

ブラジルの男子サッカーナショナルチーム

サッカーブラジル代表(サッカーブラジルだいひょう、: Seleção Brasileira de Futebol[注釈 1])は、ブラジルサッカー連盟(CBF)によって構成されるブラジルサッカーナショナルチーム

サッカーブラジル代表
国または地域 ブラジルの旗 ブラジル
協会 ブラジルサッカー連盟
FIFAコード BRA
愛称 Seleção (セレソン)
Canarinho (小さなカナリア)
Verde-Amarela (緑と黄色)
監督 ブラジルの旗 ドリヴァウ・シウヴェストレ・ジュニオール英語版
最多出場選手 カフー(142試合)
最多得点選手 ネイマール(79得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 アルゼンチン 3-0  ブラジル
ブエノスアイレス, 1914年9月20日)
最大差勝利試合
 ブラジル 10-1  ボリビア
サンパウロ, 1949年4月10日)
 ブラジル 9-0  コロンビア
リマ, 1957年3月24日)
最大差敗戦試合
 ウルグアイ 6-0  ブラジル
ビニャ・デル・マール, 1920年9月18日)
 ブラジル 1-7  ドイツ
ベロオリゾンテ, 2014年7月8日)
FIFAワールドカップ
出場回数 22回(初出場は1930
最高成績 優勝(1958, 1962, 1970, 1994, 2002
コパ・アメリカ
出場回数 37回
最高成績 優勝 (1919, 1922, 1949, 1989, 1997, 1999, 2004, 2007, 2019)
FIFAコンフェデレーションズカップ
出場回数 7回
最高成績 優勝 (1997, 2005, 2009, 2013)
ブラジルのサポーター(2010年南アフリカW杯北朝鮮戦)

概要

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FIFAワールドカップにおいて唯一、2022年大会までの22大会全てにおいて本大会出場を果たしており、最多となる5度の優勝経験を有する世界を代表する強豪国である。1970年大会2002年大会では、全試合90分以内での全勝優勝を達成している[注釈 2]。中でも1970年大会は南米予選でも6試合で全勝しており、予選・本大会を通じての全勝優勝はこれが大会史上唯一である。

ワールドカップ優勝国の中では、スペインと同様に地元開催での優勝経験が無い。コパ・アメリカでは9回優勝している。これは、15回のアルゼンチンウルグアイに続いて3番目に多い回数である。FIFAランキングで1位になった経験を持つ8チームのうちの1つでもある。

チームカラーはカナリア色(黄色)・青・緑・白で、これはブラジルの国旗から取られている。愛称はチームカラーよりカナリア(Os Canarinhos)。また、ブラジルの公用語であるブラジルポルトガル語でナショナルチームのことをセレソン seleção[注釈 3][ˌseleˈsɐ̃w̃] セレサォン)というが、ヨーロッパポルトガル語では seleção[sɨlɛˈsɐ̃w̃] スレソン)と言い、綴りは同じながら発音が異なるため、日本語では「セレソン」だけでブラジル代表を想起させることが多い。 なお、「セレソン・ブラジレイラ」は本来はサッカーに限ったものではなく『ブラジル代表』という意味なので、バレーボール等他の競技でも代表チームは「セレソン・ブラジレイラ」と呼ばれる。

最多出場はカフーの142試合、最多得点はネイマールの79得点である。ブラジル国内での試合開催はワールドカップ地区予選、アルゼンチンとの親善試合「スーペルクラシコ」以外では年1回の親善試合に限られている。それ以外ではヨーロッパを中心にアウェー、もしくは中立国で開催している。

CBFロゴの上部にある星は、これまでのワールドカップ優勝回数を示している。この星は1回優勝を果たす度に、次のユニフォームにおいて星の数が増えていく。なお2020年以前はサッカーブラジル女子代表のユニフォームにも男子と同じく星を付けていたが、男女代表間の功績を明確に区別する為、女子代表のユニフォームには星がなくなった。(2024年現在でもまだ世界一の実績がないため、星はない)

歴史

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ブラジル代表のエンブレムの基になっているキリスト騎士団の十字。これは旧宗主国のポルトガル代表と共通である。

20世紀

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1914年、リオデジャネイロ州サンパウロ州の合同選抜チームがイングランドエクセター・シティFCと対戦したのがブラジル代表の最初の対外試合であると言われている。試合結果については2-0でブラジルの勝利であったとするものと、3-3の引き分けであったとするものとがいずれも複数存在しており、正確な情報は不明である。

初期のブラジル代表は常に世界トップレベルにある現状とは程遠く、ブラジルサッカー連盟内部でのプロ化に関する意見の不一致による内部紛争などの影響で、代表チームの編成も不安定な状況にあった。南米選手権(現在のコパ・アメリカ)では1919年、1922年に優勝したものの、1920年にチリビニャ・デル・マールで開かれた南米選手権ではウルグアイに、2014年時点で最多得失点差での敗戦記録[注釈 4]として残る0-6の大敗を喫している。また、第一次世界大戦の影響もあるが先述のエクセター・シティFCとの対戦以降、欧州チームとの対戦は1928年、スコットランドマザーウェルFCとの試合までなかった。

ウルグアイで開催された第1回FIFAワールドカップに出場し、グループ2初戦のユーゴスラビア戦に1-2で敗れ、続くボリビア戦には4-0で勝利したもののグループリーグ敗退となった[注釈 5]

1934年にはイタリア王国で開催された1934 FIFAワールドカップ初戦のスペイン戦に1-3で敗れ、早々に敗退[注釈 6]、その足で向かったアウェーの親善試合ユーゴスラビア戦で、2019年時点でブラジル代表の公式試合最多失点記録として残る4-8の大敗を喫している[1][2]1938 FIFAワールドカップでは初めて準決勝まで進出するも、優勝したイタリアに1-2で敗れ3位決定戦でスウェーデンに勝利し3位となっている。

ブラジルにとって、ワールドカップ優勝を狙える最初の機会は南米選手権で27年ぶりに優勝した1949年の翌年、自国で開催された1950年大会であった。1次リーグを2勝1分で突破すると、2次リーグでもスウェーデンに7-1、スペインに6-1と大勝し、この大会の事実上の決勝となったリオデジャネイロマラカナン・スタジアムでのウルグアイとの2次ラウンド最終戦に臨んだ。しかし引き分けでも優勝だったにもかかわらず逆転負けを喫し、初優勝を逃した。これは「マラカナンの悲劇」とよばれている。

初優勝は1958年スウェーデン大会で、決勝で地元のスウェーデンを5-2で破った。これは南アメリカのチームがヨーロッパで開催されたワールドカップで優勝したただひとつの例である。1970年メキシコ大会では、ペレ率いるブラジルは3度目の優勝を果たし、ジュール・リメ杯を永久保持することとなった。

1982年スペイン大会ジーコソクラテスファルカントニーニョ・セレーゾの4選手が形成した中盤は黄金のカルテットと呼ばれ、「ブラジルサッカー史上最もファンを魅了したチーム」と称されたが結果的には2次リーグ敗退している。ブラジルでは、この2次リーグのイタリア戦を「サリアの悲劇」とよんでいる。

1994 FIFAワールドカップでは決勝でも決着がつかず、PK戦の末にロベルト・バッジョらを擁するイタリアに3-2で勝利し4度目の優勝を飾った。1998 FIFAワールドカップでも2大会連続で決勝に進出したが、ジネディーヌ・ジダンらを擁する開催国のフランスの前に0-3で敗れ、連覇はならなかった。

21世紀

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2002年日韓大会南米予選で苦戦し、本大会出場すら危ないほどだった。それを引きずるかのように本大会初戦のトルコ戦でも先制点を許してしまうが、何とか2-1で逆転勝ちした。しかしその後はロナウドリバウドロナウジーニョら攻撃陣が機能し、全勝で決勝まで勝ち上がった。決勝の相手はそれまでワールドカップで対戦したことのなかったもうひとつのサッカー大国、オリバー・カーンらを擁するドイツだった。これをロナウドの2ゴールにより2-0で制し、ワールドカップ最多優勝記録を5に伸ばした。

2006年ドイツ大会では、前回大会とは対照的に南米予選を1位で通過した。黄金のカルテットになぞらえて「カルテット・マジコ」(魔法の4人組)と呼ばれたロナウド、ロナウジーニョ、カカアドリアーノの4人による前線を擁し、優勝候補の大本命とみなされていた。特にロナウジーニョへの期待が高く、「この大会はロナウジーニョの大会になるだろう」との声もあった。だが、準々決勝で8年前のフランス大会の決勝で敗れたフランスと当たり、0-1で落とし連覇及び当時史上初となった4大会連続ベスト4を逃した。

2010年南アフリカ大会南米予選では、開始早々から好調を維持していた。2009年9月5日、敵地での対アルゼンチン戦を3-1で勝利し、3試合を残しながら南米勢のトップを切って本大会出場が決定した。これで第1回(1930年ウルグアイ大会)からの連続本大会出場記録が「19」に伸びた[注釈 7]。本大会では順当に勝ち上がるが、準々決勝でオランダと対戦し1-2で逆転負けを喫した。翌年のコパ・アメリカ2011では3連覇を狙ったものの、準々決勝でパラグアイと対戦して押し込みながらもゴールを奪えず、PK戦の末に敗れた。

2014年大会は、開催国として予選免除での本大会出場、丁度20度目の出場となった。エースのネイマールを中心にチームは勝ち進んだものの、ベスト4を争った準々決勝のコロンビア戦では2-1で勝利を収めながらチームの核であるネイマールがコロンビアのフアン・スニガと衝突した際に腰椎を負傷し、それ以後の試合は絶望となった。またキャプテンでセンターバックのチアゴ・シウバもイエローカードを貰い、次戦累積により出場停止となった。決勝進出を賭けた準決勝のドイツ戦では、前半に5失点を喫するなど1-7と歴史的大敗を喫した。これは、3大会ぶりの決勝進出を逃しただけでなくワールドカップの決勝トーナメント史上初の7失点という記録も残した。この敗戦は「マラカナンの悲劇」にちなんで「ミネイロンの惨劇[3]ベロオリゾンテの惨劇など)」(Mineiraço)と呼ばれている。前回大会の準々決勝で敗れたオランダとの3位決定戦でも0-3で敗れ、2010年大会の雪辱を果たせず10大会ぶり2度目の4位に終わった。南米大陸開催のFIFAワールドカップで、開催国が3位以内に進出できなかった初の例となった。なお、11得点に対し14失点(出場した大会中、ワースト記録)と1966年イングランド大会以来11大会ぶりに失点数が得点数を上回った。

2018年ロシア大会南米予選ではネイマールの不在により、序盤6試合は2勝しかできず予選敗退ゾーンの6位まで転落したが、その後は一気に9連勝し、ワールドカップ地区予選通過第1号で本大会出場を決めると同時に連続本大会出場記録が「21」に伸びた。本大会ではグループEに入り、初戦のスイス戦では1-1のドローとなったが、2戦目のコスタリカ戦では後半のアディショナルタイムにコウチーニョ、ネイマールがゴールを決め2-0で勝利を収めた。3戦目のセルビア戦でも2-0、迎えた決勝トーナメント1回戦のメキシコ戦でも2-0で勝利した。しかし、準々決勝のベルギー戦では前半の13分にフェルナンジーニョのオウンゴールで先制を許すと、31分にもケヴィン・デ・ブライネに追加点を奪われる。後半の31分にレナト・アウグストのゴールで1点を返したが、1-2で敗れベスト8で敗退となった。

2022年カタール大会南米予選の第6節アルゼンチン戦でアルゼンチンの選手がブラジルの新型コロナウイルス感染拡大対策ルールに違反している可能性があるとして試合開始直後に中止となるトラブルに見舞われたが[4]、無敗で1位通過し22回連続出場を果たした。FIFAランキング1位で迎えた本大会ではグループGに組み分けされ、初戦のセルビア戦を後半にリシャルリソンの2得点により2-0で勝利するも[5]、今大会が最後のW杯と話していたネイマールが試合中に足首を負傷してしまいグループステージの残りの試合を欠場することになった[6]。2戦目のスイス戦は83分にカゼミーロのゴールで1-0で勝利し、2連勝で決勝トーナメント進出を決めた[7]。グループリーグ3連勝を賭けて挑んだ第3戦のカメルーン戦は終始攻め続けたが得点を挙げることはできず、逆に後半アディショナルタイムにヴァンサン・アブバカルに先制ゴールを奪われてそのまま0-1で敗れ、24年ぶりにグループリーグで敗戦を喫したが1位で通過した[8]。決勝トーナメント1回戦ではネイマールが復帰し韓国を相手に4-1で快勝[9]。準々決勝クロアチア戦では延長前半にネイマールがペレの持つブラジル代表最多得点記録(77得点)に並ぶゴールで先制するも延長後半にブルーノ・ペトコヴィッチのゴールにより同点とされ、PK戦では4人連続で成功させたクロアチアに対しブラジルは1番手のロドリゴのシュートがドミニク・リヴァコヴィッチに止められると、最後は4番手のマルキーニョスのシュートがゴール左ポストにはじかれたところで試合終了。2大会連続のベスト8敗退となった[10][11]。試合後、2016年に就任して以降の6年間で81試合61勝を挙げていたチッチ監督が退任を表明した[12]

コパ・アメリカ2024ではグループDに組み分けされ、初戦でコスタリカと対戦した。終始攻め続けたが得点を挙げることはできず、前半31分にマルキーニョスがネットを揺らしたものの、これがVAR判定で取り消される不運に遭い0-0の引き分けに終わった[13]。2戦目のパラグアイ戦は ヴィニシウスの2ゴールの活躍で4-1で快勝し大きな勝点3を得た[14]。勝利すれば逆転での1位通過が決まる3戦目のコロンビア戦では前半12分にハフィーニャのゴールで先制するも、前半終了間際にダニエル・ムニョスのゴールにより同点とされそのまま1-1で引き分け、2位での通過となった。準々決勝はグループC1位通過のウルグアイと対戦した。前半を0-0で折り返し、74分に相手に退場者が出て数的優位に立ったが、最後まで相手の堅い守備を崩すことはできず90分で決着は着かずPK戦にもつれ込む。ブラジルは1人目のエデル・ミリトンのシュートがGKに止められ、3人目のドウグラス・ルイスのシュートもポストにはじかれてしまう。その後のウルグアイの4人目ホセ・マリア・ヒメネスのシュートはアリソンが止めたが、最後はウルグアイの5人目マヌエル・ウガルテに決められたところで試合終了。ベスト8で大会を去り、2大会連続のベスト4入りはかなわなかった[15]

A代表の成績

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FIFAワールドカップ

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開催国 / 年 成績
  1930 グループリーグ敗退 2 1 0 1 5 2
  1934 1回戦敗退 1 0 0 1 1 3
  1938 3位 5 3 1 1 14 11
  1950 準優勝 6 4 1 1 22 6
  1954 ベスト8 3 1 1 1 8 5
  1958 優勝 6 5 1 0 16 4
  1962 優勝 6 5 1 0 14 5
  1966 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 6
  1970 優勝 6 6 0 0 19 7
  1974 4位 7 3 2 2 6 4
  1978 3位 7 4 3 0 10 3
  1982 2次リーグ敗退 5 4 0 1 15 6
  1986 ベスト8 5 4 1 0 10 1
  1990 ベスト16 4 3 0 1 4 2
  1994 優勝 7 5 2 0 11 3
  1998 準優勝 7 4 1 2 14 10
   2002 優勝 7 7 0 0 18 4
  2006 ベスト8 5 4 0 1 10 2
  2010 ベスト8 5 3 1 1 9 4
  2014 4位 7 3 2 2 11 14
  2018 ベスト8 5 3 1 1 8 3
  2022 ベスト8 5 3 1 1 8 3
合計 出場22回/優勝5回 114 76 19 19 237 108

コパ・アメリカ

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FIFAコンフェデレーションズカップ

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開催国 / 年 成績 備考
  1992 不参加 コパ・アメリカ1991は準優勝
  1995 不参加 コパ・アメリカ1993はベスト8
  1997 優勝 5 4 1 0 14 2 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
  1999 準優勝 5 4 0 1 18 6 コパ・アメリカ1997優勝
   2001 4位 5 1 2 2 3 3 コパ・アメリカ1999優勝
  2003 グループリーグ敗退 3 1 1 1 3 3 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
  2005 優勝 5 3 1 1 12 6 前回のワールドカップ優勝国枠で出場
コパ・アメリカ2004も優勝)
  2009 5 5 0 0 14 5 コパ・アメリカ2007優勝
  2013 5 5 0 0 14 3 翌年のワールドカップ開催国
  2017 不参加
合計 出場7回/優勝4回 33 23 5 5 78 28

世代別の成績

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オリンピック

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1900 不参加
  1904
  1908
  1912
  1920
  1924 予選敗退
  1928 不参加
  1936
  1948
  1952 ベスト8 3 2 0 1 9 6
  1956 予選敗退
  1960 グループリーグ敗退 3 2 0 1 10 6
  1964 3 1 1 1 5 2
  1968 3 0 2 1 4 5
  1972 3 0 1 2 4 6
  1976 4位 5 2 1 2 6 6
  1980 予選敗退
  1984 準優勝 6 4 1 1 9 5
  1988 6 4 1 1 12 4
合計 8/20 32 15 7 10 59 40

FIFA U-20ワールドカップ

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1977 3位 5 3 2 0 13 3
  1979 予選敗退
  1981 ベスト8 4 2 1 1 7 4
  1983 優勝 6 5 1 0 13 4
  1985 6 6 0 0 14 1
  1987 ベスト8 4 2 0 2 6 3
  1989 3位 6 5 0 1 13 2
  1991 準優勝 6 4 2 0 14 4
  1993 優勝 6 5 1 0 11 2
  1995 準優勝 6 4 1 1 11 3
  1997 ベスト8 5 4 0 1 25 5
  1999 5 3 0 2 13 5
  2001 5 4 0 1 15 2
  2003 優勝 7 5 1 1 14 6
  2005 3位 7 5 1 1 9 3
  2007 ベスト16 4 1 0 3 6 9
  2009 準優勝 7 5 2 0 14 3
  2011 優勝 7 5 2 0 18 5
  2013 予選敗退
  2015 準優勝 7 4 2 1 15 5
合計 18/20 103 72 18 16 231 69

南米ユース選手権

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1954 準優勝 6 3 3 0 14 5
  1958 3位 5 2 2 1 10 6
  1964 不参加
  1967 ベスト4 5 3 0 2 7 5
  1971 グループリーグ敗退 4 2 0 2 7 3
  1974 優勝 6 5 1 0 18 3
  1975 グループリーグ敗退 5 1 0 4 6 7
  1977 準優勝 6 5 1 0 13 2
  1979 4位 7 2 1 4 5 7
  1981 準優勝 6 3 2 1 13 5
  1983 優勝 7 6 1 0 16 3
  1985 7 6 1 0 11 3
  1987 準優勝 6 3 2 1 11 4
  1988 優勝 7 5 1 1 14 2
  1991 7 4 3 0 15 5
  1992 6 5 1 0 7 0
  1995 6 5 0 1 17 4
  1997 準優勝 9 6 2 1 26 10
  1999 3位 9 4 3 2 22 10
  2001 優勝 9 6 2 1 21 6
  2003 準優勝 9 7 1 1 23 5
  2005 9 5 2 2 18 9
  2007 優勝 9 6 3 0 20 9
  2009 9 6 1 2 17 9
  2011 9 7 1 1 24 7
  2013 グループリーグ敗退 4 1 1 2 4 6
  2015 4位 9 5 1 3 13 9
合計 26/27 172 107 33 32 338 135

FIFA U-17ワールドカップ

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 3位 6 4 0 2 13 8
  1987 グループリーグ敗退 3 0 2 1 0 1
  1989 ベスト8 4 2 1 1 5 3
  1991 4 3 0 1 8 2
  1993 予選敗退
  1995 準優勝 6 4 0 2 6 3
  1997 優勝 6 6 0 0 21 2
  1999 6 2 4 0 8 4
  2001 ベスト8 4 3 0 1 11 4
  2003 優勝 6 5 1 0 15 1
  2005 準優勝 6 4 0 2 16 11
  2007 ベスト16 4 1 1 2 14 4
  2009 グループリーグ敗退 3 1 0 2 3 4
  2011 4位 7 4 1 2 15 12
  2013 ベスト8 5 4 1 0 19 4
  2015 5 3 0 2 5 5
合計 15/16 75 46 11 18 159 68

南米U-17選手権

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開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1985 準優勝 8 7 0 1 32 4
  1986 準優勝 7 1 6 0 6 5
  1988 優勝 7 6 1 0 14 1
  1991 7 5 0 2 18 6
  1993 4位 7 4 2 1 13 9
  1995 優勝 7 6 0 1 19 4
  1997 7 5 2 0 20 7
  1999 6 5 1 0 17 6
  2001 7 4 3 0 18 5
  2003 準優勝 7 5 1 1 15 4
  2005 優勝 7 5 1 1 27 11
  2007 9 6 1 2 29 11
  2009 5 3 1 1 12 4
  2011 9 7 1 1 22 11
  2013 3位 9 5 4 0 14 6
  2015 優勝 9 5 1 3 18 14
合計 16/16 118 79 25 14 294 108

歴代記録

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出場数ランキング

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2024年6月16日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 試合数 ポジション 期間
1 カフー 143 DF 1990-2006
2 ネイマール 128 FW 2010-
3 ダニエウ・アウヴェス 126 DF 2006-2022
4 ロベルト・カルロス 125 DF 1992-2006
5 チアゴ・シウバ 113 DF 2008-2023
6 ルシオ 105 DF 2000-2011
7 クラウディオ・タファレル 101 GK 1987-1998
8 ロビーニョ 100 FW 2003-2017
9 ロナウド 98 1994-2011
ジャウマ・サントス DF 1952-1968
11 ロナウジーニョ 97 FW 1999-2013
12 ジウマール 94 GK 1953-1969
13 ジウベルト・シウバ 93 MF 2001-2010
14 ペレ 92 FW 1957-1971
ロベルト・リベリーノ 1965-1978
カカ MF 2002-2016
17 ドゥンガ 91 1987-1998
ジーダ GK 1995-2006
19 ジュリオ・セザル 87 2004-2014
20 マルキーニョス 85 DF 2013-

得点数ランキング

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2023年10月18日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 得点数 試合数 ポジション 期間
1 ネイマール 79 128 FW 2010-
2 ペレ 77 92 FW 1957-1971
3 ロナウド 62 98 1994-2011
4 ロマーリオ 55 70 1987-2005
5 ジーコ 48 71 MF 1976-1986
6 ベベット 39 75 FW 1985-1998
7 リヴァウド 34 74 MF 1993-2003
8 ロナウジーニョ 33 97 FW 1999-2013
ジャイルジーニョ 81 MF 1964-1982
10 アデミール 32 39 FW 1945-1953
トスタン 54 1966-1972
12 ジジーニョ 30 53 MF 1942-1957
13 カレカ 29 60 FW 1982-1993
カカ 92 MF 2002-2016
15 ロビーニョ 28 100 FW 2003-2017
ルイス・ファビアーノ 45 2003-2013
17 アドリアーノ 27 48 2000-2010
18 リヴェリーノ 26 92 MF 1965-1978
19 ソクラテス 22 60 1979-1986
ペペ 22 41 FW 1955-1965

歴代選手

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W杯の登録メンバー

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主な代表選手

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GK

DF

MF

FW

歴代監督

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  水色はワールドカップ優勝監督
名前 期間 備考
アデマール・ピメンタ 1936年 - 1938年 1期目
アデマール・ピメンタ 1942年 2期目
フラビオ・コスタ 1944年 - 1950年 1期目
ゼゼ・モレイラ 1952年 1期目
アイモレ・モレイラ 1953年 1期目
ゼゼ・モレイラ 1954年 - 1955年 2期目
フラビオ・コスタ 1955年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1955年 1期目
オスワルド・ブランダン 1955年 - 1956年 1期目
フラビオ・コスタ 1956年 3期目
テテ 1956年
シルビオ・ピリロ 1957年
ペドリーニョ 1957年
オスワルド・ブランダン 1957年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1958年 - 1960年 1期目
アイモレ・モレイラ 1961年 - 1963年 2期目
ビセンテ・フェオラ 1964年 - 1966年 2期目
ドリバル・ユストリッチ 1968年
ジョアン・サルダーニャ 1969年 - 1970年
マリオ・ザガロ 1970年 - 1974年 1期目
オスワルド・ブランダン 1975年 - 1977年 3期目
クラウディオ・コウティーニョ 1977年 - 1980年
テレ・サンタナ 1980年 - 1982年 1期目
カルロス・アルベルト・パレイラ 1983年 1期目
エドゥ・アントゥネス・コインブラ 1983年 - 1984年
エバリスト・デ・マセド 1984年 - 1985年
テレ・サンターナ 1985年 - 1986年 2期目
カルロス・アルベルト・シルバ 1987年 - 1988年
セバスティアン・ラザローニ 1989年 - 1990年
パウロ・ロベルト・ファルカン 1991年
カルロス・アルベルト・パレイラ 1991年 - 1994年 2期目
マリオ・ザガロ 1995年 - 1998年 2期目
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ 1998年 - 2000年
エメルソン・レオン 2000年 - 2001年
ルイス・フェリペ・スコラーリ 2001年 - 2002年 1期目
マリオ・ザガロ 2002年 3期目
カルロス・アルベルト・パレイラ 2003年 - 2006年 3期目
ドゥンガ 2006年 - 2010年
マノ・メネーゼス 2010年 - 2012年
ルイス・フェリペ・スコラーリ 2012年 - 2014年 2期目
ドゥンガ 2014年 - 2016年 2期目
チッチ 2016年 - 2022年
ラモン・メネゼス 2023年
フェルナンド・ジニス英語版 2023年 -

エピソード

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SENNA ACELERAMOS JUNTOS.=セナと一緒に加速した。(F1ドライバーになぞらえて大会を走破した事を加速と表現)

TETRA E NOSSO!=(優勝)4度目は我々のもの!

と書かれた横断幕を選手たちの手で掲げ、4度目の優勝を捧げた。

脚注

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注釈

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  1. ^ ブラジルポルトガル語発音:[ˌseleˈsɐ̃w̃ bɾɐziˈlejɾɐ d͡ʒɪ fuʧiˈbɔw] セレン・ブラズィイラ・ジ・フチ
  2. ^ 他は1930年大会の全4試合だったウルグアイのみ。
  3. ^ 英語で「選抜」(: selection セレクション) にあたる。
  4. ^ 2014年7月8日以降はタイ記録。
  5. ^ 欧州各国の辞退が相次ぎ、総参加国数が13にとどまったため、グループ1以外は各3カ国2試合ずつであった。なおこの時のユーゴスラビア戦が欧州のナショナルチームとの公式戦初対戦である。
  6. ^ 16か国参加のトーナメント式だったため1試合で終了となった。
  7. ^ 予選による本大会出場決定前は既に次回のブラジルワールドカップに出場決定しているため、実質的に「20」となる。

出典

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  1. ^ “ブラジル紙、歴史的な敗戦と報じる”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2014年7月9日). https://www.nikkansports.com/brazil2014/news/f-sc-tp0-20140709-1331136.html 2014年7月9日閲覧。 
  2. ^ Yugoslavia 8-4 Brazil”. footballzz.com. 2014年7月9日閲覧。
  3. ^ ブラジル人はこの屈辱を忘れない W杯準決勝でドイツに叩きのめされたサッカー王国の絶望ニューズウィーク 2014年7月10日)
  4. ^ W杯予選ブラジル対アルゼンチンが開始直後に中止…政府関係者がコロナ安全面の指摘で乱入、メッシ「もっと早く言えよ」”. ゲキサカ. 講談社 (2021年9月6日). 2022年12月14日閲覧。
  5. ^ リシャルリソンのスーパーゴール炸裂!優勝候補ブラジル、セルビアに2発快勝で白星発進”. Goal.com (2022年11月25日). 2022年12月12日閲覧。
  6. ^ ネイマール、負傷離脱で思いを吐露「再びW杯で…キャリアで最も難しい時間の1つになった」”. Goal.com (2022年11月26日). 2022年12月12日閲覧。
  7. ^ 【動画】ブラジル、83分のカゼミーロ弾で堅守スイスを撃破!2連勝で決勝トーナメント進出を決める”. Goal.com (2022年11月29日). 2022年12月12日閲覧。
  8. ^ ブラジル、初黒星も首位通過!決勝T最後の切符つかんだのはスイス”. Goal.com (2022年12月3日). 2022年12月12日閲覧。
  9. ^ ネイマール復帰のブラジル、前半4ゴールで韓国を圧倒!準々決勝でクロアチアと対戦へ”. Goal.com (2022年12月6日). 2022年12月14日閲覧。
  10. ^ “不屈”のクロアチア、2試合連続PK戦に及ぶ死闘でブラジル下し準決勝へ!延長後半の同点弾に守護神圧巻のセーブ連発”. Goal.com (2022年12月10日). 2022年12月14日閲覧。
  11. ^ これがネイマールの最後なのか.天国から地獄へ…「賛否両論」のスターが抱えた痛みと涙”. Goal.com (2022年12月10日). 2023年6月18日閲覧。
  12. ^ W杯準々決勝敗退後にブラジル指揮官チッチが退任発表「サイクルの終わり。私に二言はない」”. Goal.com (2022年12月10日). 2022年12月14日閲覧。
  13. ^ “王国”ブラジル、コパ・アメリカ開幕戦はスコアレス…猛攻もコスタリカの堅守崩せず”. Goal.com (2024年6月25日). 2024年6月25日閲覧。
  14. ^ コパ・アメリカ初戦ドローのブラジル代表、ヴィニシウス2発など爆発!パラグアイに4ゴール快勝”. Goal.com (2024年6月29日). 2024年6月29日閲覧。
  15. ^ ブラジル、PK戦で敗れコパ・アメリカベスト8敗退…10人で勝ちきったウルグアイは13年ぶり4強入り”. Goal.com (2024年7月7日). 2024年7月7日閲覧。
  16. ^ ブラジルW杯:「恥・屈辱・侮辱」地元惨敗に衝撃毎日新聞 2014年7月9日 2014年7月16日閲覧)
  17. ^ 略奪や放火で10人を拘束 W杯、ブラジル惨敗」朝日新聞 2014年7月9日 2014年7月16日閲覧)
  18. ^ "ブラジル代表、史上初めて"全身黒"のユニフォームを着用…反人種差別の意思を表明". Soccer King. 株式会社フロムワン. 18 June 2023. 2023年6月18日閲覧

関連項目

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外部リンク

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